世界一周トラベリングソング。

2010年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年02月

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キーロンで高地順応修行チュウ

KEYLONG 2004/7/11

04071011 (13)


04071011 (8)
ホテルのベランダからの眺め。この谷の向こうからやって来た。


キーロンは、マナーリー・レーロードにあって、緑豊かな谷間にある小さな町。
目が覚めてベランダに出れば、目の前に広がる雄大な雪山!!
ほとんどの旅行者が通り過ぎてしまう町だが、インド平原ともラダックとも違う、独特の雰囲気と自然に囲まれた静かな街です。ほんとにおすすめ!!

04071011 (10)
チベット風の民家とポプラの木。この光景、ときめきます。

今朝のメニューは昨晩ベットでひらめいたメニューをオーダー。
昨晩の夕飯で食べたチキンスープに、これまた昨晩相方が頼んでいたホットミルクを混ぜて、チキンクリームスープにしてもらおういう魂胆。
成功したら、もしやキーロン初、いや、インド初のチキンクリームスープ??

早速宿のレストランに走り、例の弱気なインド人にお願いしてみる。
(彼は弱気というか、インド人にしてはありえないくらい控えめなのだが、本当に感じのいい青年で、会えばいつもはにかみ笑顔で、インド人がみんな彼になったらいいと思う)

説明しても分からないようだったら自ら厨房入りする構えだったが、彼はその意味を一発で理解したらしく、すぐに希望通りのステキなチキンクリームスープがやってきた。

お味も想像以上の美味でございました^^
と、そこへプリプリご立腹の相方登場。 どうやら私が部屋を出たとき、外から扉の鍵を閉めてしまったらしい。相方は必死に叫んで隣の人に助けを求めて開けてもらったんだそう。
わわわ。すみませぬ~

何はともあれ無事生還。私の飲んでいるチキンスープを見て、相方も同じものを注文。
朝から満足いく食事にありつけてハッピ~


・・・のはずでしたが、
数時間後、外出先から猛ダッシュでトイレに駆け込む私と、同じ頃どこかの公衆トイレに駆け込む相方・・・。

今から思うと、緑が豊かとはいえ3000mを超える高地だったので、胃腸の機能が弱っていただけかもしれないな。
もちろん、わがまま言って作ってもらった上、味自体は絶品だったので、恨む気持ちは微塵もありませぬ。


キーロン散策

04071011 (12)
キーロンのバス停付近。すごく乾燥している。

キーロンは、レーへの幹線道路とそこから九十九折りのように連なる何段かの小道に沿って広がる街。マーケットは少し下の方で、このあたりにちょっと高い宿と旅行会社兼ネット屋がある。


マーケットには、色の白い人やラダッキーなど、色々な顔つきの人がいた。
さらに進むと対岸への橋などもあるそうだが、相方によると結構遠いらしい。対岸に見えるパゴタに行ってみたかったけど、高地にビクビクしてあまり行動はできなかった。

04071011 (14)
マーケットやネットカフェのある通り。


相方と別れて小さな街をのんびり散策。
道に迷っていたら、おばちゃんが真上を指さして宿のある道を教えてくれた。
しばらくすると今度は平成生まれのお嬢さんに出くわす。
アラハバードで覚えたヒンディ語で「名前なんていうの?」って聞いてみると、 女の子たちは「ヒンデイしゃべってる!へんなのー!!」と言わんばかりに大騒ぎ。
そんなに不思議??
ちょっと調子に乗った私。
女の子が名前を名乗ったので、さっそく「あなたの名前バフット(とても)スンダール(キレイね)」
と伝えてみると、彼女も私の名前を聞いて、キレイな名前と褒めてくれた。
すごい!ヒンディなんて10語ぐらいしか知らないのに、なんか会話が成立してる!!
ちょっとうれしかったので記念写真を一枚パシャリ。キレイな名前を忘れてしまったのが残念。

k_girl.jpg→靴下を履いたままビーサンを履くな。


さっきおばちゃんが指さしていた幹線道路に戻ると、下の道の脇にある民家の屋上からさっきのおばちゃんが洗濯を干していたのが見えた。
手を振って無事戻れたことを伝えると、花咲く屋根の上から、おばちゃんも手を振って答えてくれた。

いい町だ。


戦地まであとわずか

軍人さんを乗せたトラックの隊列が、幹線道路を通り過ぎていった。
トラックの荷台に腰掛けている軍人さんに手を振ると、恐い顔がほころんで揃って手を振返してくれた。
なんだかちょっとうれしくて、それを延々10台分ぐらい手を振り続けていた。

軍人さんたちはみんな笑顔だったけど、その手には大きな銃。
もしも戦争が無かったら、あの人たちの笑顔はムーンランドへ向かう喜びに変わっていたのだろう。

彼らを見送りながら、私はこの道が前線にもつながっている事を思い出していた。


高地の夜空
高地へ行ったら楽しみなのが、夜の星空。 空気がうすいと青空だけでなく星空も期待できるのです。
ベランダに椅子を並べてしばし夜空鑑賞。
キーロンは山がちなので、広大な星空とはいきませんが、しっかり天の川は見られました。
そういえば、何日か前に七夕だったっけね。そんなお伽ばなし作るぐらいなんだから、昔はきっと日本でも見ることができたんだろう。

あ、流れ星だ。

相方「ラブ・ラブ・ラブ!」

ベサさん、 お星様に願いは届いていましたか?


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ムーンランドは遥か向こうに。


ACCESS
マナーリーから約7時間。ヒマーチャルプラデシュ州営バスが頻発。ローカルなので、色んなところで停まりまくる。

GUEST HOUSE
キーロンの宿は、主にバス停付近(安宿)と、階段を下ったマーケット辺り(ちょっと高級)。
キーロンを深夜に発つ人や、高地慣れしていない人には、マーケット周辺はちょっと大変。
私たちの泊まった宿(前ページ参照)は、確かゲストハウスの看板はないが、レストランが目印。バス停付近の宿では一番良かったし、ホットシャワーと水圧もそこそこ。ベットも清潔。

豆情報
マーケットには、激遅だがネット屋もある。
旅行会社は思ったほど多くはなく、レー行きのジープを扱う店は一軒しか見つからなかった。


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| 2004インド・ラダック | 21:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ロータンラ~コクサル~キーロン

MANALI-ROHTANG LA-KEYLONG -2- ロータン・ラ~コクサル

04071011 (2)

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ラフール・チャンドラ谷にて

ロータン・ラを越えるとバスは再び標高を下げ、一つ目のチェックポイント・コクサルがあるラフール・チャンドラ谷に向かう。

道は再び延々つづく九十九道。しかし素晴らしいことに、霧が晴れるにつれ現れたのは見事に雪化粧をほどこした山脈!!
いつか飛行機の上から見たことはあるけれど、地上に立って山の付け根からてっぺんまでを眺めているなんて、夢だか現実だか分かんなくなるぐらい感激した。

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このあたりは高山植物の宝庫でもあり、赤や青・黄色・白の花々が咲き誇る。派手さはないが、その小ささがなんともはかなげで可憐で、高山植物に目覚めてしまった。

コクサルや前方の山脈には畑も現れる。
いくつか平屋造りの集落も見られ、いよいよラダック文化圏に近づいてきたことを感じずには入られない。
よく見ると山の斜面に畑が耕されている。
畑の作物を見ながら、相方はジャガイモと玉葱があれば生きていけるなんて言っていた。
んなこと言うと、ここに置いてっちゃうぞ。


コクサル
チャンドラ川の先にはまだ見ぬ秘境スピディが。
―スピディ
あの時に知って以来、スピディとラダックの分かれ道の光景を今でも忘れられずにいる。
いつか、あの分かれ道の反対側に行ってみたいという思いは、今だに消えていない。

バスはスピディを背に西へ西へ。
谷に入り最初の村、コクサルで休憩兼パスポートチェックを受ける。
恐い顔した軍人さんだったが、「アリガト!サヨナラ!」と言われた。

チェックポイントに便乗して、コクサルは数件のダバ(食堂)がある。
しかしトイレには鍵。なぜだ!!!
周囲を見回すも、民家がちらほら、繁みは無しという野トイレには最悪の設定。
絶対誰かに見られるYO!

と、そこへ困った顔の相方登場。
「さっき欧米人のおねぇちゃんの半ケツ見ちゃったよ~汗」
早速見てるし!!

峠を越えて間もないため、薬丸も私も相方も軽く頭痛気味。 酸欠がはじまったらしい。


コクサル~キーロン
コクサルを過ぎるとバスは谷を左手に西へ西へ。右側に座っていた私の横はひたすら崖側。反対側はまたしても雪を被った雄大な山脈。
景色は見えないわ、薬丸は相方に思い切り寄りかかってるわ、てっきりいいムードかと思ったわ。
相方によると、何度肘鉄しても倒れてくるのだとか。

薬丸の名誉のために補足すると、インド人は日本人ほど他人の体に触れることに敏感ではない。
それに薬丸は、私があげた飴のお返しにと、わざわざコクサルであめを買っていたのだ。
悪気がないやつほど手に負えないものはなし。相方には悪いけれど、私の体を気遣ってくれたお礼にしばし我慢ししていただくしかない。

この区間はというと、何キロ置きかにコクサルよりも大きめな村が点在しており、ラダック風に家並みがあるかと思えば、パキスタンの山奥を思わせる花柄のショールを巻いた女の人がいたり。
ラダックの象徴(個人的に)、ポプラの若い木が見られるようになるのもこのあたりから。

こんな山奥ではあるが、毎日マナーリーからのローカルバスが行き来しているせいか、それほど秘境な雰囲気はない。
それでもGONDHLAの村で絵本に出てきそうなぐらいかわいい「村の郵便屋さん」を見た時、相方が一言。
「ここで葉書出したら、うちらとどっちが先に日本にたどり着くだろう。」
本当に、一体何をどうやったら、この村から日本にモノが届けられるのだろう??


あの日から7年経った今、あの村を思い出す。
世界から忘れ去られたかのようなあの村で、今日も誰かが暮らしているのかな。
あの日確かにこの目であのかわいい郵便局を見たはずなのに、夢だったと言われても不思議でないような、秘境の中の小さな村。
まるで、すぐ目の前にあるのに掴めない何かみたい。
存在自体が夢か現か分からない。。。
ヒマラヤって、本当に不思議。掴んだはずなのに手のひらに残っていないモノをもう1度探すために、人はヒマラヤに帰っていくんじゃないかな。


やがてBHAGA川に沿い道が大きく北へ北へと反れていくと、いよいよ草木の姿が消え岩肌があらわになる。
ここまで来ればキーロンはすぐそこ。
地図を見て安堵していると、旅の道づれ薬丸が、キーロンの手前の村でもなんでもない工事現場のようなところで降りていった。
てっきりキーロンまで行くのだとばかり思っていたのに。

もしかしたら彼はマナーリーからこの山奥まで出稼ぎにきたのかもしれない。
マナーリーのバス停で、友人と何度も何度も手を握りあっていた彼の姿が思い出される。
その光景たるや、相方が「一体何年ぶりの再会だったんだろうね」とつぶやいたほど。
もしかしたら、数ヶ月に及ぶ別れと過酷な労働への不安が彼の気持ちをあそこまで高ぶらせたのかもしれない。

村も店も木々もない。
あるのは茶色く流れる川だけ。
小さな荷物を一つ持った彼は、色のない谷の中に消えていった。


キーロンは突然現れる

以前キーロンの全景を写した写真を見ていたので、その街が緑豊な山の斜面に広がっていることは知っていた。
しかし景色はいつまでも続く乾いた山。
まだまだこれが続くのかとうんざりしだした頃、仔牛が一匹ふらふらっと歩いてきた。
おや、こんなところに迷子の家畜が。

人の住むにおいを感じたその時、雪を被った山のふもとに大きな集落が現れた。
キーロンだ!

マナーリー以来の街らしい街だが、バスターミナルなるものは無く、バスは路上で停車。
キーロンでは眺めがいいというラサゲストハウスに泊まろうと決めていたが、運良くそれが目の前にあるではないか。
早速行ってみると、写真で見たような景色はいずこ??
トイレも部屋に無いという。胃腸の調子が悪い上、利尿作用の強い薬を飲まなくてはいけないので、あまり好ましくはない。

いつものようにその辺のレストランの前にバックパックを投げ出し、どうしたものかと放心していると、どこからか私たちの噂を聞きつけた客引きさんが。


有吉は各地に現れる

「・・・細身の体にセンターパーツ、そしてだみ声。あの顔であのだみ声って怪しいんだよね。」
やって来た客引きは、どこかチンピラ風で前に何度か騙された覚えのある顔だった。
※アジア全域にしばしば現れるこの人種の特徴は、皆顔が有吉に似ているため、以後私たちの間で有吉と省略されて呼ばれることになる。

余談だが、この人種がどうやら有吉であるらしいことは二人共通であることが判明すると、私たちの生活が素晴らしく快適になった。今までいちいち「目がぎょろってて、だみ声でしゃべり方もなんか悪そうな、ほら、あの、あんなかんじじゃん??」「あーねあーね、チンピラっぽくて、だみ声を強調するようなしゃべり方してて、人の話は聞かないでノープロブレムばかり言ってるやつだよね、分かる分かる。」が、
「アイツ有吉ってるよ」「うん、有吉入ってるね。あやしいね。」で済む。実に快適。

さて、有吉リコメンドの「新しくてきれい」な宿はというと、内装が完成しておらず部屋はコンクリートのグレイ一色だった。
新しいにもほどがある。

旅の鉄則第1 条→有吉を信用してはならない。

振り出しにもどって再び放心していると、ここのレストランの従業員らしき青年がものすごく控え目に話し掛けてきた。
どうやらここも宿を併設しているらしい。なんだ、早く言ってよ~。

山の斜面に建った宿なので、部屋の前には広いバルコニーがある。部屋も広くベットは清潔。インドでおなじみの染物の布をシーツがわりにしているのがかわいい。もちろんトイレもついている。

「二泊で450Rpでいいわ。」
青年が控え目なことをいいことに、いきなり私が50Rpのディスカウントを許可した。(すみませぬ汗)
しかしそんな私たちの横暴な態度にもかかわらず、彼は相変らず愛想はいいが控えめで、それでいて素晴らしく良く気の付く理想のインド人だった。

そんな雇われチーフ(推測)の彼が切り盛りする宿に滞在した二日間は次のログで。

ACCESS
マナーリーのバススタンドからローカルバスで80Rp、約7時間。頻発。
バスはさらに先まで進み、宿もかなり先まで点在している。

前日窓口で聞いたら予約はできないと言っていたが、席を持っている人たちに聞いたら「要予約」だとか。

マナーリー発レー行きのバスはキーロンで一泊して翌朝4時キーロン発。


GUEST HOUSE
NALWA PAIN
バス付きW250Rp ディスカウント可。ドミ有り。翌朝早くレーへ立つ地元客でいっぱいだった。

バス停の目の前のレストランの下。目の前は谷と山、左右に雪山が望める

04071011 (11)

| 2004インド・ラダック | 00:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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マナーリーからキーロンへの道①ロータン・ラ

MANALI-ROHTANG LA-KEYLONG -1- 2004/7/10     

マナーリーで一応?高地順応対策その①をしたら、いよいよラダックへ向けて出発。
多くのツーリストはマナーリーからレーまで一気に行ってしまうが、ヨレヨレな私たちは体の事を考え、途中のキーロン(3400m) で高地順応②することにした。
私、本当に百発百中高山病になるのでね。

キーロンまでは約7時間113Kmの短い移動。
途中4000m弱のロータン・ラ(峠)も待ち構えている。
この日の移動は、ヒマラヤ前面からヒマラヤ山脈に入る素晴らしく変化に富んだ移動で、どれだけ目に焼き付けてもまだ足りないぐらい素晴らしい景色が望めました。


マナーリーからキーロンへはヒマーチャルプラデシュ州営のローカルバス(!)で向かうことにする。
あの、ダラムサラからマナーリーにやってきたときに乗った路線バス再びですよ・・・・

キーロンからレーへはどうやって行けばいいのかはあまりよく分かっていないが、なんとかなるさ。
最悪ローカルバスもあるさ。


ところで昨日から高山病予防の薬を飲み始めた。
大して水分はとっていないのに、夜中に何度も目が覚めてトイレに行く羽目に。
こうやって新陳代謝を活発にしておくことが必要らしいが、寝不足もまた健康の敵。
ついでに水分補給をしないと脱水状態になってしまうので注意。

がしかし、移動中はトイレ休憩も1、2時間に1回のみ。
(ここの移動はそれでも休憩が多かった。インドのバスのトイレ休憩は恐ろしく少ない。3~4時間走りつづけることは当たり前。)
予防のためにも水分は取りたいが、いかんせんローカルバス。
仕方なく朝は薬飲まず。
ついでに胃腸の調子も悪いので断食。
日に日に疲れがたまって体調はあまり良くない。
峠越えに不安が募る。
大した高さではないものの、体調が悪いと高山病にかかりやすくなるのです・・・

悪循環に悩まされつつ、ともかく今日は恐怖のバス移動。
隣でポテトチップやらビスケットをむしゃむしゃ喰らう相方に若干嫉妬の炎を燃やしつつ、断食を決め込む今日の私の意志は強い。


バスがやって来ると、降りる客が降りきる前から我先にとインド人らがバスに乗り込む。
欧米人のねぇちゃんもドカンドカンと突き進む。
かよわい私たちがバスに乗り込んだ時にはすでに満席。
これは困った。キーロンまでの悪路を7時間立ちっぱはまずい・・・

「・・・きもちわるいの」

間違ってはいないが、ちょっと大げさにクラっとしてみた。
別に計算していたわけではないけれど、若くて元気そうな、でも私たちより年上風の男の子の前でやってみた。
そしたら英語の全く話せないくるくるパーマの後ろ髪だけ長い昔のやっくんみたいな腕出しジージャンを着ていたインド人が席を譲ってくれた。

神様シバ様ごめんなさいそしてありがとうインド人大好きインド万歳!!
親切にも相方の分まで席をくれて、となりの少年はおやじの膝の上に抱えられているが、とにかく神様シバ様ありがとう!!
でも気持ち悪い手前、あまり顔を上げてはまずい設定になってしまった。
頭からショールをかぶり、こっそり窓の外を眺め、旅は始まった。


マナーリーからロータン・ラ
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緑がキレイな九十九折

ロータン・ラまでは緑の濃い山道をドライブ。
わずか 50Kmで標高は2000m上がるため、ひたすら九十九折の道が続く。
ロータン・ラはマナーリーに滞在するインド人にとっても人気の観光地のため、この道は交通量は激しい。
バスのくせに果敢に追い越しを繰り返す我がドライバー。
インド人よ、こんなときだけなぜ急ぐ。

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眺めは素晴らしく美しく、緑の中に石垣や谷間の渓流、放牧されている馬や牛などを見ることができる。
防寒具を売る掘っ立て小屋がひたすら続くのも楽しい。遠くに見えた万年雪がどんどん迫ってくるのもおもしろい。
インドにこんなに美しい山があったなんて、信じられない。
インドはでかい。


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写真のバスが我らが路線バス。ノンリクライニングの長いすなのです。

走り出して約1時間、ロータンラとの中間地点のドライブインで小休憩。
ここではパラセイリングができるらしい。沢にはパラソルも設置されている。ケーブル式のブランコまであるし。こんな山奥でこれでもかってほど商売してます。

出発するとすぐ、牛の死骸に群がるハゲタカを見た。
鳥葬の時を思い出す。
あの時は人間だったから気が付かなかったけど、鳥に喰われて無くなるってことは、つまりこういうことなんだ。

こうやって自然に土に戻っていくのは、思えば当然のサイクル、ごく自然な出来事。
鳥葬をやる理由について机の上で真面目に考えてた自分がばかばかしく思えた。


やがて木々が姿を消し、辺りが短い草に変わる。万年雪が目線の高さになり、雪の下を流れる川にかかる橋を渡る。空気が薄くなってきたからか、私も相方も薬丸も皆うとうととしてしまった。

そしてロータン・ラ。最初の峠に差し掛かる。
天気はあまりよくなく、雪の塊もちらほら見られるこの峠、マナーリーから一番近いだけあり、超俗物的で、インド人ツーリストがわんさか訪れ、馬に乗ってチョルテンのたなびく峠に向かうのがセオリーらしい。

馬遣いやレストランの従業員、そしてゴミモラルゼロのインド人ツーリストが捨てていったゴミがあたり一面溢れかえり、オイルの缶がゴロンゴロン転がっていた。


ACCESS
マナーリーのバススタンドからローカルバスで80Rp、約7時間。頻発。
バスはさらに先まで進み、宿もかなり先まで点在している。

前日窓口で聞いたら予約はできないと言っていたが、席を持っている人たちに聞いたら「要予約」だとか。

マナーリー発レー行きのバスはキーロンで一泊して翌朝4時キーロン発。

| 2004インド・ラダック | 23:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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温泉に行こう!VASHISHT バシシト小旅行

マナーリー&ヴァシシト 2004/7/9

ラダックに向け、今日は標高1800mのマナーリーで休養することにする。
マナーリーもダラムサラ同様夜は冷え込む。
ミノ(という名の寝袋)に包まれていると心地良くて、朝日が差し込んでも人々の喧騒が増してもなかなか出ることができません。
あと5分~~

この旅の間、平均睡眠時間10時間かも。

朝食はインド式で。
マナーリーの食堂は8:2でインド人向け。
インド人向けの店は朝からプーリー(薄く延ばした生地を揚げてふくらませた状態で食べる)とカレーセットが人気。
人が食べてるとおいしそうだから私たちも注文してみたけれど、おかげで朝から胃もたれが。。。

インドに来て一週間、このあたりから二人とも胃腸の調子が悪くなり、私も恒例の移動前断食を始める。
どちらかだけしか食べられなくとも、お互い容赦ない。鬼~!

けれどレーへの大移動に向け、大事に至らないうちに治しておかなければ。。。
せめて痩せてくれたら救われるのに、旅中はよく食べるので、差し引きゼロで終わるのです。

m_veg.jpg
マナーリーの野菜屋さん。
茄子、カリフラワー、オクラにトマトにかぼちゃ。
ここで食材を買って夏野菜カレーを作ってみたい


ご飯を食べてネット屋に行く。こんな田舎でもお店の女の子は画像付きでメッセしていた。しかも英語で。
店のおやじはスキー教室の先生らしく(インドのくせに、マナーリーからちょっと走れば万年雪なのです)長野オリンピックに来たことがあるのだとか。
ネットはというと、遅くて遅くて。
何度も途切れるし、ろくに作業はできなかったけれど、おやじはいい人だったので、途切れた分は随分割引してくれた。
インドの山奥はダイアルアップでアクセスポイントはデリーだという噂があるが、ホントなのでしょうか・・・


m_unique.jpg
ユニーク理容店。ユニークにされたら困る。
お客さん、なんで顔中クリーム塗られてるん??

続いて郵便局へ行く、というか行こうとしてみた。
たどり着いた入り口はどうやら裏口だったらしく、表に回れと言われる。
犬や床屋の写真を撮って、30メートルぐらいの間に数件並ぶチベット人経営の土産モノ店を覗いていたら、表口に行くのに1時間以上かかってしまった(汗)

裏道を通り宿へ帰ろうとしたら、西の方に万年雪の山が見え隠れしていた。
この時期のマナーリーは雨季真っ只中なため、展望はおろか雲がはけることすらなかったのに。

これはラッキー。
やらなくちゃいけない事なんて、何もない。
なんとなくそこを目指し、なんとなく上へ上へと歩いていく。
行くあてなんてないけれど、それこそ最高に贅沢な旅。
アドベンチャー!
どこだドラゴンボール!!!

って、あれ?もう行き止まりですか??

シェンロンを呼んだらプーアルにギャルのパンツって叫ばれた気分・・・



う~~~せっかく雪山を拝めるチャンスなのに。
この街はあまりにもごちゃごちゃしすぎていて、展望どころではない。

そこでもう夕刻ではあったが、山の上の温泉郷ヴァシシトに行ってみることにする。

ベアズ川を渡り、山を登ること約10分、ヴァシシトは予想外に外国人ツーリストが集まっていた。
どおりで下にヒッピーっぽい人が少なかったわけだ。
よく言われるバックパッカーの聖地とは、マナーリー市街からちょこっと離れたこっちのことだったらしい。

マナーリー (13)

マナーリー (10)

こんな涼しくて眺めのいい場所だった毎日まったりしてしまいたくもなる。
運良く雪山の雲は完全にはけて、すぐ目の前に白い山脈が迫りくる。あの向こうに私たちは向かうのですね・・・

で、温泉は?あたい、ちゃっかり巻きスカートとタオル持参なんだけど・・・

マナーリー (7)

・・・洗濯場ですか??

浴場らしき場を見るも。。。
・・・その、ため池?

温泉グッズを入れた買い物袋をぎゅっと握りしめた。
あのふんどしの欧米人サドゥーと、パンツはいたままのインド人と一緒に入るのですか??
ムリー!!

大いに落胆する私たちの横を爽やかな韓国人カップルが通りすぎていく。
「コニチワーニホン人デスカー」
「あら、ハングッサラムイムニダですか?アニョハセヨ。イルボンサラムですが何か。」
「ココ温泉ちがうアルよー洗濯するデスヨー」

私たちに諭すかのように、温泉水で彼の分まで洗濯する彼女。そんな彼女の写真を撮り続ける彼。
「キャッ熱イムニダ 」
「熱いキミもステキダハムニダ アハハハハ(ぱしゃりぱしゃり)」

イッラ~~~~
国でやれ、国で!!!

マナーリー (8)
カラフルな商店。
高地にいくと、ポテトチップとかのスナックの袋がパンパンになっている。


さて。気を取り直してヴァシシト観光。
ヴァシシトはマナーリーとは違い外国人向けの土産屋やレストランが多い。インド綿のかわいいエスニック服も売っているし、PCはXPで、CD焼いてもらった。(当時120Rp、かなり高め)

ルーフトップレストランからは周辺の山々の素晴らしい眺望。
ベアズ川が流れる谷、斜面に広がるりんご園がまぁなんてステキ!!こりゃぁ、欧米人がはまるのも無理はないな。またいつか来ることがあったら、きっと眺めのいい部屋を探して、ひねもす本でも読んで・・・って、ダラムサラでも言いましたね。


マナーリー (11)
このヘナは描くのでなく押すヘナ。さそり座の女、相方はサソリに挑戦。
やるのはとっても簡単なんだけど、すぐにひりひりして痛み出したそう。
毒でも入ってるんか??翌日にはサソリがぷくっと浮き上がり、やがて皮がむけカサブタに。一体何が入ってたいたんでしょう?
ちなみに寒い寒いレーにおいて、二の腕のサソリが日の目を浴びることはなかった。
気の毒に。

マナーリー (12)
観光に来ていた家族。写真を撮らせてくれました。

夕方からの観光にもかかわらず、なかなか濃い場所だったヴァシシト。
マナーリー市街に戻り、今夜はメインロードの一番はじっこにある高級めのレストランに入ってみることにする。
エアコンも効いていて、バーカウンターもあり、日本のファミレスなんかよりも全然ステキな作り。
でも停電してたけど。

昨日から散々匂いだけかがされていたシズラーとやらを注文。
んま!鶏の身が簡単にほぐれる!
チャパティー片手におしゃべりな二人がほとんど話しもせず無心で喰いまくった。
そういえば私断食中だったんだっけ?まあいっか。んまんま。

もちろんこんな重たいもん食べてダイジョブなわけがない。
深夜のトイレでため息一つ、女24歳、只今(当時)食べ盛りデス。

追記)ホテルの部屋のこととか全然覚えていないけど、この時のトイレの光景はなんとなく覚えている。きっとよっぽど苦しい思いをしたのでしょう。気の毒に。(自業自得だが。)

ACCESS
ヴァシシト
マナーリーからオートで40Rp(FIXプライス)



GUEST HOUSE
マナーリーに滞在する多くのツーリストはヴァシシトに宿を取る。眺めのいい宿はたくさんあったのでいつかここにも滞在してみたい。


| 2004インド・ラダック | 16:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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クル~マナーリー

MANALI -1- 2004/7/8

ダラムサラからの道は悪路の上、止まない雨で土砂崩れがあったらしい。途中で数時間足止めを喰らうも、次に目が覚めた時カッパの前に広がっていたのは緑美しいクル渓谷の山々だった。
カッパ感激。

雨は止んでいたが、マナーリーに向けて標高はぐんぐん上がっている。

途中通過した町、クルは、ガイドブックにも載っていて、インド人にとってマナーリーやマンディに並ぶ人気の観光地らしい。
道に沿いかなり大きく広がっているため、ここに宿を取るとしたらどこに泊まっていいのかさっぱり分からないだろうなぁ。

この辺りで感動したのは沢山のりんご園。名産らしい。
さるすべりやノウゼンカヅラ、キョウチクトウなど実家の庭に生えてる花も沢山咲いていた。
なんだかとってもピースフル。なんだかとってもふるさとのかほり。
ここはもう温帯地域。灼熱のデリーと同じ国とはとても思えない。


そうこうしているうちに、オンボロバスはやっとのことでマナーリーに到着。
マナーリーというのは昔からガイドブックで知ってはいたが、高原の静かな避暑地だと思っていた。
しかし実際はインド人観光客がこぞって押し寄せる一大観光地。
ものすごい数のホテルと、ものすごい数のラブラブカップル。。。新婚旅行のメッカなのだそうですヨ。


マナーリー (1)
インド人のおじさん(イメージどおり!?)

バスターミナルに着くとネパリーの帽子をかぶったおじさんが客引いてきた。どこに泊まっていいやら検討もつかないし、こんな時は大人しく客引かれる。
ここから近い?バックパックがあるから丘の上はイヤですよ。
一人100ルピーでホットシャワーついてる?

「ノープロブレム。歩いて5分近い近い。ナイスガーデン・めにーめにーふらわーキミたちモーニングラッキー朝一番のお客さまハッピー割引きノープロブレムノープロブレム」



・・・で、かれこれ15分歩いてるんですけど。

とそこへ超小汚いちっこい人がやってきて、いきなりニホンゴで「いくらですか?」と訪ねてきた。
??
タイ人?ニホンゴうまくない?
「なんか安いっていうから来たんすけど。」

え?日本人すか!?

浅黒くてげっそり痩せてて貧相でどこからどう見ても日本人じゃなさそうなこの男、どうやら正真正銘の日本人らしい。
旅するには安全そうだが、いくら長旅とはいえ、清潔感は保ていてほしいというのが、時々日本からやってくる旅人の率直な意見である。


で、結局ホテルは街から遠いし、値段も言い値通りじゃないし、渋り出すといい人ヅラだったおやじの目の色が変わってきた。こういう時はさっさとさよならするに限る。

しかし・・・山口県民といいチベタンといい、今回ムコ探し運全然ツイていないのである。

「やっぱインドじゃまともなのは無理なのかな~。」

今さらですが、まともを求めるならインドに来るな


突然ですが、宿探しポイントなるものは。
短い滞在の時は景色より便利さ優先で。
バスターミナルから近く食堂街や旅行会社に行くのも便利な場所を選びます。
バックパックを背負って歩きまわるほど元気でない。

フロントの陰気さ加減でなんとなく危機管理センサーが反応したら即却下。
誰かと旅をしていると、決める時はお互い決定権を譲り合うくせに、キケンな空気を感じるのは一緒だったりするのが不思議。

2~3軒見ても決まらないと、ケンカになる前にとっとと茶にしてしまう。
あせらずのんびりチャイを飲んで、いやいやガイドブックを開いたあたりで、不思議とどこからか私たちの姿を嗅ぎつけた客引きがポンと好条件を出し、あっけなく交渉成立してしまうことも多いのです。

この日も超好立地でナイスなお宿を、なんと250Rpもまけてもらい無事チェックイン。
なぜだか今だに謎だけど、強いて言えばテレビはつかなかったけど、なんといってもパンフレットがあるくらいまともな宿に 250Rpで泊まれるとは。
ムコ運は悪いけど、旅運は本日も絶好調♪


マナーリー (3)
マナーリーのバスターミナルで 神様人形付小箱を持って布施をねだる子
この地方ではこうして物乞いするらしい


マナーリー
名物フードはパニール包み焼。 フェンネル入りでクセがある。
アイスクリームとポップコーンがブーム。
フレーバーもいっぱいありマス


マナーリー (2)
マナーリーでの夕食は、チキンチョウメンとコーンスープ
北のスープはなぜかうまい!

街はインド人観光客相手の土産屋(特に厚手の布に見事な刺繍がほどこされたサリーやパシュミナショール類)と飲食店・軽食屋台が並ぶ。

レーへの起点でもあるため、旅行代理店も多い。
チベット人難民も多く住んでいるので、チベットの土産ものを探すのも楽しい。
もちろんチベット料理も食べられる。
日本のミズタキなんてものもあったが、すでに鍋に入って出てくるのでスープ状態。
シズラーという鉄板焼が名物らしい。
すんごいボリュームでおいしい野菜とお肉・激ウマソースであっという間に完食☆おすすめです♪


マナーリー (5)
食後はやっぱりチャイでしょう。
ミルクだけでなく、カラダにやさしいジンジャーティーなどもあるのです。


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食後は粗目砂糖とフェンネルを噛むのがインドの習慣。
フェンネル、(何でも食べられる私としては非常にめずらしく)苦手なんですけど、これはこれで今となってはなつかしの味。
最近は日本のインド料理店でも普通に出てくることが多い。

ACCESS
ダラムサラ
ダラムサラからの州営バスは昼間と夜行が一台づつ。
デリーからはクルやマンディを経由。

GUEST HOUSE
SAWAN residency
W250Rp
下のレストランでウダウダなやんでいたら大幅ディスカウントしてくれた。部屋は狭いが、バルコニーがある。メイン通りもすぐ近くてとても便利な場所。トイレの窓から塀の高い学校の中の様子がよく見える。


| 2004インド・ラダック | 14:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ダラムサラからマナーリーへ。

7月7日七夕ですね。
ダラムサラ2日目、日本を出発して5日ぶりにベットで寝ました。
ダラムサラの夜は冷え込むため、この旅のために買った寝袋ミノ1号を出動させる。
寝袋持参の旅人って旅慣れたイメージ♪で、また一歩旅人らしくなった自分に若干酔っていた節あり。

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クンガゲストハウス(当時W250Rp)
とても明るく清潔。眺めのいい部屋とルーフトップレストラン併設。おすすめ

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朝は皆でのんびりルーフトップレストランで食事をする。
欧米人が多いだけあり、ケーキ類・パイ・キッシュ・ラザニアなどもどきものが豊富。見た目はどれも食欲をそそるけど、どいつもこいつもかたい。

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どことなくダージリンとか、ネパールの山を思い出す町並み。
こういうところ、好きです。
今度は何もせずに、ひねもすチャイ片手に本でも読んで過ごしたい。


ダラムサラにはもう少し滞在してみたかったけど、やることがなくなりそうなので早くも今日の夜行でマナーリーに立つことにする。
州立バスのチケットオフィスに行こうとしたら人々が寄ってたかってプライベートバスチケットを売ろうとする。どいつもこいつも 「CLOSEした」は常套句。
右を見ればほらほら、開いてるし。

バスの時間までお互いフラフラしてみることにする。
私はチベット難民を支援する団体「ルンタハウス」に日本から持ってきた衣類を渡しに行く。
スタッフによると今なおチベット本土からの難民はあとを断たないのだとか。
そんな人々への衣類が不足しているらしいが、チベット人は思ってる以上に財力があるため、わざわざ外国人に援助を求めなくてもやっていけそうだと思ったのは私だけ??
ほんとのところはどうなんだろか。

救援物資はあんまりありがたがられなかったようだけど、少なくともうちにあるよりはマシだろう。

・・・ほんとのところはどうなんだろか。

迷って同じ道を行ったり来たりしていたら知り合いが6人ぐらいできていた。
「オチカレサマデ~ス」って励まされちゃったよ(;´д`)

相方は近郊の滝まで小トレッキングに出掛けた。
岩山のてっぺんで笛を吹くお坊様に会ったらしく、いたく感動して帰ってきた。


チベタンにインタビューしてみました
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眺めのいいチャイ屋にてチベット人らしい顔をした男の子
チャイ屋で知らない人と文化や習慣の話をするのがとても好きです。
ということでイケメンのチベタン二人組に無理矢理話しかけてみました。
お連れさまの女性陣を横目に。

彼らの名前はテンジンさん。チベット人にはテンジンさんがやたらと多い。(※ブッティストネームらしい。)
難民2世か3世で、マイソール近郊のチベタン難民キャンプ出身とのこと。(※ダラムサラが手狭になったため、南インドにもかなりの数の亡命コミュニティーがあるらしい。)

インスティテュートを出て、出稼ぎでダラムサラ亡命政府の教育省と情報省で働いているのだとか。
おお、国家公務員か!?

二人とも国を知らないけど、国のために働いていることを誇りに思っているからこそ、家族から離れて働くことも苦にならないんだろう。
ついでにマイソールは死ぬほど暑いからダラムサラが好きなのだそう。

難民キャンプが南インドに開かれた当初、寒いチベットの人たちは適応するのが大変だったと聞いたことがある。ダラムサラは地形的にも決して恵まれているとはいえないけれど、それでもチベット人にとっては大切な土地なんだろうな。

熱心なブッティストの彼らに私たちの宗教を聞かれた。
「無宗教です」と答えると、相方が一言。
「地図帳には90%ブッティストって書いてあるんだけどね」
まじで。
「だって、ばぁちゃんちとか必ず仏壇あるし、墓に入れば寺の檀家に入るわけだし。」
まじでまじで?私仏教の教えなんてなんも知らないよ。

そんな私たちに彼らは一言。
「肝心なのは心の問題だよ。心をまっすぐにしてくれるものがあれば、どんな宗教かなんて問題じゃない。僕達はたまたま仏教だっただけだよ」

敬虔な仏教徒の彼らがこう断言するのはちょっと驚きだった。

21世紀になった今でも、人々は異なる宗教を牽制し合い、信仰のない私にとって宗教とは心を縛るマイナスイメージがつきまとっていた。
でももし色んな宗教を持つ人々が皆そういう意識を持ってたら、世界はもう少し平和になってたんじゃないかな。

「ところでダライラマは今病気で彼の家で寝込んでるんだよ。残念だったね。」
なんですと!?

「ダライラマに会った時は幸せで一杯だったよ」と言い残し彼らは爽やかに去っていった。

え~!いたの~!?
残念だけれど、ほとんどダラムサラにはいないダライラマと同じ街にいることだけでもありがたいことだ。
生きた観音様を慕うというのは、そういこと。アイドルに会うのとは訳が違うんだから。
でもやっぱり惜しかったな~。


マナーリーへ向けて出発

雨宿りをしながらネパールから来たというチベタンの兄妹に出会う。
亡命チベット人はうちの母親の世代から皆大変よく教育されていて、誰も彼も流暢に英語を話す。
「会えてよかった、良い旅を!」
「こちらこそ、あなたも気をつけて」

デラックスバスを横目に指定されたのは州営のローカルバス。
日本の路線バスみたいなノーリクライニング長椅子バスで、長距離走るにもかかわらず通勤通学の人たちが次から次へと出たり入ったり。
これはまるで路線バス(>_<)
雨で窓は開けられず、通路までぎゅうぎゅうの親父たちの熱気がムンムン充満している。クセー!!

荷物を置く場所はないので、自分たちの席の足を置く場所にバックパックを置いて、間に片足を押し込み、もう一方をバックパックの上に乗せる。
前が出口だからバックパックに足のっけて伸ばせるよ。超ラッキー(?)

荷台にも乗った。座席がお尻の半分ぐらいしかない車にも乗った。
席がなくて運転手の真横に体育座りしていたこともあった。それから比べれば・・・

隣の欧米人のおねぇさんたちは荷物を通路に置かざるを得ず次から次へと乗っては降りる人々に散々踏みつけられていた。
「・・・バックパックが踏まれてないだけましだよ・・・」

ところがやがて雨が激さを増し、今度はそこら中から雨漏りしだす。
気にせず寝てたら起きた時全身びっしょり!なんじゃこりゃー!!
たまらず相方の雨ガエル色のカッパを借りて着る私。
わたくしバスの中で雨に打たれてマス。何の修行なのでしょうか。

そんな私の横にいたはずの相方が突然消えた!
イスに手すりがないため、気を緩めると振り落とされてゴロリンと転がっていってしまうらしい。

その後も相方は何度か突然消えていた。
あとで聞いたら欧米人のおねぇちゃんも尼さんも、通路側の人は皆一通りぴょーんと飛んできたそうな。

やばい、このバスすごい楽しい・・・

しかも外は星空かと思うほどひたすら続く蛍の群れ!
最初はずっと家並みがあるのかと思ったほど。
まるでクリスマスツリー。

修行の身ではありますが、なんだかとっても貧乏旅行している実感が沸く道中でした。
まー、もう二度と嫌ですけど。


ダラムサラ~マナーリー
212Rp/ヒマーチャルプラデーシュ州営バス

夕方アッパーダラムサラ発。ロワーダラムサラのバス停・クル経由で翌朝マナーリー着。この道は崖崩れが非常に多い悪路。

| 2004インド・ラダック | 23:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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DHARAMSALAダラムサラでダライラマのお誕生日会

7月6日
ダラムサラ・マクロードガンジ
恐ろしく揺れるバスの中、目が覚めてふと窓の外を眺めると崖だった。きゃぁ~。
道はすこぶる悪く、鞭打ち状態で上ダラムサラに当たるマクロードガンジに到着。
下ダラムサラからの景色は相当綺麗だけれど、いつ落ちるかも分からないのが難点。

ダラムサラはチベット亡命政権が置かれているインド北部の小さな街。ダライラマの住居もここにあり、山を削り取るように広がる街に多くのチベタン難民が生活している。
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山を切り開いて作られた街だけあり、雰囲気はダージリンに似ている。
外国人相手の店が多い点では、カトマンドゥの雰囲気も兼ね備えているような。
お土産屋さんもいっぱいあり、散歩が楽しい街。

それ何よりうれしいのは気候!!灼熱のデリーからわずか一日、上着無しではいささか肌寒いくらい。


ダライラマのバースデー

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多くの旅行者がこぞってダラムサラに向かう理由の一つに、チベットの人々にとって偉大なる指導者であり、心のよりどころ、生き神様でもあるダライラマとの謁見のチャンスが挙げられる。
しかし多忙なダライラマに謁見できるチャンスは月に数回だけなのだとか。
会えるか会えないかは運次第。。。

ラッキーなことにこの日はダライラマの誕生日で、街ではお祝いの祭りが開かれていた。
おかまのカナダ人によると、残念ながらダライラマは現在スペイン訪問中なのだとか。
せっかくのチャンスだったのに!!

とにかく宿に着くや否やお祭りに出掛けることにする。
カンパのイケメンが民族衣装着てる!!来て良かった~
街には沢山チベット難民やお坊さん、シーク教徒に金持ちインド人、モモを蒸かす屋台やらハリジャンだと思われる物乞い集団、そしてものすごい数の外国人ツーリスト。もう何がなんだか分からない、ここは一体何国だー??

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お坊様も沢山
とてもインドだとは思えない、多国籍すぎる街だけど、きっとみんなダライラマのお誕生日を祝福している。それだけ分かれば十分だ。


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ラマ不在のお誕生日会場。

ここは決してチベット人の国ではない。彼らがここにいる限り、彼らに真の平和は訪れない。
それでもこの小さな街で祖国を追われた人々が再び集まり一人の指導者を祝福する姿に、消えることのないチベット人の絆と誇りを見たような気がした。


お誕生日記念コンサートを見に行く

今夜街で有名なロック兄弟のコンサートがあるらしい。さっそくバスで居合わせた日本人ヒロさんと 3人で出掛けてみることに。
ライブ会場は『ちょっと歩いたトコにある』山の上の学校の体育館。ちょっとそこまでかれこれ20分小トレッキングしてるんですけど。

こんな山中に誰が見に来るんだよ!!と思ったらなんと学校には町中の欧米人ツーリストが集まったんじゃと思うくらい沢山の観客!!欧米人ってほんとおもしろそうなことにはよく喰い付くよ。

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やへへへへ~♪という歌をうたう人。

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よく見ると坊さんも沢山!!坊主にコンサートっていんですか!?
坊さん『たのしー!』

変な余興となぜか欧米人のDJ、民族音楽のあとにトランス流すとかってありなんか・・・調子に乗って踊り出すツーリストはあのふざけたイスラエリーカップルだった・・・

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そして本日のトリは我らがjjiイグザエルブラザーズ 。
「悪いのは中国人じゃない、 fuckin'中国政府だ!!」
今ダラムサラで一番ナウいバンドだけあり、坊主大はしゃぎ。
メッセージ性の強い曲を英語で歌ったりする。
今まさに歴史の一こまを生きる人々の歌ううたはさすがに説得力がある。

がそれもつかの間、土臭いミドルテンポのチベタン歌謡曲が延々続き、いよいよ飽きてうとうとしてきたところでなぜかNIRVANA。
欧米人、そして私とヒロさん、喰い付く。
ここはインドの山奥だけれど、ここはアメリカじゃないけれど、ぶっちゃけもっと早くやってくれー!!!

おなかいっぱい。真夜中真っ暗な山道、前を行く誰かの懐中電灯を頼りにとぼとぼ山を降りる。
ふと見下ろすとダラムサラの夜景。

今日は偉大なるダライラマの誕生日。
老いも若きも難民も坊さんもガイジンも、みんなみんな祝福している。


悪いのは中国人じゃなくて中国政府。

ブラザーズも叫んでた言葉。
中国政府がチベットにした仕打ちを知れば、誰だって中国人全体を軽蔑してしまうと思います。
でも、何億もいる人の中でほんとに酷いことをしたのはほんのわずかな人々です。
ダライラマも漢民族が皆悪い人たちだと思うのは間違いなのだと自伝の中で書き示しています。
悪いのは政府にコントロールされたほんの一部の人たちだけ。
だから中国人を憎んではいけない。
憎んで憎み返してでは何も始まらないし、ましてや何一つ終わらない。
ダライラマも亡命2世3世の若者たちも一生懸命そう自分に言い聞かせているはずです。

頭で分かっているけれど、時々私は間違いを犯しそうになります。
だから時々この言葉を思い出しては、判断を見失わないようにしています。

| 2004インド・ラダック | 22:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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デリーのチベタン居住区など。

2004年7月5日
アラハバードからの夜行列車に揺られながら目が覚める。朝日がまぶしいぜ。ついでにインド名物朝トイレの光景が目にしみます(涙)

さて、今日は昨日のようにギリギリまで寝てるわけにはいかない。
列車でチャイを飲まなくては!!

列車のチャイは薄すぎるけど、朝一のあったかいチャイほど旅人モードを盛り上げてくれるものはない。
あの『チャ~イ~』っていう、声帯を震わせるようなチャイ売りの独特の声がいいよね。

チャイを飲みつつ、早速習ったばかりのヒンディを使ってみる。
「やはんかはんへぇ??」(ここはどこ??)
「デリー」
もう着いてるんかい。

再びニューデリーに舞い戻り、宿に戻ると、相方のマシンガントーク炸裂。
要約すると、「タージマハルとリスを一緒に撮る為にリス待ちしてたらインド人が不思議に見ていて列車の中でインド人は皆親切で子供のまつげは長い」らしい。

楽しくて何より。
出発 (9)
インド女性がおでこにしてるやつ。シール式。


今日はまたしても夜行移動でダラムサラに向かう。
ハレラマゲストハウスのルーフトップレストランでだらだらして、チケット取って、メインバザールでふらふら。
今日は雨が降ったので涼しいが、道は泥と雨と牛糞がミックスされて恐ろしいことになっていた。

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インドでヘナってみました。

兄弟でやってる路上ヘナ屋さんにて。
彼らの母親たちは相当すごいヘナ遣いらしが彼らもはまだペーペーのひよっこ。
けれど、自分でやってみたらまっすぐ同じ太さに線を引くのはかなり大変!!
デザインも自分で考えていると言っていたけれど、これもまた自分で図案を書いてみてすごく難しかったデス。
しっかり乾かしたので2週間ぐらいもったけど、色は茶色になってしまった。


物乞い組合について

インドは物乞いが喰っていける国だ、と昔聞いたことがある。物乞いには物乞い組合なるものがあり、なんでもそこにいれば喰いっぱぐれることはないのだとか。
ほんとかどうかは知らないけど、メインバザールにもまた沢山の物乞いがいる。
目につくのは障害を持った人々で、足がない人なんかは泥まみれになって手で人とリキシャーと牛とバイクが溢れるバザールを歩きまわっている。

その中に一人、まだ7歳ぐらいの足の無い男の子が宿の前で物乞いをしていた。
笑うとかわいくてちょっとだけ仲良くなったから、最後に小銭を渡すことにした。
しかし見ていると男の子はその小銭を宿の主に渡していた。
羽振りのいいガイジンが出入りするこの宿で物乞いをする代わりに、主はこんなに小さな子からも場所代を取っているのか。
ほんとのところは分からないけど、次に会った時彼はいつもみたいににこっと笑ったけど、その日はもう私に小銭をねだることはなかった。
もしかしたら、彼の食べるものぐらいは世話してあげてるのかな。


ダラムサラに向けて出発

ダラムサラは欧米人に人気の観光地だけあり、ツーリストバスが多数出ている。
ツーリストバスというのは後ろに荷物を預けると荷物フィーなるものを要求されて、大抵一人や二人キレている。
私たちか弱い日本人乙女はもちろんインド人の格好のターゲット。
なぜかぬれているシートに座れと言われてしまった。
私たちか弱い日本人、
「あっちのガイジンが嫌だって言ったからってうちらに変な席座らせる気!?」

日本人だからって、おなめにならないでね。
次にあてがわれた席はちゃんとしていたが、隣のイスラエル人カップルがいきなり踊りだしたりして、どちらにしろあまりツイてないらしい。

ついでに道はデリーだというのに恐ろしくボコボコ。体が飛ぶ。デリーでこれって、この先はどうなるんだ!?


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チベタン居住区

バスはまずデリー郊外のチベタン居住区に寄る。ここで客の半分であるチベタンツーリストを乗せるらしい。
デリーのチベタン居住区チベタンはお金持ちだと聞くけれど、ここもまた立派なアパートが沢山建ち並んでいた。

さっき小躍りしていた隣のイスラエリーの女はもう吐いた。早すぎ。

バスに東洋人がいたので話し掛けてみたら日本人だった。男子だ。婿候補!?出身地を聞いたら山口県だった。却下。

やがてバスは走り出し、日が暮れた。
イスラエル人の男が突然「ここはどこか知ってるか?」と聞いてきた。
知るか!!

深夜突然爆発音がして火花が散った。
テロ!?
イスラエル人カップルの所でバスが隣を走るバスと接触しているらしい。
さっき上げてた女が爆笑していた。
爆発が日常的な国の女はすごい。

ドライブインに到着した。
おかまのカナダ人が話しかけてきた。
チベタンの赤ちゃんをあやしている彼は、台湾に留学していたため、東洋人に親しみを感じているらしい。
いいことだ。
私たち「赤ちゃんかわいいねー」
おかまのカナダ人「そうなの~。チベタンの赤ちゃんがほしいの~~~」
なんですと!?
赤ちゃんが泣き出した。身の危険を感じたらしい。

バスは相変らずすごい揺れ。さらにいつしか山岳地帯に突入。
うとうとしては飛んで起きての繰り返しで今日は終わる。


ACCESS デリー~ダラムサラ
250Rp/tourist bus
4時半発、翌9時頃マクロードガンジ着

| 2004インド・ラダック | 22:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ALLAHABADアラハバード

2004年7月4日 インド2日目。

起きたら着いていた。
インドの列車はよく眠れます。

さて、次なる課題は無事友人であるKちゃんの住む学校までたどり着くこと。
学校へはオートで100Rpだとか。
最初に私を見つけたオート運ちゃんが80でいいって言ったので乗ってみる。
このおっさん、ほんとにアグリカルチャインスティテュート分かってんのか??

アラハバードの街
アラハバードはバラナシから約50キロほどの都市。
3つの川が重なり合うヒンドゥ教の聖地でもある。
旅行者にはクンブメラなどヒンドゥのお祭りで有名だが、それ以外の目的でわざわざ訪れるような場所ではない。
あとで聞いた話では、この街にわざわざやって来る日本人は大抵インスティテュート関連の人で、リキシャーワラーたちもそのことをわきまえているのだとか。

街の雰囲気はというと、インドでも稀に見るボロボロさ・・・
すんごい。
口半開きで街の姿を眺める。
それなりに大きな都市であるはずなのに、その駅前通りですらまるで大地震のあとみたいな荒れ方だった。
インドで最も貧しいとされるビハール州のガヤーでさえ、ここまで荒れてはいなかったのでは。
Kちゃんはこのぼろぼろの聖地で3年を過ごすのだという。

それでも街の中を走る数十分間、朝市やヤムナー川の魚売り、木陰の集落や通勤する沢山の人々の姿を見て、すぐにこの街の印象は変わってしまった。

なんだ、この街はしっかり生きてじゃないか。

確かにお世辞にも豊とはいえない街だけど、インドの多くの街と変わらず、この街にも人々の声が飛び交い、笑顔があり、花があり、インド音楽がけたたましく響き渡り、そしてこれでもかってほど人がいる。

そうと分かると、インドの一都市に3年も住めるKちゃんが妙にうらやましくなってしまった。


再会
ヤムナー川にかかる橋は橋なのになぜか未舗装、ボコボコなので車はみんなのろのろ運転。
チャリンコに追い越され、子供がキャッキャ言いながら飛び乗ってくる。
遠くの方に立派な吊り橋が見える。韓国の援助なのだとか。

川を無事渡りきると、家はどんどん粗末になり、緑の荒地だらけになってくる。
それでも人がうようよ。インドって、インドって、なんでこんなにどこまでも人が多いんだ・・・

言われた通り学院の構内をつっきり、Kちゃんの宿舎に横付けし、再会もつかの間、リキシャーマンが100だ、100よこせ~と叫んでいる。
予想通りにトラブル。さっき80って言ったのに!!

とそこへ、Kちゃんがペラペラ~とヒンディでリキシャーマンをたしなめだした。
たった3ヶ月でなんでそんなに!?ってぐらい、ぺらぺらと!帰りに向かえに来てくれたらその時は100払うということで、80で落着、着いたそうそうけいちゃんに50Rpを借り落着。

なんでもここに来る前3ヶ月、シムラーでホームスティをしつつみっちり語学レッスンを受けたのだとか。
もともと語学に長けている人だが、素晴らしい!
24歳からでもまだまだ遅くはないのですね!!


さっそく日本から持参したお土産を渡す。
みそに醤油にかつおぶしにおせんべい。
以前私が長旅をしていた時、けいちゃんもまた私に沢山の救援物資をかついできてくれたことがあったため、今回はその恩返しの旅でもあるのです。


アルフレットと教授ファミリー
同僚のイギリス人教授のファミリーに朝ご飯をご馳走になる。家族は奥さんと 10歳ぐらいの男の子の3人家族で、男の子はじきに南インドの全寮制のインターナショナルスクールに入るのだとか。
寂しくないのかな。この部屋なら家族3人暮らせるのに。

客がいるからだかなんだか知らないが、息子はよくお手伝いをして、私の食事の世話までしてくれる。
ほほう、こうやってジェントルメーンな欧米人男子が製造されるのね。
10年したら付き合って

お昼はけいちゃんの同僚と一緒に寮の食堂で頂く。
ひさびさのインド飯はもちろん右手で。
同僚のアルフレッドはインド人にしては随分ずんぐりとしていてめちゃくちゃおしゃべり。
こんなんが指導者~!?

1秒たりとも黙らない彼だが、実は南インド出身で、彼もまたここに来る前までヒンディは全然しゃべれなかったのだとか。
そんなわけで時々本人も気付かないうちに英語とヒンディが混ざっていて笑えた。
「なんたらかんたらバフット(ヒンディでVERY)フェイマスあ、間違えたベリーフェイマス」ってなカンジ。

ヒンディばかり使ってきて意味分かんないから、とりあえず教えてもらったばかりのバフットとトラトラ(LITTE)とスンダール(BEAUTIFUL)を連発しておいた。

「僕のことどう思う?」
「うーん、あんたはトラトラスンダールだよ。」
「そっかー、トラトラスンダールならちょっとはいいとこがあるってことか!それってどこどこどこどこ!?」
ポジティブすぎるから。

あまりにもぺらっぺらぺらっぺらしゃべり続けるので、「あんたバフットしゃべりすぎ。」
と言ったら、
「ヨーコジー(ジーは敬称)、僕はこれからしゃべら」といって口を押さえて去っていった。
は~インド人ってめっちゃくだらないことばかり言ってるけど楽しいね!
K「そうそう、冗談ばかり言ってるんだよ」
生まれて初めて、この国の人が何を言ってるのか知りたい、という理由で言葉を覚えてみたいと思った。
なんて言っても、ヒンディ知ってれば一気に5億人ぐらいと話ができるんだもんね。


農業学院での暮らし。

残念ながら日程上今回の滞在は日帰り。
短い時間ではありますが、けいちゃんの断式をしたり、ギタージョイントをしたりして過ごす。
ヒンディ同様、はじめて1年たらずだというギターも相当上達が早い。

農業学院らしく、敷地内には家畜が沢山いて、とれたミルクの加工場も併設されている。
アイスをご馳走になったが、なかなか美味(*^-^*)
ヨーグルトも勧められたが、インドのヨーグルトは酸味が強く胸焼けを起こしてしまい、実はちょっと苦手。
けいちゃんによると、ヨーグルトはインドの菌に慣れるためにもってこいの食べ物らしいけど。。。
3口でギブアップ、お腹が弱い私には、移動前にはかなり危険なのだ。

にもかかわらず、教授ファミリーに招待された夕食で同じヨーグルトが出てきてしまった。
ああ、これからまた夜行列車移動なのに・・・
しかしせっかく私のために出して下さったものを食べないわけにはいかない。
おいしいおいしいと言いながらやけっぱちで完食・・・
こんなことがこの後何度も続き、結果帰国後大惨事を招くことなど、この時の私はつゆ知らず。。。


別れ。

列車の時間は10時だが、暗い夜道をリキシャーで走るのは恐かったので 7時には駅に向かうことに。

出発 (16)
アラハバード駅の女性専用リタイアリングルーム 。
ちなみに写真を撮ったこのとき、座ったイスが濡れてて立ち上がれなくなって困っている状態。


大都市の駅なら大抵一晩中発着があるが、こういう休憩室もあり、女の子でも安心なのです。
でもおばばがやってきて小銭を要求してきたので分かんないふりして逃げる。
別にそんなとこにいなくてもプラットフォームは色んな人が行き来してて見てて飽きない。

帰りの列車はすぐ近くのバラナシ発らしく、大した遅延もなく乗車。
観光地発だけあり、コンパートメントは外国人ツーリストだらけだった。今夜も安眠だ。


また会いませう
そういえば、この街に来たのは今朝だったんだっけ。
なんだか濃い1日だったな。すごく楽しくてあっという間に時間が経ってしまって、おなかいっぱい胸いっぱい。

Kちゃんはというと、底抜けに明るく人懐こい子なので、誰が心配するまでもなく、きっとインドの生活ともインド人ともうまくやっていくことだろう。

日帰りするには遠すぎる場所だけど、来てすごい良かったし、彼女の任期中また来れたらいいな。

・・・はて、彼女は3年で帰ってくるのか。
物欲がなくて、人のために尽くせる人。
インドは人を呼ぶというけれど、果たしてインドは彼女を手放すことができるのだろうか。。。

ACCESS
アラハバード・・・ニューデリーから約10時間
2nd sleeper/281Rp



追記)フフフ。その後彼女は勤務先の同僚と結婚、
私はインドの結婚式にお邪魔させて頂いたのです。詳しくは右のカテゴリーから♪
やっぱりインドは彼女を手放さなかったのです★

| 2004インド・ラダック | 22:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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2004年ラダックの旅。

仕事が暇なので、昔の旅日記を引越ししてみます。
懐かしの2004年インドの山奥・ラダックの旅。
基本は昔書いたものに、ちょっとつぎはぎして、写真を大きくしてみました。せっかく絶景続きだったのでね。


ラダックというところについて。
ラダックとは、インドの山奥のそのまた山奥・ヒマラヤ山脈の一角にあるチベット文化圏の秘境です。
インドとチベットとヒマラヤを愛する私にとって、長年夢見ていた憧れの土地なのでした。

今となっては、東に中国・西にパキスタンとの停戦ラインを抱え、地理的にはとても微妙な場所ですが、遠く中国政府から離れている立地条件だったため、消えつつあるラダック文化を今もなお持ちつづけた「チベットよりチベットらしい場所」なのだそうです。

しかし、そこは一応インド。インド人もいれば、チベット難民もいる。
ネパールからの出稼ぎ労働者も沢山だし、西のカシミールの人々だってこぞって商いにやってくる。
西にゆけば花の民、東へ向かえば乾燥した高地に生きる秘境の民。
このサイトでも、沢山の「顔」をアップしました。

多国籍な雰囲気と、貴重なチベット文化両方を感じ取れる街。
すばらしいの一言です。
高地フェチとして、民族衣装フェチとして、そしてチベット的美男子フェチとして、こんなにおいしい街はない。(あ、食べ物もおいしいデス。)

出発
これ、放送禁止だね。でも勇気をもって放送します。
出発の前の日の私の部屋。いつもこう。大体AM3時くらいまでになんとか片付ける。
断っておきますが、私は散らかすのも得意だが、片付けはもっと得意。ちなみにこれはなつかしの武蔵小杉のおうちざんす。今は知らない色のカーテンゆれてます。
片隅に元同居人、この惨事の中で普通にネット作業中なお姿から推測するに、慣れた光景だったのでしょう。


出発 (1)
相方、来る途中靴を買い、空港で紐を通し、出国審査のあとで歩き方を買う。


------7月3日 DELHI-1
デリーに着いたのは真夜中の2時。
散々危険危険と言われているこの空港から、無事メインバザールに辿りつけるのかしら。。。
今日は早くも夜行列車で移動したいし・・・チケット取れるかな・・・・取れなかったらいきなり通路泊かしら。。。
インド1日目にして、早くも不安でいっぱい!

出発 (7)
深夜のデリー空港税関前、迷子のねこくん。敵はインド人だけではない!?
 
デリーでは、深夜のタクシー移動が危険なのは超有名。
私たちは税関前の荷物受取場所で夜を明かすことにする。
ここはとても広い上、ひっきりなしに到着便があるので人もたくさんで安心。

夜中にデリー空港についたら、のんびり待つに限るのです。
外に出たら、もれなく頼んでもいない旅行会社行きなのです。


そして、日が昇ったらいざ市バスで出陣。
昼間でもなんでも、タクシーでもオートリキシャーでも、空港でタクシーに乗ったらもれなく頼んでもいない旅行会社行きなのです。

そういえば、天気予報じゃインドの最低気温は30度だと言っていた。
インドに着いたと言ってもエアコンがんがんの空港じゃ、ホントに40度の灼熱の国だなんて、実感が湧かないな。。。
が、そんな戯言も一歩外に出た途端にすっとんだ。
「やばい。」
暑い。暑い。暑い。朝6時なのに出発時の日本の真昼なみの暑さ!

うざいほどいると聞いたタクシー運ちゃんは一人もおらず、とてもとても静かな朝の空港。
エアポートバスの気配もない。
どうやら乗り場と逆の出口に出てしまったらしく、遠くにそれらしきバスが見えたのであわてて手をあげる。
客引きが死ぬほど多いところで、誰にも客引かれずむしろ自らアピールしているって。。。

無事エアポートバスを見つけるも、名ばかりで、ただのローカルバス。というか、ローカルバス以下。
よくもまぁまだ走っているなぁという代物。
一国の玄関口でもこれなんだから、先が思いやられます。

色んな荷物と汗まみれの人々をかきわけ狭いシートに無理矢理バックパックを押し込む。

朝なのに強烈すぎるオレンジのでっかい太陽。
大好きなブーゲンビリアの並木。
そして朝トイレの風景!!
3年ぶりのインド。
ああ、何も変わってない。。。!!!!

・・・いんだか悪いんだか。

夜中着の緊張から解放され、何も起こらずすんなりエアポートバスに乗ることができ、すっかり安心して10分で睡眠モード。
肩を叩かれた時にはすでにコンノートプレイスに到着。
一瞬「?」な場所だったが、3歩歩いたら思い出した。

見たことある!ここ覚えてる!

はじめてここに降ろされたらきっとぼられ放題だろう。
でもここは3年前いやって程往復した道!
この先の路地からならリキシャーに乗れるはず。
値段は確か8Rp!


駅前の通りを走り、メインバザールに向かう。
キランゲストハウスも牛もジュース屋も何も変わってない。
お目当ての宿も即決。
ここまで全て順調、危険なデリーで何事も起こってないよ!!

ルーフトップレストランで余裕たっぷりな私たち。
昔デリーにいたとき、深夜にデリーにやってきたツーリストの 70%以上が悪徳旅行会社の件でトラブルに遭っていた。(200%と言う人もいるくらい)
今だに私は分からない、たった数時間空港で過ごすだけで確かな安全が保証されるというのに。。。
(今ならツイッターで拡散したいぐらいだ。)


列車のチケットを買う
ニューデリー駅には案の定「チケットオフィスは移転した」と言ってまわる輩がうようよしているが、普通に2階に外国人専用ブッキングオフィスがあるのでお気になさらず。
※彼らの目的は客をコンノートの悪徳エージェンシーに連れていくこと。今日は閉まっただの時間がかかるなど色んなことを言ってくるが、まずは自分の足で確かめないと。※

同じ飛行機に乗って日本人男子が早速タオルを頭に巻いて現れた。

さてさて、懸念されていた当日券はなんなくゲット
。全然並ばずに済んだ上、「一番上の段」まで指定できた。
「ファミリーか女の子と同じコンパートメントにしてね」も忘れずに。
ドルで払ったら正規レートのルピーでお釣りをくれた。
またしてもスムーズ。
(いや、正確には、さっき空港のチャイ屋で3ルピーのお釣りを返してもらえず、日本人の悲しい性かな、愛想笑いでその場を辞してきたばかり。)

相方はおばさんのカウンターに行ってしまったため、なかなかお釣りを返してもらえず立ち往生。
(インドのおばさんは学歴があってプライドが高くケチが多いので、こういうところではおやじを選んで並ぶとスムーズ。)


インドの暑さに敗北
無事チケットゲットできて、お部屋で一休み。
が。
どんどん上がる気温、窓のない部屋で気を失うかのように寝入る二人。
お昼すぎの一番暑い時間に起きてペットの水を飲んだら、熱い・・・水が湯になってる・・・
これは。。。マックしかない!!

今はどうだか知らないけど、当時メインバザールにはまともにエアコンが効いてるレストランは皆無。
こんなところで徘徊するぐらいなら、ちょっと遠いがコンノートのマックに避難すべし!
ついでにCITI BANKでお金を下ろす。
ATMの後ろからめっちゃ人の声。手動か!?

そうそう、CITIもマックもなんも変わっていなかったが、唯一の変化はメトロの出現。まだ工事中だが、数年でコンノートやオールドデリー地区をメトロで移動できる日がくるはず。(もうできたのかな??)


マック考察
マックにドアマンがいるのも、マックのエアコンはあまり効いていないのも全然変わってない。
いいおやじが揃ってソフトクリームを食べている姿も(笑)
出発 (12)
インドではマックも一種のステイタス。マハラジャの息子はおらんかね??


出発 (11)
インドはもちろんお牛様NG、豚もムスリムが多いので好まれず、マック要の牛肉と豚肉が使えない。
そこで出現したのが、ベジタリアンミートバーガーとか、このパニール(チーズ)サンドなど。
味は未知のスパイス。私たちの知っているカレーには入っていない何かなのです。

他にもインドマックには不思議がいっぱい。
なぜかレジではインド人同士でも英語を使用、従業員は髭を剃って小奇麗。
マックに限らず外資系の飲食店では髭は禁止らしい。

しかしながら宗教上の理由で髭を剃らないシクのお兄さんはというと、特別に髭をリボンで覆っていた。
髭を剃らせたり、髭があるから雇わなかったりしたらそれはれっきとした宗教差別。
異なる宗教が共存していくために、臨機応変さは欠かせませぬ。

気温が下がるまでマックで粘って帰路につく。
道、覚えてるもんだな。

日が暮れるとメインバザールまで歩くぐらいはどうってことない。
今日はこれから一人移動が控えてるため、夕食は抜いておく。


本日は夜行移動。
到着初日ってのも難だが、初インドの相方をデリーに残し、私はアラハバード行きの夜行列車に乗る。
Allahabad Agriculture Instituteの指導員に就任した大学の同級生を訪ねるのです。

相方はというと、誰も行かないようなラオスのど田舎などを一人で訪ね歩いているようなヒトなので心配はしていなかったが、メインバザールですれちがいざまインド人に乳揉まれていた。
まいっか。命あれば。

ニューデリー駅は夜にもかかわらず沢山の人。
繰り返されるアナウンスが懐かしい。
プラットフォームナンバーを聞いたら20だかそれくらいの番号だった。
さすがはインドの上野駅!大きいな~。

電車も結構長くて、自分の車輌も見つけづらい。
係りのおやじ乗る車両の場所を聞き、リストの中に自分の名前を確認し乗り込む。
一番上のベットにバックパックを置き、すぐに鎖をくくりつける。

下は女の子も含めた3人兄弟と老夫婦か。
老婦人にナマステと挨拶しておく。
コンパートメントの人と仲良くしておくべし、はインド通J子さんアドバイス。

横ではおねえさんが男の人とお別れをしている。
涙がないところをみると兄妹だな。あ、顔そっくり。


今日は安眠できそうだ。


靴もベットに上げ、扇風機除けに巻きスカートを腹にセッティングすると、走り出したか出さないかぐらいで速攻就寝準備完了。

下でファミリーがお弁当を広げている。
私は今夜断食中。
おいしそう、早くインド飯喰いたい~。。。

| 2004インド・ラダック | 22:09 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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懺悔

同盟バナー知っていますか白長動

やっぱ厄年。
ああ後悔。
神様懺悔します。
私、ファーは買わないと公言しておりました。
しかし先日ついにファーを施したジャケットを買ってしまいました。
でも、ファーに触れるたび罪悪感でいっぱいです。
やっぱり買わなければよかった。
商品が1個売れれば、きっと来年また1匹動物が殺されるのでしょう。
じゃあ牛皮は?鰐皮は?なんぞと言うことなかれ。
誰がなんと言おうと、やっぱりファーはダメ。
タケオキクチ(SHOP TKのほうですが)、ファーはダメだよ。
タケオキクチたるもの、ファーなどなくともいいじゃないか。

ファーはいかん。

| 徒然日記 | 23:06 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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痩せるためにジョギング用ジャージを買った帰り道

悪魔に出会ってしまった・・・
http://r.tabelog.com/tokyo/A1324/A132402/13060556/dtlrvwlst/1257098/


この店、駅からは若干離れているので電車なら絶対寄らないんですが、私はチャリ通なので行きたい放題寄りたい放題なのです・・・

ううっ。己に勝てません!!!

しかも、いまイートインがあることも知った。本など持ってた日には直行すること間違い無し。



これはやはり厄年か。

年明けてからすぐ弟に結婚先越され、隣の新住人がうるさく(この1年間で来た3人は皆静かだったのに)、冷蔵庫にケーキ殿が鎮座しておられるこの現実・・・まだ今年になって4日目ですよね?


全然関係ないですけど、サウンドオブミュージックがテレビでやってました。
my favorite songはいつ聞いても美しい。
京都へ行こうの印象が強いかもしれないけど、音楽が、あたかも絵画だか風景だかに見える音楽ってそうはない。

では、となりがどったんばったんうるさいので本日も深夜DVD鑑賞に入ります。


| 日本のお店ぶらぶら | 23:01 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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