世界一周トラベリングソング。

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

インドのお土産。インディアンバービーはいかが?

インドで買ったガラクタたち。よくもまぁこんなに運んだもんだ。

omiyage (21)  omiyage (20)
4年ほど前チェンナイで見つけて一目惚れしたインディアンバービー。今度は買えた。1175Rp。母へのお土産。
大変喜ばれ、今も大切に飾ってある。

omiyage (19)
色々なシリーズがありました。

omiyage (26) omiyage (24)
☆型ランプシェイド。たたんでケースにしまえてしかも50Rp。 しっかりできているので実家でもうちでも愛用。よいお土産でした。

omiyage (34) omiyage (35)
デリーで買ったサンダル。2足で1000円ぐらい。

omiyage (38) omiyage (42)
雨のにおいのお香とお香立て。右はデリーの仏具用品店で買った魔法のランプ。

omiyage (32) omiyage (33)
チャイとチャイマサラ。右は乾燥ココナツ。

omiyage (12) omiyage (30)
調味料入れ。箱がレトロすぎ。右はアジア一帯で愛用されているお弁当箱。2つで100ルピー。安い・・・

omiyage (25) omiyage (8)
ベットカバーとチベタン模様の布。

omiyage (11) omiyage (36)
漆の鈴は2つで50ルピー。

omiyage (15) omiyage (10)
インドと言えばボリウッドムービーのサントラ。カセットというのがいい。実際ラダックでよく流れていたのはアクアだけど。
右の巾着は何もラダックでなくともアジア全域で買えます。デジカメ入れとして末永く愛用。
スポンサーサイト

| 2004インド・ラダック | 10:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

インドのお食事★3食カレー付き

コンノートのマック隣の南インド料理店にて
0407262728 (5)
南インドのミールス。カレーが沢山並んでいます。
思うにインドのカレーは化学調味料があまり使われていないのでは。味は薄いけど体にはやさしそう。

0407262728 (40)
お好み焼きみたいなチャパティ。

0407262728 (39)
ドーサ。インド料理の中で一番ほっとできる味。

0407262728 (33)
ラールキラーの中のドーサ。本当はこの形。

0407262728 (32)
ラッシーとサモサ(じゃがいものぎょうざ)

0407262728 (18)
クルヒというスパイシーなアイス。牛乳の膜の食感。

0407262728 (19)
クルヒ屋さん。

0407262728 (14)
ビリヤニはパキスタンやバングラなどイスラム圏で好まれているピラフ。

0407262728 (13)
ビリヤニ屋さんは大きな入れ物が目印。

0407262728 (15)
イチゴシロップ味のジュース。

040723 (11)
レーのスペシャルサンド。

040720 (10)
よく通っていた。あたたかいチャイと一緒にツナサンドイッチ。パンがこれでもかというほど重い。

mati (10)
レーのちょっと高いインド料理店。北インドのカレーにはパクチーが散らされています。
これは確かバターカレー。奥のは酢豚みたいな味のもの。

13 (23)
ジェスモの食事。このバターナンがおいしかった。トマトスープと一緒に。

マナーリー (2)
マナーリーのすごい野菜炒め。

人がやだとか暑いとかいろいろと言われているインドですが、私は食べ物がキツイかなぁ。。。だって3食カレー付きですよ?

| 2004インド・ラダック | 21:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

さよならデリー

NEW DELHI 2007/7/28

いよいよデリー最後の日、リキシャーを拾い、デリーを南下。多分南が新市街・ニューデリーと呼ばれるとこなんでしょうか。ショッピングモールや物産テーマパークみたいなのがあるらしい。燃えます!!
ああでもきっと男性は絶対行かないでしょうね。

■コンノートプレイスでサリーを買う
0407262728 (3)
コンノートの老舗サリー屋。コンノートプレイスの一角には、見てのとおりのおしゃれなサリー屋さんが数件。エアコン効いて涼しいからって、冷やかしじゃ入れないほど高級感たっぷり。いいとこのマダムやお嬢さんが何かの記念で一生ものの着物を買うような感じ??シルクや総刺繍やシフォンなど、日本円にして数万単位。。。こんなゼロの数が多い値札見たことない。

0407262728 (45)
コンノートの地下に広がるごく一般的サリー屋。
コンノートの真中の地下部分もマーケットになっていて、地元の人たちでにぎわっている。インドの男の子たちのトレンドの発信地でもあるらしい。

■物産パーク
いくらかの入場料を取るが、外国人向けによく整備されたお土産市場。各地の名産がそろっていて、インドのお土産探しに最適。コンノートからリキシャーで15分ほど。

0407262728 (46)

0407262728 (47)

0407262728 (48)

■最後はもちろんメインバザールで
0407262728 (49)

0407262728 (52)
世界中からバイヤーが買い付けにやってくるだけあり、品揃えも豊富。
買ったものは「おみやげ」のコーナーにありますが、世界中から買い付けにやってくるだけあり、日本中で手に入るらしい。100円ショップとか。サンダルとか布はやっぱりここで買ったほうが断然安い。

■最後の晩餐
インド最後はインドらしく、ニューデリー駅前に並ぶ、もっとも庶民的な食堂でカレーを食べることにした。
選んだのはタミル語が踊る南インド料理店。むっさい2階に通された私たち、もう至れりつくせり!きっと珍しかったのだろう。お水におかわり、お持ち帰りに大の男たちがてんやわんや。思わず記念撮影をしてしまった。

d_ozis.jpg
そして最後に愛すべきおやじのシャイク屋へ。
このおやじ、最初はむすっとしてたのに、通いつめたらあの笑顔。今日でさよならなんだ、とお別れを言うと、気前良く大盛サービス。これにはちょっと危機感を感じたが、この好意を無駄にはできない!どうせ明日は日本、どうにでもなれ!

・・・そしてどうなったかというと、あの、その、赤痢をですね・・・。
でも私、おやじのことぜんぜん恨んでなんかいないわ。むしろ感謝。
いろいろ嫌な思いだってするけれど、食堂やフルーツシェイク屋のおやじをはじめ、一握りの愛すべきインド人がいるからこそ、私はもっとインドが好きになるのだから。
ああ大丈夫さ、日本にはいない虫を持って返ってきたって気にしないさ。赤痢になったおかげで虫を発見して根絶したのを確認したし!
女医先生曰く「最近多いのよね~インドからいろいろ持って帰ってきちゃう子」
空港にて

■さよならデリー
夜のデリー、一路空港へ。1ヶ月もいると、やっぱりちょっと切ないね。
空港のビジターラウンジの売店でどうしょもないお土産を買い、最後の一滴までルピーを使い果たした。もうチャイも買えない。いよいよお別れね、さよならインド、また来るね。
0407262728.jpg

そして成田空港へ。
そこのわんちゃん、お願いだからバックに入っているパロータやマンゴーを嗅ぎ付けないで。
早ようち帰ってごはん食べたい。
ああ、でも家になんもなくてマギーになったらどうしよう・・・


インド旅行記・完
omiyage (39)

| 2004インド・ラダック | 14:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

炎のお散歩オールドデリー編

OLD DELHI 2007/7/27

今日はデリーを観光!3年前デリーに1週間以上滞在していたのに、メインバザールとコンノートプレイス以外どこにも行っていなかったので、はじめてのデリー観光です。

■がんばれリキシャーマン
オールドデリーまでリキシャーで行ってみる。暑いし遅いしみんなが見るけど、あまり気にせずに下町散策。
メインバザールのすぐ脇には、例のプラットフォームが10も20もある巨大駅があるため、これを横切る大きな橋を渡らなければならない。
炎天下、この坂道をトータル100キロ乗せて懸命に登るリキシャワラーに敬意を表し、最初の言い値にチップを大幅上乗せして渡すと、おやじさんは一瞬きょとんとして、「こんな値段だったっけ?」みたいな顔を見せてくれた。忘れたフリしてぼろうとする輩だらけなのに。だからチップ渡す時は、「最後にぼってこなかったらその心意気にも敬意を表し」の前提があり。

実は前にも、この橋を渡ってくれたおじさんにチップを渡したところ、同じ笑顔を見せてくれたことがあった。リキシャーマンが嫌がる橋を渡ってくれるんだから、きっとガッツあるリキシャーマンなんだろうな。おっちゃんダンニャバッ!
0407262728 (8)

0407262728 (11)
にぎやかなオールドデリー

■オールドデリー
下町の繁華街的通りは、どこからどこまで人がぎっしり、リキシャーもびっしり!
商店街は、金物屋通りから紙製品通り、工具通りと次から次へと姿を変えていく。観光地や建造物よりも、こういう庶民の生活を見るのが何より楽しい。前に誰かがメインバザールからオールドデリーを歩いたと言っていたが、これはめちゃくちゃ面白い散歩道だと思う。(ただし暑くなければ。)

■門前町に珍客

0407262728 (23)
モスクとブーゲンビリア 美しい巨大モスク・ジャマーマスジットは遠くから見るのがよし。

0407262728 (20)

0407262728 (12)
ここの子供たちは今回の旅でもっともバクシーシ率が高く、一人にあめをあげたら延々追いかけっこするはめに。腕にぶらさがりそうな勢いでした・・・

0407262728 (21)
珍客。

ジャマーマスジットの門前町には、イスラム教の国で好まれている食事を出す店が多い。
チャイ屋でごく普通にチャイを頼んだらVIP席(日陰)に通してもらったり、ビリヤニ屋でもいたれりつくせりだったり、観光客はあまりこういう店にはやってきていないことがよく分かった。

0407262728 (13)
ビリヤニ屋

0407262728 (14)

0407262728 (19)

0407262728 (18)
クルヒ(牛乳の皮のような食感のアイス)などもあった。

0407262728 (15)
樽にはいった真っ赤な飲み物にチャレンジ。コップ一杯1Rp。

0407262728 (17)

0407262728 (16)

■ラールキラー
0407262728 (24)
オールドデリー駅に行くときなどによく見る城壁に囲まれた王宮。お金持ってそうなパックツアー観光客がビデオやデジカメ片手にわんさか。見てのとおり、また身なりがよく、お行儀もいい。そんな人々の合間を、皆が皆白いサリーやクルタに身を包んだ「老人会」っぽいインド人観光客も。

0407262728 (25)

0407262728 (27) 0407262728 (31)

0407262728 (28)

0407262728 (26)

0407262728 (30)

0407262728 (32) 0407262728 (33)
ラールキラーの軽食屋さん

0407262728 (41)

0407262728 (34)
オールドデリーを歩いてみた。見事な揚げ物・・・見ているだけで胸焼けが・・・

■オールドダッカの喧騒
ラールキラーに延びる道はバザールになっている。ジャイナ教の巨大寺院を左手に進むと、なにやらエアーコンディションのかほり・・・
0407262728 (36)
一階はとってもきれいなおかし屋さんで、二階が頂けるレストラン。おお、寒い!!!
アイスコーヒーを一気飲みして、周りのインド人を観察してみると、さすがにみんなリッチそう。
こんなところがオールドデリーにあったとは・・・

続いてニューデリー地区にあるでっかいショッピングモールへ。
日本でいうヨーカドーレベルのショッピングモールと映画館の複合施設で、とてもキレイでびっくり。普通にエレベータもあるし、レジが置いてあって、天然素材をうたったタオルとかそういった日常品がヨーカドーと同じような値段で売っていた。
こんなとこに来たのは、そう、長年のあこがれであったバービーちゃんインドバージョンを買うためなのです。親不孝ものの娘は、こうして旅した先の民族衣装を着ているお人形さんをお母上に献上してご機嫌取りをしている。

私は間違いなく店内でももっとも貧相な格好で、いろんな人々にずいぶん訝しがられていたようだが、ここでさっとカードでバービーちゃんを購入したら、ちょっと丁寧にしてもらった。
さすがにここにいる人々は女の子も洋服が多いし、サブウェイとか欧米スタイルのレストランなど、メインバザールからは想像もつかないような世界が展開されていた。インドにもこういうのがあったのかー。

夕暮れのデリー、憩いの広場でリプトンを飲みながら、「明日で最後ね」などとちょっと感傷に浸る。
そう、明日でインドもおしまい!買い物しまくるぞー!!

0407262728 (37)

0407262728 (38)
デリー門が見えた。
あとは残ったルピーを使い切るのみ!

| 2004インド・ラダック | 13:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

灼熱のデリー

DELHI 2004/4/16

マナーリーからデリーへの夜行バス、目が覚める度に気温がじわじわ高くなっていく。いよいよこの旅も終盤、バスは灼熱のデリーへ。

行きはメインバザールのすぐそばから出発したバスだが、帰りは随分と北側で降ろされた。
ツーリスト同士でタクシーをシェアし、いざ再びメインバザールへ。
夏休みが始まったこともあり、ツーリストが随分増えたようだった。

宿を探し、長い旅を共に連れ添った寝袋を降ろすと、速攻寝込んでしまった。何年か前に比べ、一番体に来ていることを実感するのは、まさに移動明けのこの時。
前にインドに来たときは、移動明けに観光して次の日また移動を10箇所以上繰り返したこともあったのに。
もう全然だめ。こういう意味でも若いうちにバックパッカーしとけって声を大にして言いたい。

0407262728 (42)

お昼も大分過ぎてから、ようやく起きることができた。
デリーの熱さは相変わらず半端じゃない。そう、行くべきところはただひとつ。
「ヘイリキシャー。マックまで!」
なんとでも言ってくれ、どうせ根性ないさ。

マックには相変わらずおやじソフトクリーム愛好会の面々が・・・マナーリーに行く前もそこでアイス食べてたでしょ!!
今日は安岡力也と小柳ルミ子のような夫婦が子供のための貸切バースデーパーティーを見物にやってきた。
ルミコはもちろん洋服姿で、インド人には珍しく、ヘナでなくてヘアカラーで髪の毛を染めている。
マナーリーに行く前はまだ発売されていなかったアイスコーヒーとアイスティーを立て続けに二杯。やっとインドにもコーラ以外のものがやって来たのね。

高級南インド料理店がミールスのサービスをはじめるまでの時間、近所にある各州物産展を覗く。レーからはるばる運んできたものがたくさん置いてあった。値段は少しだけ高かった。
0407262728 (5)

この周辺には、カシミール地方だけでなく、ラージャスタンやビハ―ルの土産物屋もあり、掘り出し物が見つかるかも。

旅行もあとわずかということで、今日の夕食は豪華に、マックの隣の高そうな南インド料理店に入る。
店内は、インドで一番エアコンが効いていた。
極寒の店内はとても清潔だったし、給仕さんも品が良かったが、トイレットペーパーがないのとなぜか便座がびしょびしょだったのはご愛嬌。どうやら豪快な掃除係が水をぶちまけているらしい。鏡までびしょぬれだった。

高級レストランだけあって、頼んだミールスも本場南インドでも見たことないぐらい豪華。味は正直意味不明だったが、おかげですっかり体が冷え切った。


日が暮れたコンノートをトボトボ歩きながら、メインバザールに戻る。
そういえば、メインバザールの入り口のマンゴーシェーク屋が激ウマだとヒロさんが言っていたので、旅も最後ということでもちろんチャレンジ!!
d_fru.jpg omiyage (7)


見てのとおりのあやしさだが、シロップとミルク(と出所不明の氷?)を混ぜたマンゴーシェークは本当においしくて一気飲み!
飲み終わったグラスは、青いポリタンクにためてある水でささっとひと洗い。その水はというと・・・
あ~・・・水道水ですね。 まいっか。

あんまりにもおいしい上、お腹も健康だったため、その後毎日毎朝毎晩通いつづけ、とうとう私も赤痢をお土産に持って返ってしまった。ということに気づくのは帰国後10日ほどたってからですが・・・

0407262728 (6)ジャスミンを付けるの図。 南インドの定番だけど、デリーではつけている人をほとんど見ない。

■本日のGUEST HOUSE
メインバザールの中心にある野菜市場の交差点からは随分手前の安宿が集まった路地の一角。
窓の外からとなりのアパートの男が覗いていたが、テレビがあるのでよしとする。ファンのほかに送風機がついている。
T250Rp。やっぱりデリーは物価が高いね。

omiyage (6) 0407262728 (7)
マンゴーの正しい食べ方インド編。

0407262728 (2)
落ちる?

| 2004インド・ラダック | 13:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

りんごの谷から

MANALI -4 2004/7/25

翌朝宿の前で、レーの旅行代理店で知り合ったヤンジョムさんに偶然再開し、メアド交換をした。いまさらだけど、実は彼の名前はヤンジョーさんだったことに気づいた。ちなみにヤンジョーさんとこのドライバーもありえない運転だったとか。あの地でジープに乗ろうとしている人は、もうインド人だろうとラダッキーだろうと、みんな覚悟しなければいけないのね。

モモも食べおさめということで、朝食で入った最後のモモ屋が激まずで泣いたが、店のおやさんはなかなかフレンドリーでトークがはずむ。
男性諸君には、TATASUMOの話をするとちょっと場が和む。インド人はインドに誇りを持っているから、「アンバサダーかっこいいよね」などと言おうもんならもうニコニコ。
正直、日本はすごいとか言われつづけているよりも、こうやってお互いのいいところを誉めあえるような会話のほうが気持ちいいよね。

最後に長らく世話になった寝袋や埃まみれの冬服をバックパックの底へ押し込み、この旅の目的は無事終了した。ああ、ほんとうに無事で良かった・・・

04072425.jpg

デリーへは、中心街からちょっと南に下ったところにあるバスターミナルから。
案の定荷物を預けたら荷物フィーを要求してきたけど、しばらく荷台のところでほかのインド人に対しどう反応するかを見ていたら、金持ちインド人にも同様に荷物フィーを請求し、金持ちインド人がマジ切れしていた。おかげで荷物フィーがなくなった。インドの鉄則、しばらく様子を見る。

バスの中で前のおじさんがりんごを食べていたので、そのリンゴいくら?と聞いてみたら「1つどう?」とおじさんがリンゴをくれた。親切さんだ。

04072425 (7)

04072425 (13)
りんごの木が並ぶクル渓谷の山々を眺めながら、さわやかな北インドに別れを告げる。
本当に素敵なところだったな、ラダック。ここを選んでほんと良かったよ。

04072425 (8)

■マナーリー~マンディ
04072425 (11)
インドにかかわらず、ベトナムなども、大抵家の側面までは手が回らないらしい

マナーリ午後一で出発したバスは、クル、マンディとひたすら川沿いの渓谷を進む。クルを超えると、渓谷はどんどん幅を狭め、気が付くと左は目がくらむような断崖、右はとんでもない絶壁!

山の植物がいつの間にか熱帯っぽく変わっていたり、緑が断然こゆくなったりしていてなかなか素敵な眺めだった。

日がすっかり落ちたころたどり着く大きな町はマンディ。ここもまた、マナーリーに続く人気の避暑地らしく、ダラムサラよりも開けた山あいに、へばりつくように家が立ち並んでいてなかなか独特の雰囲気だった。日本の温泉地を思い出す。次は絶対マンディに泊まろう。
それにしても、着々と気温が上がっている・・・やっぱりデリーは明日も40度なの!?私たち、昨日まで冬だったのに!!!たった半日程度でこんなに気温が変わるなんて。不思議な経験。

ACCESS
マナーリーからデリーへは、ツーリストバスで400Rp。昼すぎ出発朝7時か8時頃着。デリー行きの夜行バスは出発が早いので注意。

| 2004インド・ラダック | 15:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

マナーリー・レーロードの恐怖再び

LEH ROAD TO MANALI 2004/7/24

とうとうレーを去る日がやってきた。マナーリー行きのジープは、深夜2時にバススタンド横から出発する。パッキングを済ませ、そのまま寝ずに深夜1時ゲストハウスを後にする。人っ子ひとりいない深夜、車内で爆睡していたタクシードライバーをたたき起こし、ジープが出発するバスターミナルへ
他に欧米人4人とインド人1人を乗せ、ジープは深夜のレーを出発。

■地獄のドライブ
私的に、行きのドライバーの恐怖運転がかなりトラウマだったので、まず最初にドライバーの薬指の指輪とフロントガラスの神様シールを確認した。神と家族があるのなら、少しはまともなやつだろう、、、、
が。甘かった。平地なはずなのに、なぜかしば感じるG!ありえない猛スピードで、昼間なら1時間はかかるウプシまでものの数十分でついてしまった。さっきまで騒いでいたイタリア人らも皆言葉を失っていた。
断崖絶壁ロードに突入しても爆走運転はとどまることを知らない。

こういうときは寝るに限る。何も見ない、何も知らない!!

こうして私は気絶した。


眠っていたおかげで、行きで苦しめられた5000Mを超える峠は知らぬうちに終わっていた。
ただ夜だったこともあり、やっぱりすごく寒くて、ショールを頭からかぶり、ほこりとよだれ対策をかねバンダナを口に巻いて月光仮面みたいにしてみた。
大学の先生だとか言うスペインはちょっとかっこ良かったが、知らん知らん。

がしかし、隣の無駄にでかい男たちがすんごい寄りかかってくるのがもう最悪だった。自分らの半分くらいしかない東洋のか弱い月光仮面じゃなくて乙女に全体重かけてくるか普通!
あとで知ったがこの時爆睡している私らの姿はイタリアーノのカメラにしっかりと収まっていたらしい。というか、相当おもしろがられてたらしい。。。あんなんで寝られるなんてアホだって。
どうやら爆睡している私を背景に、イタリアーノがピースサインをしている画など、見るに耐えない問題作がこれからヨーロッパで待つ友人知人に紹介されるとのこと。まーじーでー。

こうしてほぼ寝ながらにして苦しかったポイントを次々と通過。ころあいを見て起きたつもりが、気づいた時には既にセルチュ付近のチェックポスト付近だった。もうレーロード後半。

04072425 (2)
パスポートチェックしている間、テントホテルとやらのトイレを拝借。こんな高地なのに、洋式だし、ちゃんと水洗。

ジープの荷台シートにいたスペイン人の女の子は、欧米人とは思えないぐらい小さく、そしてハイジのように素朴で、ずっと鼻歌を口ずさんでいた。なるほど彼女は森林保護員で、見た目も中身もとってもナチュラル。一度マナーリーに戻ったら今度は同じ道を途中まで引き返し、スピディに行くのだとか。こんなに純粋に旅を楽しんでいる欧米の女の子、なかなかいないなー。

彼女が日記をつけながら、今日何曜日?と聞いてきて、そこにいる誰もが答えられなかった。みんなあの不思議な町で、いつもの時間を忘れてしまったらしい。こうしてマナーリーに戻るのは、実際の標高だけでなく、感覚も天国から下界に戻ったような気分。

04072425 (3)

やがて太陽が高く高く昇り、川が幅を増し、あたりに緑があふれだした。いよいよムーンランドともお別れ。ダルチャのチェックポストを過ぎれば、もうそこは「下界」。キーロンもとっとと通過し、あとはロータン・ラだけ。

ところが峠への道で車が前に進まなくなってしまった。
車を降りてみると、なにやら人だかり。彼らが眺めている先は・・・ななななななんと、ジープが落下してる!・・・・ヒィィィィ。
・・・やっぱり、落ちるんだぁ

さすがに一致団結してドライバーに忠告してみた。不謹慎だが、ジープはまだ落ちたてで、ガラスは粉々、もうぺちゃんこだった。一歩間違えれば、自分たちだって・・・いろいろと恐ろしいドライバーに出会ってきたが、多分人生で最もあの世に近づいていたと思う。

そんな事件を目にし、行きで出会ったロータンラの裏側の絶景もあっさりと通過。心身ともに疲れ果てていたので、あれほど感動した景色にもほとんど心を動かされることもなかったのが残念でならない。

この旅最後の峠・ロータン・ラを越えればもうマナーリーはすぐそこなのだが、疲労から車内はすっかり沈黙。行きが飛行機だった他の人たちからしたら、もう永遠にたどり着かないのではないかというほど、先の見えない長い長い道のりだったのだろう。「あともうほんの5時間」と教えてあげたら軽くキレていた。

こうしてたった一日でレーからマナーリーまでを移動し終えた。懐かしい「インド人だらけ」を目にした時、思わず生還を喜びあってしまった。性別や国籍を超え、なんか妙な団結感さえ生まれていたように感じだ。
ああ皆さん、生きて返ったよ。ありがとうインドの神様!


■絶景ドライブのススメ
小さなころからドライブしながら外の景色をじっと眺めているのが大好きだった。ずっと飽きずに外ばかり見ていた。
そんなおかしな癖のおかげで、私にとっては移動時間も貴重な旅の工程のひとつなのです。

たとえばチベットへ。陸路4日のドライブだったが、その間に退屈だと感じたことなど一度もなかった。次々と色を変えるチベットの大地は、目を伏せている暇などない。どの姿も幻想的なまでに神々しい天空の国。
黄金のベンガルと称えられるバングラデシュの大地では、夕暮れが特にいい。紫に染まる空を背景に、椰子の茂みは、まるで影絵のように黒く浮かび上がる。
カンボジアのあぜ道では、ハンディキャップを背負いながらも、力強く田畑を耕す人々に出会った。

同じに見える景色でも、そこに住む人々の庭は全部違うし、干されている洗濯物の色も全部違う。空気も天気も匂いも。
映画のフィルムのように、一枚一枚は違う絵で、一枚一枚を丹念に見ていたい。

このレーロードは、もちろん未舗装で恐ろしいぐらいの悪路な上、標高はあほみたいに高く、距離だって長い。決して楽なものではないが、もしもまたレーにいくことがあれば、私はきっと次もこの道を選ぶと思う。風景が変化するスピードはとても速く、山も刻々と風貌を変えていく。そして何より、いくつもの山を超えてラダックの村にたどり着いたときの感動が忘れられない。山にはばまれ、下界から閉ざされた奥地で暮らす人々の集落にたどり着いた時の喜び。こうして時間をかけて来なければ、秘境がどれだけ閉ざされているのか実感できないのではないだろうか。
もうどうしようもなくしんどいけれど、もしかしたら、神様見れるかもしれないよ??

■MANALI
マナーリーでは、運良く角部屋ベランダテレビ付きのやたら明るく広い部屋をゲット。
04072425 (4)

04072425 (5)
宿からの眺め。

04072425 (6)

一目散にシャワーを浴びた。 全身埃まみれだし、なんか肌がすすけている。もう本当によれよれだった。
このあと例のイタリアーノなどと食事をしようということになっていたが、横になった途端動けなくなってしまった。

■ACCESS
TATA SUMOというインド製ジープにて。レーのバスターミナルを深夜2時出発・マナーリーには夕暮れ前に到着。
料金はシートの位置によって異なるが、真中は1100Rp。荷台にとってつけたようなシートなら、数百ルピー安い。
ちなみに、レーの中心部から、バスターミナルまでの深夜タクシー料金は150Rpもした。深夜だから仕方ない。。。
キーロンからマナーリーは7時間。ジープでは、レーから17時間前後。
マナーリー発デリー行きの夜行バスは午後早くに出発してしまうので、当日は間に合わない。

GUEST HOUSE
T200Rp バストイレ・テレビ付。メイン通りのショッピング街内で一番南の通りを一歩入ったところにすぐ入り口がある。名前忘れた。

| 2004インド・ラダック | 14:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

オールドレーで、さよならレー

OLD LEH 2004/7/23

レー最後の日。
パンがおいしいジャルマンベーカリーでスペシャルサンドを食す。
そしてマナーリー行きの乗合ジープのチケットを取りにテクテクバスターミナルに向かう。
が、ジープ代がめちゃくちゃ高かったので、再び町に戻り旅行社で値段を聞いたらさらにコミッション取られるらしく、泣く泣くもう一度バス停へ(涙)
そんなわけで、ヒッチハイクをしてみたら、親切にバス停の横まで乗せてくれた。味を占めて帰りもバイクを止めてみた。かっこいいおにいさんは文句も言わず2人を乗せて3人乗りをしてくれたので、お礼にあんずをあげた。レーの一般の人々、とても親切。

昼も同じジャルマンベーカリーでカレーを食べる。カレーなら下界に戻っても食べられるのだけど、レーのカレーはツーリスト仕様でマイルドなのでとってもお気に入り。

午後は、東側のオールドレー地区をのんびり散歩し、レーを堪能しつくすことに。おみやげも買わなくちゃね。
040723 (3)
王宮を望む小道。

オールドレー地区は、私たちの泊まる地区とは違い、昔ながらの土壁の家が並ぶとても静かな地区。
王宮に登って上から見ると色がないように見えるが、家の窓には花が飾られているし、土壁の上にはびっくりするほど青い空が広がり、たなびくタルチョがとっても鮮やか!これぞラダック!という光景に出会えるはず。

040723 (4)
ジェスモのある地区とは違い、土地の人々が暮らす地区なので、おばぁさんが井戸端会議をしていたり、角を曲がると羊の放牧に出くわしたり、染物屋さんや仕立て屋さん、地元の人用の食堂などいろいろな発見があり、散歩がとても楽しい。

040723 (2)

■お別れに際し
メインバザールの一歩東を走る裏メインバザールは私のお気に入りの道。
ここには生地屋や羊肉屋、床屋や金物屋など、地元の人が使う店が並んでいて、一昔もふた昔も前のポスターなんかが貼ってあったりする。

いろいろなところでお土産をしこたま買い込み、通いつめたお店に別れを告げる。ヤンニョムさんやジャルマンベーカリーのネパリーのおにいさんたち、毎回おかしを買っていた雑貨屋の悪そうなおやじ、木立の下のケーキ屋さんのミヤサコです!のおにいさん、そしてジェスモの面々。ちょっとした顔見知りになれたことがうれしかった。

最後にはツォモリリのニックにも会い、お別れを言うことができた。通りかかる度にくだらないことを話し掛けてきた道端のおじさんおにいさん一人一人にもさよならを言いたい気分。

ここで出会った人々のほとんどはこの町の人ではないから、また再び会うことはないかもしれない。それでもまたこんな何気ない出会いを求めてきっとレーに戻ってくると思う。
いい町だったよ、レー。

040723 (13)

| 2004インド・ラダック | 15:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ティクセゴンパ

TIKSE
040722 (6)

ツォモリリからの帰り道、ヘロヘロのニックを横目に私はゴンパ探しに夢中。
ウプシからレーまでの上ラダック幹線道路沿いには、有名なゴンパがいくつもあるのだ。
ニックには悪いけど、一番見た目のきれいなティクセだけはちゃんと止まって写真に収めて帰ろう。


小高い丘にそびえたち、旅行人によると、ラダックを代表する勇壮なお姿なのだそう。確かに美しい☆けれど、もう登る意欲はないんです、、、

ちなみにヘミスゴンパはインダス川の向こう側にあるので、幹線道路からは見えない。
シェイゴンパはちょうどカーブのところにあり、こじんまりとしたかわいらしい村沿いにある。

ヘミスの近くでインド映画か何かの撮影をしていた。
こーんな山奥まで撮影に来るの??インドの映画産業ってリッチなのね。
(この間知ったのだが、インドで最近スターウォーズのパロディ映画が流行ったのだとか。ムーンランドラダックなら、まさにその舞台にぴったりだよね。)


040722 (7)

ティクセの子供たち。
マナーリーからやってきたとき、このゴンパの小坊主がジープに向かって水かけてきたのよね。
用心用心。


こうして1泊2日アメリカ人と日本人のでこぼこツォモリリの旅は無事終わった。。。
約1名を除いて。

レーに10日いる私でさえあんなに苦しかったのに、まだレーに入り1日2日のニックにはほんとにつらかったと思う。
あとでジェスモで会った時、もうデリーに戻るとかなんとか弱音を吐いていた。
まぁでも私的には高飛車そうなミッシェルリー(仮名)よりもやさしいニックで良かったと思うよ。彼を一人で放置したのは本当に悪かったけど。
最後に貧弱な英語に付き合ってくれた彼にスペイン語でお礼を言った。
日本生まれ日本育ちの在日3世に「カムサムニダ」と言ってるみたいなわざわざさ加減だとつっこみつつ。

ACCESS
ツォモリリに行ったのに、目が覚めたらもうツォモリリを出発。時間はちゃんと話合っておいたほうがいい。って、病人が出たらもともこもないけどさ。

豆情報。
行きも帰りも昼ご飯で泊まったドライブインのメニューはカレーかマギー。
温泉は熱すぎてつかれそうもない。
トイレは下から風がふきつけて捨てたはずの紙が戻ってくる。


| 2004インド・ラダック | 20:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

トイレが笑えるツォモリリ民泊

KARZOK -3-

これが間借りしたお宅。朝ちょっとトイレに行ってみたら、ドアの代わりにぼろぼろの麻布みたいなのが適当に引っかかっていて、(それも半分ぐらいしかない)下に牛かなんかがいた。
最悪!かと思いきや、用を足したあとは備え付けのスコップで砂ごと穴のに落とす方式なので、意外にもこぎれい。
さぁ女は度胸!ズボンを半分下ろしかけたところでさっそく歩いてきたおやじに目撃された。

040722 (12)

朝からさわやかなドライバー。


040722 (11)


040722 (9)

朝一番、さわやかなツォ・モリリ。空気もすっきり澄み切って、一番きれいな時間かもしれない。


040722 (10)

泊めていただいたお宅の屋上から。裏山は雪山。

040722 (17)


■ニックの悪夢

本当はのんびり湖畔まで散歩などしてみたかったが、(まだ湖が塩湖かどうかも確かめていないし!)あいにくニックが最悪な状態だったので、ドライバーにせかせれてしまった。

「昨日はどこに泊まったの?ボク、あれから大変だったんだよ」
(知ってる。)
「だって夜になったら誰もいなくなっちゃったんだもん」
(なんですと!)
「え、だってあのテント、あなたの国の人たちとかで満室だったよね??あの人たちは?」
「みんな帰っちゃったよ。ボク、夜高山病、一人、苦しかった・・・(泣)」
えー!!!!!だってあいつら普通にテントに布団敷いて寝てたじゃん!!しかもギターなんて弾きながら英語でめちゃくちゃ盛り上がってたのに!なにそれ!知ってたら私たち一人になんてしないし、ってゆうか何この罪悪感!?私たち悪いデスカ??ええそうですとも私たち高山病のあなたを一人放置しぬくぬくと民泊までしちゃいましたよ!!

「ごめん!!わかったから早く帰ろう!!散歩もチャイもいいから!早く帰ろう!!」

こうしてボロボロに傷ついたニックをバックシートの広いところに寝かせ、私たちは助手席で小さくなりながら一目散にモリリをあとにしたのでした。

あ、でもツォモリリを味わうことも忘れずに。マイルドソルトなお味でした。



大きな谷をつなぐタルチョ

040721 (43)

| 2004インド・ラダック | 19:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

トラウママギー。

KARZOK 2007/7/22

040721 (44)

あたたかいテントの中。ツーリスト向けの食堂やテントドミは、こんな感じ。
ここは食堂で、マギーマサラ(インドで一番有名なカレー味のインスタントラーメン)とチャイをいただく。
7月でも晩秋のように寒いカルゾクで、暖かい食べ物は体にしみる。
が、気持ち悪い中で食べたので、今でもマギーマサラを見るとあの時の気持ち悪さがこみ上げてくるのです。。。


040721 (45)

奥のテントドミ(ベットがあるわけでなく、布団はあるが雑魚寝のようなもの)を覗くと、早くもニックが場を確保し、欧米人のバックパッカーたちとにぎやかにやっていた。
私たちも宿を探すことにする。


040721 (31)

祭りだからだろうか、テント宿がたくさんたっていた。
寺のある方からテント地帯へ降りるだけでも一苦労。思うように呼吸できずに、体がむかむかしてくる。


040721 (27)

テントは一泊800Rp以上と高額なため、バックパッカーでない欧米人が多く泊まっていた。
中にはベットがぽつんとあるだけで、金額にはまったく見合わない。


040721 (32)

湖畔のゲストハウスはすでにフル、寺の横のテントドミはにぎやかそうな欧米人の若者で占拠されているし・・・
どうしようかと決めかねていたら、ドライバーが知人宅を紹介してくれ、テントドミよりも安い金額で泊めてもらえることになった。


040722 (8)

泊めてもらったお宅。このあたりではごく普通の家。カルゾクは電気が通っていないので、どの家にも小さなソーラー機がついていて、部屋の明かり程度の電力は確保できるようになっていた。


040722 (13)

ご近所の様子。

040722 (14)


■悪夢の夜

きっとこの家は人を泊めることに慣れているのだろう。一通り家を案内してくれたあとは、特に干渉することもなく、ちょっとあっさりしすぎな気もしたけれども、とても落ち着けた。
でもトイレが離れにあって、なんだかとっても恐ろしいことになっている気が・・・
でも村の公共トイレは断崖絶壁に突き出していて、しかもドアはなくて寺の屋上からまるまるまる見えで、どうしようかと悩んだ挙句どうしたかはご想像にお任せします。
外は真っ暗で万事OKなのです。


さてトイレ以外はすこぶる快適なのだが。
標高4000mをなめるべからず。

寒い。。。寒い!!持っている装備をすべて着込んで、それでもまだ足りずジーンズの上から巻きスカート、貼るオンパックに寝袋、さらにショールで頭まですっぽり完全武装しているにもかかわらず、寒くて寒くてぜんぜん眠れない!
もちろん部屋の窓はしっかり閉まっているのに、この寒さ・・・こりゃ、谷のテントじゃ凍え死んじゃうよ・・・

やっと寝付けたかと思ったら、今度は猛烈な息苦しさで目が覚めだ。
既にラダックに来て1週間以上だし、登山で高地トレーニングも積んだ身。さすがに今更高山病はないだろうと思っていたのに、眠って呼吸数が減ったことで一気に体調に変化が現れたらしい。
・・・恐るべし、ツォモリリ。

ああそういえば、ラダックに来たばかりのニックは大丈夫だろうか?
きっと沢山仲間がいるから大丈夫かとは思うけど。

空気少ないし、星は曇って見えないし、胸の上に座敷わらしが3人乗っているような苦しさにもだえながら、苦しい夜は更けていく。
なんというか、マラソンしながら寝ている感じ。いや本当に。


■本日のお宿
一人100Rp テントドミは100~200Rp。トイレは断崖絶壁の公共トイレ(ドアなし)。
テントホテルは一泊1000Rp前後。トイレテントもあり。シャワーはなし。


| 2004インド・ラダック | 19:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

辺境の民の祭り

KARZOK GUSTOR 2007/7/21

040721 (7)

湖畔唯一の定住集落・カルゾクのグストルを見物する。

040721 (29)

これが村の中心・カルゾクゴンパ。
先に訪ねたピャンと比べると、寺もタンカも何もかもすすけていて古めかしく見える。

040721 (20)


040721 (28)

寺の真中は吹き抜けになっていて、2階建ての回路やその上から祭りを見物することができる。
回路の天井は簡素なつくりで、誰かが屋根の上を歩くと砂がパラパラと落ちてきて今にも底が抜けそうだった。


■辺境の民との出会い

040721 (24)


040721 (10)


040721 (9)


040721 (38)


040721 (39)


040721 (25)

一歩寺に入って言葉を失った。人々が皆、ほこりだらけ・・・若い娘でも、肌は日に焼けて乾燥し、顔にしわが刻み込まれている。
子供たちはすすだらけの顔に鼻水顔で、色とりどりの布をまとう老人たちは、まるで巡礼中かのように真っ黒に日に焼け、古びたサングラスをかけている。人々の髪の毛はみなぱさぱさに乾燥しきっていて、服は強烈な日差しですっかり色あせてしまっている。

彼らを見た瞬間、今自分がいる場所がいかに閉ざされた場所なのかを実感した。
電気もなければ暖かいシャワーもないこの土地。
多分からだを洗うことさえままならない土地なのだろう。
ピャンやレー周辺の村ではこんなではなかった。
定住しているとはいえ、いでたちはまるで遊牧民そのもの。
ここまで厳しい環境の村を訪れたのは初めてだった。

寺を埋め尽くす黒い顔の人々が、目だけ白く私たちをぎょろりと見つめるものだから、一瞬凍りついてしまった。
こんな貴重な体験、滅多にできるものではない!
一瞬で「えらいところに来ちゃったな」から「がんばってきて良かった!!」に方向転換。
さっそく高原の民のファッションチェックしてみましょう。

■ザ★モリ・コレ2004

040721 (22)


040721 (16)


040721 (17)

みなそろいの真っ赤なショールをしている。そしてその頭には見事な石の頭飾り!
でもこれも今では老人しか身に付けていなかったのが残念。


040721 (18)

カルゾクのおしゃれ娘たち。おすましして写ってますが、デジカメで撮った画像を見せてあげたらてんやわんやの大騒ぎでした。

040721 (19)


040721 (14)


040721 (15)


040721 (12)

若い女の子の中には、先祖代代の飾りを全部ひっぱりだして身に付けおしゃれしてきた子もいれば、男の子たちのようにジーンズと帽子姿の子もいた。みんな祭りをとっても楽しんでいるご様子。


■ベスト・オブ・モリ・コレ

040721 (41)

今週のモリ・コレグランプリは、推定70キロ先の隣村からやって来てそうなファンキーなばぁさんに決定!!目の覚めるようなグリーンのマントは会場でも抜群に目立ってました!

いやいや、祭りはよいですね、日本もそうだけど、現代に至っても伝統の衣装を見ることができるのは祭りならではのお楽しみ。
わざわざ祭りに合わせて来た甲斐がありました。


■カルゾクグストル

040721 (36)

立派なたたずまいのお坊さんたちが、伝統的な楽器を奏でる。ちびっこ小僧もなかなか凛々しい。


040721 (33)


040721 (23)


040721 (35)


040721 (21)


040721 (34)

劇らしきもの。悪党が捕らえられたらしい。


040721 (11)

踊りの衣装はピャンとほとんど同じ。


040721 (8)

お面は小僧さんたちで、様子を見る限り、若い女の子をターゲットに捕まえてまわるらしく、村の娘さんたちはみんなドアの向こうに隠れてこっそり劇を見物していた。
もう若くはない私といえば、普通に突っ立っててもぜんぜん捕まえられなかった。。。むしろ写真撮ったらおひねり要求されたわ(涙)


040721 (40)

お祭り楽しかったね。

■豆情報
夏の間、ラダックでは各村で代わる代わるグストルが開催される。ピャンとカルゾクを比べた限り、見た目こそ差がでるものの、儀式そのものはどちらも同じだった。
やってることこそ似たりよったりだが、民族衣装マニアにとっては、地方により異なる民族衣装を見てまわるだけでも楽しい。






| 2004インド・ラダック | 19:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ツォモリリ 人が住める限界地点

TSO MORIRI -2-
040721 (26)

ツォモリリだ!
山も空も湖も、吸い込まれそうになるくらい深い深い色。


040721 (42)

紺碧の湖、ツォ・モリリ。日を浴び七色に姿を変える巨大な湖の向こうには、雪をかぶったなだらかな山が連なっている。ここは4000を超える高地。人が住むことができる限界で、ツォモリリは静かに私たちを迎えてくれた。


040722 (16)

ツォ・モリリの湖畔には、雪解け水の小川が枝分かれして流れ込んでいる。そのため付近は緑で潤っていてとてもきれい。黄色い小さな花も咲いていた。


040722 (2)


040722 (3)


040722 (19)


040722.jpg


040722 (18)

カルゾク村の入り口。


040722 (11)

それはまるで、ガレキの町。雲行きが少しあやしくなってきた。

| 2004インド・ラダック | 17:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ツォモリリツアー

TSO MORIRI -1- 2007/7/21

女神の住む湖・秘境ツォモリリへ1泊2日のジープ旅。
湖畔の村カルゾクで開かれるお祭りが楽しみ。
メキシコ系アメリカ人ニックとともに死にそうになりながら行ってきました。

■レー~マヘ橋
040722 (5)

レーから東、ウプシを経てインダス川沿いを走ることさらに数時間。
外国人が立ち入ることができる東の果て、マヘ橋までは道も舗装されていて快適そのもの。
迫り来る岩山は、下ラダックへの旅とはまた異なる風景。
点在する村は、どれもおとぎばなしに出てきそうなくらいかわいい。

040722 (4)

マヘ橋のチェックポイント。


040721 (2)

橋の向こうからは、いよいよ未舗装、ゴツゴツの秘境へ(でもまだあと5時間ぐらいかかります)


■マヘ橋~カルゾク

マヘ橋のあと、しばらくは小さな川に沿い緑のある道をゆく。このあたりには、インドで最も貧しいとされるビハールからやってくる土木作業労働者のキャンプが多い。

040721 (6)

さらに進むとちょっとした峠も待ち構え、ラダックに来て数日のニックは早くもダウン。
それを越すと、いくつかの塩湖(写真)をあっけなく通りすぎ、再び小川と緑が現れる。
小川のある場所には必ずあのでっかいねずみみたいなのがいて、ピョコピョコ走りまわるあいつを追っかけしばし和む。
ピョコピョコの谷を越え、最後に砂漠のような乾いた大地を走りきれば、目の前に現れる聖なる湖!
(詳しくはチャリダーURACCIさんのサイト参照。直接風や大地に触れながら旅しているだけに、その道のりの厳しさや美しさが手に取るように伝わってきます。)

040721 (3)


■労働者

マナーリー=レーロード・国境付近のツォモリリまでの道・印パボーダー付近etc・・・ラダックでは、必ずどこかしらで道路工事が行われていて、その付近にごく簡素なキャンプが張られている。
中にはラダッキーだと思われる女性だけの集団もあるが、なんでも大体がビハールからの出稼ぎ労働者で、10~30人ほどの集団で生活しているらしい。
ドライバーによれば、日陰も何もない炎天下、粗末な道具片手に埃にまみれ一日中働いて、彼らの給料はたったの70RP。

そんな彼らに対し、私たちの乗る車は容赦なく粉塵を撒き散らす。
それでもインドでもっとも貧しい州からやってきた人々にとっては、貴重な貴重な働き口なのだろう。
私なら石の先で車に傷でもつけてしまいたくなるが、マスクと帽子の間から光る鋭い眼差しは、決して攻撃的ではない。それどころか時には笑顔さえみせてくれた。
そんな彼らが、インドをつなぐ長い長い道をひたすら作りつづけている。インドの人の力の偉大さにを感じずにはいられないが、悲しいかな、インドの社会問題をもあらわにしている道作りでもある。

040721 (4)


040721 (5)

■豆情報
マヘ橋までは集落もあり、ちょっとしたものなら手に入るが、マヘ橋から先は高地に入るため、それらしき村はない。


■ACCESS
ジープ一台6000rp。朝出発し、3時頃カルゾクに到着。宿代は含まれていない。
ツアーはレーの旅行代理店でアレンジ。値段はどこも大して変わらないので、シェアする相手がいるかどうかが重要。張り紙などを書いて地道に募集活動。

| 2004インド・ラダック | 15:20 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

チャンスパ地区

CHANGSPA 2004/7/20


040720.jpg

こんな小道、大好き。
チャンスパ地区はレーの北西部のことらしい。
ストックゴンパを少し行き、林の中の迷路のような小道を行くと、どこかの有名なお坊さんの邸宅がある。
レー中心部からその邸宅までは、石畳のきれいな歩道ができていて、景色を眺めながらのんびりすすむ。石垣の向こうにはじゃがいもがうまっていて、その中で犬のしっぽらしきものがぴょこんと飛び出ていた。


040720 (46)

こんな高地に林が出現。あの林の下に水路が流れているからだろうか。
ここだけ見ていると、とてもここが3000mを越す高地とは思えない。


040720 (45)

ラダックの一般的な家。屋根のタルチョがラダッキーの証。


040720 (48)

向こうには、レーの西に建つ日本寺のストゥーパが見える。あそこまで登る意欲も体力もないけれど。。。


040720 (30)

団体客らしきツーリストを乗せたランクルの集団にすれ違った。このあたりに宿泊しているらしい。
レーには豪華な高層ホテルはないが、こんな静かな郊外に泊まるのもまた素敵。


040720 (47)


040720 (31)


■昼下がりのレーにて。

040720 (44)

石畳を進むと、レーの中心部の一角にある池にぶつかった。
その脇の林の中に、テーブルが並ぶレストラン(?)があったので、小休憩を。
綿のようなふわふわな何かが雪のように降ってくる不思議な林の下では、ネパールからの出稼ぎ従業員がサッカーの日本対オマーン戦を見ていた。日本チームは人気があるらしく、従業員がやってきては、「日本が一点とったよ」と教えてくれた。

池の脇を進むと、見慣れた景色、いつもの旅行会社が集まる広場前へ出てしまった。散歩の波に乗っていたので、帰りも未開拓の裏道を行くことにした。

インダスゲストハウスの先のあたりの小道には、予想外にゲストハウスがたくさんあった。どこもみな庭に花が植えてあり、静かそう。

そして最後は割れたガラスの刺さった私有地の壁を乗り越えて無理やり宿に到着。
景色がいいと、散歩もとっても楽しいです。


■本日のその他出来事

いまやすっかり仕事となったツアーデスクめぐり。
明日に迫るツォモリリの祭りを目指し、張り紙の反応を問い合わせるも、効果なし。
当初参加予定だったダニエルリーは姿をくらましたそうな。(ダニエルリーとは中国系アメリカ人で、あっちに住んでるアジア系の女の子がよく口にするように、彼女もまた旅先のアジアであれこれ不当な扱いを受けむかついていたらしい。
インド人が見下した目で中国人かと尋ねれば、目くじら立てて「アメリカ人よ!」と強調していた。


代わりにアメリカ人の若人を一人ゲット。こちらは血はメキシコ人で、でもスペイン語はあんまりしゃべれないとか。スペイン語か~、ベサメムーチョしか知らないな。

職業はカーペンターだと言っていたけど、UCLA出身だと言っていたからまさか一級建築士とか?
大工と建築士って違うのか?まぁいいか。要はツォモリリ出張代金が安くなれば。

まだレーにやってきて日が浅いのがいささか不安だが、逃してたまるものかと無理やりパーミットを発行させ、明日出発に決まった。

彼を待っている間に、ツアーデスクのおじさんやその甥のヤンジョムさんとラダッキーについて語りあった。
なかなかさわやかな顔のヤンジョムさんは、デリーの大学で日本語を学んでいる学生さんで、すばらしい日本語を披露してくれた。発音もいいので、彼らの言葉の発音も、私たちにとってそれほど難しくないのかもしれない。

そして夜はジェスモでピザと春巻きを。何を食べてもたいていおいしい。
帰ったら断水。
レーは、水が使える時間が限られている宿があって、特にホットシャワーは、ソーラーが生きる時間帯しか稼動しないらしい。
タンクが空になることもあるらしく、「洗濯禁止」などの張り紙もある。早いもん勝ちなのです。
(でもだからと言ってランドリーサービスなんて出すと、ビムラの脇の汚い川で洗われてしまうんだもん。それを見たら出せないよね。)

ちなみに停電も多く、得に昼頃はよく停電していた。ネット屋やレストランは発電機があるのでそれほど不便は感じないが、何度も真っ暗な部屋でろうそく立ててシャワーを浴びた。

ということで、今夜は顔を洗えず無念。

| 2004インド・ラダック | 15:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

サンカル

SANKAR 2007/7/20

遅い朝食に重い朝食を。ジャーマンベーカリーでツナサンドとフライドポテトを食す。ツナサンドのパンは焼きたてで、ケシの実が香ばしい。ポテトはこの付近でも取れるらしく、カレーの具にしてもフライにしてもとっておいしい。
040720 (10)


040720 (20)
その後未来日記してしまった手前、郵便局へ急ぐ。


04715 (11)
そしてこの日は、レーの郊外・緑溢れる静かなサンカル・チャンスパ地区をのんびり散策してみました。(写真は王宮上の丘から。)


■モスクの裏地区

バザールのモスクの横から裏通りへ。メインバザールの裏通りは下町的でとても雰囲気がいい。このあたりには、タンドリーパンを売る店が多く、モスクの裏手だけに、カシミーリーが多いらしい。
040720 (21)

パン屋さん。


040720 (22)


040720 (23)

カシミーリーは顔立ちがとてもはっきりしていて、まゆげが濃い。
パン味はよくわからないが、乾パンみたいに硬そうだった。


040720 (24)

赤レンガと緑の木立が清々しい。インドの山奥とはとても思えない。



040720 (26)

ここちええのぅ。


040720 (25)


040720 (32)

遠くに見えるのはパノラマ写真を撮った山。
裏通りを抜けると、すぐにのどかな畑風景に。
いつも夕方町ですれ違うロバさんが放牧されていた。ここが職場なのね。


このあたりには宿も多く、広い庭付きの新しい宿もあった。立地的には不便なので日本人はあまり好まないが、欧米人には人気らしい。


■サンカルゴンパ

サンカル地区にある静かなゴンパ。観光客もほとんどいないのでのんびりできる。

040720 (42)


040720 (41)


040720 (36)


040720 (37)

サンカルゴンパの小坊主たち。ポーズつけてくれちゃってまぁあいくるしい。


040720 (39)

ラダックのお寺には、まだまだ遊びたいざかりの小坊主がたくさんいるのです。
ちなみに彼ら、一応身に付けているのは赤だけど、キャップやタンクトップと実はとっても現代っこ。
町では袈裟なのに革靴とサングラスでびしっときめた坊さんを何度も見た。
そしてバイクで疾走したりして、過激でした(笑)

| 2004インド・ラダック | 14:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ピャンの祭り

PHYANG 2007/7/19

レー7日目。
ツォモリリに向け、ツアーデスクめぐりをし、換金しに銀行に行く。
うわさに聞いた通り、レーの銀行には世界中からやってきたツーリストで長蛇の列。この列に対し、窓口はひとつ。しかも係りのおやじは突然ふらりとどこかへ消えたりするんだもん。待ってる間に4日分の日記を書き、ドーナツ屋さんにおやつを買いに行った。
そこにいたシクのおじさんの親戚が日本で働いていたとかで、「日本のタクシーは8000Rpもするんだってな。」と言っていた。どこからどこまで乗ったですか?
「小生にとってもタクシーは高いので、とても乗れないのです。。。」と言ったら、ちょっぴりおまけしてもらった。

こうしてやっとの思いで私たちの前にいた日本人の男の子が窓口にたどり着くも、日本円のTCは取り扱いナシと断られ、「マジデ」とつぶやいていた。
マジでマジで。また1時間がんばってくれ。

そして本日はレーからほど近いピャンのお祭りに行きます。初お祭りです、楽しみ楽しみ。


mati (2)
丘の上に立つピャンの寺から。


mati (6)
レーからのバスは坂の下に停まる。丘の上の赤い建物がピャンの寺。


1_20110306191815.jpg
ピャンの寺のタンカはとても鮮やか。みなこのタンカを見にやってくる。


1 (2)


3 (4)
レーから数十分だけあって、外国人観光客がとても多い。


3 (3)
老人会席。素敵な形の帽子が見える。


3_20110306191853.jpg


3 (2)
マニ車片手に、皆が真剣に見ているのは・・・


2 (3)
祭りの名物、僧たちの舞。


2 (4)
鮮やかな衣装の下にちらっと見えるのは、臙脂色のお坊さんの袈裟。彼らの靴がこれまたかわいらしい。


2 (5)


2 (2)
頭にいろいろささってます。


2.jpg


4 (3)
2階席でゆっくり見るもよし。


■素敵な民族衣装に出会いました。ピャン・コレ2004.

4_20110306192049.jpg
長い髪をみつあみにしてしたで結ぶのがおばあさんに人気。こちらでは、老いも若きもロングヘア。髪は女の命。

4 (2)
みなの輪から外れたところからひっそりと祭りを見守るおばあさん。ブルーのスカーフが素敵。耳には荒い真珠のビーズを紐で束ねたピアスをしている。こちらの女性が好んでつけるものらしい。


6 (2)
ラダッキーの証、ツバがちょこんと跳ね上がった素敵な形の帽子をかぶったおばぁちゃんたち。


6_20110306192144.jpg
左のおばさんのような服装は、中年世代が日常的に着ているもの。


5 (5)
背中には刺繍の施された素敵なマントをつけている。


5 (6)


6 (4)


6 (3)
老人会の井戸端会議?左のおばあちゃん、かわいいくつを履いてます。右のおばぁちゃんのベストはNIKEです。


6 (5)
娘を撮ってやってくれ、ということで一枚。おとんがダースベーダーのようになってしまった(汗)

若者たちは、日本と同じような格好をしている。若い子たちがお祭りの時に着てくる服って、その時その場所で一番若者に指示されている服装だったりしませんか??ミャンマーでも、普段ロンジー姿の男の子たちがこぞってジーンズだったし、故郷上州でもお祭りの時はみんなおしゃれしていました。


今年のベストオブピャンコレ。
5 (3)


5 (2)
「今日のポイントはいい色に落ち着いた帽子かな。帽子と同じ色の腰巻で全体的に統一感を持たせてみたよ。サングラスは男の常識だね。」


5.jpg
使い込んだリュックでカジュアルダウン。アクセントに大きめのマニ車でバッチリきめてくれました。会場でもとても輝いていました。


祭りもおひらき、いよいよタンカが畳まれる。
5 (7)
一心不乱に見守るのは、今まさに住民の手で取り込まれようとしているタンカ。老いも若きも皆手を合わせ祈りを込める。服装は変われども、心はいつも仏のおそばに。


mati.jpg
楽団と僧のにより、タンカは再びお寺に納められる。運ばれるタンカに向け、なごりおしそうに手を合わせるおばあさんたちの姿が印象的。

mati (3)
祭りの楽しみと言えば、屋台。派手なものはないが、お土産屋台がたくさん出ていた。


mati (7)
子供たち(と私)の楽しみは、もちろん甘いおやつデス。


mati (5)


mati (8)
ピャンのバス停にて、人が集まるのを見込んでやってきた旅一座。
一家の家計を支えているのだろうか、父母の鳴らす音に合わせ綱を渡る少女は、とても子供とは思えない険しい目をしていた。
インドでは、このくらい小さな子供でも家計のために芸事でお金を稼いでいる。
デリーでも、ほんの4、5歳の少女たちが地べたに這いつくばり、砂だらけになって芸をしながら物乞いをしていた。
大人たちはといえば、お金を渡すどころか厄介払い。見かねた観光客が小銭を渡すかキャンディをあげる程度で、誰もこの異様な光景を変えようとはしない。

旅行者にはすこぶる快適なインドでも、これが本当のインドの現状。ほとんどの旅行者は、そんなインドなど素通りしてしまうのだろうけれど。。。


本日のその他出来事
mati (9)
帰りのバスは観光客でいっぱいで、隣の白人のおねぇちゃんの脇の下が目の前にあったり、外に飛び出しそうになったり、大変でした。
写真は外に飛び出した時にとった一枚。


レーに戻り、ツアーデスクでラダッキーと世間話をした。
インドの大学生は今はわりと自由恋愛なんだそうです。
ほほう?私も自由恋愛したいです。

ジェスモに通いすぎたので、この日はちょっと違うレストランに行ってみることにした。
奥まっている場所だが、いつでも満員なのでちょっと期待していたが、高い割に味はジェスモとそれほど変わらず。
mati (10)
浮気はいけないね、ジェスモ。

豆情報
夏のレーでは各地で祭りが催されている。日程は旅行人にも記載されているが、地元の人もちょくちょく教えてくれる。
祭りでないと写真のような民族衣装はなかなか見ることができないので、お祭りにあわせて旅行日程を組むのもおすすめです。

| 2004インド・ラダック | 19:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ダー~アルチ② 

ALCHI 2007/718

レーからも程近いアルチは、重要な寺院やのどかな風景が人気で観光客も多い。のんびり滞在したい村。

040718 (4)

畑の色が黄色くなっている。
春のような陽気のダーからたった半日、アルチはまるで秋のような空気。

奥の建物があるほうは、村人が住む地区。歩いて5分ほどの場所には重要寺院が点在し、土産物屋などでちょっとだけにぎやか。

040718.jpg


040718 (2)


040718 (3)
ポプラと石畳が素敵。この景色は、レーの裏側チャンスパにも似ている。でもこちらのほうがずーっと静か。


040718 (5)
ヤク?ハーフヤク?


040718 (34)
民家の窓。青い空には赤い花がよく似合う。


040718 (6)
この建物を近くで見ると↓


040718 (7)
民家地帯。塀で囲まれたもののなかを覗いてみると、やぎがいた。
塀の上には割られたビンの破片がたくさん刺さっている。
相方が得意のやぎ声でやぎの気を引こうとがんばっていると、住民ににらまれた。
懲りずに塀に登って杏に手を伸ばしてたら、歩いてきたばぁさんに「マネー」と言われて「ジュレー」と笑って済ませて逃げる。
なんかちょっと殺伐としている。。。観光客に嫌なことでもされたのだろうか??


この裏側には学校などが。そしてその手前にある山は傾斜がきつく、放牧中の羊がすごい勢いでころころ転がり落ちていた。止まらなくなっちゃったのね・・・(涙)
040718 (38)
この山ね。


■アルチのお寺

細い路地を入っていくと、有名なお寺があり、壁画などを見ることができる。
そこで珍しく東洋人を発見。日本人ぽい韓国人に見えたので、ハングルで「日本人ですか?」と尋ねてみたところ、相手は日本語で「ニホンジンですか?」と答えてきた。え?日本人??しばらく考えてから、互いに顔を見合わせ「どっちだよ!!」

お互い相手の国の言葉の発音がうますぎて本当に何がなんだか分からなくなった。
わからなくなっちゃうほど、顔も発音も似ているんだから、ケンカはやめて、日韓関係。

そんなことよりも、相手も私たちと同じ二人!?これは国際フィーリングカップルの誕生!?
しかし彼らはインド人をして「ケチな民族」と語り継がれる韓国人。
寺の入場料が高いと怒り出し、どこかへ行ってしまった。せっかくここまで来たのにね。

そういう私たちは一応寺に入ってみたが、正直壁画の価値はわからない。
外に出ると、他にも壁画の価値を知らないインド人観光客が、見張りの坊さんにカメラを取り上げられ罰金払っていた。

そんなどたばた劇を横目に、ちょっとおトイレへ。
川に突き出すように立った厠、紙を捨てようとしたら・・・ティッシュ舞い上がった!!
きゃぁぁ!自分の捨てた紙に襲われてる!

そんなわたしの悲鳴に相方からのアドバイス。
「渾身の力で捨てないとダメだよ。崖トイレの鉄則だってば。」
いつの間にそんな技を身につけたんだ!?

040718 (36)
村のはずれの方


040718 (37)


040718 (35)


040718 (31)


040718 (33)


040718 (32)
うちに帰ろう。


ACCESS
直行便・途中下車など毎日数本バスがある。レーからはそれほど遠くない。

HOTEL
そこそこな宿が数件。食事を取れそうな場所もある。一泊してのんびりしたい町。

| 2004インド・ラダック | 18:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ダー~アルチ①

2007/07/18
1泊2日旅行の2日目、早々にダーを出発し、一路アルチに向かう。

■ダーの朝

宿の人がチャイを出してくれたので、庭でのんびりしていたら、花の民が宿にやってきた。
今朝も見事な生花ですね。

チェックアウトし、村をあとに、杏を採って朝ご飯とする。杏取って潰してみたり、家を覗いたりしてなかなか前に進まず。
そしてなぜか筋肉痛発見。そういえば、この間レーの裏山に登ったっけ
・・・3日後ですか!?

040718 (20)


■ダーからアルチへ

ダーを出発し、途中村のきれいな娘さんとあいのりしつつ、再びムーンランドを東へ進む。

■ヒッチハイクは常識。

移動手段の少ないラダックでは、走っている車を気軽にヒッチしながらお互い助け合って暮らしている。
ヒッチハイクは、言ってみればあたり前。村ではお父さんが娘のために車を止めているし、小屋も日陰もなんにもないところでぼーっと車を待っている人たちもいた。

観光客を乗せている場合はもちろん客に判断がゆだねられるが、TOYOTAに乗った金持ち欧米人紳士淑女団体なんかも皆快く地元の人たちを乗せてあげていた。
民族衣装を着たラダッキーと一緒に旅できるなんて、ちょっとした思い出になる。
ちなみに私たちは女だったので、運転手は大抵気を使って、女性や坊さんの時だけ車を止めていた。男だらけの時は、私たちを指差し、「こういうわけだから」と申し訳なさそうにしていたのでちょっと心苦しかった。


040718 (29)
お昼は途中写真のような素敵なドライブインで、マイナスイオンを浴びながら昼食を。坊さんが杏で物々交換しているようだ。ちなみに杏は町で1キロ1ドルで売られている。

このレストランのように、水場の近く、ほんのわずかな地域だけ緑があふれ、そこに人々の生活があるのだが、一歩向こうはもう裸の岩山。ラダックでは、どの村もまるで砂漠の中のオアシスみたいな存在。

040718 (30)

040718 (27)
雪解け水かしら。


040718 (28)
レストランの反対側。この川の周りは、まるで山岳地帯のオアシス。

040718 (24)
ハヌー方面と分かれるチェックポイント。ローカルバスなどが待機していた。

| 2004インド・ラダック | 13:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ダーの村散策

荷物を降ろして小さな小さなダーの村を歩く。

ダーは、幹線道路の脇にある未舗装の細い道を中心にしたとても小さな村。その道も、中心部(といっても、本当に小さな集落だけど)まで行くと、丘の斜面のような場所であるためか、どこをどう通っていいかわからなくなるようなごちゃごちゃした作りになっている。
家々はみな古く、ところどころがれきがころがっている。こう言ってはなんだが、ちょっとだけ不気味だった。
040718 (8)


小さな子供が手招きしてきたので、着いていったら彼の家はゲストハウスだった。中をのぞかせてもらったが、しばらく誰も泊まっていなような雰囲気。それに、家畜かなんかのにおいがかなりきつい。
子供の母親は、なんだかとても熱心に私を泊めたがる。うまく断れなくなって「今日はもう別のゲストハウスにいるから、明日また来る」と告げると、母親は強引に私の手をとり、「絶対ね、ユー、約束。」などとまたまたすごい勢いで迫ってきた。
なんか、目が笑ってない・・・

あまりの気迫に怖くなって、一目散で逃げ帰った。
外見は雰囲気があったんだけど、人間以外の何かが住み着いているような気配が・・・ブルブルブルブル


■花の民
村の中心に引かれた小さな小川で、杏の種を洗っているおばぁさんがいた。
ラダッキーとは異なる民族衣装を着たおばぁさん。細かくみつあみを施した頭の上には、数種類の生花を飾った帽子が。
ああ、これが花の民たる所以なのね!

生花のほかに、コインやほおずきなどもとりつけて、何やらとってもにぎやかだった。
これらの生花は、畑の隅で栽培されている。頭に飾る花を庭で育てるなんて、ちょっと素敵。
よく観察していると、夕方には枯れた生花の残骸が道端にペシャっと捨てられていたりした。

言ってみれば、生きた世界遺産。
ダーの人はラダッキーほどフレンドリーではないけれど、おばぁちゃん方は愛想が良かった。写真をお願いしたら、心ばかりのお礼を忘れずに。

040719 (48)
ピャンのお祭りの露店で見つけた絵。

040723 (12)
レーのバザールにいたおじいさん。どちらもほおずきを飾っている。
おじいさんの帽子は、ほおずきのほかに針を刺したりするのだそう。針の数=お友達の数なんだって。

しかしこういった伝統を日常的に維持しているのは老人のみで、若者は帽子も生花も民族衣装も何も身に着けていなかった。
日本の女の子が現代に至っても浴衣を好んで着ているように、ダーの若い子たちにとっても、伝統をいつまでも素敵なものと捉えていてくれたらいいのにな、と思った。


■あんず・杏・アプリコット・そして杏仁
杏にまつわる発見。
生あんずを生まれて初めて食べた。これがアプリコットジャムの原型かー。ももとびわとうめがまざったような食感。甘すぎず、わずかに渋みが残り、野性的な味。
そして皆さん、ご存知でした?杏仁豆腐のもとは杏だったのですよ!!実際割ってなめて確信しました。杏仁ー!!
干した杏の種は、杏仁の粉にしたら相当いい現金収入になるはず。そりゃぁ柵のひとつやふたつ作りたくなるって。

040718 (14)

本当に何にもない村だが、こうしてただ歩きながら、食べたくなったら横の木に手を伸ばしあんずを採ったり、ちょっとつぶして中身を調べてみたり、しぶいだの虫が入ってるだのきゃっきゃ騒いでいること自体が素敵。
まるで園児に戻ったかのように。
相方も、あんずを採って食べたこと自体が素敵な経験だと言っていた。


■静かな静かなダーの夜

結局私たちのあと、欧米からの中年パッカーが3組ほどばらばらにやって来たらしい。
ゲストハウスが用意してくれたシンプルな夕食を皆で囲む。
繊維がひとつだけ浮いていたチキンスープと、アメイジングマサラテイストなチャーハン。

スティーブンスピルバーグみたいなおじさんが、サバイバルナイフとペットボトルでさくさくっと凝った形のろうそく立てを作ってくれた。かっこええ。
ひとつしかないバスルームを順番に使う。といっても水しか出ないのでシャワーはお預け。おまけに電気もないので、懐中電灯で照らしながら。それでも顔洗えるだけ幸せ。

040718 (19)
ダーの畑。


040718 (22)
崖の脇に作られた村。

| 2004インド・ラダック | 17:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ダー

DAH 2007/7/17

ラマユルから一度カルシまで戻り、再び西へ向かうこと数時間、ドクパが住むというダーへ向かう。
ダーやハヌーは、ドクパの住むドクユルと呼ばれており、独特の風習を持つことで有名。地域的にももうラダック地区でなく、カルギル地区なのだそう。
今回わざわざこんな辺境までやってきたのは、「花の民」と呼ばれるトクパの人々に会ってみたかったから!一体何で花の民なんて呼ばれているのでしょう??

■下ラダック
レーから下ラダックに至る道は、一度カルシでダー方面とラマユル方面の二手に分かれる。この道は西のカルギル付近で再び合流し、DRASなどを経て、ラダックへのもうひとつの拠点であるスリーナガルへ至る。残念ながら、カルギルやDRASあたりは状況によりかなり危険な地域となりうるのだそう。ダー方面の道では、ツーリストが通れるのはダーまで。チャックポストもいくつかある。【2004年の情報】

■カルシからベマ
インダス川沿いをひたすら進む。標高はどんどん下がっているらしいが、風景はあいかわらず岩山・岩山・岩山。
このあたりも、ほかの地域と同じく何キロかおきに村が現れるものの、ほとんどの場所は緑のない高地だった。
スクラプチャンあたりがラダックエリアとカルギル地区との境目らしいが、ポプラとあんずと麦畑の村は、どこも同じに見えた。もちろんどこもみみな素敵な村だったが、これといって目立ったものはない。
ダーとともに、観光客に有名なハヌーも見た目普通だったので、パス。

途中ヒッチをしていた坊さんとお供の者を乗せてあげたのだが、袈裟を着たお坊さんの顔は彫りの深いカシミーリーだった。気が付くと、チャリに乗ってるお兄さん(?)も、すれ違う少女もずいぶんと顔立ちがはっきりしていて、眉毛が濃い。このままパキスタンまで行っちゃいそう!

■ダー
夕暮れ前、ダーの村に到着。観光地だと聞いていたのだが、実際車を降りた場所には小さな小道があるだけで、運転手によると、ここからは徒歩なのだとか。徒歩といっても、家も人も何にも見えないけど。。。
040718 (23)
ダーの入り口あたり。そこの川はインダス川。



040718 (10)
あんずの木。


040718 (11)
杏だらけ・・・でも手の届くところはどこも食べられちゃってるし、杏の木には棘のついた枯れ枝で柵を作って、他人が勝手に取れないようになっていた。
そういえば小さい頃は、近所の畑からよく落ちているスイカを拾ってきたけど、都会に出てきて畑に柵があったのに驚いたっけ。盗む人がいるからか、はたまた誰にも盗まれまいという持ち主の意思からなのか。。。どちらにしろ、多少のことは大雑把に許しあっている田舎人から見ると、窮屈な社会だった。トゲトゲの柵を見たとき、まさにあの時感じたのと同じ気分になった。冬の長いこの地方じゃ、あんずはとって貴重な財産だから仕方ないけれどね。


040718 (21)
岩の上に干して干し杏を作る


040718 (15)
車は入れないので、細い道をバックパックをかついでテクテク歩く。


040718 (12)


040718 (17)ight="500" />


040718 (18)

あんずとともに、もうひとつ目についたのは、写真のように、岩にくっつけるように作られた住処のようなもの。人の気配はなく、廃墟のようでとても寂しい。
覗いてみるとどうやら今は家畜小屋となっているらしい。ひっそりとした村に、家畜の鳴き声がちょっと不気味だった。
と、そこへ背後からすたすたと私たちを追い抜いていった村人。
まぁ、本当に顔つきがずいぶん違うこと!まゆげつながりかけてるわ。・・・

あれ?この人、ハヌーの近くで自転車に乗っていた人だ。
隣の村からこの山道をかれこれ十数キロこいで来たんだね。
「あなた自転車乗ってました」とジャスチャーしたら、ちょっとてれていた。おお、美しい・・・

■ダーのお宿
040718 (16)
この宿はダーの村の一番手前にあると聞いていたが、ここにたどり着くまで15分ぐらい歩いた。


040718 (13)
電気は通ってないが、部屋はまぁまぁだし、水洗トイレもあったのでこの宿に決める。
屋上ではテントを張って(泊まることもできるし、雑魚寝できる部屋もある。
私たちの部屋は、扉を開けると下に続く階段になっていたので、うっかり足を踏み出そうものなら階下に落っこちてしまう。廊下へは忍者のように壁にへばり付き、階段の穴をまたがなければならない。


ACCESS
ラマユル経由でジープ一台100ドル前後。
スクラプチャン・ダー行き私営バスも各一本出ているらしい。時間があったら今度は絶対地元の人々とローカルバスで移動したい。
旅行人によるとダー行きのバスはベマで止まってしまうこともあるらしいが、それはそれで大変だろうけどおもしろいかもしれない。
同じ宿に泊まった中年3人組は、途中からヒッチしてきたのだとか。超疲れるし、めちゃくちゃ時間もかかると言っていたが、ジープでやってきてしまった私たちよりも何倍も心に残る旅になったと思う。



本日のお宿

SKYABAPA GEST HOUSE T:200(バス・トイレ共同)詳しくは本文。
*もっと先に行くと、集落に何軒か宿があるが、いくつか比べた旅人のほとんどがここに泊まっていた。
旅行者は集まるが、奥の宿は民宿っぽくて、ホームスティ間隔で泊まれそう


豆情報。
村には食堂はおろか、売店もないので、飲食物はすべて宿でまかなうか、持参すべし。おかしもない(涙)チャイはある。

標高はレーより下がるが、十分な寝具はないので寝袋も必要。シャワールームの電気もなかったので、ろうそくORどこかにぶらさげられる懐中電灯も必需。

| 2004インド・ラダック | 00:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ラマユル

LAMAYURU 2007/7/17

一泊二日でラマユル・ダー・アルチを巡る小旅行に出かける。夏のシーズンにもかかわらず、ツアーメンバーを募るのは難しく、散々値切ったから、ジープが超ボロボロで、背もたれも低くて凹みました。

■レーからラマユル
8:30出発。こんなに早く起きたのは久しぶり。
空港や、昨日行ったスピトクゴンパの脇を抜け、一路西へ。
レー地方が上ラダックなら、目指す地域は下ラダックと呼ばれていて、ダーなどは標高もかなり低くなるらしい。走り出して数時間で、村々に実をつけたあんずの木が現れ出した。標高は3000M程度で、レーと比べると温暖なのだとか。
途中ポプラと麦畑の緑がきれいな小さな村と、果てしなく続く荒野を交互に通過しながら、ジープはひたすら進む。


bbbbbbb leh ladakh 094
絶景ポイント。たくさんのランクルが行列になって撮影タイム

道中最初で最後の宿場町・カルシで昼食休憩。この町を越えると、町らしき町はなくなり、食堂や商店の並ぶ村もなくなる。
コショーの効いたシンプルなモモを一皿相方と分け合う。
そういえば、ドライブイン・カルシにはなぜかトイレがなかった。

■カルシからラマユル
カルシから先は、ザンスカール山脈。あたりに平地がなくなり、山の斜面を切り取った狭い道をひた走る。もちろん下は崖!!
なのに反対方向から何度も何度も軍のトラックの隊列がやってくる。
この先は停戦ラインにつながっているので、とても重要な補給路なのだろう。ひたすら20台も30台トラックばかり!
しかも同じ方向を走る隊列に追いついてしまうと、追い越すのはもう命がけ!追い抜く時にちょっとでもはみ出したら木っ端微塵!(ちなみにほんとにこのあたりはよく車が落ちるので有名なのだとか。)

トラックさえいなければ、このあたりはグランドキャニオンかどっかにいるかのような風景。切り立つ黄色の岩山・すぐそばを流れる渓流。
緑が一切ない、なんとも不思議な光景が広がる。
ラマユルの手前までくると、若干あたりが開けてくるが、それがまたすごく奇妙な世界。相方は、まさにこのあたりがムーンランドだと言って興奮していたっけ。
(旅行人によると、このあたりは何万年も前に湖からできた地層なのだとか。確かに他とはあきらかに異質!)


■ラマユル
minakami 078
岩山を超えると、ラマユルは突然現れた。
冬のラマユルを写した写真ばかりみていたので、緑あふれるのどかな風景に思わず見入ってしまった。
そして丘に重なり合うようにそびえたついくつものゴンパ。前景を収められなかったのが残念だが、ヨーロッパのお城にも勝る壮大さ。一目ぼれだよ、ラマユル。

巨大マニ車の下に、写真で見たような皺々のラダッキーの婆様が座りマニ車をくるくる回している。
ああ、思えば遠くに来たもんだ・・・


leh1 ladakh 103


bbbbbbb leh ladakh 096
丘の上のゴンパから、さらに上にそびえるゴンパ群。

豪華なランクルでやってきた欧米人中年観光客で、ラマユルは思いのほかにぎやか。ゴンパの裏にとっても立派なホテルまであった。トイレを借りたが、とても清潔で、しかも水洗だった・・・

■ラマユルゴンパ
leh1 ladakh 099


leh1 ladakh 100

下ラダック地区における重要なゴンパ。建物をうろうろしていたら、小僧さんが部屋のかぎを開けてくれた。
小僧さんと思いきや、ペラペラと英語をしゃべり出して、おねえさんたちちょっとピンチ。おぬし賢いのお。

10歳のゴンチョはこうして親元を離れ、一人で旅行者の案内をしながら修行をしているのだろう。
旅行人を貸してあげたら、自分の住んでいるラマユルゴンパやレーの写真をしばらく眺めていた。
英語も読めるらしく、地図のページを開いて、生まれた村の名前も教えてくれた。10歳とは思えないほど聡明。
そのうち欧米人のマダムが里親にでもなってしまうかもしれない・・・と思ってた矢先、欧米人のマダムが彼に傷バンや消毒セット一式をプレゼントしていた。やるなゴンチョ。

leh1 ladakh 097


minakami 079

ゴンパ裏手の奇妙な家。ミステリアス。。。

丘の上まで登ったら、さぞかし素敵な眺めだろう。
おばぁちゃんにジュレーと挨拶し、車に戻る。
帰る途中、下校途中の小学生の団体に出会った。閉ざされた小さな村なのに、こんなにたくさん子供がいたのか。手を振ろうとしたらいきなり車に向かっておなもみ投げつけられた。
ティクセの坊主といい、ここの悪ガキといい、ラダックのチビッコたちは過激派だった。


ACCESS
ダーやアルチをめぐる一泊二日小旅行で、ジープ一台100ドル前後。
カルギル行きのバスで途中下車するという方法もある。帰りにバスがなくなっても宿があるので安心。

この地方を走るバスは日に数本しかないが、カルシやラマユルなどの宿を利用すれば、3、4日で下ラダックを個人旅行できるのでは。非効率的だけど、どの町も急いで通りすぎるにはもったいない。

| 2004インド・ラダック | 20:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

SPITOK スピトクでインダス川

レー3日目 2004/07/16
そろそろ郊外へ出てみます。今日は一番近くにあるスピトクゴンパへ。
目指せ一日一村。

そうと決まれば今朝もジェスモでちんたらブランチ。
トマトスープはおいしいのだけど、マカロニの代わりにチョウメン入れるのはやめて。
すっかり顔なじみになった従業員ビーノに「今日こそは行くよ」と宣言した。昨日も言ったけど。


スピトクゴンパ
leh1 ladakh 094
空港。ゴンパからまるみえなのです。


スピトクはレーから約8キロ。空港とインダス川の間あたりにそびえるスピトクゴンパを中心に広がる村。
レーのバスターミナルから小さなローカルバスに乗る。
レーのバスもまた、アジアらしくぎゅうぎゅう詰めで、行き先を告げる車掌の声がけたたましく響く。
途中レーの空港の脇を通るのだが、空港ったら丸見え。ちょっとした柵があるだけで、警備もなにもない。

スピトクゴンパへは、幹線道路との分かれ道で下車。ここから坂道を登ってゴンパへ。
午後の休憩どきなのか、中はひっそりとして誰もいない。
部屋の扉は閉まっていたが、建物自体は開放さてていた。丘の上に建っているため、地下にもぐったり上に上ったりでちょっとした迷路のようで面白い。

小さな木の窓から見下ろすスピトクの町は、緑とポプラがとてもきれい。その向こうに流れるのはインダス川なのです!


山肌に沿って見える細長い建物みたいなものは、川か何かに山肌がえぐられてできたもの
らしい。マナーリーロードの途中からずっと続いている。とっても奇妙。

ゴンパの屋上付近にある部屋をお坊さんに案内してもらったあとは、さらに上にそびえるゴンカンというお堂を見にゆく。
ここには若いお坊さんがいて、ランタン片手に中を案内してもらった。中の壁画はたいへん貴重なものらしいが、なんだかおっかないものがたくさんあった・・・

しかし、なぜここのゴンパの写真が無いの??

bbbbbbb leh ladakh 093

とても親切なお坊さんにお礼を言い、お約束の登りました記念写真を。先端に行かなくちゃ、この臨場感は伝わらないでしょう!すんごい登ったの、分かりますか??下界の5倍疲れました。


bbbbbbb leh ladakh 091
インダス川とツーショット(ちょっと及び腰)


ゴンパからの帰り道、道端にぽつりと取り残され、ヒッチでもしてみようかと盛り上がっていた矢先バスが来てしまった・・・んもー。(内心ドキドキしてたけど。)

町に戻ったらチーズケーキでおやつタイム。レーにはケーキ屋さんやベーカリーがたくさんあって、誘惑されてしまいますが、味は荒っぽい。あまあまで砂糖がじゃりっていうぐらい!!


夕食はジェスモでピザを注文してみた。これがまたチーズたっぷりな上、タンドリー仕様なのでとっても美味!ピザーラなんかよりおいしくてたったの100Rp。だからジェスモじゃ皆ピザを注文していた。

食後もハルバルティなどを飲みながらだらだらしていたら、今朝の従業員ビーノがやってきて、ヘイガイズ今日は忙しくてかまってやれなくてごめんよみたいなことを言われた。
相方曰く、どうやら勝手に「待っている人」にされていたらしい。
実はもう帰りたかったんだけど、ここで帰るとますます勘違いされそう??
仕方ないから「私たち、あなたのこと待ってませんからあなたが忙しくても私たちはここにいます」オーラ全開でその場に居座ってやった。
なんかすんごい無駄なことしてるんすけど・・・


ACCSESS
レーのバスターミナルから頻発。帰りはレー方面に行くバスに乗る。

| 2004インド・ラダック | 15:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

レー王宮に登る。

レー3日目 2004/07/15

いきなり昼なのに朝ごはんではじまった3日目。
そろそろなんかしなよ、とジェスモの従業員もあきれ顔。世の中1週間しか休みとれないでレーまで来る人だっているのにね。

13 (18)
ということで、レーのシンボル・王宮とナムギャル・ツェモ(王宮の右奥に見えるとこ)へ行ってみることに。


スピトクゴンパ
04715 (4)
王宮の麓はオールド・レーと呼ばれる地域。昔ながらの土壁の家が迷路のように連なっている。染物屋さんや放牧帰りの羊の群れなどとすれ違いながら王宮へ。近くでみると今にも崩れそうだが、かの有名なチベットのポタラ宮のモデルになったとも伝えられる、由緒ある宮殿なのだとか。
ずっと憧れていた王宮を目の前に、胸がいっぱいで苦しいです!酸素足りてません!!

04715 (6)
旧市街を上から見る。


04715 (23)
目指すはレーを見下ろす丘のてっぺん!ここから風にたなびくタルチョを見たい!
誰も彼もがみのむしみたいにのろのろのろのっそりと歩いているのがおかしかった。
でもみんな必死なんです!空気足りてないんです。こんなことなら普段からもっと体鍛えておくんだった・・・


04715 (19)
がんばりましたよ、標高3500mの登山!
めちゃくちゃ苦しいけれども、登り終えた時の達成感は保障しますを超えて「やったね★」って感じでした。


04715 (20)


04715 (21)


04715 (22)


04715 (8)


ouou.jpg
無理やりくっつけてみましたてっぺんから見たレーのパノラマ写真。クリックしてみてください。フル画面にするとでっかくなります。


04715 (9)


04715 (10)
レーに舞う人。
どこかの国からやってきたチャレンジャー二人組。岩の先端で仁王立ちして一体なんだろうと思っていたら、風を読んでいたらしい。
もちろん滑走路などあるわけもなく、突然崖を駆け下り、ふわりと舞った。
こんな旅も素敵だね。


04715 (18)
私たちの目的地はまだ少し上。目指すは右端の細長い塔。さぁがんばるぞ!


04715 (12)
あと少し!


04715 (17)
登頂成功~


04715 (15)
相方もどうにか到着。
覆い重なるタルチョの下は、なんだか妙に居心地がいい。


04715 (14)
ぱさー


04715 (13)
ふわー


04715 (11)


04715 (16)

丘の裏に広がるチャンスパ地区。この眺めが気にいったので、帰りは裏の登山道から降りることにする。登り口は民家の庭だったが、チャンスパ地区は静かでのどかでとてもよい場所。あとで一周してみようかな。

| 2004インド・ラダック | 14:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

レーの安宿

レーで泊まった宿は3つ。レーの宿は、数は多くとも、値段が高かったり満室だったり場所が悪かったりで宿探しはちょっと大変でした。

040720 (4)
フォートロードをかなり下ったところの右手にあった宿。名前を忘れてしまったのが残念!感動的なまでにきれいな宿で、一泊350Rp(ツイン)まだ新しく、シャワールームもぴっかぴか。この旅はじまって以来、初めて寝袋なしでも眠れるほどきれいな寝具でした。ちょっと奥まっていて、広い庭があり、すぐ目の前に韓国料理をおくレストランがありました。


040723 (5)
おばちゃんの笑顔に一目ぼれしてずっと泊まりたかった宿。でもずっと満室で、最後の2日だけ滞在したビムラ。インダスゲストハウスなどに行く小道の脇にあり、家族経営で安心なお宿。
ツイン・バス付で350Rp。もちろん庭もあります。少し古いけど、最後に家族の住む部屋に案内してもらったりもしました。


040723 (6)
ビムラのある小道は場所がいいのでどこの宿も人気。奥にある宿は高かった。
ビムラの一個手前の宿もなかなか良かった。

レーの宿はどこも庭があり、花が咲いていてとっても和める。でも一人だとかなり割高に。最初に泊まったツォ・カルは、一泊250Rpと格安だったけど、かなりしつこくツアーを勧められて困った。

| 2004インド・ラダック | 14:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

レーの日常。

レー2日目 2004/7/14
2日目の今日もまだまだ活動する兆しがなし。デジカメの中にはルーフトップの写真が2枚のみ・・・

ではここで私たちの拠点をご紹介します。
040720 (14)
フォートロードは裏メイン通り。この通りに面し、ホテルや旅行会社・レストラン・土産屋が軒を連ねている。初めてここに降り立ったとき、あまりの観光客の多さに驚いた。


13 (19)
どこかの交差点。よく店の軒下に座って休憩してた場所。


040723.jpg
毎日通ったレストラン・ジェスモ。安くておいしいくて、のんびりできる。


040720 (11)
ジェスモのすぐそばのジャーマンベーカリー。インド的にはじゃるまんべーかりー。こちらもお気に入りだけど、オープンテラスなので夜は寒い。朝日の中食べた焼きたてパンがおいしかった。
ジェスモもじゃるまんべーかりーも、従業員の男の子たちはみんなネパールからの出稼ぎ労働者で、冬はゴアに出稼いだりしているそう。


040720 (12)
庭に小屋建てていすとテーブル並べただけなんだけど、じゃるまんべーかりー。

ジェスモとじゃるまんべーかりーの間の小道をインダスGH方面に行ったところにあるケーキ屋さんには、宮迫にそっくりのおにいさんがいた。


leh1 ladakh 068
今日も昨日と同じルーフトップレストランへ。今日もキレイな夕暮れです。

お茶をしていたら、キーロンで同じ宿にいたサイケでヒッピーなもじゃもじゃインド人がいた。
インド人にもバックパッカーみたいに旅する若人がいるんだー。
でもきっとボンボンの道楽息子かなんかなんだろうな。

夜の食事はじゃるまんべーかりーからフォート通りを少し下ったところにある庶民的なチベタン食堂へ。
庶民的なのがいいのだが、イスラエリーの溜まり場になっていて肩身の狭い思いをした。
あとで知ったんだけど、イスラエリーって、実はそんなにお金持ちなわけじゃなく、みんな安い国だけ選んで旅行しているらしい。だからこの安食堂だったのかな?しかし人の残りもの食べていたのにはびっくりした。。。。

安い食堂といえば、ここで例のマナーリーであったタイ人みたいな日本人に遭遇。
かれこれ1年旅していると言っていた。
次に長旅出たときは、絶対清潔を保つとかたく誓う。

| 2004インド・ラダック | 10:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ラダック・レーのお土産

レーはとにかく観光の町。お土産屋さんもたくさんあります。
町を歩いていてうるさいくらい客引きしてくるのはカシミーリーのお店。ショールや絨毯などちょっと値の張るお土産を売っています。その分値切り交渉もやりがいがあります。

同じくらい多いチベタンの店は、客引くこともなくひっそりとしている所が多い気がします。誇り高きチベット民族の皆さんは、あまり値下げしてくれません。商売上手な人が多い?
私がのぞいた店のおばちゃんによると、夏の間はレー、冬の間はゴアで商売をしているため、シムラの自宅に戻るのは年に数回だけなのだとか。
チベット難民に金持ちが多いのはこの土産物のおかげだと聞いたことがありますが、まさにおばさんはインドを駆け巡り生計を立てているのですね。

040720 (13)


13 (15)
かわいい刺繍のベッドカバー。今なら買っちゃうかも!?


13 (16)
サリーの切れ端で作ったと思われる、手作りベットカバー。値段は100ドル!?


13 (12)


040723 (18)


13 (13)


040720 (15)
町の至るところにあるチベット土産屋テント。


040720 (19)
立派なマニ車があります。
余談ですが、私、これを持ってあるくおじいちゃんおばあちゃんを見ると、でんでん太鼓を持って孫背負ってる姿を想像してしまうんです・・・


040720 (18)


040720 (16)
石のシルバーアクセもたくさん。ついつい目はいってしまいます。


040723 (10)
宿に飾ってあった刺繍。バングラのノクシカタみたいでかわいい。


040723 (14)
相方が買った薬・・・漢方薬みたいなもの??殺人的な大きさ。


040723 (8)

ラダックで見つけたお土産には、ネパール製のものがとても多い。チベットものはネパールやインド各地で手に入るし、デリーの物産店で手に入るものもたくさんある。渋谷に売っていたのもある。一体何が本当のラダック土産なんだか。。。



| 2004インド・ラダック | 10:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

レー1日目。

レー1日目 2007/7/13
マナーリー・レーロードでぐったりおつかれ、頭もじゃもじゃの2人は、その日12時間も寝ちゃいました。
・・・昨日と同じ靴下も履いちゃっていいですかね?

13 (9)
散歩マニアにとって、レーの大きさはまさにベストサイズ!!
メインバザールへの角を曲がった途端、現れたのがレー王宮!!散々写真で眺めたレーのシンボルです。
ああ、ありがたや~!!写真嫌いの相方も、この光景はしっかり写真に収めていた。


13 (7)
影になってしまったけど、道端には籠をかついだおばちゃんたちが野菜を売っています。その種類がとっても多くてびっくり。

それにしても、メインバザールは想像以上にカラフル!通りを飾る色とりどりのお土産屋さんやホテル、王宮の真下には、真っ白なかわいいモスクとポプラの木。
そして目の前に広がる真っ青な高地の空!
レーって、ほんとにうに色鮮やか。
多分、私のイメージするくぐもった土色のレーは、真冬のレーの姿なのだろう。
なんでも、この辺りで商売している人は他の地方からやって来たよそ者で、冬にはレーを去ってしまうため、ほとんどの店がクローズしてしまうのだとか。
街は「つまんない」ほど閑散としてしまうらしいが、でも、それが本当のレーの姿なら、ぜひともそんなレーの姿も見てみたい。


040723 (16)
カラフルな八百屋。


040723 (19)
あんず売りのおばちゃん。


040720 (20)
メインバザールにある郵便局。とっても古めかしい。後に相方が前世の夫と再会する聖地。


040723 (17)
商店街。


13 (10)
メインストリートは立派なおうちが並んでいる。


13 (11)
メインバザールの突き当たりにあるモスク。レーにはカシミーリーが多いので、ムスリムも多い。ここを左に曲がったところに銀行があります。



13 (14)
あらどこのヨーロッパかしら?


13 (20)
ジョカン前の交差点は、王宮がよく見渡せるポイント。店の軒下でのんびりウォッチングしていたら、どいつもこいつもうろうろうろうろ行ったり来たり。みんなほんとにすることがないんだね。私たちが言えたセリフではないけれど。


13 (17)
昨日マナーリーロードでママチャリこいでたひとだ!!無事着いたのねぇ。


040719 (56)
バスターミナルから町の中心に向かう道。マニ車のあるロータリーの先は、地元の人のバザール。


040723 (15)
バスターミナルから南に続く道。まっすぐ行くと空港やストックゴンパ。
バスターミナルから町へはだらだらと階段が続いていて、高地ではけっこうきつい。両脇に連なるお店をひやかしながら、のんびり行く。


13 (4)
裏通りの商店にて。


13 (3)
なぜか日本の着物女性のカレンダーが飾ってあった。


13 (5)
デジカメを撮って見せたら、パパや近所のおじさんたちの方がめちゃくちゃもりあがっていた。子供はきょとーん。


040720 (49)
病院はあちらですよ。


bbbbbbb leh ladakh 067
散々休憩しておいて、さらに懲りずにルーフトップレストランでお茶タイム。
インドと言えば、ルーフトップ。ルーフトップでチャイが大好きなのです。
レー1日目は、半径300M程度のお散歩だけで終わってしまった。

夜になって、ぐっと気温が下がった。春夏秋冬を一日で味わっているよう。
昨日の夜と同じレストランジェスモに行き、おいしいスープをいただく。
チャイを飲みつつ従業員とお話ししつつ数時間。
こんなにのんびり旅行できるなんて、なんて幸せ。

| 2004インド・ラダック | 00:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

LEH レー

LEH 2004/0712

マナーリー発の「ツーリストバス」の場合、一泊二日もかかるレーロード。でもキーロン発の私たちは、明るいうちにレーに到着することができた。すぐ高山病になる私にはナイスチョイスだった。
バス停で恐怖運転ドライバーと別れを告げ、いざレーの街へ。

レーの第一印象は「都会」。
ダラムサラより賑やかで、マナーリーより外国人観光客が多い。
土産物屋は露店も含めこれでもかという程乱立し、白人のじいさまばあさま観光客が高そうな絨毯を品定めしている。
はぁ、これが秘境か~・・・。。。

一大観光地、レーの繁華街の宿はどこも高くてちょっと困った。
客引に導かれ好立地にチェックインしたものの、客引きのマイケル富岡は恩着せがましく執拗に「部屋ディスカウントしたんだからうちのツアーデスクを使うのが常識だろう!」と、ひつじさんのアップリケのついたトレーナー姿で迫ってきてちょっと怖かった。


13 (22)
一番通ったレストラン・ジェスモ。
そろそろ冷えてくるころです。セーターをお忘れなく。


13 (2)
秘境(イメージ)

ACCESS
ジープ 1000RP キーロン発もマナーリー発も同じ。朝3時か4時発。レー着はその日の6時。
ローカルバスも同じ時間発。その日のうちにレーに着ける。

GUEST HOUSE
チベタンレストランの目の前のホテル。部屋は陰気臭いがレストランは高級らしい。ホットシャワーは時間が限られているが、断水はない。電気は停電が多いものの、必要な時はちゃんと供給されている。

そういえばレーではコンニチハ!といわれることより、アニョハセヨ!と言われることが多かったな。
アンニョンハセヨ!って言われて、「ジャパニだよ!アニョハセヨ!」って言ったら、混乱してた。

| 2004インド・ラダック | 22:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

マナーリー・レーロードを行く

LEH ROAD 2004/7/12

レー行きのジープが来るのは、夜中の3時。
食あたり&断食でやや衰弱気味の私たちは、荷造りもせずいつの間にか寝入ってしまったらしい。
気付いたら時間直前!慌てて荷造りしたのが悪かった。5000メートルの峠を何度も越えるために必要な十分な装備を揃えられずに、ちょっとそこまで行く格好で部屋を飛び出してしまった。

レーに向けて出発!!
まだ暗い中、宿の前にやってきたドライバーに、昨日宿の前にいたおっさんだった。
私は全く気付かなかったけど、相方はおやじを見てすぐに危機センサーが反応したらしい。というのも、私たちが頼んだ車はマナーリーから来る車で、マナーリー発と同じ料金を前払いしていたのだ。
むむむ~キーロンの旅行代理店のハンサムガイめ!だましたな!

料金騙されただけならまだいいけど、本当にレーまで行くのかさえ疑わしくなってきた。
外は真っ暗、どうにかされたらたまったもんじゃない。
とそこへ、例の有吉現る!
呼んでもいないのに有吉はまた勝手に会話に参加してきて、「お前らジープが嫌ならバスで行けよブース!!」と、言っていたとかいないとか。お前がいると話がややこしくなるんじゃい!!(〃*`Д´)

相方は、なんとかして「お前キーロン人だろう!マナーリーから来たわけじゃないんだから料金安くしろ!」と言いたかったらしいが、当時は2人で力を合わせても、「オマエココイタキノウココイタ」以上の主張はできず・・・無念。

そこへ他のバックパッカーが一人連れられてきたので、多分この車はレーまで行くだろうとひとまず納得する私たち。
ちなみに彼は例の新しすぎる宿から現れた。きっと有吉にだまされ(?)たのだろう。
人を疑うことがあまりなさそうなアイルランド人の彼に事の次第を説明するも、文句はないらしい。
そうこうしているうちにジープは出発し、高級ホテルから現れた3人の裕福そうなインド人トリオを乗せる。皆1000Rp払っているが文句はないらしい。
そして強制的に出発。

それにしても寒かった。あの時の車内の寒さ、今も思い出す。。。
しかも、ドアの隙間から冷たい風と砂埃が入ってくるんです。
そして、おっさん飛ばしすぎなんです。
外は真っ暗なのに・・・・!
多分右側は崖なのに・・・・・!!!!
頼むからこっちに寄りかからないで!!
ドアが開いたらあたい死んぢゃう!!!!
た~す~け~てぇぇぇぇ!!!!!

lehroad (4)
噂のおやじとがんばったTATA SUMO
首に変てこな銀のチョーカーをしていたので、二人ともよく覚えていたのだ。


キーロンから最初のチェックポイント・ダルチャまでは、緑の多い渓谷を川に沿って進む。
当然片側は崖で、真っ暗な中どんどんトラックを追い越し、いつ死んでもおかしくないような状況!
しかも太陽が現れるまでの魔の数時間は寒いのなんの!!フリース一枚じゃ到底耐えられない!が、アイルランド人はTシャツ一枚でも十分らしい。

ダルチャには食堂もあり、後ろをぴったりくっついて来たローカルバス(どれだけ恐怖運転してるだか)ともども、元気な人々は朝食タイム。
確かトイレは無く、青空トイレをきめる。

ダルチャを過ぎると、いよいよ一つ目の峠、バララチャ・ラへ。

峠を越える頃、東の空がだんだんと明るくなり、やがて朝日が山々を幻想的なまでに照らし出す。あまりの神々しさに、寒さも忘れて見入ってしまった。

lehroad (2)
写真集で見たような景色が、目の前に広がった瞬間

朝日でほんのり右の肩があたたまり出した頃、バラートプルに到着。宿と食堂を兼ねたテントがいくつか並ぶ夏だけの集落。
チベタンらしき顔つきの女性が気だるそうに現れチャイをすすめるが、この寒さでお茶を飲んだらすぐトイレに行きたくなるのでお断りする。

トイレといえば、もちろんトイレはないくせに、隠れる場所もない。なんとかショールで隠して、かなりの平地で用を足す。私至上、ここまで大胆な行動ははじめてだわ(*ノ-ノ)キャッ

lehroad (3)
バラートのテントダバ

バラートプル~セルチュ~ナキー・ラ~ラチュルン・ラ~パン

セルチュはマナーリー発のツーリストバス用のテントホテルが集まる地域。供給過剰な雰囲気が漂う。
若干標高が低いため、緑があるのと小川が流れていることから、ミーアキャットみたいな小動物も見られる。以外とでかくてかわいくない。
lehroad (5)
小さいのは、トイレテント


lehroad (10)
その後カッパドキアを思わせる奇岩の谷と二つの峠へ。
ガイドブックには一切ふれられていないのがなんとももったいない。こんな珍しい光景もムーンランドのめまぐるしく変わる景色にかき消されていまうのだろうか。


lehroad (8)


lehroad (9)
ちょりことさっきゲロった子。


ところどころにある橋の側には必ず砦や見張り小屋があり、軍人が銃をかまえていた。軍の駐屯地もそこら中にあり、レーロードを舗装するインド人(ビハールの人々だという。)のキャンプもいたるところで見られる。

lehroad (12)

彼らは私たち観光客のためだけに道を舗装しているのではない。この道は、軍用道路でもあるのだ。
いかにこの土地がインドにとって重要なのかが垣間見られる。

lehroad (14)

峠を二つ越えると、すぐにパンのテント集落へ。この先しばらくはテント集落もない。最後のパスポートチェックを済ませ、いよいよ幹線道路世界第二の峠、タグラン・ラへ!


パン~タグラン・ラ

lehroad (13)
パンを出発すると、ドライバー的絶景ポイント(写真)から、平原へ。
同じヒマラヤ山脈といえど、ネパール~チベットへの道と比べるとこちらの道は随分と山がちで雰囲気は全く異なる。唯一この辺りだけがチベットを思わせる低くゆるやかに連なる山と平原が望める場所。



平原を抜けると再び山の斜面を削り取った細い細い道へ。雹が降る道の向こうに広がるのは猿の惑星もしくはスターウォーズの世界そのもの。ムーンランドとは、うまいこと言ったもんだ。

そして5317mのタグラン・ラへ。
頭痛と動悸息切れで完全にダウン。この日のために仕入れた「食べる酸素」も全く意味ないデス・・・
インド人トリオだけが元気いっぱい記念撮影している。それを車中より苦しげに写真におさめるのが精一杯の私たち。ああ、一刻も早く、1センチでいいから標高を下げてくれ・・・・

leh1 ladakh 042
幹線道路の峠としては世界第2位の高さなのだとか。


lehroad (7)

この旅最大の難関を越えると、憧れのラダック文化圏へ!!
道を舗装するためにやってきた女性たちに水を分けたり、身一つで何もない山肌で羊を放牧させる人とすれ違いながら、九十九の道を一気に降りていく。
と、そこへ、ママチャリに乗ったジャージ姿のインド人が。 いや、その場所は峠に続く坂道の途中で、人が容易にやってくるようなところでは到底ないのだ。
そんなところでおやじがママチャリ!?
おやじの荷物はかごに入ったビニール袋だけ。はぁぁぁ??まさかのママチャリダー???

翌日、重装備の欧米人チャリダーとともに無事レーに到着した(!?)らしい彼に再び遭遇した。彼のママチャリのかごには○×トラベルのプレート、おやじはどうやらチャリダーのガイドらしい。
いくらその道に慣れたガイドといえど、ちょっと3丁目の風呂屋に行くような格好で走られた日にゃ、この日のためにわざわざ重装備してきた欧米人はやりきりないだろうに。


峠の向こうに広がるラダック

どんどんと標高が下がり、緑が増えて行くと、やがて現れる美しすぎるラダックの村!!濃い緑の麦畑と、ところどころに広がる黄色い花畑、小さなポプラの木と透き通った小川、チベット式の四角い家とマニ車、どうやらやっとラダックにたどり着いたらしい。
この後いくつもの村を見たが、この辺りの村ほど美しい村はなかった。

道が舗装され、勢いづいたドライバーの無謀運転で、スピンして崖の数センチ手前で停止&カーブで正面衝突直前危機一髪体験があったものの、一行は無事ジャンクションの町、ウプシへ。
ここまで来ればレーはもうすぐそこ!
そこで相方、標識を見て一言。
「マナーリーまで300キロだって、またこの道を帰るんだよ・・・」


ラダック

ウプシ以降レーまでは、ラダックの主要道路。
道もいいので、さっき死にそうになったばかりのドライバーがまた調子に乗った。
正気か?死ぬから。

交通の要所だけあり、軍事施設が恐ろしく多い。
有名なゴンパもこの道沿いに沢山ある。
思った以上に緑で潤った街もあり、ポプラ並木と低い石垣の小道でドライバーまたしても暴走。モナコグランプリな気分でした。

ACCESS
ジープ 1000RP キーロン発もマナーリー発も同じ。朝3時か4時発。レー着はその日の6時。
ローカルバスも同じ時間発。その日のうちにレーに着ける。

GUEST HOUSE
宿(テント)はレーロード前半に集中。

| 2004インド・ラダック | 20:51 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

キーロンで高地順応修行チュウ

KEYLONG 2004/7/11

04071011 (13)


04071011 (8)
ホテルのベランダからの眺め。この谷の向こうからやって来た。


キーロンは、マナーリー・レーロードにあって、緑豊かな谷間にある小さな町。
目が覚めてベランダに出れば、目の前に広がる雄大な雪山!!
ほとんどの旅行者が通り過ぎてしまう町だが、インド平原ともラダックとも違う、独特の雰囲気と自然に囲まれた静かな街です。ほんとにおすすめ!!

04071011 (10)
チベット風の民家とポプラの木。この光景、ときめきます。

今朝のメニューは昨晩ベットでひらめいたメニューをオーダー。
昨晩の夕飯で食べたチキンスープに、これまた昨晩相方が頼んでいたホットミルクを混ぜて、チキンクリームスープにしてもらおういう魂胆。
成功したら、もしやキーロン初、いや、インド初のチキンクリームスープ??

早速宿のレストランに走り、例の弱気なインド人にお願いしてみる。
(彼は弱気というか、インド人にしてはありえないくらい控えめなのだが、本当に感じのいい青年で、会えばいつもはにかみ笑顔で、インド人がみんな彼になったらいいと思う)

説明しても分からないようだったら自ら厨房入りする構えだったが、彼はその意味を一発で理解したらしく、すぐに希望通りのステキなチキンクリームスープがやってきた。

お味も想像以上の美味でございました^^
と、そこへプリプリご立腹の相方登場。 どうやら私が部屋を出たとき、外から扉の鍵を閉めてしまったらしい。相方は必死に叫んで隣の人に助けを求めて開けてもらったんだそう。
わわわ。すみませぬ~

何はともあれ無事生還。私の飲んでいるチキンスープを見て、相方も同じものを注文。
朝から満足いく食事にありつけてハッピ~


・・・のはずでしたが、
数時間後、外出先から猛ダッシュでトイレに駆け込む私と、同じ頃どこかの公衆トイレに駆け込む相方・・・。

今から思うと、緑が豊かとはいえ3000mを超える高地だったので、胃腸の機能が弱っていただけかもしれないな。
もちろん、わがまま言って作ってもらった上、味自体は絶品だったので、恨む気持ちは微塵もありませぬ。


キーロン散策

04071011 (12)
キーロンのバス停付近。すごく乾燥している。

キーロンは、レーへの幹線道路とそこから九十九折りのように連なる何段かの小道に沿って広がる街。マーケットは少し下の方で、このあたりにちょっと高い宿と旅行会社兼ネット屋がある。


マーケットには、色の白い人やラダッキーなど、色々な顔つきの人がいた。
さらに進むと対岸への橋などもあるそうだが、相方によると結構遠いらしい。対岸に見えるパゴタに行ってみたかったけど、高地にビクビクしてあまり行動はできなかった。

04071011 (14)
マーケットやネットカフェのある通り。


相方と別れて小さな街をのんびり散策。
道に迷っていたら、おばちゃんが真上を指さして宿のある道を教えてくれた。
しばらくすると今度は平成生まれのお嬢さんに出くわす。
アラハバードで覚えたヒンディ語で「名前なんていうの?」って聞いてみると、 女の子たちは「ヒンデイしゃべってる!へんなのー!!」と言わんばかりに大騒ぎ。
そんなに不思議??
ちょっと調子に乗った私。
女の子が名前を名乗ったので、さっそく「あなたの名前バフット(とても)スンダール(キレイね)」
と伝えてみると、彼女も私の名前を聞いて、キレイな名前と褒めてくれた。
すごい!ヒンディなんて10語ぐらいしか知らないのに、なんか会話が成立してる!!
ちょっとうれしかったので記念写真を一枚パシャリ。キレイな名前を忘れてしまったのが残念。

k_girl.jpg→靴下を履いたままビーサンを履くな。


さっきおばちゃんが指さしていた幹線道路に戻ると、下の道の脇にある民家の屋上からさっきのおばちゃんが洗濯を干していたのが見えた。
手を振って無事戻れたことを伝えると、花咲く屋根の上から、おばちゃんも手を振って答えてくれた。

いい町だ。


戦地まであとわずか

軍人さんを乗せたトラックの隊列が、幹線道路を通り過ぎていった。
トラックの荷台に腰掛けている軍人さんに手を振ると、恐い顔がほころんで揃って手を振返してくれた。
なんだかちょっとうれしくて、それを延々10台分ぐらい手を振り続けていた。

軍人さんたちはみんな笑顔だったけど、その手には大きな銃。
もしも戦争が無かったら、あの人たちの笑顔はムーンランドへ向かう喜びに変わっていたのだろう。

彼らを見送りながら、私はこの道が前線にもつながっている事を思い出していた。


高地の夜空
高地へ行ったら楽しみなのが、夜の星空。 空気がうすいと青空だけでなく星空も期待できるのです。
ベランダに椅子を並べてしばし夜空鑑賞。
キーロンは山がちなので、広大な星空とはいきませんが、しっかり天の川は見られました。
そういえば、何日か前に七夕だったっけね。そんなお伽ばなし作るぐらいなんだから、昔はきっと日本でも見ることができたんだろう。

あ、流れ星だ。

相方「ラブ・ラブ・ラブ!」

ベサさん、 お星様に願いは届いていましたか?


04071011 (15)

ムーンランドは遥か向こうに。


ACCESS
マナーリーから約7時間。ヒマーチャルプラデシュ州営バスが頻発。ローカルなので、色んなところで停まりまくる。

GUEST HOUSE
キーロンの宿は、主にバス停付近(安宿)と、階段を下ったマーケット辺り(ちょっと高級)。
キーロンを深夜に発つ人や、高地慣れしていない人には、マーケット周辺はちょっと大変。
私たちの泊まった宿(前ページ参照)は、確かゲストハウスの看板はないが、レストランが目印。バス停付近の宿では一番良かったし、ホットシャワーと水圧もそこそこ。ベットも清潔。

豆情報
マーケットには、激遅だがネット屋もある。
旅行会社は思ったほど多くはなく、レー行きのジープを扱う店は一軒しか見つからなかった。


| 2004インド・ラダック | 21:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ロータンラ~コクサル~キーロン

MANALI-ROHTANG LA-KEYLONG -2- ロータン・ラ~コクサル

04071011 (2)

04071011 (4)

ラフール・チャンドラ谷にて

ロータン・ラを越えるとバスは再び標高を下げ、一つ目のチェックポイント・コクサルがあるラフール・チャンドラ谷に向かう。

道は再び延々つづく九十九道。しかし素晴らしいことに、霧が晴れるにつれ現れたのは見事に雪化粧をほどこした山脈!!
いつか飛行機の上から見たことはあるけれど、地上に立って山の付け根からてっぺんまでを眺めているなんて、夢だか現実だか分かんなくなるぐらい感激した。

04071011 (3)

このあたりは高山植物の宝庫でもあり、赤や青・黄色・白の花々が咲き誇る。派手さはないが、その小ささがなんともはかなげで可憐で、高山植物に目覚めてしまった。

コクサルや前方の山脈には畑も現れる。
いくつか平屋造りの集落も見られ、いよいよラダック文化圏に近づいてきたことを感じずには入られない。
よく見ると山の斜面に畑が耕されている。
畑の作物を見ながら、相方はジャガイモと玉葱があれば生きていけるなんて言っていた。
んなこと言うと、ここに置いてっちゃうぞ。


コクサル
チャンドラ川の先にはまだ見ぬ秘境スピディが。
―スピディ
あの時に知って以来、スピディとラダックの分かれ道の光景を今でも忘れられずにいる。
いつか、あの分かれ道の反対側に行ってみたいという思いは、今だに消えていない。

バスはスピディを背に西へ西へ。
谷に入り最初の村、コクサルで休憩兼パスポートチェックを受ける。
恐い顔した軍人さんだったが、「アリガト!サヨナラ!」と言われた。

チェックポイントに便乗して、コクサルは数件のダバ(食堂)がある。
しかしトイレには鍵。なぜだ!!!
周囲を見回すも、民家がちらほら、繁みは無しという野トイレには最悪の設定。
絶対誰かに見られるYO!

と、そこへ困った顔の相方登場。
「さっき欧米人のおねぇちゃんの半ケツ見ちゃったよ~汗」
早速見てるし!!

峠を越えて間もないため、薬丸も私も相方も軽く頭痛気味。 酸欠がはじまったらしい。


コクサル~キーロン
コクサルを過ぎるとバスは谷を左手に西へ西へ。右側に座っていた私の横はひたすら崖側。反対側はまたしても雪を被った雄大な山脈。
景色は見えないわ、薬丸は相方に思い切り寄りかかってるわ、てっきりいいムードかと思ったわ。
相方によると、何度肘鉄しても倒れてくるのだとか。

薬丸の名誉のために補足すると、インド人は日本人ほど他人の体に触れることに敏感ではない。
それに薬丸は、私があげた飴のお返しにと、わざわざコクサルであめを買っていたのだ。
悪気がないやつほど手に負えないものはなし。相方には悪いけれど、私の体を気遣ってくれたお礼にしばし我慢ししていただくしかない。

この区間はというと、何キロ置きかにコクサルよりも大きめな村が点在しており、ラダック風に家並みがあるかと思えば、パキスタンの山奥を思わせる花柄のショールを巻いた女の人がいたり。
ラダックの象徴(個人的に)、ポプラの若い木が見られるようになるのもこのあたりから。

こんな山奥ではあるが、毎日マナーリーからのローカルバスが行き来しているせいか、それほど秘境な雰囲気はない。
それでもGONDHLAの村で絵本に出てきそうなぐらいかわいい「村の郵便屋さん」を見た時、相方が一言。
「ここで葉書出したら、うちらとどっちが先に日本にたどり着くだろう。」
本当に、一体何をどうやったら、この村から日本にモノが届けられるのだろう??


あの日から7年経った今、あの村を思い出す。
世界から忘れ去られたかのようなあの村で、今日も誰かが暮らしているのかな。
あの日確かにこの目であのかわいい郵便局を見たはずなのに、夢だったと言われても不思議でないような、秘境の中の小さな村。
まるで、すぐ目の前にあるのに掴めない何かみたい。
存在自体が夢か現か分からない。。。
ヒマラヤって、本当に不思議。掴んだはずなのに手のひらに残っていないモノをもう1度探すために、人はヒマラヤに帰っていくんじゃないかな。


やがてBHAGA川に沿い道が大きく北へ北へと反れていくと、いよいよ草木の姿が消え岩肌があらわになる。
ここまで来ればキーロンはすぐそこ。
地図を見て安堵していると、旅の道づれ薬丸が、キーロンの手前の村でもなんでもない工事現場のようなところで降りていった。
てっきりキーロンまで行くのだとばかり思っていたのに。

もしかしたら彼はマナーリーからこの山奥まで出稼ぎにきたのかもしれない。
マナーリーのバス停で、友人と何度も何度も手を握りあっていた彼の姿が思い出される。
その光景たるや、相方が「一体何年ぶりの再会だったんだろうね」とつぶやいたほど。
もしかしたら、数ヶ月に及ぶ別れと過酷な労働への不安が彼の気持ちをあそこまで高ぶらせたのかもしれない。

村も店も木々もない。
あるのは茶色く流れる川だけ。
小さな荷物を一つ持った彼は、色のない谷の中に消えていった。


キーロンは突然現れる

以前キーロンの全景を写した写真を見ていたので、その街が緑豊な山の斜面に広がっていることは知っていた。
しかし景色はいつまでも続く乾いた山。
まだまだこれが続くのかとうんざりしだした頃、仔牛が一匹ふらふらっと歩いてきた。
おや、こんなところに迷子の家畜が。

人の住むにおいを感じたその時、雪を被った山のふもとに大きな集落が現れた。
キーロンだ!

マナーリー以来の街らしい街だが、バスターミナルなるものは無く、バスは路上で停車。
キーロンでは眺めがいいというラサゲストハウスに泊まろうと決めていたが、運良くそれが目の前にあるではないか。
早速行ってみると、写真で見たような景色はいずこ??
トイレも部屋に無いという。胃腸の調子が悪い上、利尿作用の強い薬を飲まなくてはいけないので、あまり好ましくはない。

いつものようにその辺のレストランの前にバックパックを投げ出し、どうしたものかと放心していると、どこからか私たちの噂を聞きつけた客引きさんが。


有吉は各地に現れる

「・・・細身の体にセンターパーツ、そしてだみ声。あの顔であのだみ声って怪しいんだよね。」
やって来た客引きは、どこかチンピラ風で前に何度か騙された覚えのある顔だった。
※アジア全域にしばしば現れるこの人種の特徴は、皆顔が有吉に似ているため、以後私たちの間で有吉と省略されて呼ばれることになる。

余談だが、この人種がどうやら有吉であるらしいことは二人共通であることが判明すると、私たちの生活が素晴らしく快適になった。今までいちいち「目がぎょろってて、だみ声でしゃべり方もなんか悪そうな、ほら、あの、あんなかんじじゃん??」「あーねあーね、チンピラっぽくて、だみ声を強調するようなしゃべり方してて、人の話は聞かないでノープロブレムばかり言ってるやつだよね、分かる分かる。」が、
「アイツ有吉ってるよ」「うん、有吉入ってるね。あやしいね。」で済む。実に快適。

さて、有吉リコメンドの「新しくてきれい」な宿はというと、内装が完成しておらず部屋はコンクリートのグレイ一色だった。
新しいにもほどがある。

旅の鉄則第1 条→有吉を信用してはならない。

振り出しにもどって再び放心していると、ここのレストランの従業員らしき青年がものすごく控え目に話し掛けてきた。
どうやらここも宿を併設しているらしい。なんだ、早く言ってよ~。

山の斜面に建った宿なので、部屋の前には広いバルコニーがある。部屋も広くベットは清潔。インドでおなじみの染物の布をシーツがわりにしているのがかわいい。もちろんトイレもついている。

「二泊で450Rpでいいわ。」
青年が控え目なことをいいことに、いきなり私が50Rpのディスカウントを許可した。(すみませぬ汗)
しかしそんな私たちの横暴な態度にもかかわらず、彼は相変らず愛想はいいが控えめで、それでいて素晴らしく良く気の付く理想のインド人だった。

そんな雇われチーフ(推測)の彼が切り盛りする宿に滞在した二日間は次のログで。

ACCESS
マナーリーのバススタンドからローカルバスで80Rp、約7時間。頻発。
バスはさらに先まで進み、宿もかなり先まで点在している。

前日窓口で聞いたら予約はできないと言っていたが、席を持っている人たちに聞いたら「要予約」だとか。

マナーリー発レー行きのバスはキーロンで一泊して翌朝4時キーロン発。


GUEST HOUSE
NALWA PAIN
バス付きW250Rp ディスカウント可。ドミ有り。翌朝早くレーへ立つ地元客でいっぱいだった。

バス停の目の前のレストランの下。目の前は谷と山、左右に雪山が望める

04071011 (11)

| 2004インド・ラダック | 00:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

マナーリーからキーロンへの道①ロータン・ラ

MANALI-ROHTANG LA-KEYLONG -1- 2004/7/10     

マナーリーで一応?高地順応対策その①をしたら、いよいよラダックへ向けて出発。
多くのツーリストはマナーリーからレーまで一気に行ってしまうが、ヨレヨレな私たちは体の事を考え、途中のキーロン(3400m) で高地順応②することにした。
私、本当に百発百中高山病になるのでね。

キーロンまでは約7時間113Kmの短い移動。
途中4000m弱のロータン・ラ(峠)も待ち構えている。
この日の移動は、ヒマラヤ前面からヒマラヤ山脈に入る素晴らしく変化に富んだ移動で、どれだけ目に焼き付けてもまだ足りないぐらい素晴らしい景色が望めました。


マナーリーからキーロンへはヒマーチャルプラデシュ州営のローカルバス(!)で向かうことにする。
あの、ダラムサラからマナーリーにやってきたときに乗った路線バス再びですよ・・・・

キーロンからレーへはどうやって行けばいいのかはあまりよく分かっていないが、なんとかなるさ。
最悪ローカルバスもあるさ。


ところで昨日から高山病予防の薬を飲み始めた。
大して水分はとっていないのに、夜中に何度も目が覚めてトイレに行く羽目に。
こうやって新陳代謝を活発にしておくことが必要らしいが、寝不足もまた健康の敵。
ついでに水分補給をしないと脱水状態になってしまうので注意。

がしかし、移動中はトイレ休憩も1、2時間に1回のみ。
(ここの移動はそれでも休憩が多かった。インドのバスのトイレ休憩は恐ろしく少ない。3~4時間走りつづけることは当たり前。)
予防のためにも水分は取りたいが、いかんせんローカルバス。
仕方なく朝は薬飲まず。
ついでに胃腸の調子も悪いので断食。
日に日に疲れがたまって体調はあまり良くない。
峠越えに不安が募る。
大した高さではないものの、体調が悪いと高山病にかかりやすくなるのです・・・

悪循環に悩まされつつ、ともかく今日は恐怖のバス移動。
隣でポテトチップやらビスケットをむしゃむしゃ喰らう相方に若干嫉妬の炎を燃やしつつ、断食を決め込む今日の私の意志は強い。


バスがやって来ると、降りる客が降りきる前から我先にとインド人らがバスに乗り込む。
欧米人のねぇちゃんもドカンドカンと突き進む。
かよわい私たちがバスに乗り込んだ時にはすでに満席。
これは困った。キーロンまでの悪路を7時間立ちっぱはまずい・・・

「・・・きもちわるいの」

間違ってはいないが、ちょっと大げさにクラっとしてみた。
別に計算していたわけではないけれど、若くて元気そうな、でも私たちより年上風の男の子の前でやってみた。
そしたら英語の全く話せないくるくるパーマの後ろ髪だけ長い昔のやっくんみたいな腕出しジージャンを着ていたインド人が席を譲ってくれた。

神様シバ様ごめんなさいそしてありがとうインド人大好きインド万歳!!
親切にも相方の分まで席をくれて、となりの少年はおやじの膝の上に抱えられているが、とにかく神様シバ様ありがとう!!
でも気持ち悪い手前、あまり顔を上げてはまずい設定になってしまった。
頭からショールをかぶり、こっそり窓の外を眺め、旅は始まった。


マナーリーからロータン・ラ
04071011 (16)
緑がキレイな九十九折

ロータン・ラまでは緑の濃い山道をドライブ。
わずか 50Kmで標高は2000m上がるため、ひたすら九十九折の道が続く。
ロータン・ラはマナーリーに滞在するインド人にとっても人気の観光地のため、この道は交通量は激しい。
バスのくせに果敢に追い越しを繰り返す我がドライバー。
インド人よ、こんなときだけなぜ急ぐ。

04071011 (19)
眺めは素晴らしく美しく、緑の中に石垣や谷間の渓流、放牧されている馬や牛などを見ることができる。
防寒具を売る掘っ立て小屋がひたすら続くのも楽しい。遠くに見えた万年雪がどんどん迫ってくるのもおもしろい。
インドにこんなに美しい山があったなんて、信じられない。
インドはでかい。


04071011 (24)

04071011 (20)
写真のバスが我らが路線バス。ノンリクライニングの長いすなのです。

走り出して約1時間、ロータンラとの中間地点のドライブインで小休憩。
ここではパラセイリングができるらしい。沢にはパラソルも設置されている。ケーブル式のブランコまであるし。こんな山奥でこれでもかってほど商売してます。

出発するとすぐ、牛の死骸に群がるハゲタカを見た。
鳥葬の時を思い出す。
あの時は人間だったから気が付かなかったけど、鳥に喰われて無くなるってことは、つまりこういうことなんだ。

こうやって自然に土に戻っていくのは、思えば当然のサイクル、ごく自然な出来事。
鳥葬をやる理由について机の上で真面目に考えてた自分がばかばかしく思えた。


やがて木々が姿を消し、辺りが短い草に変わる。万年雪が目線の高さになり、雪の下を流れる川にかかる橋を渡る。空気が薄くなってきたからか、私も相方も薬丸も皆うとうととしてしまった。

そしてロータン・ラ。最初の峠に差し掛かる。
天気はあまりよくなく、雪の塊もちらほら見られるこの峠、マナーリーから一番近いだけあり、超俗物的で、インド人ツーリストがわんさか訪れ、馬に乗ってチョルテンのたなびく峠に向かうのがセオリーらしい。

馬遣いやレストランの従業員、そしてゴミモラルゼロのインド人ツーリストが捨てていったゴミがあたり一面溢れかえり、オイルの缶がゴロンゴロン転がっていた。


ACCESS
マナーリーのバススタンドからローカルバスで80Rp、約7時間。頻発。
バスはさらに先まで進み、宿もかなり先まで点在している。

前日窓口で聞いたら予約はできないと言っていたが、席を持っている人たちに聞いたら「要予約」だとか。

マナーリー発レー行きのバスはキーロンで一泊して翌朝4時キーロン発。

| 2004インド・ラダック | 23:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

温泉に行こう!VASHISHT バシシト小旅行

マナーリー&ヴァシシト 2004/7/9

ラダックに向け、今日は標高1800mのマナーリーで休養することにする。
マナーリーもダラムサラ同様夜は冷え込む。
ミノ(という名の寝袋)に包まれていると心地良くて、朝日が差し込んでも人々の喧騒が増してもなかなか出ることができません。
あと5分~~

この旅の間、平均睡眠時間10時間かも。

朝食はインド式で。
マナーリーの食堂は8:2でインド人向け。
インド人向けの店は朝からプーリー(薄く延ばした生地を揚げてふくらませた状態で食べる)とカレーセットが人気。
人が食べてるとおいしそうだから私たちも注文してみたけれど、おかげで朝から胃もたれが。。。

インドに来て一週間、このあたりから二人とも胃腸の調子が悪くなり、私も恒例の移動前断食を始める。
どちらかだけしか食べられなくとも、お互い容赦ない。鬼~!

けれどレーへの大移動に向け、大事に至らないうちに治しておかなければ。。。
せめて痩せてくれたら救われるのに、旅中はよく食べるので、差し引きゼロで終わるのです。

m_veg.jpg
マナーリーの野菜屋さん。
茄子、カリフラワー、オクラにトマトにかぼちゃ。
ここで食材を買って夏野菜カレーを作ってみたい


ご飯を食べてネット屋に行く。こんな田舎でもお店の女の子は画像付きでメッセしていた。しかも英語で。
店のおやじはスキー教室の先生らしく(インドのくせに、マナーリーからちょっと走れば万年雪なのです)長野オリンピックに来たことがあるのだとか。
ネットはというと、遅くて遅くて。
何度も途切れるし、ろくに作業はできなかったけれど、おやじはいい人だったので、途切れた分は随分割引してくれた。
インドの山奥はダイアルアップでアクセスポイントはデリーだという噂があるが、ホントなのでしょうか・・・


m_unique.jpg
ユニーク理容店。ユニークにされたら困る。
お客さん、なんで顔中クリーム塗られてるん??

続いて郵便局へ行く、というか行こうとしてみた。
たどり着いた入り口はどうやら裏口だったらしく、表に回れと言われる。
犬や床屋の写真を撮って、30メートルぐらいの間に数件並ぶチベット人経営の土産モノ店を覗いていたら、表口に行くのに1時間以上かかってしまった(汗)

裏道を通り宿へ帰ろうとしたら、西の方に万年雪の山が見え隠れしていた。
この時期のマナーリーは雨季真っ只中なため、展望はおろか雲がはけることすらなかったのに。

これはラッキー。
やらなくちゃいけない事なんて、何もない。
なんとなくそこを目指し、なんとなく上へ上へと歩いていく。
行くあてなんてないけれど、それこそ最高に贅沢な旅。
アドベンチャー!
どこだドラゴンボール!!!

って、あれ?もう行き止まりですか??

シェンロンを呼んだらプーアルにギャルのパンツって叫ばれた気分・・・



う~~~せっかく雪山を拝めるチャンスなのに。
この街はあまりにもごちゃごちゃしすぎていて、展望どころではない。

そこでもう夕刻ではあったが、山の上の温泉郷ヴァシシトに行ってみることにする。

ベアズ川を渡り、山を登ること約10分、ヴァシシトは予想外に外国人ツーリストが集まっていた。
どおりで下にヒッピーっぽい人が少なかったわけだ。
よく言われるバックパッカーの聖地とは、マナーリー市街からちょこっと離れたこっちのことだったらしい。

マナーリー (13)

マナーリー (10)

こんな涼しくて眺めのいい場所だった毎日まったりしてしまいたくもなる。
運良く雪山の雲は完全にはけて、すぐ目の前に白い山脈が迫りくる。あの向こうに私たちは向かうのですね・・・

で、温泉は?あたい、ちゃっかり巻きスカートとタオル持参なんだけど・・・

マナーリー (7)

・・・洗濯場ですか??

浴場らしき場を見るも。。。
・・・その、ため池?

温泉グッズを入れた買い物袋をぎゅっと握りしめた。
あのふんどしの欧米人サドゥーと、パンツはいたままのインド人と一緒に入るのですか??
ムリー!!

大いに落胆する私たちの横を爽やかな韓国人カップルが通りすぎていく。
「コニチワーニホン人デスカー」
「あら、ハングッサラムイムニダですか?アニョハセヨ。イルボンサラムですが何か。」
「ココ温泉ちがうアルよー洗濯するデスヨー」

私たちに諭すかのように、温泉水で彼の分まで洗濯する彼女。そんな彼女の写真を撮り続ける彼。
「キャッ熱イムニダ 」
「熱いキミもステキダハムニダ アハハハハ(ぱしゃりぱしゃり)」

イッラ~~~~
国でやれ、国で!!!

マナーリー (8)
カラフルな商店。
高地にいくと、ポテトチップとかのスナックの袋がパンパンになっている。


さて。気を取り直してヴァシシト観光。
ヴァシシトはマナーリーとは違い外国人向けの土産屋やレストランが多い。インド綿のかわいいエスニック服も売っているし、PCはXPで、CD焼いてもらった。(当時120Rp、かなり高め)

ルーフトップレストランからは周辺の山々の素晴らしい眺望。
ベアズ川が流れる谷、斜面に広がるりんご園がまぁなんてステキ!!こりゃぁ、欧米人がはまるのも無理はないな。またいつか来ることがあったら、きっと眺めのいい部屋を探して、ひねもす本でも読んで・・・って、ダラムサラでも言いましたね。


マナーリー (11)
このヘナは描くのでなく押すヘナ。さそり座の女、相方はサソリに挑戦。
やるのはとっても簡単なんだけど、すぐにひりひりして痛み出したそう。
毒でも入ってるんか??翌日にはサソリがぷくっと浮き上がり、やがて皮がむけカサブタに。一体何が入ってたいたんでしょう?
ちなみに寒い寒いレーにおいて、二の腕のサソリが日の目を浴びることはなかった。
気の毒に。

マナーリー (12)
観光に来ていた家族。写真を撮らせてくれました。

夕方からの観光にもかかわらず、なかなか濃い場所だったヴァシシト。
マナーリー市街に戻り、今夜はメインロードの一番はじっこにある高級めのレストランに入ってみることにする。
エアコンも効いていて、バーカウンターもあり、日本のファミレスなんかよりも全然ステキな作り。
でも停電してたけど。

昨日から散々匂いだけかがされていたシズラーとやらを注文。
んま!鶏の身が簡単にほぐれる!
チャパティー片手におしゃべりな二人がほとんど話しもせず無心で喰いまくった。
そういえば私断食中だったんだっけ?まあいっか。んまんま。

もちろんこんな重たいもん食べてダイジョブなわけがない。
深夜のトイレでため息一つ、女24歳、只今(当時)食べ盛りデス。

追記)ホテルの部屋のこととか全然覚えていないけど、この時のトイレの光景はなんとなく覚えている。きっとよっぽど苦しい思いをしたのでしょう。気の毒に。(自業自得だが。)

ACCESS
ヴァシシト
マナーリーからオートで40Rp(FIXプライス)



GUEST HOUSE
マナーリーに滞在する多くのツーリストはヴァシシトに宿を取る。眺めのいい宿はたくさんあったのでいつかここにも滞在してみたい。


| 2004インド・ラダック | 16:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

クル~マナーリー

MANALI -1- 2004/7/8

ダラムサラからの道は悪路の上、止まない雨で土砂崩れがあったらしい。途中で数時間足止めを喰らうも、次に目が覚めた時カッパの前に広がっていたのは緑美しいクル渓谷の山々だった。
カッパ感激。

雨は止んでいたが、マナーリーに向けて標高はぐんぐん上がっている。

途中通過した町、クルは、ガイドブックにも載っていて、インド人にとってマナーリーやマンディに並ぶ人気の観光地らしい。
道に沿いかなり大きく広がっているため、ここに宿を取るとしたらどこに泊まっていいのかさっぱり分からないだろうなぁ。

この辺りで感動したのは沢山のりんご園。名産らしい。
さるすべりやノウゼンカヅラ、キョウチクトウなど実家の庭に生えてる花も沢山咲いていた。
なんだかとってもピースフル。なんだかとってもふるさとのかほり。
ここはもう温帯地域。灼熱のデリーと同じ国とはとても思えない。


そうこうしているうちに、オンボロバスはやっとのことでマナーリーに到着。
マナーリーというのは昔からガイドブックで知ってはいたが、高原の静かな避暑地だと思っていた。
しかし実際はインド人観光客がこぞって押し寄せる一大観光地。
ものすごい数のホテルと、ものすごい数のラブラブカップル。。。新婚旅行のメッカなのだそうですヨ。


マナーリー (1)
インド人のおじさん(イメージどおり!?)

バスターミナルに着くとネパリーの帽子をかぶったおじさんが客引いてきた。どこに泊まっていいやら検討もつかないし、こんな時は大人しく客引かれる。
ここから近い?バックパックがあるから丘の上はイヤですよ。
一人100ルピーでホットシャワーついてる?

「ノープロブレム。歩いて5分近い近い。ナイスガーデン・めにーめにーふらわーキミたちモーニングラッキー朝一番のお客さまハッピー割引きノープロブレムノープロブレム」



・・・で、かれこれ15分歩いてるんですけど。

とそこへ超小汚いちっこい人がやってきて、いきなりニホンゴで「いくらですか?」と訪ねてきた。
??
タイ人?ニホンゴうまくない?
「なんか安いっていうから来たんすけど。」

え?日本人すか!?

浅黒くてげっそり痩せてて貧相でどこからどう見ても日本人じゃなさそうなこの男、どうやら正真正銘の日本人らしい。
旅するには安全そうだが、いくら長旅とはいえ、清潔感は保ていてほしいというのが、時々日本からやってくる旅人の率直な意見である。


で、結局ホテルは街から遠いし、値段も言い値通りじゃないし、渋り出すといい人ヅラだったおやじの目の色が変わってきた。こういう時はさっさとさよならするに限る。

しかし・・・山口県民といいチベタンといい、今回ムコ探し運全然ツイていないのである。

「やっぱインドじゃまともなのは無理なのかな~。」

今さらですが、まともを求めるならインドに来るな


突然ですが、宿探しポイントなるものは。
短い滞在の時は景色より便利さ優先で。
バスターミナルから近く食堂街や旅行会社に行くのも便利な場所を選びます。
バックパックを背負って歩きまわるほど元気でない。

フロントの陰気さ加減でなんとなく危機管理センサーが反応したら即却下。
誰かと旅をしていると、決める時はお互い決定権を譲り合うくせに、キケンな空気を感じるのは一緒だったりするのが不思議。

2~3軒見ても決まらないと、ケンカになる前にとっとと茶にしてしまう。
あせらずのんびりチャイを飲んで、いやいやガイドブックを開いたあたりで、不思議とどこからか私たちの姿を嗅ぎつけた客引きがポンと好条件を出し、あっけなく交渉成立してしまうことも多いのです。

この日も超好立地でナイスなお宿を、なんと250Rpもまけてもらい無事チェックイン。
なぜだか今だに謎だけど、強いて言えばテレビはつかなかったけど、なんといってもパンフレットがあるくらいまともな宿に 250Rpで泊まれるとは。
ムコ運は悪いけど、旅運は本日も絶好調♪


マナーリー (3)
マナーリーのバスターミナルで 神様人形付小箱を持って布施をねだる子
この地方ではこうして物乞いするらしい


マナーリー
名物フードはパニール包み焼。 フェンネル入りでクセがある。
アイスクリームとポップコーンがブーム。
フレーバーもいっぱいありマス


マナーリー (2)
マナーリーでの夕食は、チキンチョウメンとコーンスープ
北のスープはなぜかうまい!

街はインド人観光客相手の土産屋(特に厚手の布に見事な刺繍がほどこされたサリーやパシュミナショール類)と飲食店・軽食屋台が並ぶ。

レーへの起点でもあるため、旅行代理店も多い。
チベット人難民も多く住んでいるので、チベットの土産ものを探すのも楽しい。
もちろんチベット料理も食べられる。
日本のミズタキなんてものもあったが、すでに鍋に入って出てくるのでスープ状態。
シズラーという鉄板焼が名物らしい。
すんごいボリュームでおいしい野菜とお肉・激ウマソースであっという間に完食☆おすすめです♪


マナーリー (5)
食後はやっぱりチャイでしょう。
ミルクだけでなく、カラダにやさしいジンジャーティーなどもあるのです。


leh1 ladakh 001
食後は粗目砂糖とフェンネルを噛むのがインドの習慣。
フェンネル、(何でも食べられる私としては非常にめずらしく)苦手なんですけど、これはこれで今となってはなつかしの味。
最近は日本のインド料理店でも普通に出てくることが多い。

ACCESS
ダラムサラ
ダラムサラからの州営バスは昼間と夜行が一台づつ。
デリーからはクルやマンディを経由。

GUEST HOUSE
SAWAN residency
W250Rp
下のレストランでウダウダなやんでいたら大幅ディスカウントしてくれた。部屋は狭いが、バルコニーがある。メイン通りもすぐ近くてとても便利な場所。トイレの窓から塀の高い学校の中の様子がよく見える。


| 2004インド・ラダック | 14:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ダラムサラからマナーリーへ。

7月7日七夕ですね。
ダラムサラ2日目、日本を出発して5日ぶりにベットで寝ました。
ダラムサラの夜は冷え込むため、この旅のために買った寝袋ミノ1号を出動させる。
寝袋持参の旅人って旅慣れたイメージ♪で、また一歩旅人らしくなった自分に若干酔っていた節あり。

04070607 (15)
クンガゲストハウス(当時W250Rp)
とても明るく清潔。眺めのいい部屋とルーフトップレストラン併設。おすすめ

04070607 (31)

04070607 (26)

朝は皆でのんびりルーフトップレストランで食事をする。
欧米人が多いだけあり、ケーキ類・パイ・キッシュ・ラザニアなどもどきものが豊富。見た目はどれも食欲をそそるけど、どいつもこいつもかたい。

04070607 (16)

04070607 (29)
どことなくダージリンとか、ネパールの山を思い出す町並み。
こういうところ、好きです。
今度は何もせずに、ひねもすチャイ片手に本でも読んで過ごしたい。


ダラムサラにはもう少し滞在してみたかったけど、やることがなくなりそうなので早くも今日の夜行でマナーリーに立つことにする。
州立バスのチケットオフィスに行こうとしたら人々が寄ってたかってプライベートバスチケットを売ろうとする。どいつもこいつも 「CLOSEした」は常套句。
右を見ればほらほら、開いてるし。

バスの時間までお互いフラフラしてみることにする。
私はチベット難民を支援する団体「ルンタハウス」に日本から持ってきた衣類を渡しに行く。
スタッフによると今なおチベット本土からの難民はあとを断たないのだとか。
そんな人々への衣類が不足しているらしいが、チベット人は思ってる以上に財力があるため、わざわざ外国人に援助を求めなくてもやっていけそうだと思ったのは私だけ??
ほんとのところはどうなんだろか。

救援物資はあんまりありがたがられなかったようだけど、少なくともうちにあるよりはマシだろう。

・・・ほんとのところはどうなんだろか。

迷って同じ道を行ったり来たりしていたら知り合いが6人ぐらいできていた。
「オチカレサマデ~ス」って励まされちゃったよ(;´д`)

相方は近郊の滝まで小トレッキングに出掛けた。
岩山のてっぺんで笛を吹くお坊様に会ったらしく、いたく感動して帰ってきた。


チベタンにインタビューしてみました
04070607 (17)
眺めのいいチャイ屋にてチベット人らしい顔をした男の子
チャイ屋で知らない人と文化や習慣の話をするのがとても好きです。
ということでイケメンのチベタン二人組に無理矢理話しかけてみました。
お連れさまの女性陣を横目に。

彼らの名前はテンジンさん。チベット人にはテンジンさんがやたらと多い。(※ブッティストネームらしい。)
難民2世か3世で、マイソール近郊のチベタン難民キャンプ出身とのこと。(※ダラムサラが手狭になったため、南インドにもかなりの数の亡命コミュニティーがあるらしい。)

インスティテュートを出て、出稼ぎでダラムサラ亡命政府の教育省と情報省で働いているのだとか。
おお、国家公務員か!?

二人とも国を知らないけど、国のために働いていることを誇りに思っているからこそ、家族から離れて働くことも苦にならないんだろう。
ついでにマイソールは死ぬほど暑いからダラムサラが好きなのだそう。

難民キャンプが南インドに開かれた当初、寒いチベットの人たちは適応するのが大変だったと聞いたことがある。ダラムサラは地形的にも決して恵まれているとはいえないけれど、それでもチベット人にとっては大切な土地なんだろうな。

熱心なブッティストの彼らに私たちの宗教を聞かれた。
「無宗教です」と答えると、相方が一言。
「地図帳には90%ブッティストって書いてあるんだけどね」
まじで。
「だって、ばぁちゃんちとか必ず仏壇あるし、墓に入れば寺の檀家に入るわけだし。」
まじでまじで?私仏教の教えなんてなんも知らないよ。

そんな私たちに彼らは一言。
「肝心なのは心の問題だよ。心をまっすぐにしてくれるものがあれば、どんな宗教かなんて問題じゃない。僕達はたまたま仏教だっただけだよ」

敬虔な仏教徒の彼らがこう断言するのはちょっと驚きだった。

21世紀になった今でも、人々は異なる宗教を牽制し合い、信仰のない私にとって宗教とは心を縛るマイナスイメージがつきまとっていた。
でももし色んな宗教を持つ人々が皆そういう意識を持ってたら、世界はもう少し平和になってたんじゃないかな。

「ところでダライラマは今病気で彼の家で寝込んでるんだよ。残念だったね。」
なんですと!?

「ダライラマに会った時は幸せで一杯だったよ」と言い残し彼らは爽やかに去っていった。

え~!いたの~!?
残念だけれど、ほとんどダラムサラにはいないダライラマと同じ街にいることだけでもありがたいことだ。
生きた観音様を慕うというのは、そういこと。アイドルに会うのとは訳が違うんだから。
でもやっぱり惜しかったな~。


マナーリーへ向けて出発

雨宿りをしながらネパールから来たというチベタンの兄妹に出会う。
亡命チベット人はうちの母親の世代から皆大変よく教育されていて、誰も彼も流暢に英語を話す。
「会えてよかった、良い旅を!」
「こちらこそ、あなたも気をつけて」

デラックスバスを横目に指定されたのは州営のローカルバス。
日本の路線バスみたいなノーリクライニング長椅子バスで、長距離走るにもかかわらず通勤通学の人たちが次から次へと出たり入ったり。
これはまるで路線バス(>_<)
雨で窓は開けられず、通路までぎゅうぎゅうの親父たちの熱気がムンムン充満している。クセー!!

荷物を置く場所はないので、自分たちの席の足を置く場所にバックパックを置いて、間に片足を押し込み、もう一方をバックパックの上に乗せる。
前が出口だからバックパックに足のっけて伸ばせるよ。超ラッキー(?)

荷台にも乗った。座席がお尻の半分ぐらいしかない車にも乗った。
席がなくて運転手の真横に体育座りしていたこともあった。それから比べれば・・・

隣の欧米人のおねぇさんたちは荷物を通路に置かざるを得ず次から次へと乗っては降りる人々に散々踏みつけられていた。
「・・・バックパックが踏まれてないだけましだよ・・・」

ところがやがて雨が激さを増し、今度はそこら中から雨漏りしだす。
気にせず寝てたら起きた時全身びっしょり!なんじゃこりゃー!!
たまらず相方の雨ガエル色のカッパを借りて着る私。
わたくしバスの中で雨に打たれてマス。何の修行なのでしょうか。

そんな私の横にいたはずの相方が突然消えた!
イスに手すりがないため、気を緩めると振り落とされてゴロリンと転がっていってしまうらしい。

その後も相方は何度か突然消えていた。
あとで聞いたら欧米人のおねぇちゃんも尼さんも、通路側の人は皆一通りぴょーんと飛んできたそうな。

やばい、このバスすごい楽しい・・・

しかも外は星空かと思うほどひたすら続く蛍の群れ!
最初はずっと家並みがあるのかと思ったほど。
まるでクリスマスツリー。

修行の身ではありますが、なんだかとっても貧乏旅行している実感が沸く道中でした。
まー、もう二度と嫌ですけど。


ダラムサラ~マナーリー
212Rp/ヒマーチャルプラデーシュ州営バス

夕方アッパーダラムサラ発。ロワーダラムサラのバス停・クル経由で翌朝マナーリー着。この道は崖崩れが非常に多い悪路。

| 2004インド・ラダック | 23:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

DHARAMSALAダラムサラでダライラマのお誕生日会

7月6日
ダラムサラ・マクロードガンジ
恐ろしく揺れるバスの中、目が覚めてふと窓の外を眺めると崖だった。きゃぁ~。
道はすこぶる悪く、鞭打ち状態で上ダラムサラに当たるマクロードガンジに到着。
下ダラムサラからの景色は相当綺麗だけれど、いつ落ちるかも分からないのが難点。

ダラムサラはチベット亡命政権が置かれているインド北部の小さな街。ダライラマの住居もここにあり、山を削り取るように広がる街に多くのチベタン難民が生活している。
04070607 (30)


04070607 (9)

04070607 (6)

04070607 (11)
山を切り開いて作られた街だけあり、雰囲気はダージリンに似ている。
外国人相手の店が多い点では、カトマンドゥの雰囲気も兼ね備えているような。
お土産屋さんもいっぱいあり、散歩が楽しい街。

それ何よりうれしいのは気候!!灼熱のデリーからわずか一日、上着無しではいささか肌寒いくらい。


ダライラマのバースデー

04070607 (4)
多くの旅行者がこぞってダラムサラに向かう理由の一つに、チベットの人々にとって偉大なる指導者であり、心のよりどころ、生き神様でもあるダライラマとの謁見のチャンスが挙げられる。
しかし多忙なダライラマに謁見できるチャンスは月に数回だけなのだとか。
会えるか会えないかは運次第。。。

ラッキーなことにこの日はダライラマの誕生日で、街ではお祝いの祭りが開かれていた。
おかまのカナダ人によると、残念ながらダライラマは現在スペイン訪問中なのだとか。
せっかくのチャンスだったのに!!

とにかく宿に着くや否やお祭りに出掛けることにする。
カンパのイケメンが民族衣装着てる!!来て良かった~
街には沢山チベット難民やお坊さん、シーク教徒に金持ちインド人、モモを蒸かす屋台やらハリジャンだと思われる物乞い集団、そしてものすごい数の外国人ツーリスト。もう何がなんだか分からない、ここは一体何国だー??

04070607 (5)


04070607 (3)


04070607 (7)
お坊様も沢山
とてもインドだとは思えない、多国籍すぎる街だけど、きっとみんなダライラマのお誕生日を祝福している。それだけ分かれば十分だ。


04070607.jpg
ラマ不在のお誕生日会場。

ここは決してチベット人の国ではない。彼らがここにいる限り、彼らに真の平和は訪れない。
それでもこの小さな街で祖国を追われた人々が再び集まり一人の指導者を祝福する姿に、消えることのないチベット人の絆と誇りを見たような気がした。


お誕生日記念コンサートを見に行く

今夜街で有名なロック兄弟のコンサートがあるらしい。さっそくバスで居合わせた日本人ヒロさんと 3人で出掛けてみることに。
ライブ会場は『ちょっと歩いたトコにある』山の上の学校の体育館。ちょっとそこまでかれこれ20分小トレッキングしてるんですけど。

こんな山中に誰が見に来るんだよ!!と思ったらなんと学校には町中の欧米人ツーリストが集まったんじゃと思うくらい沢山の観客!!欧米人ってほんとおもしろそうなことにはよく喰い付くよ。

04070607 (24)
やへへへへ~♪という歌をうたう人。

04070607 (21)
よく見ると坊さんも沢山!!坊主にコンサートっていんですか!?
坊さん『たのしー!』

変な余興となぜか欧米人のDJ、民族音楽のあとにトランス流すとかってありなんか・・・調子に乗って踊り出すツーリストはあのふざけたイスラエリーカップルだった・・・

04070607 (25)
そして本日のトリは我らがjjiイグザエルブラザーズ 。
「悪いのは中国人じゃない、 fuckin'中国政府だ!!」
今ダラムサラで一番ナウいバンドだけあり、坊主大はしゃぎ。
メッセージ性の強い曲を英語で歌ったりする。
今まさに歴史の一こまを生きる人々の歌ううたはさすがに説得力がある。

がそれもつかの間、土臭いミドルテンポのチベタン歌謡曲が延々続き、いよいよ飽きてうとうとしてきたところでなぜかNIRVANA。
欧米人、そして私とヒロさん、喰い付く。
ここはインドの山奥だけれど、ここはアメリカじゃないけれど、ぶっちゃけもっと早くやってくれー!!!

おなかいっぱい。真夜中真っ暗な山道、前を行く誰かの懐中電灯を頼りにとぼとぼ山を降りる。
ふと見下ろすとダラムサラの夜景。

今日は偉大なるダライラマの誕生日。
老いも若きも難民も坊さんもガイジンも、みんなみんな祝福している。


悪いのは中国人じゃなくて中国政府。

ブラザーズも叫んでた言葉。
中国政府がチベットにした仕打ちを知れば、誰だって中国人全体を軽蔑してしまうと思います。
でも、何億もいる人の中でほんとに酷いことをしたのはほんのわずかな人々です。
ダライラマも漢民族が皆悪い人たちだと思うのは間違いなのだと自伝の中で書き示しています。
悪いのは政府にコントロールされたほんの一部の人たちだけ。
だから中国人を憎んではいけない。
憎んで憎み返してでは何も始まらないし、ましてや何一つ終わらない。
ダライラマも亡命2世3世の若者たちも一生懸命そう自分に言い聞かせているはずです。

頭で分かっているけれど、時々私は間違いを犯しそうになります。
だから時々この言葉を思い出しては、判断を見失わないようにしています。

| 2004インド・ラダック | 22:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

デリーのチベタン居住区など。

2004年7月5日
アラハバードからの夜行列車に揺られながら目が覚める。朝日がまぶしいぜ。ついでにインド名物朝トイレの光景が目にしみます(涙)

さて、今日は昨日のようにギリギリまで寝てるわけにはいかない。
列車でチャイを飲まなくては!!

列車のチャイは薄すぎるけど、朝一のあったかいチャイほど旅人モードを盛り上げてくれるものはない。
あの『チャ~イ~』っていう、声帯を震わせるようなチャイ売りの独特の声がいいよね。

チャイを飲みつつ、早速習ったばかりのヒンディを使ってみる。
「やはんかはんへぇ??」(ここはどこ??)
「デリー」
もう着いてるんかい。

再びニューデリーに舞い戻り、宿に戻ると、相方のマシンガントーク炸裂。
要約すると、「タージマハルとリスを一緒に撮る為にリス待ちしてたらインド人が不思議に見ていて列車の中でインド人は皆親切で子供のまつげは長い」らしい。

楽しくて何より。
出発 (9)
インド女性がおでこにしてるやつ。シール式。


今日はまたしても夜行移動でダラムサラに向かう。
ハレラマゲストハウスのルーフトップレストランでだらだらして、チケット取って、メインバザールでふらふら。
今日は雨が降ったので涼しいが、道は泥と雨と牛糞がミックスされて恐ろしいことになっていた。

IMGP0077.jpg
インドでヘナってみました。

兄弟でやってる路上ヘナ屋さんにて。
彼らの母親たちは相当すごいヘナ遣いらしが彼らもはまだペーペーのひよっこ。
けれど、自分でやってみたらまっすぐ同じ太さに線を引くのはかなり大変!!
デザインも自分で考えていると言っていたけれど、これもまた自分で図案を書いてみてすごく難しかったデス。
しっかり乾かしたので2週間ぐらいもったけど、色は茶色になってしまった。


物乞い組合について

インドは物乞いが喰っていける国だ、と昔聞いたことがある。物乞いには物乞い組合なるものがあり、なんでもそこにいれば喰いっぱぐれることはないのだとか。
ほんとかどうかは知らないけど、メインバザールにもまた沢山の物乞いがいる。
目につくのは障害を持った人々で、足がない人なんかは泥まみれになって手で人とリキシャーと牛とバイクが溢れるバザールを歩きまわっている。

その中に一人、まだ7歳ぐらいの足の無い男の子が宿の前で物乞いをしていた。
笑うとかわいくてちょっとだけ仲良くなったから、最後に小銭を渡すことにした。
しかし見ていると男の子はその小銭を宿の主に渡していた。
羽振りのいいガイジンが出入りするこの宿で物乞いをする代わりに、主はこんなに小さな子からも場所代を取っているのか。
ほんとのところは分からないけど、次に会った時彼はいつもみたいににこっと笑ったけど、その日はもう私に小銭をねだることはなかった。
もしかしたら、彼の食べるものぐらいは世話してあげてるのかな。


ダラムサラに向けて出発

ダラムサラは欧米人に人気の観光地だけあり、ツーリストバスが多数出ている。
ツーリストバスというのは後ろに荷物を預けると荷物フィーなるものを要求されて、大抵一人や二人キレている。
私たちか弱い日本人乙女はもちろんインド人の格好のターゲット。
なぜかぬれているシートに座れと言われてしまった。
私たちか弱い日本人、
「あっちのガイジンが嫌だって言ったからってうちらに変な席座らせる気!?」

日本人だからって、おなめにならないでね。
次にあてがわれた席はちゃんとしていたが、隣のイスラエル人カップルがいきなり踊りだしたりして、どちらにしろあまりツイてないらしい。

ついでに道はデリーだというのに恐ろしくボコボコ。体が飛ぶ。デリーでこれって、この先はどうなるんだ!?


IMGP0078.jpg
チベタン居住区

バスはまずデリー郊外のチベタン居住区に寄る。ここで客の半分であるチベタンツーリストを乗せるらしい。
デリーのチベタン居住区チベタンはお金持ちだと聞くけれど、ここもまた立派なアパートが沢山建ち並んでいた。

さっき小躍りしていた隣のイスラエリーの女はもう吐いた。早すぎ。

バスに東洋人がいたので話し掛けてみたら日本人だった。男子だ。婿候補!?出身地を聞いたら山口県だった。却下。

やがてバスは走り出し、日が暮れた。
イスラエル人の男が突然「ここはどこか知ってるか?」と聞いてきた。
知るか!!

深夜突然爆発音がして火花が散った。
テロ!?
イスラエル人カップルの所でバスが隣を走るバスと接触しているらしい。
さっき上げてた女が爆笑していた。
爆発が日常的な国の女はすごい。

ドライブインに到着した。
おかまのカナダ人が話しかけてきた。
チベタンの赤ちゃんをあやしている彼は、台湾に留学していたため、東洋人に親しみを感じているらしい。
いいことだ。
私たち「赤ちゃんかわいいねー」
おかまのカナダ人「そうなの~。チベタンの赤ちゃんがほしいの~~~」
なんですと!?
赤ちゃんが泣き出した。身の危険を感じたらしい。

バスは相変らずすごい揺れ。さらにいつしか山岳地帯に突入。
うとうとしては飛んで起きての繰り返しで今日は終わる。


ACCESS デリー~ダラムサラ
250Rp/tourist bus
4時半発、翌9時頃マクロードガンジ着

| 2004インド・ラダック | 22:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ALLAHABADアラハバード

2004年7月4日 インド2日目。

起きたら着いていた。
インドの列車はよく眠れます。

さて、次なる課題は無事友人であるKちゃんの住む学校までたどり着くこと。
学校へはオートで100Rpだとか。
最初に私を見つけたオート運ちゃんが80でいいって言ったので乗ってみる。
このおっさん、ほんとにアグリカルチャインスティテュート分かってんのか??

アラハバードの街
アラハバードはバラナシから約50キロほどの都市。
3つの川が重なり合うヒンドゥ教の聖地でもある。
旅行者にはクンブメラなどヒンドゥのお祭りで有名だが、それ以外の目的でわざわざ訪れるような場所ではない。
あとで聞いた話では、この街にわざわざやって来る日本人は大抵インスティテュート関連の人で、リキシャーワラーたちもそのことをわきまえているのだとか。

街の雰囲気はというと、インドでも稀に見るボロボロさ・・・
すんごい。
口半開きで街の姿を眺める。
それなりに大きな都市であるはずなのに、その駅前通りですらまるで大地震のあとみたいな荒れ方だった。
インドで最も貧しいとされるビハール州のガヤーでさえ、ここまで荒れてはいなかったのでは。
Kちゃんはこのぼろぼろの聖地で3年を過ごすのだという。

それでも街の中を走る数十分間、朝市やヤムナー川の魚売り、木陰の集落や通勤する沢山の人々の姿を見て、すぐにこの街の印象は変わってしまった。

なんだ、この街はしっかり生きてじゃないか。

確かにお世辞にも豊とはいえない街だけど、インドの多くの街と変わらず、この街にも人々の声が飛び交い、笑顔があり、花があり、インド音楽がけたたましく響き渡り、そしてこれでもかってほど人がいる。

そうと分かると、インドの一都市に3年も住めるKちゃんが妙にうらやましくなってしまった。


再会
ヤムナー川にかかる橋は橋なのになぜか未舗装、ボコボコなので車はみんなのろのろ運転。
チャリンコに追い越され、子供がキャッキャ言いながら飛び乗ってくる。
遠くの方に立派な吊り橋が見える。韓国の援助なのだとか。

川を無事渡りきると、家はどんどん粗末になり、緑の荒地だらけになってくる。
それでも人がうようよ。インドって、インドって、なんでこんなにどこまでも人が多いんだ・・・

言われた通り学院の構内をつっきり、Kちゃんの宿舎に横付けし、再会もつかの間、リキシャーマンが100だ、100よこせ~と叫んでいる。
予想通りにトラブル。さっき80って言ったのに!!

とそこへ、Kちゃんがペラペラ~とヒンディでリキシャーマンをたしなめだした。
たった3ヶ月でなんでそんなに!?ってぐらい、ぺらぺらと!帰りに向かえに来てくれたらその時は100払うということで、80で落着、着いたそうそうけいちゃんに50Rpを借り落着。

なんでもここに来る前3ヶ月、シムラーでホームスティをしつつみっちり語学レッスンを受けたのだとか。
もともと語学に長けている人だが、素晴らしい!
24歳からでもまだまだ遅くはないのですね!!


さっそく日本から持参したお土産を渡す。
みそに醤油にかつおぶしにおせんべい。
以前私が長旅をしていた時、けいちゃんもまた私に沢山の救援物資をかついできてくれたことがあったため、今回はその恩返しの旅でもあるのです。


アルフレットと教授ファミリー
同僚のイギリス人教授のファミリーに朝ご飯をご馳走になる。家族は奥さんと 10歳ぐらいの男の子の3人家族で、男の子はじきに南インドの全寮制のインターナショナルスクールに入るのだとか。
寂しくないのかな。この部屋なら家族3人暮らせるのに。

客がいるからだかなんだか知らないが、息子はよくお手伝いをして、私の食事の世話までしてくれる。
ほほう、こうやってジェントルメーンな欧米人男子が製造されるのね。
10年したら付き合って

お昼はけいちゃんの同僚と一緒に寮の食堂で頂く。
ひさびさのインド飯はもちろん右手で。
同僚のアルフレッドはインド人にしては随分ずんぐりとしていてめちゃくちゃおしゃべり。
こんなんが指導者~!?

1秒たりとも黙らない彼だが、実は南インド出身で、彼もまたここに来る前までヒンディは全然しゃべれなかったのだとか。
そんなわけで時々本人も気付かないうちに英語とヒンディが混ざっていて笑えた。
「なんたらかんたらバフット(ヒンディでVERY)フェイマスあ、間違えたベリーフェイマス」ってなカンジ。

ヒンディばかり使ってきて意味分かんないから、とりあえず教えてもらったばかりのバフットとトラトラ(LITTE)とスンダール(BEAUTIFUL)を連発しておいた。

「僕のことどう思う?」
「うーん、あんたはトラトラスンダールだよ。」
「そっかー、トラトラスンダールならちょっとはいいとこがあるってことか!それってどこどこどこどこ!?」
ポジティブすぎるから。

あまりにもぺらっぺらぺらっぺらしゃべり続けるので、「あんたバフットしゃべりすぎ。」
と言ったら、
「ヨーコジー(ジーは敬称)、僕はこれからしゃべら」といって口を押さえて去っていった。
は~インド人ってめっちゃくだらないことばかり言ってるけど楽しいね!
K「そうそう、冗談ばかり言ってるんだよ」
生まれて初めて、この国の人が何を言ってるのか知りたい、という理由で言葉を覚えてみたいと思った。
なんて言っても、ヒンディ知ってれば一気に5億人ぐらいと話ができるんだもんね。


農業学院での暮らし。

残念ながら日程上今回の滞在は日帰り。
短い時間ではありますが、けいちゃんの断式をしたり、ギタージョイントをしたりして過ごす。
ヒンディ同様、はじめて1年たらずだというギターも相当上達が早い。

農業学院らしく、敷地内には家畜が沢山いて、とれたミルクの加工場も併設されている。
アイスをご馳走になったが、なかなか美味(*^-^*)
ヨーグルトも勧められたが、インドのヨーグルトは酸味が強く胸焼けを起こしてしまい、実はちょっと苦手。
けいちゃんによると、ヨーグルトはインドの菌に慣れるためにもってこいの食べ物らしいけど。。。
3口でギブアップ、お腹が弱い私には、移動前にはかなり危険なのだ。

にもかかわらず、教授ファミリーに招待された夕食で同じヨーグルトが出てきてしまった。
ああ、これからまた夜行列車移動なのに・・・
しかしせっかく私のために出して下さったものを食べないわけにはいかない。
おいしいおいしいと言いながらやけっぱちで完食・・・
こんなことがこの後何度も続き、結果帰国後大惨事を招くことなど、この時の私はつゆ知らず。。。


別れ。

列車の時間は10時だが、暗い夜道をリキシャーで走るのは恐かったので 7時には駅に向かうことに。

出発 (16)
アラハバード駅の女性専用リタイアリングルーム 。
ちなみに写真を撮ったこのとき、座ったイスが濡れてて立ち上がれなくなって困っている状態。


大都市の駅なら大抵一晩中発着があるが、こういう休憩室もあり、女の子でも安心なのです。
でもおばばがやってきて小銭を要求してきたので分かんないふりして逃げる。
別にそんなとこにいなくてもプラットフォームは色んな人が行き来してて見てて飽きない。

帰りの列車はすぐ近くのバラナシ発らしく、大した遅延もなく乗車。
観光地発だけあり、コンパートメントは外国人ツーリストだらけだった。今夜も安眠だ。


また会いませう
そういえば、この街に来たのは今朝だったんだっけ。
なんだか濃い1日だったな。すごく楽しくてあっという間に時間が経ってしまって、おなかいっぱい胸いっぱい。

Kちゃんはというと、底抜けに明るく人懐こい子なので、誰が心配するまでもなく、きっとインドの生活ともインド人ともうまくやっていくことだろう。

日帰りするには遠すぎる場所だけど、来てすごい良かったし、彼女の任期中また来れたらいいな。

・・・はて、彼女は3年で帰ってくるのか。
物欲がなくて、人のために尽くせる人。
インドは人を呼ぶというけれど、果たしてインドは彼女を手放すことができるのだろうか。。。

ACCESS
アラハバード・・・ニューデリーから約10時間
2nd sleeper/281Rp



追記)フフフ。その後彼女は勤務先の同僚と結婚、
私はインドの結婚式にお邪魔させて頂いたのです。詳しくは右のカテゴリーから♪
やっぱりインドは彼女を手放さなかったのです★

| 2004インド・ラダック | 22:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

2004年ラダックの旅。

仕事が暇なので、昔の旅日記を引越ししてみます。
懐かしの2004年インドの山奥・ラダックの旅。
基本は昔書いたものに、ちょっとつぎはぎして、写真を大きくしてみました。せっかく絶景続きだったのでね。


ラダックというところについて。
ラダックとは、インドの山奥のそのまた山奥・ヒマラヤ山脈の一角にあるチベット文化圏の秘境です。
インドとチベットとヒマラヤを愛する私にとって、長年夢見ていた憧れの土地なのでした。

今となっては、東に中国・西にパキスタンとの停戦ラインを抱え、地理的にはとても微妙な場所ですが、遠く中国政府から離れている立地条件だったため、消えつつあるラダック文化を今もなお持ちつづけた「チベットよりチベットらしい場所」なのだそうです。

しかし、そこは一応インド。インド人もいれば、チベット難民もいる。
ネパールからの出稼ぎ労働者も沢山だし、西のカシミールの人々だってこぞって商いにやってくる。
西にゆけば花の民、東へ向かえば乾燥した高地に生きる秘境の民。
このサイトでも、沢山の「顔」をアップしました。

多国籍な雰囲気と、貴重なチベット文化両方を感じ取れる街。
すばらしいの一言です。
高地フェチとして、民族衣装フェチとして、そしてチベット的美男子フェチとして、こんなにおいしい街はない。(あ、食べ物もおいしいデス。)

出発
これ、放送禁止だね。でも勇気をもって放送します。
出発の前の日の私の部屋。いつもこう。大体AM3時くらいまでになんとか片付ける。
断っておきますが、私は散らかすのも得意だが、片付けはもっと得意。ちなみにこれはなつかしの武蔵小杉のおうちざんす。今は知らない色のカーテンゆれてます。
片隅に元同居人、この惨事の中で普通にネット作業中なお姿から推測するに、慣れた光景だったのでしょう。


出発 (1)
相方、来る途中靴を買い、空港で紐を通し、出国審査のあとで歩き方を買う。


------7月3日 DELHI-1
デリーに着いたのは真夜中の2時。
散々危険危険と言われているこの空港から、無事メインバザールに辿りつけるのかしら。。。
今日は早くも夜行列車で移動したいし・・・チケット取れるかな・・・・取れなかったらいきなり通路泊かしら。。。
インド1日目にして、早くも不安でいっぱい!

出発 (7)
深夜のデリー空港税関前、迷子のねこくん。敵はインド人だけではない!?
 
デリーでは、深夜のタクシー移動が危険なのは超有名。
私たちは税関前の荷物受取場所で夜を明かすことにする。
ここはとても広い上、ひっきりなしに到着便があるので人もたくさんで安心。

夜中にデリー空港についたら、のんびり待つに限るのです。
外に出たら、もれなく頼んでもいない旅行会社行きなのです。


そして、日が昇ったらいざ市バスで出陣。
昼間でもなんでも、タクシーでもオートリキシャーでも、空港でタクシーに乗ったらもれなく頼んでもいない旅行会社行きなのです。

そういえば、天気予報じゃインドの最低気温は30度だと言っていた。
インドに着いたと言ってもエアコンがんがんの空港じゃ、ホントに40度の灼熱の国だなんて、実感が湧かないな。。。
が、そんな戯言も一歩外に出た途端にすっとんだ。
「やばい。」
暑い。暑い。暑い。朝6時なのに出発時の日本の真昼なみの暑さ!

うざいほどいると聞いたタクシー運ちゃんは一人もおらず、とてもとても静かな朝の空港。
エアポートバスの気配もない。
どうやら乗り場と逆の出口に出てしまったらしく、遠くにそれらしきバスが見えたのであわてて手をあげる。
客引きが死ぬほど多いところで、誰にも客引かれずむしろ自らアピールしているって。。。

無事エアポートバスを見つけるも、名ばかりで、ただのローカルバス。というか、ローカルバス以下。
よくもまぁまだ走っているなぁという代物。
一国の玄関口でもこれなんだから、先が思いやられます。

色んな荷物と汗まみれの人々をかきわけ狭いシートに無理矢理バックパックを押し込む。

朝なのに強烈すぎるオレンジのでっかい太陽。
大好きなブーゲンビリアの並木。
そして朝トイレの風景!!
3年ぶりのインド。
ああ、何も変わってない。。。!!!!

・・・いんだか悪いんだか。

夜中着の緊張から解放され、何も起こらずすんなりエアポートバスに乗ることができ、すっかり安心して10分で睡眠モード。
肩を叩かれた時にはすでにコンノートプレイスに到着。
一瞬「?」な場所だったが、3歩歩いたら思い出した。

見たことある!ここ覚えてる!

はじめてここに降ろされたらきっとぼられ放題だろう。
でもここは3年前いやって程往復した道!
この先の路地からならリキシャーに乗れるはず。
値段は確か8Rp!


駅前の通りを走り、メインバザールに向かう。
キランゲストハウスも牛もジュース屋も何も変わってない。
お目当ての宿も即決。
ここまで全て順調、危険なデリーで何事も起こってないよ!!

ルーフトップレストランで余裕たっぷりな私たち。
昔デリーにいたとき、深夜にデリーにやってきたツーリストの 70%以上が悪徳旅行会社の件でトラブルに遭っていた。(200%と言う人もいるくらい)
今だに私は分からない、たった数時間空港で過ごすだけで確かな安全が保証されるというのに。。。
(今ならツイッターで拡散したいぐらいだ。)


列車のチケットを買う
ニューデリー駅には案の定「チケットオフィスは移転した」と言ってまわる輩がうようよしているが、普通に2階に外国人専用ブッキングオフィスがあるのでお気になさらず。
※彼らの目的は客をコンノートの悪徳エージェンシーに連れていくこと。今日は閉まっただの時間がかかるなど色んなことを言ってくるが、まずは自分の足で確かめないと。※

同じ飛行機に乗って日本人男子が早速タオルを頭に巻いて現れた。

さてさて、懸念されていた当日券はなんなくゲット
。全然並ばずに済んだ上、「一番上の段」まで指定できた。
「ファミリーか女の子と同じコンパートメントにしてね」も忘れずに。
ドルで払ったら正規レートのルピーでお釣りをくれた。
またしてもスムーズ。
(いや、正確には、さっき空港のチャイ屋で3ルピーのお釣りを返してもらえず、日本人の悲しい性かな、愛想笑いでその場を辞してきたばかり。)

相方はおばさんのカウンターに行ってしまったため、なかなかお釣りを返してもらえず立ち往生。
(インドのおばさんは学歴があってプライドが高くケチが多いので、こういうところではおやじを選んで並ぶとスムーズ。)


インドの暑さに敗北
無事チケットゲットできて、お部屋で一休み。
が。
どんどん上がる気温、窓のない部屋で気を失うかのように寝入る二人。
お昼すぎの一番暑い時間に起きてペットの水を飲んだら、熱い・・・水が湯になってる・・・
これは。。。マックしかない!!

今はどうだか知らないけど、当時メインバザールにはまともにエアコンが効いてるレストランは皆無。
こんなところで徘徊するぐらいなら、ちょっと遠いがコンノートのマックに避難すべし!
ついでにCITI BANKでお金を下ろす。
ATMの後ろからめっちゃ人の声。手動か!?

そうそう、CITIもマックもなんも変わっていなかったが、唯一の変化はメトロの出現。まだ工事中だが、数年でコンノートやオールドデリー地区をメトロで移動できる日がくるはず。(もうできたのかな??)


マック考察
マックにドアマンがいるのも、マックのエアコンはあまり効いていないのも全然変わってない。
いいおやじが揃ってソフトクリームを食べている姿も(笑)
出発 (12)
インドではマックも一種のステイタス。マハラジャの息子はおらんかね??


出発 (11)
インドはもちろんお牛様NG、豚もムスリムが多いので好まれず、マック要の牛肉と豚肉が使えない。
そこで出現したのが、ベジタリアンミートバーガーとか、このパニール(チーズ)サンドなど。
味は未知のスパイス。私たちの知っているカレーには入っていない何かなのです。

他にもインドマックには不思議がいっぱい。
なぜかレジではインド人同士でも英語を使用、従業員は髭を剃って小奇麗。
マックに限らず外資系の飲食店では髭は禁止らしい。

しかしながら宗教上の理由で髭を剃らないシクのお兄さんはというと、特別に髭をリボンで覆っていた。
髭を剃らせたり、髭があるから雇わなかったりしたらそれはれっきとした宗教差別。
異なる宗教が共存していくために、臨機応変さは欠かせませぬ。

気温が下がるまでマックで粘って帰路につく。
道、覚えてるもんだな。

日が暮れるとメインバザールまで歩くぐらいはどうってことない。
今日はこれから一人移動が控えてるため、夕食は抜いておく。


本日は夜行移動。
到着初日ってのも難だが、初インドの相方をデリーに残し、私はアラハバード行きの夜行列車に乗る。
Allahabad Agriculture Instituteの指導員に就任した大学の同級生を訪ねるのです。

相方はというと、誰も行かないようなラオスのど田舎などを一人で訪ね歩いているようなヒトなので心配はしていなかったが、メインバザールですれちがいざまインド人に乳揉まれていた。
まいっか。命あれば。

ニューデリー駅は夜にもかかわらず沢山の人。
繰り返されるアナウンスが懐かしい。
プラットフォームナンバーを聞いたら20だかそれくらいの番号だった。
さすがはインドの上野駅!大きいな~。

電車も結構長くて、自分の車輌も見つけづらい。
係りのおやじ乗る車両の場所を聞き、リストの中に自分の名前を確認し乗り込む。
一番上のベットにバックパックを置き、すぐに鎖をくくりつける。

下は女の子も含めた3人兄弟と老夫婦か。
老婦人にナマステと挨拶しておく。
コンパートメントの人と仲良くしておくべし、はインド通J子さんアドバイス。

横ではおねえさんが男の人とお別れをしている。
涙がないところをみると兄妹だな。あ、顔そっくり。


今日は安眠できそうだ。


靴もベットに上げ、扇風機除けに巻きスカートを腹にセッティングすると、走り出したか出さないかぐらいで速攻就寝準備完了。

下でファミリーがお弁当を広げている。
私は今夜断食中。
おいしそう、早くインド飯喰いたい~。。。

| 2004インド・ラダック | 22:09 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。