世界一周トラベリングソング。

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2001年カンボジアの旅ブログ 旅行記まとめ

初めてのカンボジア。

でこぼこ道に体中鞭打ち状態になりながらも、外の景色に目をやれば、本当に穏やかな光景が広がっており、 真っ青な南国の空と広大な緑の大地は、他のアジアの国では見られなかった 「南国アジア」なイメージそのものの世界だった。

時々現れる集落から姿を見せる子供たちは皆きらきら明るく、 水牛に乗りながらのんびりあぜ道をゆく少年の姿がいかにもアジア。

何より素晴らしく胸打たれたのは、車椅子で畑仕事に精を出すおじさんの姿 と、とある遺跡の片隅で演奏する障害を抱えた人だけで構成された楽団だった。
きっと戦争で傷付いた身なのだろう。彼の車椅子は本当に粗末なものだったが、それでも彼は きっとああして毎日畑に出て、力強く畑を耕しているのだろう。

片手がなくても力強く太鼓を叩くおじさん、片足がなくとも陽気な笛を奏でるおじさん。 素敵な音楽に足を止めれば、陽気なおやじからウインク一つ。陰気臭さの一つもない。同情を引くことを 目的にしている訳でもない。それはもう プロフェッショナルな演奏そのもの。一瞬にして、演奏している人々の足の数など忘れて、 ただひたすらその音楽に引き込まれてしまった。


この国では、本当に沢山の人々が傷つけられていて、戦争の傷跡をなまなまと見せ付けられたが、不自由な体を抱えつつ、それでも彼らは、 ごくあたり前に仕事をし、自転車に乗り、畑を耕しているのだった。

なんてたくましい国なんだ。
人々は、まるでこの国の太陽のように明るく力強い笑顔できらきらしていた。

私がカンボジアから受け取った一番強い印象は、ブルーシートをかぶった アンコールワットでも、ボコボコの道でもはない。
暗い闇の時代から抜け出し、今力強く生きようとする人々の姿そのものだった。


c_boy.jpg
この子、今25歳ぐらいかな?今も変わらぬ笑顔で迎えてくれたらいいな。
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| 2001カンボジア | 23:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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21世紀になったばかりのアンコールワット

憧れのアンコールワットへ!
バイタクに乗っていざ出陣。
日本人の男の子がバイタクの運転手の腰に「むぎゅ」っと手をまわしていたのを見た。初めて乗ったんだね( *´艸`)

アンコールワットをはじめとする遺跡群は、大きな公園のようになっていて、高速のインターのような 立派なエントランスがあり、ここで3日券を購入する。これで喰ってるだけあって、高い。
相方は、ここで働いている広末似のかわいい女の子とツーショット写真を撮って大変ご満悦だった。

そしていよいよアンコールワットへ・・・どんな鬱蒼としたジャングルの中から現れるんだか・・・バスで行けるとは 言うけれども、でも私は私の想像の世界をずっと信じていたのだ。

それなのに、それなのに。
嗚呼・・・アンコールワットの横ってば、ぐるりと超整備された舗装路なのですね・・・
巨大駐車場に大型バスがいっぱいだわ・・・・
と、とにかく気を取り直してアンコールワットへ向かおう!!
ちょ「・・・・(゚Д゚)!!」
修復中なんですか(*゚Д゚)(*゚Д゚)
・・・ブルーシートが眩しいわ

ここで、トップページのアンコールワットの写真を思い出していただきたい。 あんな写真載せるから、あたしゃすっかりアンコールワットはジャングルだと思ってしまってたのよ!返せ私の アドベンチャー!!教科書には真実をヾ(`Д´*)

c_me.jpg
21世になったばかりのわたし。今より10キロぐらい痩せてた。
チェックのシャツはベトナムでオーダーメイドしたもので、今もまだ持っている。二の腕がイタくない。


アンコールワット内部はとても広く、江戸時代の人の落書きなど見所も豊富だが、アンコールワットの一番のおすすめは、急な斜面を登った所からのサンセット。夕方前から 沢山の観光客が集まり、強い西日を浴びながら、本を読んだりしながらのんびり太陽が沈むのを待っていた。時間に追われることのない自由旅行の醍醐味です。




c_tree.jpg
広い公園の中に現れるアンコールトムやバイヨン寺院もなかなか素敵。
遺跡にはびこる巨木で有名なタ・プロームは、何度も写真で見てはいたが、予想以上の自然の迫力に 圧倒されてしまった。ホンモノを見てしまった今、ディズニーランドのジャングルクルーズの洞窟でワクワクしなくなった。

子供たちのパワーもすごい。小さな子供が日本語や英語をマスターし、きちんと相手によって使い分けてどこでも 商売をはじめてしまう。
「コレ1ドルヤスイヤスイ・ノータカーイ」どこで覚えたんだか、まだ7歳ぐらいの女の子なのに、 とってもおとなっぽく見えてしまう。あまりの小悪魔さに、欧米人のお兄さん方もたじたじでした。
かしこい子供といえば、タ・プロームの少年。 他の大人のガイドが言っている英語をそのまま丸暗記して、勝手にガイドをはじめてしまうのだ。 「これは○○の木だ、スペルは△△△△」なんて、言い回しまでまったく同じ。

c_girl.jpgc_friend.jpg

やっと小悪魔たちを振り切ったかと思えば、今度は本気で遊んでほしぃよーって女の子が 現れて、きゃっきゃ遊んだあとで(もちろん遺跡の中で!)「うちに来て!」って言われ、付いて行ったら ジュース屋だったなんてことも。ちゃっかりしてるんだから。
それにしても、学校に行っていない子どもがなんと多いことか・・・この子たちに 教育を受けされるためなら、アンコールワットのジャングルが舗装道路になってしまっても、 神様は文句言えないんだろうな。。。



バンティアイスレイ

郊外のバンティアイスレイは、アンコールワットからはかなり離れているが、とにかく彫刻が素晴らしいということで、 ガタガタ道を3ケツでがんばって行ってみた。
バンティアイスレイは、こじんまりとした上、なんだか妙にじめじめしていて「お墓」っぽい イメージだったが、レリーフの細かさ・美しさといったら想像以上で、艶かしいアプサラにしばしうっとり 見とれてしまった。

c_ap.jpg



ジライヲフンダラサヨウナラ

バンティアイスレイへの道中には、他にもいくつか遺跡があり、人が少ない上、眺めもなかなかよかった。 カンボジアの田舎道を走るのも楽しい。

アンコールワットの周りもついこの間まで 地雷が埋まっていたとかいないとか・・・「トイレに行くときは、田んぼまでいっちゃだめだよ」 そんなことを本気で忠告していた。

こんな平和そうな南国の田んぼ道が戦場だったなんて。インドネシアの美しすぎる海に面した 日本軍の塹壕を見たときも、同じことを感じた。南国の空も海も、人と人が戦うにはちょっとばかりキレイすぎる。 こんな美しい空を前にして、それでも戦いを選ぶなんて、人間はなんておろかな生き物なのだろう。

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当時はデンジャーマインドをいっぱい見た。今はどうなっているのかな?



プノンバケン

一日の締めくくりは、アンコールワットを見下ろす丘、プノンバケンでのサンセット。 登るのが厄介なら、像さんタクシーもあります。
観光のメッカなので、上は相当騒々しい。雰囲気で言えば、アンコールワットで迎える夕暮れの方が 素敵。ちなみに、アンコールワットは丘の東側なので、アンコールワットと太陽のセットは日の出の 時に見ることができる。ドーンパープルに染まるワットは、それはそれは神秘的だそうです。  

| 2001カンボジア | 23:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カンボジア旅行記ブログ トレンサップ湖

カンボジア最終日は、巨大湖、トレンサップに出かける。
これまたすごい田舎道をバイタクに乗って向かう。カンボジアの雰囲気は、発展しているタイなどとは異なり、どちらかというとミャンマーに近く、 のどかでノスタルジックな感じ。あぜ道と青空がなんとも心地よい。

さて、カンボジアでは、この巨大湖も重要な交通手段だけあって、湖畔は一種の巨大ターミナル。ごちゃごちゃと込み合っていて、 人もモノも食べ物も動物も沢山!さらに、この湖はベトナム難民が住むという「水上集落」で有名なので、 観光業も盛んなのだ。

c_boat.jpg
私たちの船頭さんは少年AくんBくんコンビ。ボートを操る横顔はなんとも大人っぽい。
さっそくボートが動き出すと・・・豚小屋が動いてる!!
水上でぷかぷか浮いてる家から子供がいっぱい飛び出して来て・・・水上小学校!?
しかも家がボートに引っ張られてるし!!水上引越!!?

そう、この集落は、ほんとのほんとの「水上集落」
高床式の家なわけではなく、家はぷかぷかと浮いていて、景色に飽きたときなど自由に 引越しができるのだ!!・・・水上所有権とかはあるのかな。

運河地帯はまさに今が引越しのピーク!!隣近所のいざこざに巻き込まれたお宅や、 姑の家から距離を置きたい嫁一家などが家ごとボートで引っ張られていく。 (想像)

さらに、広大なトレンサップ湖へとボートを進めると・・・
おお!水上に村があるではないか!!あっちには雑貨屋さん!?こっちには修理屋さん!?まさかの 水上動物園まで!?どうやら湖上であらゆる用が済んでしまうらしいが、足腰が弱ってはしまわないのだろうか・・・

A少年が疲れたらしく、湖のどまんなかで船を止め、しばしの休憩。 ねっころがると、空以外は何も見えない。
陸を降りて水の上に住むのは一見自由な感じだが、 地に足がついていないのはなんだか不安で落ち着かない。

c_zoo.jpg

| 2001カンボジア | 23:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カンボジアアンコールワット旅行記 シェムリアップ

2001年。21世になったばかりのシェムリアップ( *´艸`) おばはんいくつやー。
若者たちよ。2001年のシェムリアップには電気が無かったぞよ。

シェムリアップ到着
ミャンマー並に電気がない
というのが第一印象。 国道からそう離れていない宿の周りさえ、まったく街頭がない。 唯一屋台街のあたりは明るかったが、売ってるものがへびや何やら、あまり明るくしないでほしい。
ありがたかったのはコンビニの存在。なんでも手に入るし、 両替もできる。
基本的にカンボジアはドルでことが足りるのだが、時々小銭が必要になったら おつりをルピアで貰うのだ。ルピアのルを巻き舌にするのがポイント。アルルルルルピア。



シェムリアップのマーケット
シェムリアプのマーケットはなかなか活気があってたのし。陶製の雑貨やスカーフ・ お土産屋さんから、気になるスウィーツのお店まで。お土産はドル払いなので安くはないが、 おねぇさんたちの笑顔がまぶしい・・・相方、アジアンビューリーに完全ノックアウト。
c_smile.jpg
素敵な笑顔のおねえさまたち。



お土産あれこれ
★スカーフ。クメール人がみんな持ってる必須アイテム。残念ながら日本ではまったく使えなかったが、観光にはいい。
★アンコールビア。ラベルがとってもかわいい。
★ルピア札。こちらもアンコールワットの絵柄付き。かなりかわいい。
★笛。京都でも売っている。
★地雷T。今やお土産の定番。どういうつもりで着ているんだかわからないが。

| 2001カンボジア | 23:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カンボジアアンコールワット旅行記 スマイルと食中毒に尽きるの巻

14年ぶりにカンボジアに行くことになりました。

記憶ねぇ。

これを機に、古い旅行記をググって探し当てた。自分のなのに行方不明。
大学生の時のです〰今いくつやー。




はじめに

c_ankor.jpg
比較的新しい時代になり、その神殿はある日突然現れたのだという。 長い長い間、鬱蒼と茂るジャングルの中でひっそりと息を潜めていたのだ。

中学の地図帳が紹介したアンコールワットは、私にとって長いこと、 人に発見されることがない密林にたたずむ神秘と冒険の象徴なのだった。

深い深い熱帯雨林の奥、こだまする不死鳥の雄叫び、ぬかる足元、迫り来るベンガルタイガー (どこの国だ)
神秘の宮殿アンコールワットは、そう簡単に私たちを招きいれてはくれぬであろう。ああ、 憧れのアンコールワット・・・!!その姿を一目見ることができるのなら、私は神の呪いをも恐れない!! 二度とこの国に戻れなくとも、私は、私は・・・!!!

やがて、パックパッカー1年目の私は知る。どうやらバスで行けるらしい。
JTBからガイドブックが出ていた。

「ちょっとアンコールワット行ってくる。」
おかんにそう言い残し、タイのついでに行ってみることにした。
ベンガルタイガーに食われることより、彼氏と一緒なのがバレないかどうかのほうが心配だ。



バンコクから国境へ
時間がないのでビザは東京でゲット。
バンコクからアンコールワットのあるシェムリアプまでは、 お任せツアーや列車乗り継ぎ・国境であるアランヤプラテートで一泊・この際飛行機でひとっ飛びなど、行き方様々。

アメリカ一人旅でゲイのターゲットにされて以来、 白人恐怖症になってしまった貧乏で時間のない相方のため、欧米人ばかりのツアーを避け、 自力でカンボジアまで向かうことにした。

バンコクからシェムリまでは一日あれば余裕でたどり着く距離だが、 夜間の移動は多少危険を伴うらしいので、日没までにはたどり着かなくてはならない。
そんなわけで、昨日タイに着いたばかりの相方は、わずか数時間後、生まれてはじめての アジアのバスに乗せられていた。



アランヤプラテート タイの東の果て

初めてのタイ東部方面の旅。特に印象もなくバスは無事国境の町アランヤプラテートへ。
バスターミナルから国境まではバイタクかトゥクトゥクで移動。
アランヤのトゥクトゥクはなぜかリムジン仕様で豪華だ。椅子の角度が45度ぐらいある。なぜだ。
我々は迷わずもっと安いバイタクと交渉、がしかし相手は一台だけだ。
タイのバイクは3人乗り4人乗りは当たり前なので、かまうものかと乗り込んだものの、 相方のバックパックはバイクからはみ出し、一人腹筋の痛みに悶絶していたらしい。
「息吐いたら落ちる」
「・・・バックパックあるから平気じゃん?」




OVER THE BORDER ←昔からこの言葉が好きだ。

国境のすぐ横は大きなマーケットになっていて、買い物客や東へ西へ流れる人々でごった返していた。
ところで私にとってはまともに足で超えるはじめの国境。そしてこの国境は、初めてにしてはちょっと強烈すぎるくらい エネルギッシュで活気に溢れた場所なのだった。

c_gate.jpg

賄賂を要求されたらどうしよう・・・ドキドキする私の横で、 親父たちは賄賂をばら撒きどんどん横入りしてくる。

その間にもどんどんと国境を越える人々の群れ。 地元の人々は気軽に行ったり来たりしているのだろうか。大きな荷物を抱えた一団が何度も通りすぎていく。
やっとの思いでスタンプを押された自分のパスポートを手にすると、いざ国境越えへ!
バスでも飛行機でも列車でもなく、 自分の足で超えられる国境!しかもこの国境ときたら、中間地帯というものがなく、いきなりタイ!いきなりカンボジア!! なのだ。

c_border.jpg
とんでもなく積みすぎ。


「ハローあたしのかさに入ってよ!!」って、あなたカンボジアの子でしょ! ここタイですから!!

ちびっこ商売人に苦戦していると、なにやら聞こえるうめくような声が。
「ハローマダム、ハロー、1ダラー、ハロー」
目をやると、そこにはたくさんの老人や手や足を失った人々・・・

今でこそ陸路で簡単に行くことができるアンコールワットだが、ついこの間まで、 この国は悲惨な内戦が続いていて、今では、「アンコールワットの国」というよりも、 「地雷の国」のイメージがすっかり定着してしまっている。

今となっては手の指が6本あったぐらいじゃなんとも思わないが、 あの頃、戦争の爪跡も飢えも難病も知らなかった私は、その光景には目をそらさずにはいられなかった。いきなり相当打ちのめされた。

アンコールワット以前に、これからずっとこんな光景をみなければならないのかと思うと、 とても気が重い・・・



カンボジア 国道2号線

国境の町ポイペトに入ると、たくさんの客引きに囲まれる。この中からシェムリ行きの車を選ばなければならない。 言い値は皆聞いていたものより高い。すっかり困り果てていたら、東洋人らしき3人組が現れ、その中の一人、どケチな華僑マレーシア人のおかげで そこそこ安い車をゲット。

国道2号線は未舗装な超でこぼこ道で、砂埃に悩まされることで有名だが、私たちが乗るのは中型のバスだったので、 泥もスコールも心配なし。なぜか欧米人のじい様ばぁ様だらけで、一体なんのバスなんだ・・・ でも安いからいいか。

それにしても欧米人というのはすごいな。杖ついてるじいさんまでいる。 まさかお金がないわけではあるまいし、彼らはきっと、このデコボコ道を通過することさえ 旅行のアトラクションだと思ってるんだろう。ピックアップの荷台で死にそうになって アンコールワットに行った旅人などは、アンコールワットそのものの話よりも、ピックアップの恐怖ばかり 語り継いでいる。飛行機や観光バスで「道中」を跳ばしてしまうなんて、彼らにしてみたらそんな もったいない話はないんじゃないかな。もちろん私も同感。お金があっても、ローカル手段を使う 醍醐味はここにある。

c_bus.jpg
このバスは思い出深い。14年たっても忘れないよ。
途中道が寸断されて迂回したっけ。スタックした時にみんなで押してみたり。


そういえば、3人組は前日アランヤで一泊していたらしい。結局早朝バンコクからやってきた私たちと 同じ時間になっていた。国境でのバス探しには、なんだかんだで1、2時間もめていたから、ちょっとだけ時間オーバーだ。

なにはともあれ無事出発。出発してしばらくは、道もそこそこいいが、路肩には 国境にいた体の不自由な物乞いの人がそこらじゅうに座っていた。そういえば、 彼らにお金を払わないと先に進んでくれないピックアップがあると聞いていたが、このバスはお構いなしに ものすごい速さで2号線を突き進む。

やがて街が尽き、ひたすら広がる広大な田園地帯に入ると、いよいよ道がガタガタに。 相当ひどいとは聞いていたが、前回旅したミャンマーの道とどっこいどっこいな感じ。思ったよりは まともだが、時には「なんで!?」と思うようなありえないくらいどでかい穴が開いててびびった。
途中道がぬかるんで通れなければ、バスは颯爽と畑に突っ込み堂々と迂回する始末。 それでも足がとられ、乗客全員が降りなくてはいけないこともあった。 でもまだ砂埃やスコールに見舞われないだけましだ。でも最後尾に座ったのは失敗だった。 隣の相方は、時々びょーんと跳ね上がり、思い切り天井に頭をぶつけていた。こんなことが 6~7時間、次から次へと視界に入ってくる落とし穴を見る度、もううんざり・・・



シェムリアップ到着
日が暮れる頃、道はやっと舗装路に変わり、いよいよアンコールワットの街・シェムリアプに到着する。

案の定老人会はシェムリアプ一豪華なホテルへと消えていき、残された私たちは有無も言わさず某ゲストハウスへ強制連行。

サンシャインとかなんとか言うそのゲストハウスは、ホットシャワーが出るくせにツインで3ドルという ありえない安さ。一同なんとなく納得し、おとなしくチェックイン。付け加えると、 宿代より、宿がアレンジするバイタクのほうが数倍高い。

うわさの日本人宿とやらにも興味はあったが、ここのフルーツシェークはとてつもなくうまかったので、なんとなく宿を変えることなく居座ってしまった。 そのうまさといったら、宿にいた白人のおねぇ様方が一気に3回おかわりするぐらい。そういえば、 岐路草原の真ん中で腹を下して女の子がいたけど、あの子かも。飲みすぎに注意。

| 2001カンボジア | 23:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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