世界一周トラベリングソング。

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バングラデシュ一人旅情報色々。バングラデシュ旅行記ブログ

バングラデシュ旅行のメモ2001年 メモメモ

■ツーリストがいない。NGO関連っぽい中華系の人と五つ星ホテルにいた欧米人ビジネスマンを除くと、個人旅行のツーリストとは三週間の間で3人ぐらいしか会っていない。会うというより、見た。
そんなわけだからガイジンはとても珍しいらしい。ちょっと立ってるだけで軽く50人ぐらいに囲まれる。生まれて初めてパンダの気持ちを知ってしまった。アイドル気分を味わってみたい方にはもってこい。

■ツーリストが少ない=ツーリスト相手に営業する宿も少ない、ということで、ほとんどの安宿は商人宿など地元の人向け。そのため部屋も相当つらかった。インドと同じ料金設定にすると泣く羽目に。→ほんとに泣いた(・_・、)コレに懲りて、ダッカの次からはテレビ付きまでランクを上げました。ここまで来るととても快適。

■宿探しに一番苦労したのがダッカ。ガイドブックに載っている安宿は大抵ひどいので、適当に宿を探すと断られることもしばしば。保守的な宿が多い多い・・・。
女だからという理由以外に、「外国人を泊めたことがないから無理」「ダメなものはダメなの!」などなど、悲しい思いを沢山しました(・_・、)
地方では「前泊まった白人が部屋を破壊していったからもうガイジンはこりごり」など大迷惑な話も。

■コックスバザールは地元の人にとっても観光地なだけあって、宿はとても多い。インドレベルの安宿+100円ぐらいでかなり満足行く宿だった。チッタゴンなど地方都市では 午後には宿が埋まってしまう。
ランガマティやラジシャヒには政府系のホテル有り。(高いらしいがぼろい)
ダッカの5つ星ホテルは、星5つに見えない。レストランにケーキなどが置いてあって、ビーサンじゃなかったらは入りたかった・・・。
ちなみにMTVはインディア。インド映画のプロモビデオ見まくり 

■観光の足はバスが一般的。バンラデシュの人もよく移動するので、都市間を結ぶバスは会社も多く便利。荷物の受け渡しには番号の照合をしているので安心だった。短距離バスはボロボロだけどそれもご愛嬌。南部をのぞき、道は悪くはないので移動はしやすかった。

バングラは川が多いので、時々バスを乗り換え船に乗ることもありますが、それもこれも全部楽しい思い出。船の旅も有名です。
ロケットスチーマーはいつまで動くのかな・・・

■場所によっては入域の際パーミッションが必要になる場合があった(そして追い返された。
それも情勢などによって必要であったりなかったり。。。。

■ガイドブックが無くても旅できるぐらい、とても旅しやすかった・・・・好奇心旺盛なベンガリーに囲まれ続けたことを除けば。

■インドやミャンマーではヘロへロにやつれてくる日もくる日も断食生活を送りましたが、バングラデシュでは一度も食べ物にはあたらなかった。
ぱっと見、食堂の衛生観念はインドよりも随分しっかりしているので、何も高級店を選ばなくても安心して食事ができた。加えてバングラデシュもインド同様カレーがメイン。
肉も野菜もしっかり煮込まれているので危険度も低い。
生野菜を食べる習慣はほとんどないみたい。

■ダッカやチッタゴン、ラジシャヒなど大都市には必ず大規模な大衆食堂があった。
インドやネパールの大衆食堂に比べるととても大きく立派でぴかぴかで、従業員は制服も着用。
混んでいる店に行けばそこは多分人気の食堂で回転も早いので、変なものにあたる確立もぐっと下がるはず。
ペットボトル入りの水も置いてあるので安心。

■テクナフやコックスバザールのような小さな町でも食堂は立派。
キッチンを覗かせてもらったが、不潔というほどではなかった。(清潔ともいえない)ローカルな食堂なら、メニューが分からないふりしていれば厨房に入れてくれるので、覗いてみるのもいいかも(多分、食欲なくすだろうけど)

■村に行くと、ハエがぶんぶん、思わずきったな~いと叫びたくなるような食堂や、半青空食堂にしばしば遭遇。
スプーンもおいていないような超ローカル食堂でも、そこで誘惑に負けて大好きなエビカレーを食してしまったとしても、意外と大丈夫。味は常にGOOD

■屋台があるのは都会だけだった。ダッカの街角排気ガスにまみれた焼肉屋台(生肉をその場で焼いて味付けしてくれたり、ハンバーグ状になっていたりする)なども味見。ふつうにおいしゅうございました。一応ここでも回転の早そうな人気屋台に通う。
また暑いバングラでは街角のパパイヤやザボンなどのカットフルーツもありがたいが、乾燥を防ぐためバケツの中の正体不明の水をかけてみたり、使ったお皿もバケツの中の水でささっと洗う程度で使いまわし。
田舎ではさとうきびやさんぐらいしか見なかった。

■街角のチャー屋も適当に営業。火が通っているので大丈夫

■生野菜を食べた記憶はほとんどなし。付け合せのたまねぎぐらい??

■バングラではほとんどがバスの移動だけれど、国土が狭いので、1回の移動はさほど長くはならない。
ついでにしつこいぐらい休憩もあるので安心。
稀にバスがどろんこにはまったり転倒したりで遅れたりもするけど・・・。
ダッカに向かう途中大渋滞でトイレ休憩もできなかったことがありました。
やっぱり移動前は断食かしら・・・


聞くところによると、最近はカオサンのカットフルーツでもあたってしまう日本人の若者も多いとか。除菌しすぎなのね。
とりあえず日本にいるときから、 賞味期限を守らない、川の水を飲む など少し胃腸を鍛えたら??今日私は②を実践したら久しぶりにお腹を壊して大変でした。

■ランガマティなどがマラリアの発生地域みたい。
朝方もぶんぶん飛んでいた。蚊帳必要。
日本の製品かどうかは分からないのですが、下着や靴下などを干す洗濯干しのようなものに蚊帳を取り付けた『どこでも蚊帳』を持ち歩いている人がいたな・・・

■肝炎の予防注射だけは受けいってよかった。

■物価はインドとほとんど変わらない。

■ダッカにはシティバンクがあり、旅行に必要な分をまとめて引き出した。地方の町では銀行で米ドルから両替可能。取り扱っているところが少ないので探すの大変。

■入国直後、タカを全く持っていないにもかかわらずのこのこバンガリに乗り込む私たち。イミグレのあるチラハティで両替所を探したら日本人の泊まっている宿に連れていかれた。幸い彼らは出国予定だったため10ドルだけ換金してもらえたが、危うく国境からのバンガリ代金を踏み倒すとこだった。
そんなわけで国境から一時間の道のりを二人も乗せてがんばってくれたバンガリワラーのおっちゃんに料金を払うと、おっちゃんもやっと安堵の笑顔。あんなに頑張ったのに、私たちが無一文だと知って内心ハラハラしてたのでは。

腹ごしらえをし、相場がわからずピーピー文句言って(あとで考えると、正統な料金だったかも。今度は本気で昼飯代を踏み倒したらしい。どうりでバスが発車してもああだこうだと怒鳴っていたわけね。申し訳ありません。。。)とりあえずそのお金でいけるところまで移動し、たらふくご飯を食べる私たち。もはや宿泊費は残っていないにもかかわらず、またしてものこのこと安宿にチェックイン。翌日あわてて銀行に走り、素知らぬ顔でお金を払う。先払いじゃなくてよかった(´ 3`)=3 

インド側の国境の街でルピー買いをしているおっちゃんから小額だけでも換金しておいたらよかった。
バングラデシュ側では闇の人たちがいなかったので、到着が夜だったり、イスラム休日の金曜日だと換金できないかも。

■女性旅行者がいなかった。地元の人も。

■女ゆえ泊めてもらえなかったことがあった。フロントにメッカのポスターがでかでかと貼ってあるような宿はディスイズイスラミックホテルで強制退去。
イスラム教の国のお約束、従業員は皆男、うっかり商人宿にでも入ろうものなら客も皆おっさん。

■女は家にこもり他人の目に触れさせてはいけないものだという風習がとても強く残っている。だから今だに女一人では行動するのは稀で、必ず家族などと一緒に行動するものらしい。ましてや一人旅なんてありえないのです・・・
そんなこんなでただでさえ珍しいガイジンなのに、未婚の娘が一人でブラブラしている日には、人に言えぬ秘密を背負っているのか、さもなくば自殺直前かぐらいに思われているらしい。そんなこんなで50人ぐらいに囲まれます。

■肌露出に関する考察をしました。女性の服装はインド文化圏と同じ。髪や腕を隠す必要はナシ。
体のラインや足が出るものをさければ半そででもOK。こういう国ではやっぱりパンジャビードレスが一番。
スカーフで顔を隠すとちょっとだけ人目を撒ける。真っ黒のチャドルはたまにしか見なかったけど、もしまたバングラに行くことがあったら、チャドルでガイジンであることを隠したい。

■コックスバザールにビーチボーイ(?)生息確認。新婚さんのメッカで一人旅している女に気を遣っているのかなんだか知らないが、地位や名声(ウソの)や食べ物や家族やお宅訪問やモノやくさなどをエサに、相当しつこく付きまとわれた。ガイジン女性単独旅行者が少ないだけに、執着心が強いらしい。
夜は夜で宿のスタッフが部屋をノックしてきたりで相当あせった。

■女旅行者として一番苦痛なのは人の視線を浴びまくること。それ以外には他の国であるトラブルと何ら変わりはない感じ。
一方女だから親切にされるとかそういうことも全然なし。下心丸見えの人というのもいなくて、イスラム教の国の中ではある意味旅行しやすかった。東南アジアに一番近いから??
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| 2002バングラデシュ | 00:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ダッカからコルカタへ ジョソール、ベナポール バングラデシュ一人旅旅行記ブログ

目指せインド!ジョソールまでの道のり。 ※2002年の日記です。

移動
ダッカ(カブトリ)からジョソール :バス約130tk(大型バス)6時間
ジョソールからベナポール:ローカルバス 約22tk
ベナポール→国境:バンガリ

ジョソールの安宿
MIDNIGHT HOTEL シングル85tk
名前が。市街地の真ん中あたりで便利。とてもダーティーよ★

ダッカ・グリスタンからカブトリバスターミナルへは赤い ダブルデッカーバスで。
数時間後、バスを降りて一旦フェリーに 乗り換え、小一時間川を下って対岸に渡る。
どこの国もフェリーには物売りが沢山乗り込んでいて楽しい。
私も地元の人に倣ってさとうきび をばりばり食べ散らかす。
日が暮れる前には出入国の拠点の町、ジョソールに着く。
ここで最後の一泊。ジョソールから国境の町ベナポール~インドカルカッタまではさらに約一日の距離。

バングラ最後の夜!

最後の夜も汚い宿・・・部屋のど真ん中に蚊帳がかけっぱなしのベットが一つ。
いっぱい虫が乗ってる・・・
そんなこと、 もうすでに気にならないよ。
トイレにもゴッキーがいっぱいだ。そんなことももう慣れっこさ・・・

ススだらけのボロ宿ですが、この宿にはお祈りの時間になるとアザーンを唱える少年がいて、吹き抜けの 階段に気持ちよく反響していてちょっと素敵 。(あんな美しい光景はあとにも先にもここでだけ。ビデオも写真も無かったけれど、よく覚えている。)

ジョソール

バングラデシュ初の夜を 過ごしたソイヨドプールと同じく、この町も小さな地方都市。
バスターミナルからメインストリートまではリキシャー圏内ですが、 バスターミナル周辺にも安宿はある。

ベナポール

ジョソールからベナポールまではローカルバスで 確か1時間から2時間ほどだったと思う。
バスが来るや否や、窓という窓から男たちが侵入し、女子供のために席を確保。汚いぞ!
ベナポール自体は閑散とした感じ。インドからこの町に入ったら、バングラに来てしまったことを ちょっぴり後悔してしまうかも・・・でもエビカレーうまかった。

バスターミナルから国境まではバンガリで数分。荷台にゆられながら、 バングラ入国1日目にしたようにすれ違うベンガリーに手を振ったりして最後のベンガルを焼き付けた。
人々の視線も、 バンガリワラーの良く分からない英語も、慣れてしまえばどんとこいかっかてこいってなもんだ。
バンガリの荷台にて、疲れ果てた 心はまるで風を切るようにルル ルル気分。
調子に乗ってビューティフルサンデーを 披露していたように記憶している。昨日までの全ての仕打ちはこの瞬間に帳消しにした。



国境からバンガオン駅
:乗合オートリキシャー 18RPかTK

インド側:バンガオンからシアルダー(カルカッタ):ローカル列車 16Rp

☆国境の両替は不明

お宿
インドから入国するのなら、お宿を取るのはちょっと先のジョソールのほうが何かと賑やかで 便利。

本日二人目のガイジンです。

カルカッタから数時間だけあって、コチラの国境はさぞかし出入りが賑やかなのだろうと思いきや、 やっぱり本日二人目のガイジン。
でもまだ通っているツ ーリストがいるだけましだ。
バングラデシュ観光帰りのインド人やら、インド出稼ぎのベンガル人など 現地の人たちの出入りはかなり多かった。

インドに帰る。

インドに入るとさっそくターバンを巻いた腹黒そうなじぃちゃん(目の下にクマ)が待ち構えている。
国境からバンガオンの駅までは、乗合でオートリキシャーを使う。
駅があるバンガオンの街はバングラ側の街とは比べ物にならないくらいごちゃごちゃしていて、 インドに帰ってきたな~って感じ。




リキシャーを乗り合わせたベンガル人青年が、日本人一人とベンガル人のじぃさまの引率をしてくれた。
が、じぃさまに付き合ってのろのろしていたら列車がいってしまった。
次の列車は数時間後。見ず知らずのじぃさまの ために一本列車を見送るなんぞ、そうそうできるものではない←付き合わされたNOとはいえない日本人。
ひょっとしたら青年は ベンガルそして全インドを代表する「いい人」なのではないだろうか。
身なりも体格もそれなりにいい。ということで、 カルカッタの駅からタクシーをシェアしないかと うお誘いを受けることにした。

そうきたか、此処は印度。

インドはちょうどこの日プジャーという11月のお祭りの真っ最中。
街は電灯で飾られ、夜だというのにどこもかしこも 人の群れ。
アンバサダーから見るカルカッタの街はなかなか趣があっていいものだ。
ちょっとしたお金持ち気分に浸ってたら、 なぜかレストランにつれていかれた。
人気のロールの店だということでとりあえず食べた。
ここはオゴリだということ。
と思うや否や、青年「もっと話したいんだ。」

あー・・・

所詮女一人旅なんて、そんなもんなのか。警戒してばかりだと友達はできないし、時には 親切心を無碍にしてしまう。
かといって信用してみようと思えばすぐ気があるものだと勘違いされてこの有様。
老人に対してもあんなにやさしかったのに、なぜ国の女に接するのと同じように外国人にも接してくれないの?
ベンガルレディに対し同じようにホテルに誘ったら、アンタひっぱたかれるでしょう??
そもそも国の女はこんな風に気安くその日会ったばかりの男になんてついてかないんじゃないの?
女旅行者は男の人全てに警戒してなくちゃいけないの???

それでもなんでもサダルストリートまでは行くと言ってきかないので、「彼が私のためにもう部屋を取っている」 とウソをつく。
めんどくさいね、女子旅は。

というところでバングラ旅行記は 終わりに近づいて来ました。
最後の最後に思いっきりこれでもかというほど失望させられましたが、 別に彼は悪くないのでベンガル人一般を悪く言うには及びません。
黄金のベンガルはそれだけで一見の価値はありました。
好奇心丸出しで、時にはやさしく時にはおせっかいなくらい親切にして下さった沢山のベンガル人にも 感謝してます。でも今度行く時はバックパックの上からチャドルを被って完全武装するからね。
でもでもしばらくはもういいかな。 でもでもでもきっとダッカでストップオーバーできるようにしちゃうんだろうな。

| 2002バングラデシュ | 00:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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コックスバザール、テクナフ、セントマーティン (バングラデシュ一人旅旅行記ブログ)

世界一長いビーチを目指し、ベンガル湾とご対面。

チッタゴンからコックスバザール :バス約80tk(中型バス)半日

コックスバザールのお宿
バスを降りたあたりにちょっとだけ高めのホテルが並んでいる。すごい安い宿もあったが、とても汚かった。
ビーチへ行く道とコックスからの道の交差点にあった緑色の宿で120TK(ディスカウントプライス)

チッタゴンからコックスバザール間の移動は快適そのもの。
バスはそこそこの大型バスで、道の脇には木立が生い茂り、 途中地元の中学生を乗せたりしながらの楽しい数時間。
コックスバザールはというと、地元の人のハネムーンのメッカということで、 宿事情はかなりよく、(ハネムーン用なのでいささかお高め。)こざっぱりとした小さな町。ちなみに海はきれいではない。

ビーチは危険が潜んでいる。

安宿街から夕焼けスポットとなるビーチまでは歩いて30分ほど。
なんでもここのビーチはよからぬ人々がいるとかで、地元の人に注意された。
確かにヒト気はなく、どうやらわずかにいる漁師とそのファミリーが 怪しいらしい。
なお、99.8%のヒトはリキシャーを使っています。(そのうち90%はラブラブカップルです。)

われわれがビーチで行うべきことの全て

海水浴?水着??美 しい女性のあなたなら、きっと250人ぐらいに見物されるでしょう。
ここで人々がすることとは、
①豆のスープを食べる
p_ban_coxbeach.jpg
豆のスープ屋台(ばかり)

p_ban_coxgirls.jpg
②万国共通 貝の装飾品を物色

③万国共通でも決して買わない

④ちょっとだけ馬に乗ってみる

⑤ちょっとだけ服を着たまま水遊びをして観客の 視線を浴びる

p_ban_coxyuuhi.jpg

⑥夕日を眺める

⑦安宿街に戻るリキシャーにふっかけられる

そんな感じです。



テクナフ
コックスバザールからテクナフ :バス約80tk(ローカルバス)半日

テクナフのお宿
安宿はどこもかしこも汚かったが、偶然バスの中から見つけたこの宿は比較的きれい。 お金を出せば、窓のあるいい部屋やトリプルルームもある。Stマーティン行きのコーディネイトをしてくれた。

テクナフはバングラデシュの東側の一番南のはしっこにあります。
テクナフの横を流れるナフ川の対岸は ミャンマー。
『アジアハイウェー』によると、なんでもミャンマー人が密貿易に来ているとかなんとか・・・ほんとかな。 じゃぁ行ってみよう、ミャンマー好きだし、ミャンマーは陸路で通過できないから、国境まで行って 大陸横断に一歩近づいてみるのもよし。
とにもかくにもミャンマーだ♪
つ いでにバングラムービーのロケ地として 有名なStマーティン島にも行ってみよう。

コックスバザールからテクナフまでは、ローカルバスで半日ぐらい。
このあたりまで南下すると随分山がちになるため、 道は悪い。左手に川が現れ、ちょっとばかり開けてきたらテクナフに到着。
セントマーティン島までは さらにボートで数時間南下する。

テクナフ見物

テクナフは小さな街で、 一時間もあれば十分見て周れる。
マーケットにはミャンマー製品が流れていたものの、ミャンマー人らしき 人はいなかった。
マーケットの裏をずっと進むと垣根の民家地帯などがあって、ちょっとしたお散歩地帯。 舗装されている道が少なかった。

p_ban_teku.jpg
素敵なテクナフの景色。

テクナフのレストラン
メイン通りから船着場に向かう道の交差店付近に人気の食堂がある。
確か店頭で軽食を 作っていて、ミスティのショーケースもあった店。
エビカレーが絶品。女用の隔たりスペースに通して下さり、 専属の少年給仕さんが付き、台所を見物させてもらった。
いたれりつくせり。
その上カレーは 随分おまけしてもらった。サイドディッシュもうまかった
チャイ屋や軽食屋さんも充実。朝のチャイ+おかしがおいしかった。



セントマーティン島への行き方

船は諸説あったが、 私はお宿が一緒だったベンガル人ファミリーとシェアしてガイド付きの船をチャーター。
日帰りで行きました。
ローカルの乗合の船は テクナフ発・セントマーティン発とも午前中の一便のみだという噂も。
そうなると必ず一泊する必要がある。
Stマーティンの 宿は10部屋ぐらいあったような気がする。
ベンガル人の若者が数組泊まっていた。

p_ban_st.jpg
写真:便乗させてもらったご家族。既婚女性のパンジャビー・若い女の子の洋服は珍しい。
チッタゴンから学校を休んでやってきたのだとか。ジャストトラベル。バングラデシュではかなりの お金持ちの部類だと思うが、娘さんはとてもかわいらしい性格だった。

セントマーティン島

ナフ川を下ること数十分、ベンガル湾に出るとゆれるゆれる・・・
台風の日に 乗った大韓航空の次に死ぬかと思った。
2、3時間の小船の旅となります。
もちろん日をよけるところもない。 結構体力いる。
島といってもそれなりに広いが、特にすることはない。
何もないのとすることがないことが 好きな人にはよいかも。
ちなみに、バングラデシュ最南端はさらに南にある無人島で、そこが 映画のロケ地なのだそう。何もなかったけど。

p_ban_stfisher.jpg


p_ban_stfish.jpg
どこの国にもあわててピース出して手だけぼけちゃう少年がいる。
ここで見たもので一番感動したのは、母ヤギを見つけた双子のこやぎがうれしさのあまり スキップしている様子を目撃したこと!
何がすごいって、ジャンプのタイミングがぴったり合ってたこと!!
この時以来、うれしさをジャンプで現す素敵な生き物「ヤギ」の大ファンになる。

コックスバザールのレストラン
島には数軒の食堂があった。水も買えたけれど、何が分からないボート移動のためにも水は沢山準備しないと・・・

普通に帰してもらえないのがバングラデシュの鉄則!

サンセットを待ってから出発。何個かの明かりだけを頼りベンガル湾を北上する。
真っ暗な海は激コワ!! 暗闇と船の揺れ両方からの恐怖を紛らわすため、ずっと空を見あげていた。
船の上から星を眺めるなんて。
天の川も見えるぐらい満天の夜空だった。
ああ、マサイ族だったらもっとキレイだっただろうに・・・

周囲に家の灯りが現れ、ナフ川に入ったことを知る。
良かった、ベンガル湾に沈まずに済んだ。
テクナフまでもうすぐだ・・・と 思ったら、船が止まった!
ガス欠!?一難去ってまた一難とはこのことか。
数時間川にぽつりと取り残された挙句、 結局ボートは他の船に牽引されていた。
ガスの量ぐらい知っとけよ!!
余談ですがこんなところで携帯していた懐中電灯が役にたった。

遠くのほうでミャンマー籍の船が夜釣りをしていた。ああ、ミャンマー人がいた・・・。

テクナフからチッタゴンへバス移動

帰りのバスも、大変だ。
テクナフを出てすぐ、バスが泥にはまってどうにもこうにもならなくなった。
その間 多分一時間以上、暑いバスの中に閉じ込められ、結局反対側に来たバスに乗り換えるはめに。
道は狭く、後ろは大渋滞。泥まみれになって乗り換え用のバスに 辿り付いたら、村の子供だちがわんさかやってきて、ペットボトルに池の水を汲んできて 足にかけて洗ってくれた。
うわ~、めっちゃ見られてる・・・なんかクイズ番組のリポーター みたい、テレビで見た光景だ・・・

さらに一難。
バスの窓に肘をついて扇子をパタパタさせていたら、いきなり外から少年がジャンプ して扇子をひったくろうとした。
超公衆の面前で。 こんな堂々と泥棒行為をできるような環境って有りなんだろうか。
そこに いる人たち全員がすごく悪い人に思えた。
そして、自分じゃ大したものじゃないと思ってても、 こういう国ではどれだけ魅力的に写ってしまうのかということを実感した一件でもありました。
持ち物には 気をつけないとね。

| 2002バングラデシュ | 00:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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チッタゴンとカプタイ湖 (女一人バングラデシュ旅行記ブログ)

人口密度120%。工業都市だよチッタゴン ※2002年の日記です。

移動
ダッカからチッタゴン:バス約150tk(大型バス)半日
チッタゴンに着いてからの宿探しを考えると、早めに移動するのがよいかと思います。

チッタゴンからランガマティ:ローカルバス33tk 約5時間

ランガマティは入域制限!※2002年

バングラデシュ第二の都市チッタゴンは賑やかな街。バザールはとても大きく賑やか。
どこもかしこもひと・ひと・ひと!!!
バザールには、外国のおかしやキッコーマンを売る雑貨屋、あらゆる類の洋服屋さん、近郊の船舶解体所から拾ってきたと見られる 工具類などなど、多種多様の店がひしめいている。
そして人だらけで疲れる。
おまけにこの街だけで2回も尾行された。
ひとりのおっさんなど、勝手についてきて、おなじミスティ屋さんに入っていかにも私の連れを装い同じものを注文していた。
意味がわからないのでとりあえず思い切り一人分のお金を置いてさっさと逃げてきたが、いささかへこんだため、 軽く引き篭もりを起こしてMTV三昧。
なぜなら今日は中級ホテル♪♪♪シャッルッカーン、カッコイイなぁ
チッタゴンのホテルは CONFORT HOTEL 250TK バストイレTV/AC付き!とっても快適。場所も便利。
長距離バスを降りると何件か中級ホテルが並んでいました。
チッタゴンは人の移動も激しいので、夕方になるとどこもフル状態。おまけに安宿も 少ない。

チッタゴン見物
p_ban_chita.jpg
フィシュカリガット 漁港。魚市を兼ねている。
船は木造が多く、日本の漁船を思わせる色とりどりの登り旗がたなびく。
魚市は昼前には早々に撤収されていて、時間を間違えた私が 魚に変わって人々の見せ物になっていた。

p_ban_chitakiz.jpg
20人ぐらいの漁師の子供たちが笑うわけでも怒る訳でもなく無表情で後を付いて来る。
この子たちの服装とダッカのラールキラーの子供たちの服装を比べてみてください。
きっとここにいる子たちはバングラデシュでも かなり貧しい子供だちだと思います。
最貧国と言われるバングラデシュの中にも、大きな貧富の差があるようです。

丘の上にはマーケットがありました。ここは若者の洋服がメインで、古着市みたいな感じで賑わっていた。



ランガマティに行く ※2002年の旅行です。

ランガマティはチッタゴン丘陵にあるカプタイ湖のほとりの町。チッタゴン丘陵といえば、民族紛争が起こっている地区で、 今だ完全に安全なわけではない。そんなところになぜ行ってみる気になったかというと、ここに住むチャクマと呼ばれる 人々に会いたかったからです。

チャクマという人々は、南アジア系の顔つきではなく、私たちに非常に近い顔立ちをしていて、 インド圏にありながら、東南アジア風の習慣を持ち込み丘陵地帯で暮す人々。
そのためしばしばベンガル人と衝突が起こっているそうで、このあたりの情勢はまだまだ完全に解決されているとは言い難いそうです。(『アジアハイウェー』などで、仏教系の少数民族とベンガル人との確執について 触れられているのを読んだ。)

チャクマ族の人々。東から着々と西に進出している私としては、出発前からどうしても 会ってみたい人々でした。
それにカプタイ湖はなかなか美しいらしいし。楽しみ・・・だったんだけど。

チッタゴンをお昼頃出発。
山方面へのバスは超ローカルバスで乗車率150%。
走り出すとすぐにチッタゴン丘陵に入り、ここからはかなりの山道となる。
途中何度も検問があり、外国人を乗せている場合、運転手が申告し、 一人パスポートチェックを受ける。
さらに進むといよいよチャクマの森へ!

チャクマの人々はハデハデな色の民族衣装を着ている。
女性は巻きスカート、バックはミャンマー式の シャンバック。素敵。
家や村の様子もベンガル人のそれとはことなり、おまけに山の中なので、 まるで他の国にいるような気分。
単一民族の日本人にとって、こういう多民族的要素を 見る瞬間はなかなか興味深いものなのです。
やがて本日の目的地、カプタイ湖がチラチラっと目の前の山の間に 現れてきた!
期待はどんどん膨らんでいきます。と、そこで事件が!

ランガマティ入域地点のチェックポイントにて、危機一髪。

最後のチェックポイントでバスを下ろされた。
まだ湖まではちょっとあるではないか。外はもう 暗くなってきている。チェックポイントにいるのは私と数人の役人、そして別便で来た白人のツーリスト。
どうやらガイジンは許可なしでは来ていけなかったらしい。
そんなこと、知らん。聞いてナイ。 ダメなら手前のチェックポイントで止めてよ!!
白人は聞き分けがよくさっさと帰ってしまった。

えー!!5時間もかけてきたのに!!しかも日が暮れてからの移動は危険なんじゃないの!?
とにかく役人には普通の3倍粘って 泣き落とす攻撃しかないわけで、がんばっていた。
とそこへ助け船が。パジェロに乗った うさんくさいサングラスの刈り上げ中国人!!

「仕事の帰りなんだ、もしよかったら一緒にチッタゴンに戻らないかい?」
(ただでさえ危険な夜道に刈り上げの車にのこのこ乗れるか!)
ベンガリー「あいつらは危険だ、やめておけ、今夜は国営ホテル(推定35ドル)に泊まれ。」
(お金ないよ。)
チャイナ「何言ってるんだ、ここにいたって危険だろ、さぁマダム、僕達と一緒にチッタゴンに戻ろう、 金なら全部出してあげる(!!)さ。」
ベンガル「あいつらはウソをついている」
チャイナ「うそつきはお前たちだろう」
(やめて!私のためにケンカしないで!!)
チャイナ「そうかい、それなら勝手にするんだな」
(えええ、行っちゃうん!?)

外は真っ暗、ここにいるのはベンガル人男性二人。
これはやばい。帰るバスももうない、35ドルの国営ホテルに泊まるしかないのか、 それはやばい、本気で手持ちのお金がない。
ということはやはり、あれをするしかないのか・・・
 「ディスカウントぷりーず」

私のいっぱいいっぱいっぷりが伝わったのか、役人が 民間の宿を当たってみてくれた。
調子に乗って5ドル以下にしてくれと言ってみたが 軽くスルーされる。

なんでも外国人を泊める宿は許可した宿だけだとかで、またトラブルを恐れてか、引き受ける宿がなかなか見つからない。
やっと受け入れ先が決まってほっと一息、やってきたオートリキシャーに 乗り込もうとしたら、なぜか役人が一緒に乗ってきた。
なんで乗るのよ!!

宿についたら今度はオーナーがここにきて渋りだした。
なんでも前に泊まった白人が部屋を破壊していったからガイジンはいやなのだとか。
失礼な、そんな怪力はないっちゅーの!!
なんだかなぁ。。。奔走してくれる 役人にはほんとに申し訳ないが、へたりこんでしまった、もうどうにでもなれ。

ランガマティの切ない夜

宿から出るな、明日になったらとっとと帰れ、そういい残して役人は帰っていった。
申し訳ない。
私は一体なんのために ここに来たのか、5時間もかけてボロバスにのり、宿のトイレットペーパーには 今世紀最大のゴキブリがペトッとくっついていて、おっと今世紀はついこの間からだった。
とにかく 何も見ず、どこにも行かず、また5時間かけて山を戻るのか。
オーナーが食事を運んできてくれたが、安全のためか塔の入り口には鍵がかけられてしまった。軟禁!?
停電の中、まだ見ぬカプタイ湖の淡水魚カレーを 蝋燭の下でもくもくと食べつづけた。
美味。魚美味。魚もっとください、魚獲りたい・・・カプタイ湖見たかった・・・
せめてもの救いといえば、宿のスィートルームをエコノミー料金にディスカウントしてもらったことぐらいか。
推定20畳、大きすぎる。

この日の私の疲労感、伝わっておりますでしょうか、なんでもなかった体調が、この日 なんといきなり40度も発熱してしまったぐらいなのですから。
この地域が微妙な状態にあることを知っていたら、せめて観光局で確認をとるぐらいしてればよかったわけで (本にはパーミットがいることは触れられていなかった)移動すると分かっていたなら午前中早々に 出発していればよかった。
そういう普通のことを怠けたから起こってしまったことなのです。 自業自得です。
ということで、まとめると、「カプタイ湖に行く時は 誰も信じるな、自分を信じて政府観光局へ行け」事件でした。

(2002年)

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ダッカ2002年 (バングラデシュ女一人旅旅行記ブログ)

2002年、女子大生パッカーが一人で行ったバングラデシュの旅行記

ダッカへの道のり
ラジシャヒ→ダッカ :バス100tk
6時間の予定が12時間。文中あるように、すんごい遅れる。特にダッカは宿探しが大変なので、早めに出るべきだった。

いざ首都ダッカへ。誕生日にバス移動でした。
ラジシャヒからダッカへは、ジョムナ川という巨大な川にかかる橋を渡る。
ビーマンのポスターにもなっている巨大な橋。でっかい。
氾濫して 川の流れが多少変わって大丈夫なくらいでっかい。
さすがはバングラデシュの顔。この橋を作ったらしい(?)大林組すごい。
関係ないけどなぜかバングラには福山通運の緑のトラックがすんごい多い。

さて、バスはいよいよダッカ近郊へ・・・と思ったら3時間ぐらい大渋滞に巻き込まれていた。 お誕生日なのに・・・

こうしてどうにかこうにか3ヶ月ぶりのダッカについたのは、夜の8時、グリスタン近くのバス停に降ろされる。
近くのホテルを何件か巡るも、どこも値段の割りに超汚い!なんだこりゃ!?
シーツはシミだらけ、壁はパンの痕跡だらけ、Gがひしめき、かび臭い!!!
おまけにどこもぜんぜんまけてくれない。
もう夜なのに・・・お誕生日なのに・・・

一体何軒見てまわったのだろう、何件目のイスラミックな宿で女はダメだと言われて感情爆発。
人道的に 間違っている!!こんな夜更けにふらふらになってやってきたその日誕生日の女を追い出すの!?
アッラーはもっと心がひろいどー!!!!!

そんなわけで、泣き落としが成功して泊まることが決まったら、なんだか皆す ごく親切にしてくれてお水などを買ってきてくれた。
ありがとう。やっぱりアッラーは偉大だわ。
旅人にやさしくするのがイスラムの流儀、後世まで大事にしてほしい。

至上最悪の儀式

よりにもよってお誕生日に大渋滞に巻き込まれた挙句、この旅屈指の汚いを通り越して不潔なお部屋に荷物を置いたのは夜10時。
お誕生日なのに!!!!
停電用のろうそくに火をつけて、ひとりぼっち歌ってしまったよ
はぴばすでぇ トゥミー!!!

なお、あんなにトホホな思いをしたのに2年後のお誕生日にもちゃっかりミャンマーにて移動していた。
学習しない。

神は私を見捨てなかった。

そんなトホホな私のお誕生日ですが、ちょっとだけいいこともありました。
翌日 オールドダッカのとある立派なお菓子屋さんに入り、パンと飲み物を注文したところ、オーナーが親日家でバナナとクッキーとチャイをご馳走してくれた。
その上パンと飲み物のお代も取らず、お店のクッキーをごっそり と持たせてくれた。
きっと彼が日本に来た時親切にしてくれた日本人がいたんだろうな。
バングラにはこの店みたいに色んな形の手作りクッキーを瓶につめ並べているお店が結構あり、袋詰のクッキーより おいしい!
インドみたいにクッキーにカレー粉入れたりしないよ。
たまに出来たてのクッキーをあれこれ味見させてくれたりもする。
以来常にクッキーを携帯。 でもここのクッキーほどおいしかったのは他になかった。
サクサク度が違ったの。また行きたいな~。
ボロカトラ・ チョットカトラの近くの下町っぽいところにありました。

この他にもリキシャー代を払ってくれたりチャイをご馳走してくれたりと、沢山親切さんに出会った。
「きみはこの国のお客さんなんだから気にするな」というおじさんのかっこいい言葉が忘れられない。
私も日本に来た ガイジンさんには親切にしなくちゃいかんです。



ダッカの印象

人とリキシャがいっぱいで、空気が悪かった。街灯が少ない。
街自体はとっても広く、 カトマンドゥやヤンゴン、ホーチミンなどと比べるとはるかに大きく近代的。
車もそこそこ走っているし、モノも多く活気がある。
ダッカの中心だけ見てると、とてもここが最貧国だとは思えない。
ツーリストが普通に歩くようなところには、スラムのような地区も全然見あたらなかった。
色々な写真集でダッカのスラムやゴミ集めをする少年の写真を見るが、少なくとも以下の地区では そんな光景は見なかった。
お金はシティバンクのATMで下せた。
ニューマーケットの向かいの建物の中にネット屋があって、日本語のセッティングをした。当時はよくそういう風にしていた。。。

炎のおさんぽ

ダッカは大きい。 いくつもの地区に分かれていて、それぞれの地区は歩いて周れないくらい。
排気ガスにまみれながら、連日 暑さにも負けず徘徊してきました。

★モティジール★
ビルが立ち並び道も広く近代的。日本でいうと丸の内? だけど走るのは車よりリキシャーが多い。

★グリスタン交差点付近★
国立競技場やGPO、マーケットなどがあって 何かと便利。バスの便も多い。バングラの上野??

★メインバザール付近★
とても賑やかで、ニューマーケットの外にも別のマーケットや ショッピングセンターが建ち並ぶバングラの渋谷???

★国会議事堂付近★
移転したばかりのイミグレーションオフィスなどがあるが、 閑散とした地区。さいたま新都心~蕨みたいな感じ。

★ミルプロード沿い★
アーロンのでっかいお店やシティバンク・ ナウでヤングなファーストフードショップなどいちいち立ち止まっては見物してきました。

★オールドダッカ地区★
どこの国でもオールド・下町と付くところを歩くのは楽しい。道が狭く、 小さな商店が並び、時々すごい古い建物があったり・・・歩いて周るにはいささか大きすぎるが、1日かけてゆっくり散歩 したい地区。

治安

散歩と買い食い好きの私は例によってダッカのいたるところを歩いてまわりましたが、治安はさほど悪くない感じで した。
何しろどこにでも人がいるので、それが逆に歩きやすくしてくれました。
散歩といえど、ひとけのない路地と人情溢れる路地を見分けながら、気を抜かずに歩く。
夜は夜で相変らず人は多いが、 リキシャーに乗るのは考えもの。
バスも満員ですが、夜になると女性の姿がぱたっと消える。
女の人は日没後は出歩かないらしい。

お宿事情

ダッカは見るものや食物が思ったより豊富でついつい長居をしてしまいました。
長くいる 宿だから、できることなら快適に過ごしたかったのですが、低予算ではそれも厳しい。
250TKぐらいでやっと泊ってもいいかな程度のレベルでした。 やはり都会なので宿に関しては相当物価が高い。

グリスタンの交差点にはいくつか安宿がありましたが、どれも ひどいものでした。
この地区は割と外国人慣れしている印象です。
GTOのあたりまで行くと、 200TKを超えますが商人宿のようなものがあり、意外ときれいでした。
名前は思い出せないのですが、 グリスタンより北、モティジールより西 にある中級ホテル街は、何軒か外国人お断りといわれました。

個人的には、特に女性には多少お金を出してでもバックパッカー以外の外国人が泊まるような外国人慣れした安全でキレイな宿に泊まるべきだと感じた。 ただでさえいつもの旅のように他のツーリストとおしゃべりする時間が少ないのに、帰って来た宿が 狭い臭い汚いだと精神衛生上すごく苦しい。

移動手段

お目当ての地区までリキシャーやバスを使い、着いたらひたすら歩き回るといった感じで見物しました。

☆リキシャー・・・ダッカはリキシャーの町。どこにでもいるので 便利なのですが、いかんせん広いダッカ。
あんまり長距離だとなんだか申し訳ないし、時間もかかるのでバスが便利。

☆バス・・・ダッカ市内では小さな市バスが頻繁に走っており、車掌(かと思いきやただの客のこともある) がけたたましく行き先を連呼し、客寄せしています。
行き先が有名な地名であれば簡単に乗るバスを見つけられるはず。
無理やり乗って車掌が来たらお金を払うのですが、女性はムハンマドの教え?に従い何が何でも座らせるらしく、 また、前方にまとめられることが多いので何かと安心です。
おばちゃんが必ずバングラ○△□~、ベンガル語しゃ べれるんかいな??と尋ねてくる。
行き先を告げておけば降りる時にはみんながここだここだと教えてくれるので、 まったく市バスは快適でした。

暗くなってからでもバスは常に満席状態で、 小道をすり抜けていくリキシャーよりは私は好きでした。
ただし日没後バスには あまり女性が乗っていませんでした。
また、土地の女性もリキシャーやバスに乗ると きは男性パートナーなり友人同士など、単独行動は避けているようでした。



炎のお散歩・観光編

なんだかんだで 一週間近くいて、ほぼ毎日元気に歩きまわりました。意外と見るとこ多くて忙しかったです。

オールドダッカ
グリスタンから延々歩いて ヨドルガットまでいきました。アルメニアンチャーチやスターマスジット付近はリキシャーがおすすめですが、 ボロカトラ・チョットカトラのあたりは歩いて正解。終点はラールキラーで夕涼み♪

★ショドルガット★
ダッカの港で沢山の船が停泊しています。 川の国、バングラならではの光景は圧巻。渡し舟が頻繁に出ていたので、船の見物ついでにちょっと渡ってきました。
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★スターマスジット★
かわいらしいモスクです。日本の浮世絵を模したタイルが ありました。
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★アルメニアンチャーチ★
静かな教会。静すぎて怖かった。

★ボロカトラ・チョットカトラ★
門のようなレンガ造りの古い建物。 ただのぼろい館なのですが、オールドダッカでも一段と下町らしさを増した街の雰囲気に マッチしてていいかんじでした。中からイスラム装束を来た男の子が笑いかけてくれて、これがまた 絵になる光景で。一瞬中世にタイムスリップしたかのようでした。

★ラールキラーパーク★
よく整備された公園で、市民の憩いの場。入場料を取るため 来ている人の身なりがよかった。ちょっとした博物館もある。
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ラールキラーと少年ら。なんてこざっぱりとしているのでしょう。


その他の観光スポット
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博物館の前でみつけた手作りピアス屋。壁にはペイントが。

☆国立博物館☆
うら若き乙女の柔肌でしか織ることができなかったと言われる伝説の織物、 ダッカモスリンで有名ですが、それより何より印象的なのは象牙で作った着物姿の日本女性の置物。 細い一重まぶたの瞳に自分をみた。中はとても広く、古いノクシカタなどバングラデシュを知るための展示物がそろっています。 (無料)近くには美術学校のようなものがあり、個展なども開催されています。 バングラデシュの若者による現代アートに触れてみてはいかが?

☆国会議事堂☆
ロードパーミッションを取りに入った建物から眺めることがで きました。有名な建築家が設計したとか。

☆ニューマーケット☆ ダッカの中心部に位置するマーケット。 特別珍しいものが置いてあるわけではありませんが、賑やかで雰囲気を楽しむだけでも面白い。中は整備も行き届き、軽食屋もあり ます。(バングラのトレンドおやつの発信地!)マーケットの外にもサリー屋さん通り、本・文房具通り、金行通りなどすごい 数のお店が。おばちゃんがすごい勢いで買い物してた。

ちょっと乙なお散歩コース

☆☆☆☆☆高級ホテル巡り
NGO関連の手工芸品屋さんが入っているので、 ショナルガオンやヒルトンに入ってきました。ビーサンで・・・タイとかでも絶対ありえない事態。5つ☆なのですが そういう雰囲気をみじんも感じさせないフレンドリーな作りでした。外観はぼろかったけど、中は ぴかぴか。・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜ 地方で最も貧しい人々を見て、都会で最もリッチな人々を見る。観光地以外にも、確かめなくては ならないことは沢山あります。

☆アリアンス・フランセーズ(みたいな名前)☆
ミルプロード沿いにあるフランス関係のアトリエで、フランスのアーティストの個展の他、私が行った時には 硫酸犯罪(*1)による被害者の写真展をやっていました。サロンではピアノ教室が開かれていて、 最もお金持ちの部類の子がキレイなメープルシロップ色のピアノを弾いていました。
ダッカではこの他、芸術的な催しがよく開催されているようで、その情報もここで集めることができます。

バングラデシュの お土産

なんといってもノクシカタ。女性たちが作る美しい刺 繍で、その方法や絵柄は作り手によって全く異なります 。
クッションカバーやバックがお手ごろですが、数百ドルする絵のように美しい刺繍は必見(>_<)
特にエスニック柄好きにはおすすめ!フェアトレードというやつなので結構高いです。
しかたなしにどこかのNGO団体が制作したパンフレットで我慢しましたが、それでもついつい見とれてしまいます。

☆アーローン☆
NGO団体BLACKの販売部門。 規模も大きく、ビル一つまるごと手工芸品。ダッカ市内に数件あります。
客はバングラデシュの裕福な層の人々と、なぜか中国人。
明るい店内と沢山の商品、この中だけバン グラデシュではないかのようですが、売っているものはバングラデシュらしさ満載。
小さな刺繍の小物から見事な刺繍の施されたパンジャビードレスまでなんでもあり。
なんと包装までしてくれます。
ほとんどが女性の従業員だったことも印象的。商品から従業員さんまで、 しっかりと管理されているようでした。

☆ホテル内☆
上記高級ホテル店内には、刺繍もの以外にもバングラデシュの画家の絵などお土産屋が沢山入ってます。
お店の人にバングラデシュのNGO や女性の事情などについて色々尋ねてみました。
ホテルに勤めている女性は英語も堪能なので、 私生活や宗教と仕事の関係など、とても気さくに話してくれました。
とても進歩的な考えの女性で、「アッラーは女が働くことを禁止してはいないのよ、私もっと働きたいわ、でも旦那の 世話もしなくちゃならないから大変よ~」などとぼやいていました。

しかし中には完全商用なのもあり、 「女性たちには売上の何割が渡るの?」という質問はうやむやにされたりもしました。
このホテルの周辺には何件かNGO関連のお店があり、ボランティアなどで訪れる日本人の 間でも有名なようです。


※硫酸犯罪

男女間のトラブルが元で、 女性に硫酸をかける事件が多発しているそうです。(これは2015年の今も問題)
硫酸は車屋さんで簡単に手に入り、 多くの場合女性の寝込みを襲います。女性は一人で寝ている訳ではないので、しばしば家族も被害に遭うのだそうです。
彼女たちの治療は外国の団体が支援しているそうですが、硫酸は目や鼻・指や耳までも溶かしてしまい、 決して元のような美しい顔立ちには戻りません。もちろん目にかかれば失明します。

口説いたら拒否されたとか、 なんとも幼稚な理由に拠るところが大きいそうですが、恐ろしすぎます。
硫酸被害者の女性が ぼろぼろになった肌を見せて物乞いしてきたこともありました。
こんなものを最初に見てしまったものだから、 しばらくベンガル人男性に対して不信感を抱いてしまいました・・・

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ラジシャヒからダッカへ (バングラデシュ女一人旅旅行記ブログ)

2002年、女子大生パッカーのバングラデシュの旅行記です。

ハオルを超えてラジシャヒへ!

ひどい目にあったソイヨドプールを早々においとまして、二日目は北西部第一の都市ラジシャヒへ向かう。
まだまだ雨季の明けきれぬ10月のベンガル、道中ずっと噂に聞くハオルが広がっている。
道の両側が湖のようになっているので、まるで水上を走っているみたい。
涼しい風を浴びながら、旅人気分を盛り上げる。

巨大なハオルと緑美しいベンガルの木々はとっても素敵なのですが、地元の人にはちょっと迷惑な存在らしく、この日も幹線道路を迂回していたらしい。
個人的には何時間見つづけても飽きないぐらい美しい景色に大満足。
昼頃ソイヨドプールを出ると、 夕暮れ前にはラジシャヒに到着。

ラジシャヒ見物

大きな町です。メインストリートからすぐの場所に宿を取る。夕涼みをするポッタ川や博物館などはメインストリートを西に進んだ 所にある。

博物館には特に変わっているものはないが、無料なので一応入っておく。
仏教・ヒンドゥ教・イスラム教の美術品有り。ここの博物館のことは妙に覚えている。

ラジシャヒを流れるポッタ川は、市民の憩いの場所。派手さはないけど、夕暮れ時にはちょこっとだけ屋台も出る。
静かに夕涼みをしたかったのに、振り返れば35人ぐらいが私たちを見物していたので早々退散。
なんて落ち着かない国なんだ・・・

ラジシャヒの国営ホテルにはビーマンのオフィスがあった。
ものすごく湿った感じで、レストランでは中国ばりに没有の嵐。国営なのに・・・・ちょっぴり泣けてきた。

ムクタインターナショナルからすぐのところに大きなマーケットがあった。
ムクタインターナショナルの通りとメインストリートが交差するT字路に色々なお店がひしめいていた。街一番のビリヤニ屋さんや 変わったフレーバーのアイスが売りのファーストフードショップ、コーヒーショップ、サモサ屋、輸入品やアルコールを扱っている雑貨屋など。
お誕生日記念にプリングルス購入。このあたりの風景は今も覚えている。インドの一角のような賑やかな光景だった。
あと、ここの路上で飲んだショウガ入りのチャイの味は忘れられない。
ショウガは切ると言うより砕いて入れていた。ミルクは入っていなくて、なんだかとってもおいしかったな

小さな遺跡の村、プティアへ日帰り旅

池を囲みこの地方独特の小さな遺跡が点在する。
すべて徒歩で見て回れる。小さな村なので人も少なく、 散々都会で人の目にさらされてきた人はほっと一息つけるのでは??
p_ban_puti.jpg

帰りのバスはエラいことになっていた。都会行きのバスが混んでいるのはお約束。けれどラジシャヒ行きのバスは。。。
後ろはおろか、窓さえも見えないほどすし詰め状態。
やっと勝ち取った席運転手の真横、エンジンの真上、フロントガラスの一歩手前。私のカラダは運転手より前に出てるんですけど・・・急ブレーキかけられたら死ぬな。同行者は地元のおばちゃんたちにもみくちゃにされていた。

移動

ソイヨドプール→ラジシャヒ:バス約140tk 半日
ソイヨドプールは地方の小さな町なので、バスはローカルバス。

ラジシャヒ→プティア:バス20tk 1時間
プティアにバス停はない。道端で乗り降り。遺跡からは多少距離があるのでリキシャを使うと○

お宿
ラジシャヒ ムクタインターナショナル
部屋もフロントもピカピカで清潔なバストイレ付き。あまりの素敵さにねばってT200tk。お得!
場所も便利で従業員も誠実、色んなものを放置して出掛けても、部屋の 掃除係は何一つ持っていかなかった。

(2002年情報)

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ダージリンからバングラデシュに入国

通過地点
インド側:シリグリ、ジャルパイグリ、ハルディバリ
バングラデシュ側:チラハティ、ソイヨドプール

移動

ダージリン→シリグリ(バスターミナル) :ジープ約45Rp
シリグリ→ジャルパイグリ :バス10Rp
ジャルパイグリ(バス停は道)→ハルディバリ:バス10Rp

ちなみにローカル×ローカルのため、おトイレになかなか行かれず、とうとう同行者が「水!水!」と叫びながら民家に駆け込んだ。何かと思ったら、知ってる単語でなんとかがんばってみたらしい。

インド側移動

バングラデシュに入る前、ダージリンにいたので、バングラデシュの北の国境から入国しました。
まずはインド側でのあれこれ。

ダージリンを昼頃出ると、シリグリでジープを乗り換え、日が暮れる頃にインド側の国境の町ハルディバリに到着。
出国や入国は色々と時間がかかるのでここで一泊。多分そんなにすんなりは移動できないと思います。いつも通り、ああでもないこうでもない、あっちだこっちだ、と。
色んなバスに乗せられて大変だった。

早速黄金のベンガル

インド側ジャルパイグリを過ぎるともう景色は黄金のベンガル!美しい並木と田園が広がります。
国境の町ハルデイバリは小さな町で何もないけど人は沢山いた。小額のタカの用意をお忘れなく。

出国までの大仕事

まずはハルディバリの町のイミグレでスタンプを押してもらい、税関チェック。イミグレでは写真が一枚必要なので、高校生の頃の写真を置いてくる。
リキシャーで畦道を進むこと数十分、ドゥルガーを奉るチェックポイントでチャイをご馳走になる。
さらに進むとやっと有刺鉄線、国境です。
小さな小屋にいるのは2、3人のおやじだけ。なんでも本日2組目の通過者らしい。
荷物チェックを受け(中味も)、乗ってきたリキシャーワラーが料金を上乗せして来たので、そそくさとバングラデシュへ逃げ込む。
ふぉふぉふぉ。網を越えたら何も言えまい。
それにしても、田んぼである。
振り返ると係員は冷たい視線でTHIS WAYと一言。
ディスウェイって、道沈んでるんすけど・・・

p_ban_kokkyou.jpg
ディスウェイ。



バングラデシュ入国

移動
国境→チラハティ :バンガリ約50tk1hour
チラハティ→ソイヨドプール :バス30tk

入国早々田んぼに突っ込み対岸に渡ると、いよいよバングラ国民と接触、待ち構えていたのは一台のバンガリ。
足元を見られたのか、早速ふっかけられる。がしかし、このルートに通過者が少ないことは確認済みよ、うちらを逃したら次は一体いつ来るのかしら。たまにはこっちが足元見させてもらうわ。強気にいきなり4分の1で商談成立。ちなみにタカ払いだったが、このとき私たちはタカを持ってない。これって軽く無賃乗車ね。

バンガリに揺られて

バンガリに乗って、いざイミグレの町、チラハティへ。町までは約1時間で、国境越えの田んぼでびしょびしょに濡れたジーンズも乾ききってしまった。
チラハティへの道はとても美しく、小さな村を過ぎる度に手を振ったりして旅気分に浸る。

指名手配疑惑

カスタムとイミグレはチラハティの駅前。イミグレにて日本赤軍の指名手配写真と照合される。重信房子さんはオールレディアレステッドよとアドバイス。それにしてもこんな辺鄙なところまで日本の警察の手が伸びていたとは・・・

両替する場所がない。

タカを一銭も持ってなかったので、あせったバンガリワラー氏に連れてかれたのは日本人が泊まっていた宿。
出国する日本人にルピーを買ってもらい、なんとかタカをゲットしたものの、翌日までタカを追加することができずカツカツで過ごす。

とりあえず腹ごしらえをし、相場が分からず店番とちょっぴりもめた。バスの中まで追ってきて、バスが発車してもぶーぶー言われた。←あとで考えると、正統な料金だったかも。今度は本気で昼飯代を踏み倒してしまったらしい。ほんとにごめんなさいm(__)m
チラハティストップする旅行者は多そうなので、ソイヨドプールほど好奇の視線に合わずにすむ。

ソイヨドプールに行く

とりあえず時間もあるので行ける所まで進んでみることに。夕暮れのベンガルは、まるで影絵のよう。気分良く見とれていたら、座席と背もたれの間から後ろの男の足の指がにょきにょきっと出てきてちょっぴり切れた。
日が暮れソイヨドプールに着くと早速50人ぐらいに囲まれ、沢山のベンガリーに惜しまれつついざ町へ。すれ違う人すれ違う人皆私たちを見ている・・・

もはや宿泊費は残っていないにもかかわらず、またしても、のこのこと安宿にチェックイン。
翌日あわてて銀行に走り、素知らぬ顔でお金を払う。先払いじゃなくてよかった(´ 3`)=3 

入国1日目にしてバングラ恐怖症

ソイヨドプールはガイドブックにも載っていない小さな町。きっとガイジンなんて来たことないのだろう、ミスティの値段を聞いているわずかな時間に50人ぐらいの人が様子を見ていた。
バスの中でも食堂でもひっきりなしに話かけられ、もうぐったり。先が思いやられる旅のはじまりです・・・

両替

2002年当時、チラハティでは両替ができなかった。ソイヨドプールでは外貨を扱っている銀行有り。金曜日はお休みなので注意。

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元祖バングラデシュ女一人旅 旅行記ブログ。

私がバングラデシュを一人で旅行したのは2002年。今から13年も前です。
当時、旅行人から”ウルトラガイド バングラデシュ”が刊行され、それがバングラデシュ行の後押しとなりました。
今、女一人でバングラデシュを旅行してみたい、とか、バングラデシュを一人旅してみたい、と思っている人がいたら、ぜひ行ってみたらいいと思います。
13年も前だって、とても素敵な旅ができたのだから。



バングラデシュ縦断旅行ルート  (北から入り、南端まで行き、西から出る陸路ルート)

2001/10/6    シリグリ→ジャルパイグリ→ハルデイバリ シリグリはダージリンへの拠点でもある
2001/10/7    ハルディバリ→国境→チラハティ→ソイヨドプール 国境越えは時間がかかる。
2001/10/8    ソイヨドプール→ラジシャヒ 黄金のベンガルを駆け抜けろ
2001/10/9    ラジシャヒ→プティア→ラジシャヒ 日帰りで
2001/10/10    ラジシャヒ観光
2001/10/11    ラジシャヒ→ダッカ お誕生日記念大渋滞
2001/10/11-15  ダッカ 興味深い
2001/10/15    ダッカ→チッタゴン
2001/10/16    チッタゴン→コックスバザール 途中でバスがスクールバスに変わった
2001/10/17    コックス→テクナフ 段々山がちに
2001/10/18    テクナフ→Stマーティン→テクナフ ベンガル一家に便乗日帰りツアー
2001/10/19    テクナフ→チッタゴン バスがぬかるみにつっこみ、乗り換え
2001/10/20    チッタゴン→ランガマティ 午後発夜着翌朝送還の刑
2001/10/21    ランガマティ→チッタゴン→ダッカ 発熱
2001/10/21-24  ダッカ 病み上がり元気に観光
2001/10/24    ダッカ→ジョソール 途中で船に乗り換える
2001/10/25    ジョソール→ベナポール→ジャンガオン→シアルダー




いきなり番外編☆トランジットで入る

バングラデシュに初めて降り立ったのは、バンコクからカトマンズへのビーマンのフライトでのトランジット。
(当時はLCCなんてなくて、激安航空会社だったビーマンバングラデシュ航空最盛期のころ。(日本にも乗り入れていたっけ)
バンコクからのツーリストはダッカで一旦降り立ち、それぞれカルカッタやカトマンズ、ロンドンなどへと散らばっていく。
その際、大抵次のフライトまで時間があるので、ツーリストはフライトの時間まで入国スタンプを押すことなく一旦市内のホテルへ移される。そのころのロシアなどでは通常ホテルに監禁状態になり、100ドルの秘密の市内ツアーが有名らしいけど、バングラデシュではそんなこそこそしたことはなく、その辺をブラブラぐらいなら全然オッケー。
なんでも一昔前はホテルが繁華街に近かったため、ツーリストは気軽に市内観光に繰り出せたのだそう。
残念ながら2001年時は郊外の辺鄙な場所にあるホテルに移されることが多いらしいけど、それでもダッカの様子を 眺めるのには十分な距離があってとてもおもしろい。そんなこんなで初めて見るリキシャーに感激し、 その数ヵ月後、意気揚揚とバングラに向かうことになってしまったのです・・・


ところでダッカでツーリストは飛行機を乗り換えるため、うっかり荷物を預けると とんでもないところにバックパックだけ飛んでいってしまうことがよくあると聞いた。
機内持込するか、ダッカで 一旦受取にするなどするといいかも。アバウトな国なので、なくなった荷物が速やかに戻ってくる確率は少ない。ドンムアンで荷物を預け、カトマンズ受け渡しにしていた人は、荷物がロンドンにいってしまったらしく、ネパールでしばらく途方に暮れていた。寝袋などもなくなりやすいとか・・・


ビーマンバングラデシュの総本山、ダッカ
遅延で有名ビーマンバングラデシュの本拠地、ダッカ。
9時半出発予定の飛行機はドンムアンで 数時間のディレイ。この間レストランでの夜食と高級ホテルへ一時移動される乗客。
そして深夜3時にたたき起こされ、早朝やっと出発して機内食。
無事ダッカに着き、郊外のホテルに移動して仮眠を取ると、ブランチのサービス。早くも三度目の食事。
再びダッカ空港に戻ると 予想通りのディレイで、空港のレストランで昼食サービス。
ようやっと飛行機に乗り込んで出発したら、 なんといきなりUターン!
モニターの「ご搭乗ありがとうございました」の文字に、ベンガリー大受け。
口々に 「サンキューだってよ~サンキュ~」とかなり盛り上がっていた・・・

そんなこんなでバンコクから実に20時間近くもかけて、やっとの思いでカトマンズに到着・・・
ダイレクトならほんの数時間のフライトなのに。
でも二つのホテルで久々のホットシャワーとふかふかベットを堪能し、計5回も食事を頂きました。
ビーマン太っ腹!

ちなみに別便でカトマンズにやってきた2人組の日本人の時も、ビーマンはダッカにUターンしたらしい。
二人はそれに 気付かず、舞い戻ったダッカをカトマンズと勘違いして感激していたのだそう。ほのぼのした方々です。


2015年追記)
この時、初めて上空から見たダッカの景色は今でも鮮明に覚えている。
湿気っぽい、雨季のダッカ。大きな建物はないけれど、コンクリートや茶色いレンガの建物が並ぶ街並み。
ところどころに見える椰子の木。
南アジアの景色自体初めてだったので、飛行機の窓から食い入るように街を眺めていた。




ガイドブックのなかった国

旅行人のガイドブックが出たのは、確か旅の直前で、歩き方にもバングラデシュ編はなく、日本語でのガイドブックがない!ってことで、主に 旅行記や滞在記録など、本を読んで大体のルートを決めました。ガイドブックにはないバングラデシュを 見つけてみてはいかが??

ASIA HIGHWAY2
NHK ASIA HIGHWAY PROJECT著 NHK出版
この本を読んで、ミャンマーを見にテクナフまで行ってしまいました。

女一人のアジア大陸シルクロードの歩き方
オーシルカズミ
背が高く短髪のオーシロさん。女一人楽しい旅をされていますが、これを読んでも安心できません。(続編も出ています。)

ASIA MONSOON
市原基 朝日新聞社
モンスーンアジアの写真集。力強いベンガルに惹きつけられました。 私の旅行人生を決定づけたのはこの写真集。

ダッカの55日
大嶽洋子 大嶽秀夫 中央公論社
ご年配のご夫婦のダッカ滞在記。かなり「守られた」滞在ですが、それでも刺激的。

バングラデシュ旅の真実! 旅行人1999 11月号
ロケットスチーマーや蔵前氏のジャングル体験記など。 これも相当参考になったし、当時これを見て旅している人が結構いたと思う。

VISA

こちらは2001年9月~10月の情報です。

バンコクで。
(日本大使館近く) 長期の旅行だと入国日とVISAの有効期限に注意。

デリーで。
ハイコミッション。メインバザールからは結構遠いが、帰りはコンノートプレイスまで市バスで行ける。(たまに昔の場所に連れて行かれてしまう)無料で翌日受け取りでした。

カルカッタで。
無料。2001年10月は総選挙がからんでいたので、少々状況が変わっていたのかもしれませんが、カルカッタよりもデリーのほうが悶着なく取得できたようです。

確か、インドもバンコクも同じアプリケーションフォームを使っていたと思うのですが、結構面倒くさかった。適当に分かったふり して書いてみたら、問題なく取れた。

有効期限は3ヶ月以内に入国だったと思う。友人はこの期限に一日遅れをとったため、ペンで日付を修正していました。スゲー。
たまたま 入国地点が日に数人しかツーリストの来ないど田舎だったため、ノーチェックで無事通過。さすがバングラ、イミグレも超アバウト。

★上記、2002年のできごと。

バングラデシュへの行き方2002年版

バンコクからはミャンマーを挟むので空路で。インドからは陸路で入国できる地点がいくつかあった。特に カルカッタからは数時間でバングラデシュに入国できる。しかし情勢の変化で国境は開いたり閉まったりしているらしいので、 運が悪いとにっちもさっちもいかなくなるかも。。。今はどうなってるのかな?

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