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世界一周トラベリングソング。

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⑭デリー・パヤールで沈没 2001年インド一周半バックパッカーの旅行記

INDIA 21-28.SEP.2001 インド>デリー(DELHI)

ラージャスターンの旅を終え、デリーに戻る。
同じく休学中の友人とイランを旅するためここで合流したものの、パキスタンの状況は悪くなるばかり・・・
無事パキスタンを越えて中東にたどり着くことができるのかしら。

9/21 再開
不本意ながら、若干臭いままデリーに到着した花の21歳乙女盛り、早速友人がメールで泊まっていると言っていたパヤールという宿へ向かう。
ドミには毛だらけのごつい足が何本も横たわっていて、そんな中に友人の姿を発見。
遠い異国の地でも、メール一本で簡単に再会できるんだから、便利な世の中ね。

宿には私たちと同じように大陸横断中の人たちがいっぱいいて、皆パキスタンに行こうかどうか迷っている様子。
毎日パキスタン帰りの旅人から最新情報が飛び込んでくるのだけど、当事者はというと、みんないたってのんびりで・・・
「危険勧告4のフンザから下界におりてみたら、大使館員すらパキスタンから退去していたことに気づいてさすがにびびってインドに戻ってきた」なんていう狼カットな男にも会った。

そうかと思えば いきなりクルターで現れ、「パキスタン人が自分の着てる服をくれたんだけど、くっさいんだよね」と困った顔でぶつくさ言ってるのんびりした人もいたり。
結局灼熱のデリーで毎日ダラダラ過ごす羽目に。。。

ドミ
ドミにはギター持参の同級生、パパイヤ鈴木みたいな頭の人など、同じ年学生がいて久々に学生気分を味わった。
帰国間近のパパイヤらは、帰る度にどっさりお土産を買い込んでくるからちょっとうらやましい。

来る日も来る日も自家製の水タバコセットを片手にぼーっとしていた男が、偶然にも私たちの学校の先輩でちょっとへこんだり、激ヘタなボーカルのくせにCDまで出しているという早稲田のマリファナ学生とか、学校の先生とか、とにかく立ち代り入れ替わり色んな人種に会えた。
そうそう、たった一人でドミにやってきたモンペ姿のおじいちゃんもいたっけ。
聞くところによると、おじいちゃんは実はお坊さんらしく、若き日に一度訪れたブッタガヤーを再訪すべく、はるばる日本からやってきたのだとか。
ここにいるどの若者よりもロマンあふれる旅人。

なぜか毎日日記に現れるククリ(先輩)のククリはタバコの名前で、宿の従業員に一本あげたところ、顔を合わせるたびにククリククリとタバコをねだられて、気づいたら名前もククリになっていたらしい。私もキュウリになったことがある。
ククリは例の従業員少年にTシャツも奪われていた。少年は「間違えて着ちゃった」と言っていたけど、 間違えないだろ普通。

ガンジス川をカヌーで下ってきたという学生さんからは、非常食用に持ってきたという練乳をもらった。
日本に帰る学生さんには、余ったものを、色々貰ったし、ギター君には「黒い家」の単行本にテリー伊藤の本のおまけつきでもらったけどテリーは置いてきたり、ベットの下からは列車の時刻表を拾ったり。 

ギターを弾く人がいっぱいいた日には、ギター君のギターが大活躍。
私もどうでもいい歌謡曲を披露して、皆が歌っているのを聴いてちょっと気持ちよかった。
 
パヤールの裏手にあるナブランでは、ジャイプルの殿と再会。
なんでも数日前また自殺者が出たのだとか。飛べるわけないのに。

同じ年の出不精3人組は、毎日部屋に取り残され、全員でサリー試着大会をしたりとのんびり過ごしていた。サリーというのは、男子が着るとどっかの国の高僧みたいで意外といけた。

結局ククリとギター君と私たちは1週間ほど、なんもせずにここでただぼーっと過ごしていた。 
日に日に増えていく空きペットボトルの数を数えながら、ギター君は「出不精は旅先でも出不精」という素晴らしい名言を残していった。 

みんな下痢
インド通の友人は、この不衛生なメインバザールの屋台でもまったくマイペンライ。
彼女がいなかったら、インドの屋台はダメだったろうな・・・
ウシにまみれて営業する屋台でカレーを買って食べたら、案外おいしかった。

私はというと、お腹は今日もゲリゲリピー。すっかり自分の胃腸を見放していたため、自暴自棄になり、屋台でバーベキューなるものを買い込んでいた。
なんといってもたった今まで蒸し風呂のデリーで生肉だったシロモノ。これ以上どうなるっていうんだ、私の腹。 

インターネットしにいってホットメールのタイトルのところに出てくるワードが、「今日もげり」とか「おなかが治りません」とかそんなんばっかで、ああ、私だけでないのね、みんな下痢なのね・・・!!ちょっぴり勇気付けられた。 

インド人よ、プライドがないのか。
このパヤールは、なんでもインドじゃ司祭にあたる階級の人々が経営しているとかで、そんな将来安泰のボンボン息子がしばしばフロントに立って、もとい、しばしばフロントのカウンターの上で寝ていた。カウンターの上に横になって。 

こいつがまたくせもので、一見そこそこハンサムなんだけど、彼は自分の魅力を知ってか知らずか、そしてまた、この宿が世界的に落としやすいといわれている日本人におなじみの宿だったことを利用してだかなんだか、フロントを通るたびにナルシストオーラを飛ばしまくり。流し目! 

他の旅人がたまたま一人でフロントを通過しようとした時、運悪くフロントはこいつ一人で、いきなり空き部屋につれこまれそうになったと言っていた。
でもまぁここはゲストハウスで、レイプなんてしようもんならすぐ大事件となるので、抵抗したらすぐ手を離したらしいが、こうやっていつも外国人の女の子を捕まえては、経営陣なのをいいことに傍若無人なふるまいをしているらしい。

ちなみにデリーのパヤールに泊まっている旅人なんてみんな髭は伸ばし放題、男女ともボロボロで、大体下痢であったが、インド人にそんなこと関係ないらしい。
私が言うのもなんだけど、それなりの地位にある人間なら少しはプライドを持ちたまえプライドを。

9/24 もっとも忙しかった不毛の一日
情勢は悪くなる一方なので、ひとまずバングラデシュにでも行ってみようか、ということで、急遽バングラデシュビザを取りに行く。
デリーで初めてメインバザールから外出。
が、最初に向かったバングラデシュ領事館は移転していて、やっとたどり着いたと思ったらわずかに時間オーバーでまた明日。 
仕方ないのでミュージアムにでも行こうかと思ったら定休日で、仕方ないので日本食屋にでも行こうかと思ったら閉まっていた。 
せっかく行動したのに何一つ目的は達成されていない。 

結局翌日同じ道をリベンジ、ついでに昨日玉砕したミュージアムにも行ってみた。
展示物より涼しい温度のほうが珍しくて感動!思わずちょっと居眠りしちゃったわ。 

noethinida (2) 

国会議事堂が見えます。

おやじと少年
メインバザールでのささやかな楽しみは、ジュースの時間。
パヤールのすぐ向かいのシェイク屋に日本語ぺらぺらのチベタンのおやじがいて、別におやじに会いにいく訳ではないんだけど、なんとなく毎回おやじがいてわーわー言っていた。 
おやじはとにかく商売上手で、神様の絵入りの名刺をパヤール中に広めて名刺交換をやや流行らせた。
そうかと思ったら普通にその辺にいた日本人の男の子を映画に無理やり連れ出したり。 
チベット難民の彼は、香港で偽造パスポートを作って母国チベットに忍び込んだこともあるんだと話ていた。 
すっかり名物おやじになっていたけど、2004年、インドに里帰りしたときはもうその姿はなかった。きっと波乱の人生を送っているんだろう。

そんな親父の商売がたきは、親父のシェーク屋の向かいにいた兄弟のソーダ屋。友人が、ここのレモンソーダを発見して以来、ギター君と私と友人はすっかり兄弟派になってしまい、お持ち帰りするほどになっていた。
そんな私たちの姿を見ていたおやじ曰く、
「あんなとこで飲むんじゃないよ。あいつらのおやじはとんでもないやつで、あの氷は不潔なとこで作ってるんだ。」 と。

おやじの言い分は大して気にならなかった。 汚かろうがなんだろうが、私はずっと下痢ですし、なんだかまるで中学生のやきもちみたいで、ちょっとおかしい。素直だな、ここの人たちは。
兄弟はというと、2004年もまったく同じ場所で同じようにソーダを売っていた。相変わらず商売ベタだが、いつもまじめで、最後までメインバザールのオアシスだった。 いつかまたインドにいくことがあったら、この写真を彼らにプレゼントしよう。 

noethinida (1) 

それぞれの旅立ち
9月26日、 ついにククリとギター君がトルコへのフライトを決意し旅立ったと思ったらすぐ帰ってきた。フライトキャンセルだかオーバーブッキングだか。 
私たちはといえば、無事バングラビザをゲットし、いよいよデリーを旅立つ決意を固めた。
もしかしたら、もう大陸横断はできないかもしれない。
でもどうしてもククリたちのように飛行機で飛んでしまいたくはなかった。
確かにトルコまで行ってしまえば、そこから先は普通に旅できるかもしれない。
いつまでも南アジアを出られない私たちより何倍も濃い休学になるだろう。
だけど私にとっては、パキスタンもイランも重要な場所だったし、何より段々と西に向かい、人や文化が変化していく様を感じられる旅の仕方が好きだった。

そして翌日、ククリ先輩らは今度こそ本当にイスタンブールに向け旅立った。かわいい後輩に置き土産と称し、お手製の水タバコセットなど、いらんものをたくさん残していった。いらんがな。ほんとどうしょもない先輩。

さぁ、私たちもそろそろ旅立たなくちゃ。
カルカッタ行きの列車のチケットを買い、すっかり静まり帰ったドミで荷造りをはじめた。
ベットのまわりに並んでいるペットボトルの山を見て、まんまとククリのTシャツをモノにしたこま使いの少年は呆れ顔。
「おまえらどんだけいるんだよ。つうか何してたんだよ。」 
何もしてないよ。でも何か楽しかったみたいなんだよ。
いい加減に書きなぐられた日記帳には、確かに毎日「楽しい」と付け加えられていた。 

SCHEDULE
9/21・・・朝デリー着
9/22・・・タンドリーチキンを食べました。
9/23・・・路地裏で激辛北インドカレーを食べました。
9/24・・・バングラ領事館に行ったら閉まってました。
9/25・・・バングラ領事館リベンジ、マックや博物館へ。
9/26・・・何もしませんでした・・・
9/27・・・どこにも行きませんでした・・・
9/28・・・カルカッタに向け出発!


ACCESS
IN・・・ジャイプルから夜行一泊
OUT・・・朝7:30デリー発・翌朝カルカッタ着。2等寝台378Rp


GUEST HOUSE
パヤール・・・ドミ/100 バストイレ共同
ドミのくせに高い・ついでに場所も最上階で高い。毎回登るのがしんどいです・・・
普通に個室もあり。

FOOD
4年前のメインバザールには、まだエアコンのついているレストランなどなく、どこもまずくどこも暑くどこもひどかった。最近ではエアコン付のカフェっぽいのもできてきた。
安宿が集まる小道のあたりでは、焼きっぱなしのケーキやパンが食べられるのでちょっと胃にやさしい。

ゴールデンカフェ
一応中華料理ということになっているが、うーん・・・でもメインバザールじゃここぐらいしか胃腸が休まる食い物がなかった。

カレー
北インドのカレーは濃くて辛くて変なスパイスがごっそり入っていて正直下痢一直線。そんなカレーなら食べられるところはたくさんあります。

屋台
駅で売ってそうなプリー&カレーセットがバナナの葉のうつわに入って売られています。食堂のカレーよりはあっさりなものが多い。
焼肉も意外とおいしかったけど、色々と保証できません・・・


SHOPPING
デリーのお買い物については、2004年ラダックの旅で詳しく書いてあります。


NOTE
バングラデシュビザは郊外の領事館で取れました。これも情勢によるので、その1ヶ月後はもう無理だったり。ちなみに場所はとてもわかりにくいですが、帰りはコンノートを目指せば目の前のバス停からバスで帰れます。
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| 徒然日記 | 10:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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⑬ジャイプール 2001年インド一周半バックパッカーの旅行記

INDIA 20.SEP.2001 インド>ラージャスターン>ジャイプル(JAIPURE)

noethinida (4) 

砂漠の国・ラージャスタン最後の町は、ピンクシティで有名なジャイプル。
といっても、デリーからも近いので、とても大きく近代的な町。
風の宮殿をはじめ、旧市街はまッピンクでなんともかわいらしい街。
シンボルは「像」だが、街は牛車ならぬラクダ車が大活躍!
ものすごい大きなタイヤをつけた荷車を引いています。
アスファルトの道路に行き交う車を横目に、のんびりらくだの荷車が闊歩する、砂漠最後の町なのです 。

旅の道連れ。
町に着いたらまず次の移動のための切符をゲットするのは旅の鉄則。
無事今夜の夜行列車のチケットを購入したら、同じく今夜の夜行でデリーに向かうという日本人に出会う。 
戦国武将のような名前を持つ彼は、何でも初海外で、同じく初海外の友人とともに夏休みを利用してインドにやってきて、いきなりデリーの空港から悪徳エージェントに連れていかれて300ドルの身代金を払い命からがら逃げ帰ってきたのだとか。
その後友人とは別ルートで旅しているらしい。
いささか情けなさも残るが、同じ年ということもあり、すぐに意気投合して緊急半日観光に繰り出すことにする。たまにはにぎやかな観光もいい。リキシャーもシェアすれば半額で済むのは、貧乏旅行者には非常にありがたい。 

noethinida (3) 

風の宮殿とコブラ使い。
ジャイプルといえば、そう、風の宮殿!! 町中がピンクで統一されたジャイプルの旧市街のシンボルで、インドを代表する観光地のひとつ。
その昔、外に出ることができないお姫様がここから外の世界を覗いていたそう。
びっくりなのは、この可憐で貴重な宮殿のすぐ脇は普通に道路だったこと。さすがインド! 

noethinida (6) noethinida (7)

そういえば、ここにきてはじめて「コブラ使い」にも出会った。インド=コブラだったわりには、後にも先にもこのときだけ。
 
アンペール城で像に乗る
バスに乗って郊外のアンペール城へ。ここはなんといっても像タクシーが有名。
料金は1頭あたり400Rpなので、これもシェアできるのでラッキー♪
一人だったらこの坂道をひぃひぃ言いながら登山だったよ・・・
像の乗り心地はというと、でかい!!高い!!が、すごくゆれるの!! 正直乗りいいもんじゃないが、眺めはいい。お姫様気分。 
像使いに誘われて、殿(例の日本人)は像の頭の上に乗せてもらっていた。
像の首に乗った時、思わず上から像のあたまをどアップで激写したほどその毛の太さに感激したという話を聞いた。

noethinida (5) 

像にゆられて向かった宮殿はみごとに整備されていて、外国人から地元の修学旅行・遠足などなど、とにかく観光客がすごかった。
宮殿はイスラム的建築など、なかなかロマンティックな場所で結構楽しかった。 
ずっと一人旅だったので、久々に自分の写真を撮ってもらえたのもよかった。
この日だけ自分の写真がいっぱい残っている。

モンキーテンプル
郊外にある寺院で、名前の通りサルが多いことで有名。
もう日は暮れかけていたが、今日限りのジャイプル観光なので、贅沢にリキシャーをシェアして行ってみた。
日が暮れてからの観光も、ましてやリキシャーで長い距離の移動も、みんな一人じゃできないこと。今日はついている。

実際行ってみると、結構山奥に入るのでちょっとドキドキ。
リキシャーマンが執拗に帰路の交渉をしてきたのもうなずける。
このおっさん以外、乗って帰れるリキシャーがないんだもの。 

モンキーテンプルはモンキーよりも参道の小屋に住んでたサドゥが怖かった。
突然現れて、おばけみたいよ。
さらに参道を進むと、山のてっぺんまで来たらしい。
私たちが連れてこられた寺の門は、ジャイプルの町を見下ろす山の裏側面だったらしく、てっぺんまでやってきたらパッと視界が開け、ジャイプルの夜景が一望できた。
が、さすがにインド。電気の数が少ないので、大きな都市といえどさほど明るくはなかった。 

さらに道が続いていたので、さっきのリキシャーが待っているのは知ってたけど、ふっかけられるのは分かっていたからそのまま先に進むことにする。多分町に続くはず。
山の上のお寺ではあちこちでお経が聴こえる。
その脇をぬけ、集落を抜けると、案の定町外れの大きな通りに出た。 
リキシャーワラーがまだ待っていると思ったが、裏に戻ってたら、足元見られて思い切りぼったくられるのも分かっていたので、そのまま徒歩で下る、で意見一致。
旅はいつも初対面同士の距離をぐっと縮めてくれる。 
日が暮れるころには、クラスメートのようにごく自然に行動しているのがおもしろい。日常生活ではこのように見ず知らずの人と話すことはないし、インドは特に、倒す敵(?)が多いので、団結力も強くならざるをえない。

最後に町のおしゃれスポット?でおいしいアイスを食べて、一路駅へ。 
双方デリー行に向かうが、列車が違っていたのでプラットフォームで別れる。 

一人旅が気楽で気にいっているけれど、たまには誰かと旅するのもいいもんだ。 
写真撮ってもらったり、暗い夜道も平気だったり、こじゃれた店に入れたり、御代をシェアしたり。 
考えてみれば、一人じゃできないことって、いっぱいあったんだなぁ。
 
それにしても、早朝プシュカルを出て一日ジャイプルで汗をかき、そのまま夜行で移動するわけだから、翌日デリーに着いたときは相当汚い。私なんだかくさいです。

SCHEDULE
9/20・・・早朝プシュカルからジャイプルへ移動。昼前には着。
・一日観光、夜行列車でデリーへ。

ACCESS
IN・・・プシュカルからローカルバスでジャイプルへ。
OUT・・・夜行列車でデリーへ。

FOOD
デリー以来の都会につき、ショッピングモールにはピザハットがあった★エアコン効いてるし(!)インド人にひげがないし(!!)
こんな普通のレストラン、ハジャイ以来半年振り。普段10ルピーの食事なのに、ピザは200ルピーもする。ジュースでさえいつもの食事の何倍もする。しかしクーラーに浸かり感覚は日本人に。砂漠から出て、コンノートプレイスも近いをことを実感。

| 徒然日記 | 10:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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⑫イスラム巡礼の街アジメール 2001年インド一周半バックパッカーの旅行記

INDIA 19.SEP.2001 インド>ラージャスターン>アジメール(AJIMER)

pushkar (4) 

アジメールはイスラームの街として有名。
旧市街のモスクを中心に多くの巡礼者とイスラーム風の商店で賑わう。
普通のインドの町とは雰囲気が違うところが面白い。プシュカルから日帰り可。

pushkar (5) 

イスラムのかほり
ムスリムの聖地だけあり、アジメールはこれまで旅したインドの町とは雰囲気も異なり、バザールで売っている品物も見たことないものばかり。
もしかしたら、お隣のパキスタンはこんな雰囲気かもしれない。 
そういえば、サリーの柄にも「イスラム風」というのがあるし、お菓子にも「イスラム菓子」があると言っていたが、インドにいてイスラム的なものを見つけ出すのも面白い。 

アジメールの見所は、マーケット街の中心にあるモスク。
中は狭いのに巡礼者で一杯だが、他のモスクとは違いすごく庶民的。
どちらかというと、公民館のような雰囲気。ミャンマーの仏教寺院みたい!?
女性がコーランを読む姿なんかも垣間見ることができた。
モスクの上には丘があり、どうやら人々の本当の目的地はこちららしい。

pushkar (6) 

巡礼キャンプ
バザールをぐるりと囲む城壁の門によじ登ってみると、巡礼のご一行が見えました。
ブルーシートなどを持参して、一家で野宿でもしているらしい。
そんな一団が門の下のスペースに所狭しと広がり、あたりはさながら難民キャンプ状態。
どこでもかんでも宿があるわけでないし、誰でもかんでも宿に泊まれるわけではない。
こうするしか方法はないのに、それでも熱心に巡礼に訪れる人々。
無宗教の私には、ちょっと眩しくさえ見えた。

危険勧告レベル4
この日はじめてパキスタンの危険勧告が4になったことを知った。
同時多発テロがイスラム過激派の犯行だと知ったのも多分この頃。
ここインドは、もともとヒンドゥ教徒とムスリムの確執が大きいだけに、イスラームの街・アジメールは警戒態勢にあった。
どこもかしかもいかつい顔したインド軍人だらけ。

pushkar (3) 

写真のような巡礼者の集団によくすれ違う度、なんだかちょっとドキドキしてしまう。
皆で緑の布を掲げながらすごい勢いでモスクへと急ぐ姿は、さながら日本の御輿かつぎ。

人々はいたってのんびりと巡礼を行っているよう。
本来ならできるだけ近づかないようにした方がいいのでしょうが、危険勧告も、旅人にはあんまり届かない。
そもそもテロが起こったことを知ったのだって数日後だし、インド人からは死者はいないとさえ言われてました。
当時もフンザには何も知らない旅行者が滞在し続け、山を降りたら既に大使館員もいなかったというのんびりした方にも会いました。

SCHEDULE
9/19・・・プシュカルからアジメール日帰り観光

ACCESS
IN・・・ジャイサルメールから夜行一泊。250Rp。ジョードプルからもそう遠くない。
    プシュカルからはローカルバスで40分、7Rp。

GUEST HOUSE
アジメールにも宿はあるが、質・値段ともプシュカルのほうが100倍まとも。

NOTE
見所は駅前に集中。巡礼の丘もあったりで、ムスリムにまぎれて巡礼してみるのもいいかも。

SHOPPING
モスクの門前町には、他の町では見られない珍しいお店も沢山ある。

| 徒然日記 | 09:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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⑪聖地プシュカルでボンカレーの里帰り 2001年インド一周半バックパッカーの旅行記

18-20.SEP.2001 インド>ラージャスターン>プシュカル( PUSHKAR)

プシュカルは、ヒンドゥ教徒にとっての聖地。インドの入り口デリーにも程近いことから、欧米人にとってはカルカッタの側のプリー・ムンバイの側のゴア的存在。
11月には巨大ラクダ市が立つことでも有名。 

駅で寝るのももう慣れた。
深夜ジョードプルらしき場所で一度バスを乗り換え、一路アジメールへ。が、アジメールについてしまったのは早朝3時か4時。突然道っぱたに降ろされてちと困った。

が、その道っぱたは深夜にもかかわらずバスが発着しているらしく、1、2件のチャイ屋がオールナイトで営業していた。 
明るくなるまで一杯のチャイでねばり、オートを拾い、アジメールの駅へ。
プシュカル行きの始発バスが動くまで、駅ならもっとのんびりできるはず。
痴漢騒動でぜんぜん眠れなかったし、さすがにもうへとへとです・・・
 
案の定、アジメールの駅は早朝にも関わらず人が多く、安心しきって気づいたらベンチに座ったままバックパックを抱えこんで眠ってしまった。
駅で寝るのももう慣れた・・・

こう見えて、1年前までピンクのミュールを履いたごく一般的日本人女子であったのだが、インドに来れば、電車に乗るわけでもないくせに普通にプラットフォームで仮眠している。
バックパッカーはこうしてどんどん野生化していくのでしょうか。
でも最後まで駅のドリンキングウォーターを飲んではいないよ。赤痢にはなったけど。 

pushkar (2) 

プシュカルはこんなとこ
町が動き出したのと同時に、街角から出るローカルバス(写真上)に乗り、隣町のプシュカルへ。
朝もはよから沢山の巡礼者が歩いている。(MEMO参照)

バスがプシュカルの入り口に到着するや否や、さっそく客引きに囲まれ、すんなり宿にチェックイン。 
荷物を降ろしてさっそくプシュカルの町へ! 
ヒンドゥの聖地のため、町には池を中心に大きな沐浴場があり、巡礼者や近辺の寺院から流れるお経で、町はとことん宗教的。
プシュカルに関わらず、インドのお寺では、必ずスピーカーからお経がガンガン流れているので、お寺の事を思い出すとその時の音楽も一緒に思い出します。 

サドゥの姿も多く、広場の前にはサドゥ専用の配給所まであった。
人々から尊敬を受けるはずのサドゥだが、炊き出しに集まるホームレスに見えてしまう。。。
托鉢をするタイのお坊さんとは、対応の仕方が大違いだな。

pushkar (1) 

写真でよく見る、まっ白いガートは、実は牛の糞だらけだが、土足厳禁なので踏んで当たり前。
ここまで来たなもうどうでもいい。

ガートのすぐ脇にあるチャイ屋には、北インドでは珍しくコーヒーも売っていて、一日何杯もおかわりしながら行ったり来たりする人々を眺める。
誰もかれも、いったり来たり。みんな暇なんだな。
 近郊には聖なる山もあり、元気な人はここで登山しサンセットを眺めるのだとか。
私は池の湖畔でのんびりサンセット。

やがて日が暮れると、広場でなにやらショーが始まる。
 ラージャスターンスタイルのサリーに身を包んだ女性の歌謡ショーや、インド風漫才など。
もしかしたら、この日はフルムーンだったのかもしれない。
アジアの国では、フルムーンに何か特別な催しが行われることが多い。

そういえば、プシュカルではほかのツーリストと話す機会もなかった。
そもそも日本人も少なかったし。
特に印象に残らなかった町だが、静かでこじんまりしているので、旅の疲れを取ることができた。

ハローボンカレー!!
久々に文明社会に戻ったのを記念して、ついにアイツを開けることにした。 
ボンカレー!! 
アーメダバードで再開した友人にもらって、このときまで大切にあたためていたのよ♪♪
見てごらんなさい、ボンカレーちゃん、ここがあなたの故郷ですよ♪♪ 

ルーフトップにあったレストランでライスを注文し、温め方を説明。
ドントオープンよ、ドントオープン、オンリーあっためるの。 

宇宙からの食べ物を不思議そうに眺めるインド人に傍観されながら、ついに彼女が里帰りを果たすときがきた。

ハローボンカレー♪♪♪ 

インドで食べたジャパニーズボンカレーの感想はというと・・・

インドで食べたカレーの中で一番おいしかった。

・・・そういえば、インドってちっとも日本食が食べられない。
”親子丼”とうたっておきながら、出てきたものの独創性と言ったら。
安い食堂しか行かなかったのが悪いのですが、北インドに関しては、食べなくてもいいなら食べたくない、仙豆くれって本当に思ってました。

その後の旅で、それなりのレストランで食事するようになってからは、3食カレー付きでも全然飽きなくなるほど、インドカレー好きになったのですが。。。貧乏旅行はつらいですね。

SCHEDULE
9/17・・・夕方夜行バスにてジャイサルメール発
9/18・・・午前3時か4時頃アジメール着。ローカルバスに乗り換えプシュカルへ朝着。・プシュカル観光 9/19・・・アジメールまで日帰り観光
9/20・・・午前中ジャイプル行きのバスに乗る

ACCESS
IN・・・ジャイサルメールからジョードプルを経由し夜行バスで移動。250Rp。アジメール深夜3時ごろ着。バス停は道っぱた。アジメール駅までリキシャーで移動し、駅前のバス停からローカルバスで40分7Rp。
OUT・・・プシュカルのバス停からジャイプルへ

ゲートとなるのはアジメール。巡礼者は普通アジメールから徒歩で向かうことになっているので、道中沢山の人々が歩いている光景に出会う。そう長い道のりではないので一緒に歩いて見るのもいいかも。ところどころ休憩所ももうけてある。

GUEST HOUSE
?・・・60R。バストイレ付かわいい部屋で60Rp値切りなし。
場所もよくレストランも併設。洗濯を干すバルコニーがあったのも○。 家族経営は結構だが、最後の食事代の清算、めちゃくちゃ間違ってるよ。よくあることなので計算は自分の目で確かめて払わなくてはいけませんね。

11月のキャメルフェスタの時は相当込み合い、値段も跳ね上がると聞いたが、それ以外は数も多く値段も激安。

FOOD
外国人観光客が多い町なので、ツーリスト向けのレストランには事欠かない。

NOTE
プシュカルはヒンドゥ教の聖地のひとつでなので、インド人にとっては巡礼すべき特別な場所。
アジメールからプシュカルまでの道を徒歩で向かうのが巡礼らしい。
巡礼路はよく整備されていて、巡礼者も多い。途中に茶屋もあり、木陰では多くの人々が休憩をとっていた。今から思うと、私もこの道を歩いておくんだった。暑さはハンパないが、徒歩道として、これだけ条件のいい環境も滅多にない。

SHOPPING
らくだの名産(?)地だけあり、ラクダのサンダル屋が沢山。デリーでも手に入るが、種類が多いのは断然プシュカル。友人が買って持っていたのですが、バックパックから異臭発生!


| 徒然日記 | 09:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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⑩星降るクーリー村で砂丘ツアー 2001年インド一周半バックパッカーの旅行記

15-17.SEP.2001 インド>ジャイサルメール>クーリー村 (KURI)

jaisar (17) 

クーリー村は、パキスタンとの国境まで僅か数十キロのところにある砂漠の中のとても小さな村。が、郊外に砂丘があることから、キャメルサファリで有名になってしまったらしい。 

砂漠にGO!

キャメルサファリすべく、文明社会ではパキスタンが危ないとまことしやかにささやかれている真っ只中、いざパキスタンのご近所、クーリー村へ。

ジャイサルでローカルバスに乗り込むと、白人のおねぇちゃんと目があったので、何の気なしに「こんちは」と日本語で挨拶したら、普通に「こんにちわ、日本人?」とぺらっぺらの日本語が返ってきた! 
アルゼンチンだかどこかの南米出身の彼女は、大阪に留学していたのだとかで、みごとに関西弁だった。
乗客の砂漠の民は皆とにかくカラフル。
ショッキングピンクのターバン巻いたおっちゃん、すごく鮮やかなしぼり柄のサリーのおばちゃん、ほかのインドとは明らかに違う格好が興味深い。
髭もくるんとするのがこちら流?
鮮やかな衣装で着飾った砂漠の民をぎゅうぎゅに詰め込んで、バスはタール砂漠を疾走!!
熱風が旅情をくすぐります。 

クーリーは閑古鳥
ここにあるのは、通常日本人が想像するサラサラの砂漠デザットではない。
あくまでも砂丘である。 
近所に砂丘があるというだけで、普通の村クーリーにゲストハウスが3件できてしまった。
が、普通の村なので、まだ食堂はない。というか、チャイ屋も商店もなかった。ほんとに何もなかった。 

砂漠の村はの家は皆土でできていて、屋根は萱葺き。まるっこいキノコのような形がかわいらしい。がしかし 、ほんとに何もない。(やぎとラクダはいっぱいいるが)
キノコハウスがぽこんぽこんと立ち並ぶ村に、家畜の鳴き声がこだまする・・・
なんでも9月のこの時期はまだ暑く、シーズンオフなのだとか。
関西弁の女の子たちは、早速キャメルサファリに出掛け、砂漠で一泊するというので、 今夜このゲストハウスに泊まるのはどうやら私一人きりらしい。
本当に何にもないし、仕方ないので情報ノートを見せてもらう。
ジャイサルメールで泊まっていた宿の悪口がいっぱい書いてあった。そういう情報はジョードプルで言ってくれ。 

jaisar (14) 

ポメラ
宿には一人、小間使いの少年がいた。 名前をポメラという。奉公人の彼はよく気がつくし、控えめで子供らしいとこもあってとてもかわいかった。
一方、ここの宿のオーナーの息子はクソなまいき。小間使いの少年をぱしりにして、いばりくさっている。
ポメラはそれでも文句も言わず、いつも静かに仕事をこなしていた。
こんな小さいのにインドカースト社会の縮図がここにあった。
例え二人が同級生であっても、ポメラは決してオーナーの息子と同じラインには立つことはない。
本当に腹が立つが、これはインドでは普遍。歯がゆいが、どうすることもできない。 

両親のもとから学校へ通い、再び家に戻って同級生と肩を並べて遊びまわる。
そんな普通のことを、ポメラはできない。 
せめて今日一日が穏やかであるように、彼の作った質素なカレーを食べながら、私は精一杯の気持ちを込め、「ありがとう」と伝えた。


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このかわいらしいおぼっちゃん、実は片足の指が一本多い。
インドにとどまらず、アジアの国ではそんなのよくある話。
こういうことはほんとによく出くわす。そして、それでもなんでも当たり前に生活するアジアの姿にはいつも感銘を受ける。
ただ皆等しく生きるために生計を立てなければならない、ただ同じように生きているだけだということ、そんな自然な姿はどうしたことか日本では見ることができない。 

ベットの上のプラネタリウム
夜は宿の人が屋上に布団を用意してくれたので、しばし天の川を眺める。
流れ星もいくつか見た。
さすがに砂漠の夜はひえこむので、コテージに戻ろうとしたら、宿の人たちは中庭にパイプベットをひっぱり出して寝ていた。
毎日毎日、天の川を眺めながら眠るらしい。
宿の人たちは、何にもないこの村はつまらないと言う。チャイ屋もないような村。やっぱり若者はこの村を出ることを望んでいた。
村の若者を村に引き止められるほど、天の川の威力は強くないらしい。

この静かな村に物欲を持ち込んだのは紛れもなく我々ツーリスト。
日本に憧れるのは分かるけど、くたびれ果てた日本のお父さんの姿もまた日本。星が見えないこと、時間に追われてることは、知っているのかな。
何もなくても、ひがな午後と星降る夜空のベットがどれだけ素晴らしいことなのか、村人は知る由もない。 
じゃぁどちらがいいかと言われれば、モノもあって、天の川もある生活かな。
本当に行き着くべき社会っていうのは、私たち日本人からだって相当遠い。

翌日午前中村を散策する。
ちょっとお金のある家ではらくだを飼っていて、家の外壁の高い所に、直接らくだ専用のえさ置きをつけてしまっていたのがおもしろかった。 
遠くに砂丘が見えたので、道なき道を歩きはじめた。
歩き出したらどうやら以外と遠いらしいことが分かったが、ここまで来たので意固地になって歩きつづけた。 
小一時間ほど歩くと、ようやくごつごつだった荒地に砂漠のさらさらした砂が積もりだした。
朝日に照らされ、幾重にも重なる無数の丘が光を放ち、見事に作り上げられた風紋がすばらしかった。本当に自然の風がこの模様を作るのか。すごい。
朝一番だったため、ほとんど踏み荒らされていなかったが、この日一番の客はどうやらふんころが氏で、彼により砂漠はみごとにチョコボールみたいな足あとだらけだった。

さぁ、いよいよこの山を上ったら、きっと向こうに広がるのは果てしない月の砂漠・・・・!! 
と思ったら、また例の岩がちのごつごつのひっからびた荒野なのね(涙) 
あ、砂丘か。。。。 あれほど砂丘砂丘と言われていたのに、ここにきて初めて砂漠でなくて砂丘だったことを悟った。

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砂丘をあとに、とぼとぼ帰路につくと、村のガキんちょ軍団がついてきた。
子供は好きなのよ、さぁウェルカムお友達に!と手を差し伸べたら、リーダー格の少年が明らかに意図的に私の尻にタッチ!!!
ムキー!!
大人げもなくひっぱたいてこらしめたら逃げられた。インド人男性は7歳児からインド人だ!気をつけよう! 

ラクダはつらいよ
砂丘徒歩ツアーからは無事生還したが、昼間は暑すぎてキノコハウスに避難。
どうせやることもないし。
夕暮れ、いよいよラクダくんに乗ることにする。
この町はラクダ商売がかなり重要な観光資源なので、ラクダの持ち主とホテルはとても強くつながっている=村の権力者一味 なわけで、ラクダの主はかなり癖ありだ。

この村にガイジンは私だけの予定だったが、なぜか夕暮れの砂丘にはどこからかわんさかツーリストがいた。どうやらジャイサルメールから日帰りでやってきたらしい。賢い選択だ・・・
砂漠はにぎやかで、楽師の奏でる民族音楽を聴き、砂に残る太陽のぬくもりを感じながらサンセットを待った。
あいにくこの時期は大気がくぐもって、地平線に沈む太陽は見れなかったが、やがて日が暮れると再び満点の星空を眺めることができた。 
らくだの乗り心地はというと、体が思いっきり前後にゆれるし、全身痛かった。らくだ文化圏の人々は大変だな・・・

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ツーリスティックになるということ。
ほんとに何にもない村だが、今や押しもおされぬ観光地となったクーリーは、残念ながらもはやツーリストによって支えられ、ツーリストによって完璧に変えられてしまっていた。
彼らを変えたのは私たちだ。だから勝手に村人たるものを定義し、期待し、裏切られたことに立腹するのもなんだかなぁと思います。7歳児がケツ触ってきても怒ってはならない。そうしたのは・・・(むきー!) 

インドの痴漢と世界のマナー
クーリー3日目。 
地図を広げ、次なる目的地をジャイプルの一個手前・プシュカルに決め、ゲートとなるアジメールに向かうべく、今夜の夜行でジャイサルメールを発つことにした。
早々クーリーを出発。が、ローカルバスに時刻表はなし。道端でおやじに取り立て炒りごまをもらいながら時間をつぶす。

jaisar (15) 

→焚き火であぶったあと、両手でもみこみようにして中身を取り出す。 

ジャイサルメールに着き、夕方頃フォート脇の幹線道路から出るバスのひとつに乗る。 が、乗ってみたらガイジンはおろか、女性の姿が見えない!! 
これはいやな予感・・・
案の定、夜中にいすの間から手がにょきにょきっと出てきて私の肩を触っているではないか。
まぁもう慣れたといえば慣れたけれども。しかし。
ブッコロシマス。
数秒間我慢し、じっくり狙いを定め、思い切り掴んでがりがりごりごりに握りつぶしー!!キー!!成敗シマスー!!!
痛かったのか、痴漢は逃げていった。フンフンフン!!(鼻息) 

ドライブインに行けば行ったで 「日本人は誰とでも付き合うんだろう。」的発言をされて憤慨する。 誰とでもって、おまえは絶対に、ない。ないないない。
まず鏡を見ろ!次に風呂に入れ!!! そしてその洗ってないシャツを今すぐ洗え!!!!

もちろんこれは見た目だけの問題ではない。
大体こういう女性蔑視をする人間は、ずうずうしく失礼で、人の話は聞かず、しゃべり方はねちねちキモい。 
なぜ?なぜなぜ?じゃあ聞くが、あなたのセールスポイントは一体なんですか????

って、でも、思うんです。 これがインド人から見た一人旅の日本人像なのかな、と。
私は酒も飲むし髪の毛は茶色で、ジーンズをはいてて、しかも一人旅の真っ最中。
インドの女の子の何十倍も自由で「進んでいる」。
そんなんだから、色恋沙汰も何十倍も「進んでいる」んだと勘違いされているんだろうな。と。 

でもねぇ。。女性に失礼なやり方で声をかけるなんて、まるで”女は意思を持てないだろ?”と言ってるようなものだと思いませんか?
女性は物ではない。「誰でもいい」じゃなくて、「選ぶ権利がある」のよ。
こんな考えを持つ社会に住むインド人女性には心から同情する。

SCHEDULE
9/15・・・昼過ぎにジャイサル発。夕方前着
9/16・・・朝焼けの砂丘・キャメルサファリでサンセット
9/17・・・昼頃クーリー出発。ジャイサルに戻り、そのままアジメール行きのバスに乗る

ACCESS
IN・・・ジャイサルのバス停から数時間おきに。1時間から2時間程度。約20Rp。クーリーからの最終便は以外と早いのでサファリするなら日帰りは無理。
OUT・・・バス停はなし。道端でどこからかやってくるジャイサルメール行きのバスに乗る。

GUEST HOUSE
クーリーGH・・・バンガロータイプの小屋/120 バストイレ共同
バス通り沿いで土壁にわらぶきのキノコハウスコテージ。中にはベット以外何もない。

村にゲストハウスは2、3件。どこも食事つき(なぜなら食堂がないから。)内容・料金はほとんど同じ。
シーズンオフで泊まり客は私一人、従業員は皆男性でしたが特に問題はなし。

FOOD
ポメラの作ってくれたカレーは質素な味だった。季節によっては砂だらけになると情報ノートに書いてあった(しかも複数人)が、時すでに遅し。食料持ってませんから(涙)そんな情報はジャイサルで書いてくれ。

MEMO
★村に食堂はない。
水は買えたが、チャイ屋はなかったような気がする。食べ物を持参すべし。

★キャメルサファリ
大抵宿がアレンジしてくるらしい。料金は交渉。
砂丘で一泊コースもあるが、女性一人だと何かと面倒なこともあるようなのでちょっと注意かも。ちなみにラクダの乗り心地はとても悪く、焼けまくるし、一泊サファリに繰り出した人はかなり苦しかったと言っていました。その代わり星空はすごいことになっているとか。
私はサンセットだけで十分。

季節はずれのクーリーは、一人で行くには寂しすぎる町。その割に昼間は暑く何もできないし。
おとなしくジャイサルメールからの日帰りサンセットツアーにでも参加しとけばよかった・・・
ちょっと無駄な2泊と思いましたが、無駄な日も、また旅。

| 徒然日記 | 09:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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⑨ジャイサルメールは砂漠の都 2001年インド一周半バックパッカーの旅行記

13-15.SEP.2001 JAISALMER ジャイサルメール

jaisar (1) 

砂漠の町3つ目にしてインド観光最大のハイライト・おすすめ度ナンバーワンは、西の果てジャイサルメール! この町からほんの数十キロ先はもうパキスタン!!
イエローシティの異名を持つこの町は、ジョードプル以上に砂漠の中の砂漠の町っぷり。
家並みはどこも砂漠と同じ砂の色で、路地裏の景色はアラビアンナイトかスターウォーズのような雰囲気。(例のケンシロー的にもファンタスティックシティだそう★)

一日車掌になった件(恐怖!インドの♀3等列車)

ジョードプルからジャイサルメールへは、列車ならほんの7時間か8時間ぐらいだったはず。
広い広いインドでは、決して長距離ではないので、節約がてら3等列車に乗車することにした。 
3等車輌をうろちょろしていたら、レディースコンパートメントとやらを薦められ、興味があったので女の園に潜入してみることにした。おお、女子だらけ、これは安心ではないか。 
最初こそ賑やかな女の園だったが、一組減り、二組減り・・・やがて夜が更け、最後の一組が列車を降りるとき、念を押された。
「いーい??私たちが出て行ったら扉をちゃんとロックするのよ!!」 
え!?まじっすか!?この広い車両で一人ぼっち!? 

忠告に従い両側の乗降口をロックした。
レディースコンパートメントは、ほかの車両と異なり、車両同士が筒抜けになっているわけではないので、一応これで安心のはずなんだけど・・・ 
でも!
寝られるわけないよっ!コッウェ~!!タースケテ~!!!

どうやら列車はますます砂漠に突入しているらしい。気温が下がり、空け放たれた窓から砂塵が舞い込んでくる。 
一日車掌の私は、車両中すべての窓を閉め、怪しい輩がいないか何度も何度も車両点検をした。
カ゛クカ゛クフ゛ルフ゛ル!!
にっちもさっちもいかなくなって、ついに歌い出した。おっきな声で歌ったさ!! 
一日車掌の一人カラオケ大会は、夜が明けかけるまでひたすら続く。そんなむなしい姿は決して人に知られたくないです。お知らせしてるけど。 

あれほど怖がってたわりには、ちゃっかり寝ていたらしい。 
気が付いたら外はうっすら明るくなっており、停車したかと思うと人々がぽつりぽつり現れた。
どうやらもうジャイサルメールについたらしい。
しっかり閉めたドアを恐る恐る開け、荷物を抱えて外へ出ると、リッチなバックパッカーがぞろぞろ寝台列車から降りてきていた。
なんだか2等列車のパッカーがとてもスマートな旅人に思える、まぶしいわ・・・
・・・どうやら無事一日車掌を成し遂げたのですね・・・

駅を出ると車掌を待ち受けていたのは多数のジープ!
これはこれは、オープンカー(?)でお出迎えですね。パレードもなんでもやりますやります。車掌ですから!!!

あこがれのフォートとご対面

こうして、まんまとゲストハウスに収容された哀れな車掌。 
さっそく屋上に登ると・・・飽きるほどガイドブックで眺めていた憧れのジャイサルメールの砦!
ずっと昔の砦だが、この乾燥した土地のおかげか、今でもその姿をくっきりととどめている。ジョードプルのように博物館化されているわけではなく、城内では今も人々が生活しているというのだからすごい。

さっそくフォートへ向かう。いきなり入り口から中世にタイムスリップしたかのよう!
あらロシナンテさん(懐かしい!)、レンガを背負っていずこへ? 
労働中のロバを激写していたら、銀を手足にじゃらじゃらはめたおばちゃんが因縁つけてきた。 
「ちょっとそこの日本人!誰に断って撮ってんじゃ??ああ?バクシーバクシー」 
おっといけない、ここは超有名観光地、ツーリスト相手にギラギラしている輩がうようよしている。 あまりのギラギラさに、ジャイサルはもうこりごり!って言ってるツーリストも少なくない。
「ロバ撮ってんの!」 
適当にしらんぷりしていれば、相手も適当にやっている。
インド人を憎まずインドとうまくやっていくためには、すっとぼけ合いが非常に重要である。ような気がする。 

jaisar (9) 

砦の中はひとつの町になっていて、ごく普通に人が住んでいるし、お土産やさんやゲストハウスなど旅行者相手の店もわんさか並んでいる。
 城下町もさることながら、砦内もまたかわいらしい路地が続き、迷子になってみるのも楽しい。

jaisar (12) 

ジャイナ教寺院や、お金持ちのお宅拝見なんかもおすすめ。
眺めもすばらしく、いくつか眺めの良さそうな宿も覗かせてもらった。
こんな部屋に泊まったら、アラジンが空飛ぶ絨毯で迎えにきてくれるかも! 

お金持ちのお宅では、インド人姉弟に話し掛けられて、美しいおねぇさんとツーショット写真を撮って、「送ってくれ」と住所を渡された。

jaisar (13) 

マハラジャパレスとハーベリー(商家)

この町には、いたるところにハーベリーと呼ばれる美しい家が残っている。
どこもかしこもマハラジャが住んでそう・・・

 jaisar (4)

探す途中に迷い込んだ路地ひとつひとつがいちいち絵になる。お散歩マニアの血が騒ぎます。 
実際はハーベリーというのは商家なのだそうだが、本当のマハラジャの邸宅も公開されており、そこの管理人が普通に親切にガイドしてくれたのが印象的。
普通に?って、インドじゃ親切を装ってあとでバクシーシ言ってくるヒトばかりだから。おちおち説明も聞いてられない。 

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ジャイサルメールの町にて

この町の一番の魅力は、街並。街自体。 
周囲が砂漠で囲まれているため、街は全体的に黄色っぽいレンガ造りで、ウダイプルがホワイトシティ、先のジョードプルがブルーシティ、次に行くジャイプルがピンクシティなら、ここはイエローシティなのだとか。
ちなみに各町はシンボルとなる動物もいて、ジャイサルはらくだ、ジャイプルはアンペール城で有名な像、ウダイプルは馬だったかな??
本当にラージャスターンはどこも個性的ですばらしい街ばかり。 

jaisar (11) 

一歩町へ繰り出すと、もうそこは中世のアラブのような町並み!
だってだって、細い路地からラクダがぬ~ん!!と出てきたんだもん!!(↑写真)
この写真は、一生忘れられない光景です。一体いつまで、こんな光景が見られるのかな。
ロバやウシも現役活躍中でした。

親父たちは皆薄い木綿のクルタで、その頭には色とりどりのターバン。ぜんぜん現代っぽくない!!女たちは原色の美しいサリーをラージャスタン方式で身にまとい、町は砂漠の黄色い土壁で、太陽はギラギラしているけどどこかみんなのんびりで・・・ 

町は歩くには大きすぎず、小さすぎずでジャストサイズ。
疲れたら腰をおろしてきれいなハーベリーを眺めよう。
銀細工屋や砂漠の鮮やかな布屋さんを冷やかして、なんだかまるで物語の世界にいるかのような気分を満喫。 
ジャイサルメール、 素敵すぎる。
町を歩いているだけで、こんなにエキサイティングした町はない。

生まれた国が違うだけで。

フォートの広場を見渡せるまずいレストランに欧米人の家族連れがいた。
足組んでマンガ読んでる白人のガキに、同じくらいの年頃のインド人の勤労少年がコーラをサーブしているのを見た。
生まれた国が違うだけで、この違い。父親も、こんな光景見て何も言わないのが信じられない。
生まれながらに自分たちのほうが勝っているとでも言いたけだ。
ああいうのが、アジア人に対して優越感を鼻にかけた傲慢な白人になるんだろう。
旅をしていると時々こういうのに出会うんだよね・・・

jaisar (10) 

お茶を濁してごめんなさい。お口直しにお牛サマ

2001年9月11日を知る

私がアメリカでのテロを知ったのは、 ここジャイサルメール。
その時事件から既に2、3日は経過していた。
私がインド人からもらった情報は、「アメリカで飛行機がビルにつっこんだが、死者は2人だけで、パキスタンとアメリカが戦争になるかもしれないが、ここはパキスタンから50kmもあるし、大丈夫だよ。」

その時すでにパキスタンには退避勧告が敷かれていて、世界中でこれでもかというほど同じテープが繰り返し流されていたのだと思う。
が、結局私が事の大きさに気づいたのはそれから1週間ほど経ってからだし、その映像をはじめて見たのは、半年もあとのこと。 

大きな事件があったことはもちろんショックだった。
しかし旅行していると意識していないかぎり、世界のニュースとは全く無縁になってしまっていたことにもショックだった。
家族が心配しようと、当の本人は何にも知らないのだ。
実際危険のすぐ近くにいる人々は、案外普通に生活していて、誰かが自分の心配をしているなんて気付きもしない。

長い長い旅の途中のスナフキンには、インターネットカフェでメールするより、ハガキでそっと安否を知らせるほうがよっぽどロマン溢れてるけど、こればかりは自分だけの問題ではないですからね。 
ここのところ大きな事件が続いているし、家族のためにも、自分の行方は随時報告するようにするべきだと思った。

ガディサール湖とサンセットポイント

ぶらぶらしていたら町を出てしまったらしい。ついでに郊外のガディサール湖まで歩くことにする。いざ歩き出すとどうやら結構遠いらしが、ここまで来てリキシャーに乗るのもくやしいので意固地になって歩いた。 
湖は町民の憩いの場といった感じ。まさに砂漠のオアシス。きれいではないが、雰囲気はよい。
遠くでは砂漠の真中を粉塵を撒き散らして疾走するローカルバスが見え、湖畔では欧米人のきれいなおねぇさんが静かに本を読んでいた。
jaisar (6) 

そして1日のしめくくりは、町外れのサンセットポイント。
が、ここにもインド人のガラの悪そうな一味がうろうろしていたのでやむなく下山。
ウダイプルの二の舞でちょっと悔しい。観光客に安全なサンセットを!!

jaisar (5) 

町の外で。

山を降りていたら、集落に迷い込んだらしく、気が付いたら裸の子供がうろちょろしていた。
どの家もみな粗末な土壁。どうやらここはカーストが低いとされる楽師の集落らしい。
歩き方にも乗っているため、ここの人々はとても観光客なれしていて、5歳児からモデル料を請求された。 

jaisar (2) 

土壁の家の屋根がないのは、この間の嵐で飛んでいってしまったからなのだとか。 子供たちの髪の毛は皆茶色くカピカピで、考えてみたら、インドではじめてこんなに貧しいスラムのような場所を見た気がした。
あんなににぎやかな町の外にひっそりとある集落。
屋根のない家に住んでる人々がいるのも、インドの一側面だった。

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奇妙な出会いと果てしない夜

子供に戻った気分で探検しまくったあと、宿に戻ると隣の部屋に日本人の男の子がいた。
その彼と、真夜中まで屋上で星をながめながら宇宙の果ての話などをした。
多分日本で会っていたら、同じ席に腰掛けることなんてまずないだろう人種だっただけに、夜通しこんなディープな会話をしていること自体がおかしかった。
きっと今日も、インドの最果てで、奇妙な二人がぶっとんだ話をしているのだろう。
SCHEDULE
9/13・・・ジョードプルより明るくなった頃朝着・マハラジャパレス・フォート
9/14・・・ハーベリー探索・ガディサール湖・サンセットポイント
9/15・・・昼過ぎクーリーに出発

ACCESS
IN・・・ジョードプルから夜行列車で70Rp(3等木製シート)
OUT・・・アジメールまで夜行バスで250Rp
その他・・・クーリー村までローカルバスで1、2時間ほど20Rp

GUEST HOUSE
レヌカGH・・・S/50 バストイレ共同
ここの宿はケチな上ぼったくりで有名(クーリーのガイドブックで悪口炸裂)宿で会った子は部屋代をまけてくれと頼んだら、狭くてじめじめした部屋に移されてしまったのだと言っていた。 
金持ってそうな人には熱心にキャメルサファリを勧めてくるらしいが、どういうわけか私にはさっぱり勧誘がなかった。そんなにみすぼらしかったの?? 

きれいでも汚くもないが、便利な立地なうえ、宿の屋上からフォートがよく見える。
辺境の村ジャイサルの宿戦争はインド一激しく、駅を降りたらあちこちの宿からやってきた沢山のジープが待ち受けている。「レヌカ」のジープもその中にいて、送迎費無料。
★フォートの中にも宿が多く、中には外壁づたいに立つ宿もあるので、砂漠を眺められる宿がよければフォートの方へ。やや高め。

FOOD
何を食べてもまずかった。みんな砂漠の味がした。

SHOPPING
★写真 
中東の国々のビザ申請用に、ショールをかぶった姿で証明写真を撮るべく、インドのスタジオ初体験。50年ぐらい前の写真ができあがってしまった。 

jaisar (8) 

★銀細工 
銀製品屋で、元カレからもらったネックレスの修理をお願いした。 
が、ここはインド。普通にハンダでくっつけて「できたよ」って、華奢でかわいいチェーンにイボがついてるんすけど。できだそばから店員がブチっと違う場所を切りやがった。もういいよ、彼との縁も切れちゃったしさ。

★布
砂漠の民の象徴は艶やかなマテリアル。 この地方には、日本で言うしぼり柄がサリーやターバンの生地として好まれており、赤や緑、紫など、原色の布がまだ糸でしばられたままの状態であちらこちらに売られていた。


| 2001インド一周半 | 22:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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⑧ジョードプル 2001年インド一周半バックパッカーの旅行記

11-12.SEP.2001 JODHPUR ジョードプル 

jodopur (3) 

砂漠の国その2はブルーシティの異名を持つジョードプル。立派な砦を中心に、青で染まった町並みがとても奇妙な砂漠のど真ん中の街。

さっそく宿でもめた件(インドでの教訓)

バスはまだ暗いうちに到着してしまった。どうやらバススタンドは街の郊外にあるらしく、リキシャーをひろわなくてはならない。 

運良くオールド地区で宿を確保。
変な時間にチェックインしてしまったものだから、宿泊日数についてあとで相当もめた。
早朝すぎるとのことで、一泊分とみなされてしまったらしい。
そうと分かってれば日が昇るまでチェックインしない。

インドで教訓 チェックインタイムもチェックする! インドとカオサンぐらいだよ、こんなん。
ミャンマーだったらチェックアウトは「好きなとき」だもん。 

疲れたので、朝ではありますが、おやすみなさいZzzzzzzzz 

ジョードプルは本当に青かった

そのまま昼まで爆睡、さっそく街のシンボル、丘の上のメヘランガルフォートに繰り出すべくリキシャーをひろう。
途中、徒歩で砂漠の炎天下の坂道を登る韓国人集団がいた。 大変そう。

フォートに登り、町を見下ろすと・・・ ブルーシティだ!! 町の中にいる限りでは、そんな感じはしない。
それが上から見ると、 本当に青い!どのうちもみんな青い!! 

jodopur (2) 

この町は、ほんとうに土色の砂漠の真中にあるので、人々はきっとこの町に美しい色をつけたかったんだろうな。これを見れただけでもここにきた甲斐があったというものだ。 
遠くに見えるはこのフォートの主にしてこの土地を治めていたマハラジャの邸宅。
まるで国会議事堂のような巨大な住まいが、砂漠の中にポツンとたたずんでいる。
日本の長者紹介テレビでもよく紹介されるぐらいの大金持ちらしい。

砂漠に咲く花

フォートでは「砂漠の民」らしい鮮やかな原色のサリーの集団に出会った。
もともと色彩の乏しい砂漠の人は、町といい着物といい鮮やかなもを好むらしい。
この乾燥しきった大地では、どぎつい原色のサリーが、まるで砂漠に咲く花のように美しく映えている。
彼らはローカルバスを払い下げたような、ボロボロのバスでやってきた砂漠の村の団体旅行客らしい。 
男たちの立派なターバンと髭は、今でこそインドの象徴のようにとらえられているが、なんでもこの地方がオリジナルなんだとか。とてもサマになっている。 

jodopur (4) 

さらに門にいたのはインド独特の楽器を使った楽団。
楽士というのはカースト的にはかなり低いらしいが、彼らの音楽はそれはそれはエキゾチックで、この場所によく似合う。素敵だった。

メヘランガルフォート

jodopur (5) 

フォートの中は博物館になっていて、豪華絢爛なフロアや籠などが紹介されている。
が、なんといってもフォートのめだまは美しい細工の施されたバルコニー。
ハーベリーと呼ばれるこの建築物は、ジャイサルメールなどで多くみることができるが、内戦により技術者がパキスタンに逃れてしまったとかで、今やその技術の継承は難しいのだとか。 
これは本当にすばらしい。お姫様が住んでいそう! ラージャスタンって、めちゃくちゃ素敵!!

jodopur (1) 

ジョードプル旧市街

フォートから町に戻る時拾ったリキシャーがどうにもこうにも納得いかなかったので、乗り合わせた旅行者がついに切れて、インド人がびびった。日本人、やる時はやりマス。私もスネオみたいな感じで参戦してみた。くらえ、インド3週間の恨み。 

ジョードプルはウダイプルのような外国人ツーリスト向けの安宿街のようなものはなく、あくまでも地元の人が暮らす旧市街の中に宿が点在しているので、人々の生活を見るためにはとてもいいが、ご飯なんかはちょっと困る。
あまりの暑さにどうしても涼しいところで炭酸でない飲み物を飲みたかったので、わざわざリキシャーを拾ってツーリストバンガローなるところへ言ってしまった。 
あいにくエアコンは効いてなかったが、久々のアイスコーヒーを堪能。生き返る・・・

さて、フォートも見たし、もうやることはない。 ゴチャゴチャな旧市街のマーケットを散策するなどして時間をつぶす。

surat (6) 

先日日本人女性に教えてもらった”ビリー”、教えてもらわなかったら”葉っぱの店?”だった。葉の大きさとか、まるで穀物屋のようにいろんなのが売っている。 

旧市街ノマーケットはどこもごちゃごちゃしていて狭いし牛のウンコだらけだし、人も車も多いけれど、きっと昔から大して変わっていないだろう景色の中を歩けるのがとってもおもしろい。タイムスリップしたかのように。

砂漠の町の静かな夜

そんな旧市街の真中の宿の屋上で、談笑しながら夜更かしを。なんと贅沢な。 
ルーフトップを降りると、キリスト様のようなもじゃもじゃの風貌のイタリア人が腰を降ろし酒をあおっていた。 彼は、うっとりしながら、彼の辿ってきた旅を語ってくれた。
「ジャイサルメールは、それはそれは素敵な町だったよ、ファンタスティックさ。星がまたキレイでね、ケンシロースターも見れたんだよ」 北斗七星かよ!!!
これがうわさのヨーロピアンアニメオタクさんか。
オタクのロマンティストイタリアーノは、「タッチはサイコーだね★」と言って去っていった。 

9/12 ジョードプルの普通の1日

翌日ものんびり昼まで寝て、マーケットへいき、パパイヤを買い込み、パクパク喰らいつく。
早くも今夜の夜行でこの町を去るとことを決めたので、宿のアフォ息子に清算を頼む。
が、アフォ息子は2泊分請求してきたので、ピーチクパーチク文句言ったら、お互いの中間をということで1泊と半分で決着。 
が、腑に落ちないのは、ここまで抵抗を見せた私になぜかオーナーがネックレスのプレゼントをくれたこと。なんかの呪いか!? 怖かったので、どっかのインド人にやってしまった。 

チケットは予約していなかったが、辺境の、さらにその先の辺境行きだったため、駅では並ぶこともなく余裕でゲット。
そんな私の横では、横入りしてきたインド人に、別の旅行者が膝かっくんを喰らわせていた。

西の果て、ジャイサルメールへ向け、夜行列車に乗り込む。

SCHEDULE
9/11・・・ウダイプルより早朝着・メヘランガルフォート
9/12・・・旧市街でふらふら・夜行列車にてジャイサルメールへ

ACCESS
IN・・・ジョードプルまで夜行バスで130Rp(ツーリストバス)朝まだ暗いうちについてしまって大迷惑
OUT・・・ジャイサルメールまで夜行列車で70Rp(3等木製シート)

GUEST HOUSE
ブルーGH・・・S/135 バストイレ付
旧市街にあり、なかなか好立地。屋上からはジョードプルのシンボル、メヘランガルフォートが望める。 
部屋もかわいくトイレもついているので快適だが、やってる人間はあまりいい感じはしなかった

FOOD
旧市街からちょっと歩くと大通りに出て、そこまでいくと大きめな食堂があり、ターリーなどちょっとだけ豪華目な食事にありつけた。


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⑦ウダイプル 2001年インド一周半バックパッカーの旅行記

8-10.SEP.2001 UDAIPUR ウダイプル

砂漠の国・ラージャスタン最初の町ウダイプルは、マハラジャによって引かれた湖により、砂漠の土地で唯一水と緑に囲まれた、まるでオアシスのような素敵な町。
 湖のほとりには中世ヨーロッパのお城のようなマハラジャ・パレスがあり、湖の真中には、エリザベス女王も泊まったという素敵な湖上ホテルが。
とってもロマンティックな町なのです。 

surat (4) 

軍人とて痴漢。(アーメダバードからウダイプルへ列車移動)

スラットからアーメダバードに戻ると、運良くその日のうちにウダイプル行きの夜行列車のチケットを入手できた。
さらにこんなところで日本人を発見!さっそく話しかけてみると、案の定井戸マニアだった(汗)
なんでも夏休み中の学生さんで、ほんの数週間で時計回りにインドを一周してきたそう。タフだなぁ。

この区間の列車はどうやら軌道が狭いらしく、通常のものよりひとまわり小さくアッパーシートの私は座ることもできないぐらい天井が低かった。
がそこは超人気観光地ウダイプル行きだけあり、外国人は多め。全体的には客は少なく、のんびりと列車の旅が・・・
ペト。
「?」 
ペトペト。 
「??ん?」 
・・・誰かがわたくしの足を故意で触っている。 
「どこ触ってんだよおっさん!!!!」
人が眠っているのをいいことに、軍人らしき服装の男が私の足をなでていた。 
「も、も、毛布はいらないですかと思いまして・・・」 

言い訳が苦しいぞ!インド人!!! 

ウダイプルの安宿街

目が覚めると、外の景色はいつの間にか乾燥したほこりっぽい大地に。いよいよ砂漠の国・ラジャスターンに突入! 

ウダイプル駅では案の定沢山のバックパッカーが下車し、待ちわびていたリキシャーに乗って安宿街へ。
砂漠の中の町ではあるが、デリーなどよりもよっぽど緑が多い雰囲気。
空気は乾燥していて、なんだかとても心地いい。
宿にチェックインしてベットに横になったらなんだか一気に眠くなり、夕方まで寝てしまった・・・

が、観光はこれから!ガートや寺院は大したことないけど、安宿が集まるマハラジャパレス周辺自体はこじんまりしていて土産物屋も沢山。
人は少なめで、とっても居心地いい!ちょっとばかりのんびりしてみたい!

サンセットにまつわる女性の悩み

町外れのサンセットポイントに登る。日本なら動物園に大切に捕獲されてそうなでかくてまっしろいサルが群れをなしていて、今にも襲いかかってきそうでコワイ。インドは野サルが多くて困る。
ほんとは頂上まで行きたかったが、頂上で若いインド人の男の群れが占拠していてうざそうなので、それ以上登るのをあきらめた。 
下山してきたベルギー人の女の子も、「あれがいるから」と、途中下山してきたのだそう。
日本人欧米人に関わらず、インドを回る女の子はみーんなインドの男にほとほと困りはててるご様子。 

surat (7) 

頂上までは行けなかったが、ここからの眺めは十分ロマンティックだった。
湖の向こうのお城には、美女と野獣が住んでそう。 真っ白なマハラジャパレスも素敵。 
何より、ウダイプルは本当に緑が多く美しい。 
この美しさが人造だなんて、つくづくマハラジャはすごい。。。。

ちょっとした登山を終え、ご褒美に大切にしていたポカリの粉を冷たい水に溶かして飲んだ。
旅先で飲むポカリの粉は、癒し効果抜群。 

宿に帰ったら、旅行者の皆で夕食を取る。 
宿の屋上からパレスの夜景がちょっと見える。
下で寝ていたシャパードのチェキを呼んで、一緒に夜風に吹かれながら、しばし砂漠の町の夜を楽しんだ。 

9/8 気分はマハラジャ♪

昼までよく寝た。旅はよく寝るに限る。 ウダイプルは見るところが多くて忙しい。 
早速マハラジャパレスへ。博物館系は興味ないが、マハラジャパレスの窓から眺めるウダイプルの町はそれはそれは素敵な眺めでした。
お姫様の気分が味わえる。 

surat (5) 

そしてレイククルージングへ。マハラジャパレスの前景が見れるのは、船の上からだけなので、とってもおすすめ。 

町の向こうにある侍女たちの庭園も観光。噴水で有名らしいが、乾季なので干上がっていた。

9/9 便乗ツアー

ウダイプルは見所も多いが、郊外に行く必要があるので個人旅行者にはちょっと不便。
とりえずリキシャーを拾い、ネルー公園まで行ってみた。が、乾季のため公園を囲む湖が干上がってしまったとかで、渡し舟が運行中止中。
リキシャーも帰ってしまったし、車は通らないし、仕方なくとぼとぼ歩いていたら、前方から日本人女性2人を乗せたリキシャーがやってきた。
一人旅同士の二人が宿で知り合い、リキシャーをシェアして半日チャーター中なのだそう。
二人のご好意に甘え、ロックガーデンまで一緒に連れていってもらうことにした。
ロックガーデンは郊外の小高い丘にある公園で、港の見える丘公園みたいなスポット。
観光客の団体や、デート中の若いカップルがちらほら。 

デートは無縁なのだが、おねぇさんの一人がビリーを吸っていた。 これはインドでももっとも安いたばこで、荒く砕いた葉を一枚の葉巻いて、糸でちょちょっととめたもの。フィルターなどはなく、吸い口にやにがべっとりとくっつくおそろしいシロモノ。主に農民やリキシャーワラーなどのおっちゃんが好んで吸うのだそう。 
ここに来るリッチなインド人にはまったく無縁のものらしい。

surat (3) 

その後マーケット散策にも便乗してしまったにもかかわらず、リキシャー代をおごってもらった。
ちょっぴり余裕をちらつかせていたねぇさんたちは、その晩レイクパレスのディナーを予約してあるのだとか。
私も5年後は出すとこ出せるぐらい貯金に余裕を持って旅がしたい。 

宿に帰ると、昨晩会った旅行者もマハラジャパレス横のホテルでディナーを楽しんできたのだとか。
そんなホテルのディナーでサモサをオーダーしといて「サモサはみちっぱたもホテルも同じ」と捨てゼリフをはいていた。

9/10 さよならウダイプル

2日間たっぷり楽しんだウダイプル。時間が止まったかのように、静かで穏やかな町。
本当に素敵な街だった。 
だがしかし先は長い!次の町はジョードプル。
 
愛すべきウダイプルの安宿街をいまいちど散策。 
この町には、かわいらしい細密画のお店や工房がひしめいていたが、先が長いので残念ながら買うことはできなかった。
かわりにピアスをあけてもらった。針金から作った針でグサっと。死ぬかと思った。

そういえば、2ヶ月ぐらい前、バンコクからカトマンズに飛んだとき、同じ飛行機だったドイツ人とすれ違った。とんでもないところで出会うもんだ。旅行者の世界は案外狭いのね。

夕方リキシャーで町のバススタンドへ。
 観光地から観光地への移動だけあり、バスはツーリストバスで、ほとんどが各国からのバックパッカーだった。 
ツーリストバスのお約束、荷物フィー(荷物を預けると別途料金)でもめ、バスは出発。
もちろん断食。 

やがてバスはこの緑あふれる美しい街を抜け、ラージャスターンの砂漠へ突入。
バスの中はすでに真っ暗だったが、バスの中がすごい埃であろうことがよく分かった。 
横の窓は、何度閉めても目が覚めるたびにちょっぴり窓が空いていた 

SCHEDULE
9/7・・・アーメダバードでウダイプル行きの夜行列車に乗る
9/8・・・朝ウダイプル着・ガート、寺、サンセット
9/9・・・CITY PALACE、クルージング、町の散策、侍女たちの庭園
9/10・・・ネルーパーク、ロックガーデン、町の市場等、下町散策、夜行バスにてジョードプルへ

ACCESS
IN・・・アーメダバードから夜行列車で140Rp(2等寝台)
OUT・・・ジョードプルまで夜行バスで130Rp(ツーリストバス)

GUEST HOUSE
プシュカルペイGH・・・S/150 バストイレ付
マハラジャパレスの裏にあり、広い屋上からパレスを眺められる。オーナーは見るからにがめつそうで、オーナーの弟はおかまだが、人懐っこいシェパードと超超超かわいいちびっこがいるので即決。 部屋は古いが、広く、バストイレ付150RP。広い中庭も素敵。 

surat (2) 

宿に帰るといつもちびっこがお出迎え。持ち手がカエルの私のかさがお気にいり。
ちなみに、巨大シャパードチェキは、呼べばすっとんでくるぐらいなついてくれたが、宿にいた日本人の男の子にはなぜかすごい勢いでうなっていた。
かわいかったなぁ、あの子。私のももの上にあごのせて、よだれ垂らして寝てたわ。

FOOD
宿の台所を借りて、せっせと作ったカクリ(きゅうり)の浅漬けを宿のチビッコにあげたらどうやらおいしかったらしく、以後私の顔を見るたびに「カクリカクリ」と寄ってくるお子。私はきゅうりではない。

MEMO
ずっとパンジャビードレスを作るべく、町へ繰り出す。その辺の旅行者向けの土産屋にも売っているが、もっと庶民的なものがほしかったので、ごく普通のサリー屋に入る。とっても涼しそうな青いイスラム風のマテリアルをチョイス。いっぱい採寸してもらう。受け取りは翌日。上下とスカーフ付でも数百円でできてしまう。


| 2001インド一周半 | 12:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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⑥スラット 2001年インド一周半バックパッカーの旅行記

6-7.SEP.2001 SURAT スラット

アーメダバードで2日ほど休憩したあと、スラットへ一緒に行くことになった。「ほんの5時間ほど」だからということで。 

アーメダバードの南にあるスラットは、出稼ぎ労働者がめちゃくちゃ多い工業都市らしい。
アーメダバードとムンバイの間にあり、鉄道駅もあることから、人が集まりやすいのかもしれない。

町自体なかなか発展しているご様子なのだけど、町のあらゆるところに不自然なほど人があふれていて、しかもそれがまた男性の住民だらけ!
普通の町らしからぬ人口密度と男女比、こういうのが出稼ぎ労働者を抱える町なのね・・・

surat (1) 

こんな高層階に泊まってしまいました・・・ 

スラットで泊まったのは、この町で一番高層ビルの最上階にある立派なホテルだった。
私はまだ学生で、バイトしながらカツカツでインドまでやってきている。おんぼろに慣れているし、ここまで良くなくとも普通のホテルで全然かまわなかったんだけど、諸事情で。

結局私は大きな窓と巨大なダブルベットのリッチな部屋で、1日中ひたすらMTVインディアを見たり、呼んでもいないのに夜中に部屋をノックしにきやがったベルボーイにドア越しで「死ね!」と叫んでみたり、ホント無駄に1日過ごしてしまった。なんだって私はこんなところにいるんだ。

アーメダバード行きの列車は、東海道線みたいに向かい合わせのボックス席。インドではかなり珍しい。

向かいの席だったおやじが、私の使っていたウェットティッシュに興味を示したので、一枚あげたらそれをハンカチにはさんで大切そうに胸ポケットにしまいこんだ。 彼は今ごろインドでウェットティッシュ会社を起こし、大成功を治めているに違いない。

SCHEDULE
9/6・・・アーメダバードからバスでスラットへ
9/7・・・スラットから列車でアーメダバードへ。

ACCESS
IN・・・アーメダバードからバスで6時間。100Rp
OUT・・・アーメダバードまで昼頃の列車で70Rp。夜着。そのままウダイプル行きに乗り継げた。

GUEST HOUSE
ギャラクシーホテル・・・T/350 バストイレ付
町一番の高層ビルの最上階にあるホテル。でっかい窓の外にはベランダがあって、このベランダが全部屋余裕で筒抜けなのがやや気になるが、こんな高級ホテルに怪しい輩などいるまい、と思ったら、正々堂々ベルボーイが(本文参照)
なんせインドで一番高い宿だったので、居心地は非常によかったです。高級ホテルのくせにファンだけだった。

FOOD
料理番組を見ていたら、スパゲティのトマトソースを作っていたのでよく観察してみると、ああ、やっぱり・・・ 
シェフ「ここで砂糖を大さじ3杯・・・」 
昨日の恐ろしい砂糖トマトスープはどうやらこの国において常識だったらしい。 恐るべしインド。

MEMO
スラットからの列車の車窓で、巨大なヒンドゥ寺院のある町があった。何という町だろう!?


| 2001インド一周半 | 12:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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⑤アーメダバード 2001年インド一周半バックパッカーの旅行記

4-6.SEP.2001 AHMADABAD アーメダバード

アグラーから戻った翌日、イラン大使館でビザをゲットし、大使館で会った人とリキシャーをひろい一緒にマックへ。
そして15:00の夜行列車でグジャラート州の州都・アーメダバードへ向かう。
アーメダバードといえば、井戸マニアなど建築系に興味がある方があえて立ち寄るマニアックな町らしい。
そんなマニアックな町に、大学の友達が日本からやってくるので、私もついでに出かけてみることにした。

あたしを見つけて。野宿AT INDIA 2001

デリー列車は予定通り朝8時に到着。
駅で大学の友人が待っていてくれるはずだったが・・・来ない。待てど暮らせど来ない。
9時をすぎ、10時をすぎ・・・あまりにも来ないので、駅のまわりの安宿を探してみることにする。
アーメダバードは、駅前にでっかい道路が通っていて、車がブンブン走ってて、見るからに観光地ではない。まるで工業都市のような風貌。
こんなところまでやってきて、友人に会えなかったら相当へこむぞ。

とりあえず周囲の宿に日本人がいるかどうか聞いてまわったが、友人どころか日本人さえいないらしい。
メールを打ち、そうこうしている間に駅にこられたらたまったもんじゃないので、再び駅に戻った。 

インド人にまぎれて駅のフロアーに座り込み、待つことさらに数時間。
これはどうやら、夜の8時と勘違いしているんだな。でもメール見たら駅に来てしまうし・・・仕方ない、待とう。。。

持っていた新聞紙を開き、バックパックを枕に、インド人にまぎれてごろんとしていたら、なんだかとっても眠くなってきた。今日もインドは暑いから、余計眠いのです・・・
時々フロアのモップがけが始まると、インド人ともども一度は散り、再び新聞を開き・・・を何度か繰り返すころには、日本人の女がフロアにごろりとしていても、もはや誰も気に止めなくなった。 

あ~あたしゃ何してんだ一体。インドの駅で、新聞敷いて、しかもちょっぴりよだれ垂れてるよ・・・頼むから早く見つけて! 

バックパックと女性のオトイレ事情

日が暮れ、ふらふらしていたらプラットフォーム脇に女性専用の待合室を発見。
ほんとは2等以上のチケットを持った人専用らしいが、どこからどうみても旅行者なので、素知らぬ顔して進入してしまえ。 
運良く?おなかがグルグルしてきた。ああ、これが噂に聞く女性一人旅最大のピンチ、「バックパックを背負ったままのトイレ」ですね!? 

バックパックは常時12キロぐらいある。これを背負ったまましゃがむためには、それ相応の筋力が必要とされるわけで、ゲリで腹に力が入らないのに子供一人背負ってスクワット!?気を抜いたらそのままトイレに突っ込むわ。そこに誰かの落し物があったら・・・

バックパックがトイレに沈むのと、盗まれるかもしれないが、その辺に置いておくのと・・・
その時は、後者。
だからというわけでもないけれど、バックパックの中に盗まれてへこむようなものはほとんど入れていない。
心配をよそに、今のところバックパックはいつも無事。 
トイレ番の人に見ておいてもらったこともあるし、女性専用待合室のイスに鎖かけておいたこともあったり。
トイレの扉にかかってるバックかけるフックにバックパック吊るしたこともあったな、壊れなくてよかった。

再会

あれから12時間・・・夜の8時になったので、ラストチャンスを賭け、いざ改札へ・・・ 
「あ、いたいた。」 
サクっと現れた、サリー姿の友人。
ああ、よかった・・・やっと見つけてもらえた。
紹介してもらった宿は一泊350Rp。旅に出て数ヶ月、こんな高い宿泊まったことがない。

せっかく高いお金払ってるのに、エアコンついてないわ、部屋に窓はないわ・・・一人だけなのに、ベット二つあるわ、もったいない。 
はるばる日本から持ってきてくれた大量の救援物資を受け取る。ああ、感謝!!ボンカレーありがとう!! 

SCHEDULE
9/3・・・アグラーから戻り、15時にアーメダバード行きの列車に乗る・イラン大使館
9/4・・・朝8時アーメダバード着・友人と再会
9/5・・・休息日
9/6・・・スラット行きのバスに乗る

ACCESS
IN・・・デリー15:00発。2等寝台。翌朝8時着。
OUT・・・スラットまでバスで6時間。

GUEST HOUSE
グジャラートイン・・・T/350 バストイレ付
中級ホテルだが、エアコンと窓がない。窒息寸前。

FOOD
ちょっといい目のレストランに連れていってもらった。トマトスープを頼んだら、砂糖を入れたトマトケチャップを水でのばしたようなものが出てきた。ま、ま、まずいっす・・・

| 2001インド一周半 | 12:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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