世界一周トラベリングソング。

2011年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年03月

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ティクセゴンパ

TIKSE
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ツォモリリからの帰り道、ヘロヘロのニックを横目に私はゴンパ探しに夢中。
ウプシからレーまでの上ラダック幹線道路沿いには、有名なゴンパがいくつもあるのだ。
ニックには悪いけど、一番見た目のきれいなティクセだけはちゃんと止まって写真に収めて帰ろう。


小高い丘にそびえたち、旅行人によると、ラダックを代表する勇壮なお姿なのだそう。確かに美しい☆けれど、もう登る意欲はないんです、、、

ちなみにヘミスゴンパはインダス川の向こう側にあるので、幹線道路からは見えない。
シェイゴンパはちょうどカーブのところにあり、こじんまりとしたかわいらしい村沿いにある。

ヘミスの近くでインド映画か何かの撮影をしていた。
こーんな山奥まで撮影に来るの??インドの映画産業ってリッチなのね。
(この間知ったのだが、インドで最近スターウォーズのパロディ映画が流行ったのだとか。ムーンランドラダックなら、まさにその舞台にぴったりだよね。)


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ティクセの子供たち。
マナーリーからやってきたとき、このゴンパの小坊主がジープに向かって水かけてきたのよね。
用心用心。


こうして1泊2日アメリカ人と日本人のでこぼこツォモリリの旅は無事終わった。。。
約1名を除いて。

レーに10日いる私でさえあんなに苦しかったのに、まだレーに入り1日2日のニックにはほんとにつらかったと思う。
あとでジェスモで会った時、もうデリーに戻るとかなんとか弱音を吐いていた。
まぁでも私的には高飛車そうなミッシェルリー(仮名)よりもやさしいニックで良かったと思うよ。彼を一人で放置したのは本当に悪かったけど。
最後に貧弱な英語に付き合ってくれた彼にスペイン語でお礼を言った。
日本生まれ日本育ちの在日3世に「カムサムニダ」と言ってるみたいなわざわざさ加減だとつっこみつつ。

ACCESS
ツォモリリに行ったのに、目が覚めたらもうツォモリリを出発。時間はちゃんと話合っておいたほうがいい。って、病人が出たらもともこもないけどさ。

豆情報。
行きも帰りも昼ご飯で泊まったドライブインのメニューはカレーかマギー。
温泉は熱すぎてつかれそうもない。
トイレは下から風がふきつけて捨てたはずの紙が戻ってくる。


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| 2004インド・ラダック | 20:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トイレが笑えるツォモリリ民泊

KARZOK -3-

これが間借りしたお宅。朝ちょっとトイレに行ってみたら、ドアの代わりにぼろぼろの麻布みたいなのが適当に引っかかっていて、(それも半分ぐらいしかない)下に牛かなんかがいた。
最悪!かと思いきや、用を足したあとは備え付けのスコップで砂ごと穴のに落とす方式なので、意外にもこぎれい。
さぁ女は度胸!ズボンを半分下ろしかけたところでさっそく歩いてきたおやじに目撃された。

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朝からさわやかなドライバー。


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朝一番、さわやかなツォ・モリリ。空気もすっきり澄み切って、一番きれいな時間かもしれない。


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泊めていただいたお宅の屋上から。裏山は雪山。

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■ニックの悪夢

本当はのんびり湖畔まで散歩などしてみたかったが、(まだ湖が塩湖かどうかも確かめていないし!)あいにくニックが最悪な状態だったので、ドライバーにせかせれてしまった。

「昨日はどこに泊まったの?ボク、あれから大変だったんだよ」
(知ってる。)
「だって夜になったら誰もいなくなっちゃったんだもん」
(なんですと!)
「え、だってあのテント、あなたの国の人たちとかで満室だったよね??あの人たちは?」
「みんな帰っちゃったよ。ボク、夜高山病、一人、苦しかった・・・(泣)」
えー!!!!!だってあいつら普通にテントに布団敷いて寝てたじゃん!!しかもギターなんて弾きながら英語でめちゃくちゃ盛り上がってたのに!なにそれ!知ってたら私たち一人になんてしないし、ってゆうか何この罪悪感!?私たち悪いデスカ??ええそうですとも私たち高山病のあなたを一人放置しぬくぬくと民泊までしちゃいましたよ!!

「ごめん!!わかったから早く帰ろう!!散歩もチャイもいいから!早く帰ろう!!」

こうしてボロボロに傷ついたニックをバックシートの広いところに寝かせ、私たちは助手席で小さくなりながら一目散にモリリをあとにしたのでした。

あ、でもツォモリリを味わうことも忘れずに。マイルドソルトなお味でした。



大きな谷をつなぐタルチョ

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| 2004インド・ラダック | 19:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トラウママギー。

KARZOK 2007/7/22

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あたたかいテントの中。ツーリスト向けの食堂やテントドミは、こんな感じ。
ここは食堂で、マギーマサラ(インドで一番有名なカレー味のインスタントラーメン)とチャイをいただく。
7月でも晩秋のように寒いカルゾクで、暖かい食べ物は体にしみる。
が、気持ち悪い中で食べたので、今でもマギーマサラを見るとあの時の気持ち悪さがこみ上げてくるのです。。。


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奥のテントドミ(ベットがあるわけでなく、布団はあるが雑魚寝のようなもの)を覗くと、早くもニックが場を確保し、欧米人のバックパッカーたちとにぎやかにやっていた。
私たちも宿を探すことにする。


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祭りだからだろうか、テント宿がたくさんたっていた。
寺のある方からテント地帯へ降りるだけでも一苦労。思うように呼吸できずに、体がむかむかしてくる。


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テントは一泊800Rp以上と高額なため、バックパッカーでない欧米人が多く泊まっていた。
中にはベットがぽつんとあるだけで、金額にはまったく見合わない。


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湖畔のゲストハウスはすでにフル、寺の横のテントドミはにぎやかそうな欧米人の若者で占拠されているし・・・
どうしようかと決めかねていたら、ドライバーが知人宅を紹介してくれ、テントドミよりも安い金額で泊めてもらえることになった。


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泊めてもらったお宅。このあたりではごく普通の家。カルゾクは電気が通っていないので、どの家にも小さなソーラー機がついていて、部屋の明かり程度の電力は確保できるようになっていた。


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ご近所の様子。

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■悪夢の夜

きっとこの家は人を泊めることに慣れているのだろう。一通り家を案内してくれたあとは、特に干渉することもなく、ちょっとあっさりしすぎな気もしたけれども、とても落ち着けた。
でもトイレが離れにあって、なんだかとっても恐ろしいことになっている気が・・・
でも村の公共トイレは断崖絶壁に突き出していて、しかもドアはなくて寺の屋上からまるまるまる見えで、どうしようかと悩んだ挙句どうしたかはご想像にお任せします。
外は真っ暗で万事OKなのです。


さてトイレ以外はすこぶる快適なのだが。
標高4000mをなめるべからず。

寒い。。。寒い!!持っている装備をすべて着込んで、それでもまだ足りずジーンズの上から巻きスカート、貼るオンパックに寝袋、さらにショールで頭まですっぽり完全武装しているにもかかわらず、寒くて寒くてぜんぜん眠れない!
もちろん部屋の窓はしっかり閉まっているのに、この寒さ・・・こりゃ、谷のテントじゃ凍え死んじゃうよ・・・

やっと寝付けたかと思ったら、今度は猛烈な息苦しさで目が覚めだ。
既にラダックに来て1週間以上だし、登山で高地トレーニングも積んだ身。さすがに今更高山病はないだろうと思っていたのに、眠って呼吸数が減ったことで一気に体調に変化が現れたらしい。
・・・恐るべし、ツォモリリ。

ああそういえば、ラダックに来たばかりのニックは大丈夫だろうか?
きっと沢山仲間がいるから大丈夫かとは思うけど。

空気少ないし、星は曇って見えないし、胸の上に座敷わらしが3人乗っているような苦しさにもだえながら、苦しい夜は更けていく。
なんというか、マラソンしながら寝ている感じ。いや本当に。


■本日のお宿
一人100Rp テントドミは100~200Rp。トイレは断崖絶壁の公共トイレ(ドアなし)。
テントホテルは一泊1000Rp前後。トイレテントもあり。シャワーはなし。


| 2004インド・ラダック | 19:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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辺境の民の祭り

KARZOK GUSTOR 2007/7/21

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湖畔唯一の定住集落・カルゾクのグストルを見物する。

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これが村の中心・カルゾクゴンパ。
先に訪ねたピャンと比べると、寺もタンカも何もかもすすけていて古めかしく見える。

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寺の真中は吹き抜けになっていて、2階建ての回路やその上から祭りを見物することができる。
回路の天井は簡素なつくりで、誰かが屋根の上を歩くと砂がパラパラと落ちてきて今にも底が抜けそうだった。


■辺境の民との出会い

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一歩寺に入って言葉を失った。人々が皆、ほこりだらけ・・・若い娘でも、肌は日に焼けて乾燥し、顔にしわが刻み込まれている。
子供たちはすすだらけの顔に鼻水顔で、色とりどりの布をまとう老人たちは、まるで巡礼中かのように真っ黒に日に焼け、古びたサングラスをかけている。人々の髪の毛はみなぱさぱさに乾燥しきっていて、服は強烈な日差しですっかり色あせてしまっている。

彼らを見た瞬間、今自分がいる場所がいかに閉ざされた場所なのかを実感した。
電気もなければ暖かいシャワーもないこの土地。
多分からだを洗うことさえままならない土地なのだろう。
ピャンやレー周辺の村ではこんなではなかった。
定住しているとはいえ、いでたちはまるで遊牧民そのもの。
ここまで厳しい環境の村を訪れたのは初めてだった。

寺を埋め尽くす黒い顔の人々が、目だけ白く私たちをぎょろりと見つめるものだから、一瞬凍りついてしまった。
こんな貴重な体験、滅多にできるものではない!
一瞬で「えらいところに来ちゃったな」から「がんばってきて良かった!!」に方向転換。
さっそく高原の民のファッションチェックしてみましょう。

■ザ★モリ・コレ2004

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みなそろいの真っ赤なショールをしている。そしてその頭には見事な石の頭飾り!
でもこれも今では老人しか身に付けていなかったのが残念。


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カルゾクのおしゃれ娘たち。おすましして写ってますが、デジカメで撮った画像を見せてあげたらてんやわんやの大騒ぎでした。

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若い女の子の中には、先祖代代の飾りを全部ひっぱりだして身に付けおしゃれしてきた子もいれば、男の子たちのようにジーンズと帽子姿の子もいた。みんな祭りをとっても楽しんでいるご様子。


■ベスト・オブ・モリ・コレ

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今週のモリ・コレグランプリは、推定70キロ先の隣村からやって来てそうなファンキーなばぁさんに決定!!目の覚めるようなグリーンのマントは会場でも抜群に目立ってました!

いやいや、祭りはよいですね、日本もそうだけど、現代に至っても伝統の衣装を見ることができるのは祭りならではのお楽しみ。
わざわざ祭りに合わせて来た甲斐がありました。


■カルゾクグストル

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立派なたたずまいのお坊さんたちが、伝統的な楽器を奏でる。ちびっこ小僧もなかなか凛々しい。


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劇らしきもの。悪党が捕らえられたらしい。


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踊りの衣装はピャンとほとんど同じ。


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お面は小僧さんたちで、様子を見る限り、若い女の子をターゲットに捕まえてまわるらしく、村の娘さんたちはみんなドアの向こうに隠れてこっそり劇を見物していた。
もう若くはない私といえば、普通に突っ立っててもぜんぜん捕まえられなかった。。。むしろ写真撮ったらおひねり要求されたわ(涙)


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お祭り楽しかったね。

■豆情報
夏の間、ラダックでは各村で代わる代わるグストルが開催される。ピャンとカルゾクを比べた限り、見た目こそ差がでるものの、儀式そのものはどちらも同じだった。
やってることこそ似たりよったりだが、民族衣装マニアにとっては、地方により異なる民族衣装を見てまわるだけでも楽しい。






| 2004インド・ラダック | 19:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ツォモリリ 人が住める限界地点

TSO MORIRI -2-
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ツォモリリだ!
山も空も湖も、吸い込まれそうになるくらい深い深い色。


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紺碧の湖、ツォ・モリリ。日を浴び七色に姿を変える巨大な湖の向こうには、雪をかぶったなだらかな山が連なっている。ここは4000を超える高地。人が住むことができる限界で、ツォモリリは静かに私たちを迎えてくれた。


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ツォ・モリリの湖畔には、雪解け水の小川が枝分かれして流れ込んでいる。そのため付近は緑で潤っていてとてもきれい。黄色い小さな花も咲いていた。


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カルゾク村の入り口。


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それはまるで、ガレキの町。雲行きが少しあやしくなってきた。

| 2004インド・ラダック | 17:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ツォモリリツアー

TSO MORIRI -1- 2007/7/21

女神の住む湖・秘境ツォモリリへ1泊2日のジープ旅。
湖畔の村カルゾクで開かれるお祭りが楽しみ。
メキシコ系アメリカ人ニックとともに死にそうになりながら行ってきました。

■レー~マヘ橋
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レーから東、ウプシを経てインダス川沿いを走ることさらに数時間。
外国人が立ち入ることができる東の果て、マヘ橋までは道も舗装されていて快適そのもの。
迫り来る岩山は、下ラダックへの旅とはまた異なる風景。
点在する村は、どれもおとぎばなしに出てきそうなくらいかわいい。

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マヘ橋のチェックポイント。


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橋の向こうからは、いよいよ未舗装、ゴツゴツの秘境へ(でもまだあと5時間ぐらいかかります)


■マヘ橋~カルゾク

マヘ橋のあと、しばらくは小さな川に沿い緑のある道をゆく。このあたりには、インドで最も貧しいとされるビハールからやってくる土木作業労働者のキャンプが多い。

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さらに進むとちょっとした峠も待ち構え、ラダックに来て数日のニックは早くもダウン。
それを越すと、いくつかの塩湖(写真)をあっけなく通りすぎ、再び小川と緑が現れる。
小川のある場所には必ずあのでっかいねずみみたいなのがいて、ピョコピョコ走りまわるあいつを追っかけしばし和む。
ピョコピョコの谷を越え、最後に砂漠のような乾いた大地を走りきれば、目の前に現れる聖なる湖!
(詳しくはチャリダーURACCIさんのサイト参照。直接風や大地に触れながら旅しているだけに、その道のりの厳しさや美しさが手に取るように伝わってきます。)

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■労働者

マナーリー=レーロード・国境付近のツォモリリまでの道・印パボーダー付近etc・・・ラダックでは、必ずどこかしらで道路工事が行われていて、その付近にごく簡素なキャンプが張られている。
中にはラダッキーだと思われる女性だけの集団もあるが、なんでも大体がビハールからの出稼ぎ労働者で、10~30人ほどの集団で生活しているらしい。
ドライバーによれば、日陰も何もない炎天下、粗末な道具片手に埃にまみれ一日中働いて、彼らの給料はたったの70RP。

そんな彼らに対し、私たちの乗る車は容赦なく粉塵を撒き散らす。
それでもインドでもっとも貧しい州からやってきた人々にとっては、貴重な貴重な働き口なのだろう。
私なら石の先で車に傷でもつけてしまいたくなるが、マスクと帽子の間から光る鋭い眼差しは、決して攻撃的ではない。それどころか時には笑顔さえみせてくれた。
そんな彼らが、インドをつなぐ長い長い道をひたすら作りつづけている。インドの人の力の偉大さにを感じずにはいられないが、悲しいかな、インドの社会問題をもあらわにしている道作りでもある。

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■豆情報
マヘ橋までは集落もあり、ちょっとしたものなら手に入るが、マヘ橋から先は高地に入るため、それらしき村はない。


■ACCESS
ジープ一台6000rp。朝出発し、3時頃カルゾクに到着。宿代は含まれていない。
ツアーはレーの旅行代理店でアレンジ。値段はどこも大して変わらないので、シェアする相手がいるかどうかが重要。張り紙などを書いて地道に募集活動。

| 2004インド・ラダック | 15:20 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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チャンスパ地区

CHANGSPA 2004/7/20


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こんな小道、大好き。
チャンスパ地区はレーの北西部のことらしい。
ストックゴンパを少し行き、林の中の迷路のような小道を行くと、どこかの有名なお坊さんの邸宅がある。
レー中心部からその邸宅までは、石畳のきれいな歩道ができていて、景色を眺めながらのんびりすすむ。石垣の向こうにはじゃがいもがうまっていて、その中で犬のしっぽらしきものがぴょこんと飛び出ていた。


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こんな高地に林が出現。あの林の下に水路が流れているからだろうか。
ここだけ見ていると、とてもここが3000mを越す高地とは思えない。


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ラダックの一般的な家。屋根のタルチョがラダッキーの証。


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向こうには、レーの西に建つ日本寺のストゥーパが見える。あそこまで登る意欲も体力もないけれど。。。


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団体客らしきツーリストを乗せたランクルの集団にすれ違った。このあたりに宿泊しているらしい。
レーには豪華な高層ホテルはないが、こんな静かな郊外に泊まるのもまた素敵。


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■昼下がりのレーにて。

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石畳を進むと、レーの中心部の一角にある池にぶつかった。
その脇の林の中に、テーブルが並ぶレストラン(?)があったので、小休憩を。
綿のようなふわふわな何かが雪のように降ってくる不思議な林の下では、ネパールからの出稼ぎ従業員がサッカーの日本対オマーン戦を見ていた。日本チームは人気があるらしく、従業員がやってきては、「日本が一点とったよ」と教えてくれた。

池の脇を進むと、見慣れた景色、いつもの旅行会社が集まる広場前へ出てしまった。散歩の波に乗っていたので、帰りも未開拓の裏道を行くことにした。

インダスゲストハウスの先のあたりの小道には、予想外にゲストハウスがたくさんあった。どこもみな庭に花が植えてあり、静かそう。

そして最後は割れたガラスの刺さった私有地の壁を乗り越えて無理やり宿に到着。
景色がいいと、散歩もとっても楽しいです。


■本日のその他出来事

いまやすっかり仕事となったツアーデスクめぐり。
明日に迫るツォモリリの祭りを目指し、張り紙の反応を問い合わせるも、効果なし。
当初参加予定だったダニエルリーは姿をくらましたそうな。(ダニエルリーとは中国系アメリカ人で、あっちに住んでるアジア系の女の子がよく口にするように、彼女もまた旅先のアジアであれこれ不当な扱いを受けむかついていたらしい。
インド人が見下した目で中国人かと尋ねれば、目くじら立てて「アメリカ人よ!」と強調していた。


代わりにアメリカ人の若人を一人ゲット。こちらは血はメキシコ人で、でもスペイン語はあんまりしゃべれないとか。スペイン語か~、ベサメムーチョしか知らないな。

職業はカーペンターだと言っていたけど、UCLA出身だと言っていたからまさか一級建築士とか?
大工と建築士って違うのか?まぁいいか。要はツォモリリ出張代金が安くなれば。

まだレーにやってきて日が浅いのがいささか不安だが、逃してたまるものかと無理やりパーミットを発行させ、明日出発に決まった。

彼を待っている間に、ツアーデスクのおじさんやその甥のヤンジョムさんとラダッキーについて語りあった。
なかなかさわやかな顔のヤンジョムさんは、デリーの大学で日本語を学んでいる学生さんで、すばらしい日本語を披露してくれた。発音もいいので、彼らの言葉の発音も、私たちにとってそれほど難しくないのかもしれない。

そして夜はジェスモでピザと春巻きを。何を食べてもたいていおいしい。
帰ったら断水。
レーは、水が使える時間が限られている宿があって、特にホットシャワーは、ソーラーが生きる時間帯しか稼動しないらしい。
タンクが空になることもあるらしく、「洗濯禁止」などの張り紙もある。早いもん勝ちなのです。
(でもだからと言ってランドリーサービスなんて出すと、ビムラの脇の汚い川で洗われてしまうんだもん。それを見たら出せないよね。)

ちなみに停電も多く、得に昼頃はよく停電していた。ネット屋やレストランは発電機があるのでそれほど不便は感じないが、何度も真っ暗な部屋でろうそく立ててシャワーを浴びた。

ということで、今夜は顔を洗えず無念。

| 2004インド・ラダック | 15:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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サンカル

SANKAR 2007/7/20

遅い朝食に重い朝食を。ジャーマンベーカリーでツナサンドとフライドポテトを食す。ツナサンドのパンは焼きたてで、ケシの実が香ばしい。ポテトはこの付近でも取れるらしく、カレーの具にしてもフライにしてもとっておいしい。
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その後未来日記してしまった手前、郵便局へ急ぐ。


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そしてこの日は、レーの郊外・緑溢れる静かなサンカル・チャンスパ地区をのんびり散策してみました。(写真は王宮上の丘から。)


■モスクの裏地区

バザールのモスクの横から裏通りへ。メインバザールの裏通りは下町的でとても雰囲気がいい。このあたりには、タンドリーパンを売る店が多く、モスクの裏手だけに、カシミーリーが多いらしい。
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パン屋さん。


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カシミーリーは顔立ちがとてもはっきりしていて、まゆげが濃い。
パン味はよくわからないが、乾パンみたいに硬そうだった。


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赤レンガと緑の木立が清々しい。インドの山奥とはとても思えない。



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ここちええのぅ。


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遠くに見えるのはパノラマ写真を撮った山。
裏通りを抜けると、すぐにのどかな畑風景に。
いつも夕方町ですれ違うロバさんが放牧されていた。ここが職場なのね。


このあたりには宿も多く、広い庭付きの新しい宿もあった。立地的には不便なので日本人はあまり好まないが、欧米人には人気らしい。


■サンカルゴンパ

サンカル地区にある静かなゴンパ。観光客もほとんどいないのでのんびりできる。

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サンカルゴンパの小坊主たち。ポーズつけてくれちゃってまぁあいくるしい。


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ラダックのお寺には、まだまだ遊びたいざかりの小坊主がたくさんいるのです。
ちなみに彼ら、一応身に付けているのは赤だけど、キャップやタンクトップと実はとっても現代っこ。
町では袈裟なのに革靴とサングラスでびしっときめた坊さんを何度も見た。
そしてバイクで疾走したりして、過激でした(笑)

| 2004インド・ラダック | 14:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ピャンの祭り

PHYANG 2007/7/19

レー7日目。
ツォモリリに向け、ツアーデスクめぐりをし、換金しに銀行に行く。
うわさに聞いた通り、レーの銀行には世界中からやってきたツーリストで長蛇の列。この列に対し、窓口はひとつ。しかも係りのおやじは突然ふらりとどこかへ消えたりするんだもん。待ってる間に4日分の日記を書き、ドーナツ屋さんにおやつを買いに行った。
そこにいたシクのおじさんの親戚が日本で働いていたとかで、「日本のタクシーは8000Rpもするんだってな。」と言っていた。どこからどこまで乗ったですか?
「小生にとってもタクシーは高いので、とても乗れないのです。。。」と言ったら、ちょっぴりおまけしてもらった。

こうしてやっとの思いで私たちの前にいた日本人の男の子が窓口にたどり着くも、日本円のTCは取り扱いナシと断られ、「マジデ」とつぶやいていた。
マジでマジで。また1時間がんばってくれ。

そして本日はレーからほど近いピャンのお祭りに行きます。初お祭りです、楽しみ楽しみ。


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丘の上に立つピャンの寺から。


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レーからのバスは坂の下に停まる。丘の上の赤い建物がピャンの寺。


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ピャンの寺のタンカはとても鮮やか。みなこのタンカを見にやってくる。


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レーから数十分だけあって、外国人観光客がとても多い。


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老人会席。素敵な形の帽子が見える。


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マニ車片手に、皆が真剣に見ているのは・・・


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祭りの名物、僧たちの舞。


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鮮やかな衣装の下にちらっと見えるのは、臙脂色のお坊さんの袈裟。彼らの靴がこれまたかわいらしい。


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頭にいろいろささってます。


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2階席でゆっくり見るもよし。


■素敵な民族衣装に出会いました。ピャン・コレ2004.

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長い髪をみつあみにしてしたで結ぶのがおばあさんに人気。こちらでは、老いも若きもロングヘア。髪は女の命。

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みなの輪から外れたところからひっそりと祭りを見守るおばあさん。ブルーのスカーフが素敵。耳には荒い真珠のビーズを紐で束ねたピアスをしている。こちらの女性が好んでつけるものらしい。


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ラダッキーの証、ツバがちょこんと跳ね上がった素敵な形の帽子をかぶったおばぁちゃんたち。


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左のおばさんのような服装は、中年世代が日常的に着ているもの。


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背中には刺繍の施された素敵なマントをつけている。


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老人会の井戸端会議?左のおばあちゃん、かわいいくつを履いてます。右のおばぁちゃんのベストはNIKEです。


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娘を撮ってやってくれ、ということで一枚。おとんがダースベーダーのようになってしまった(汗)

若者たちは、日本と同じような格好をしている。若い子たちがお祭りの時に着てくる服って、その時その場所で一番若者に指示されている服装だったりしませんか??ミャンマーでも、普段ロンジー姿の男の子たちがこぞってジーンズだったし、故郷上州でもお祭りの時はみんなおしゃれしていました。


今年のベストオブピャンコレ。
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「今日のポイントはいい色に落ち着いた帽子かな。帽子と同じ色の腰巻で全体的に統一感を持たせてみたよ。サングラスは男の常識だね。」


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使い込んだリュックでカジュアルダウン。アクセントに大きめのマニ車でバッチリきめてくれました。会場でもとても輝いていました。


祭りもおひらき、いよいよタンカが畳まれる。
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一心不乱に見守るのは、今まさに住民の手で取り込まれようとしているタンカ。老いも若きも皆手を合わせ祈りを込める。服装は変われども、心はいつも仏のおそばに。


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楽団と僧のにより、タンカは再びお寺に納められる。運ばれるタンカに向け、なごりおしそうに手を合わせるおばあさんたちの姿が印象的。

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祭りの楽しみと言えば、屋台。派手なものはないが、お土産屋台がたくさん出ていた。


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子供たち(と私)の楽しみは、もちろん甘いおやつデス。


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ピャンのバス停にて、人が集まるのを見込んでやってきた旅一座。
一家の家計を支えているのだろうか、父母の鳴らす音に合わせ綱を渡る少女は、とても子供とは思えない険しい目をしていた。
インドでは、このくらい小さな子供でも家計のために芸事でお金を稼いでいる。
デリーでも、ほんの4、5歳の少女たちが地べたに這いつくばり、砂だらけになって芸をしながら物乞いをしていた。
大人たちはといえば、お金を渡すどころか厄介払い。見かねた観光客が小銭を渡すかキャンディをあげる程度で、誰もこの異様な光景を変えようとはしない。

旅行者にはすこぶる快適なインドでも、これが本当のインドの現状。ほとんどの旅行者は、そんなインドなど素通りしてしまうのだろうけれど。。。


本日のその他出来事
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帰りのバスは観光客でいっぱいで、隣の白人のおねぇちゃんの脇の下が目の前にあったり、外に飛び出しそうになったり、大変でした。
写真は外に飛び出した時にとった一枚。


レーに戻り、ツアーデスクでラダッキーと世間話をした。
インドの大学生は今はわりと自由恋愛なんだそうです。
ほほう?私も自由恋愛したいです。

ジェスモに通いすぎたので、この日はちょっと違うレストランに行ってみることにした。
奥まっている場所だが、いつでも満員なのでちょっと期待していたが、高い割に味はジェスモとそれほど変わらず。
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浮気はいけないね、ジェスモ。

豆情報
夏のレーでは各地で祭りが催されている。日程は旅行人にも記載されているが、地元の人もちょくちょく教えてくれる。
祭りでないと写真のような民族衣装はなかなか見ることができないので、お祭りにあわせて旅行日程を組むのもおすすめです。

| 2004インド・ラダック | 19:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ダー~アルチ② 

ALCHI 2007/718

レーからも程近いアルチは、重要な寺院やのどかな風景が人気で観光客も多い。のんびり滞在したい村。

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畑の色が黄色くなっている。
春のような陽気のダーからたった半日、アルチはまるで秋のような空気。

奥の建物があるほうは、村人が住む地区。歩いて5分ほどの場所には重要寺院が点在し、土産物屋などでちょっとだけにぎやか。

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ポプラと石畳が素敵。この景色は、レーの裏側チャンスパにも似ている。でもこちらのほうがずーっと静か。


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ヤク?ハーフヤク?


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民家の窓。青い空には赤い花がよく似合う。


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この建物を近くで見ると↓


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民家地帯。塀で囲まれたもののなかを覗いてみると、やぎがいた。
塀の上には割られたビンの破片がたくさん刺さっている。
相方が得意のやぎ声でやぎの気を引こうとがんばっていると、住民ににらまれた。
懲りずに塀に登って杏に手を伸ばしてたら、歩いてきたばぁさんに「マネー」と言われて「ジュレー」と笑って済ませて逃げる。
なんかちょっと殺伐としている。。。観光客に嫌なことでもされたのだろうか??


この裏側には学校などが。そしてその手前にある山は傾斜がきつく、放牧中の羊がすごい勢いでころころ転がり落ちていた。止まらなくなっちゃったのね・・・(涙)
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この山ね。


■アルチのお寺

細い路地を入っていくと、有名なお寺があり、壁画などを見ることができる。
そこで珍しく東洋人を発見。日本人ぽい韓国人に見えたので、ハングルで「日本人ですか?」と尋ねてみたところ、相手は日本語で「ニホンジンですか?」と答えてきた。え?日本人??しばらく考えてから、互いに顔を見合わせ「どっちだよ!!」

お互い相手の国の言葉の発音がうますぎて本当に何がなんだか分からなくなった。
わからなくなっちゃうほど、顔も発音も似ているんだから、ケンカはやめて、日韓関係。

そんなことよりも、相手も私たちと同じ二人!?これは国際フィーリングカップルの誕生!?
しかし彼らはインド人をして「ケチな民族」と語り継がれる韓国人。
寺の入場料が高いと怒り出し、どこかへ行ってしまった。せっかくここまで来たのにね。

そういう私たちは一応寺に入ってみたが、正直壁画の価値はわからない。
外に出ると、他にも壁画の価値を知らないインド人観光客が、見張りの坊さんにカメラを取り上げられ罰金払っていた。

そんなどたばた劇を横目に、ちょっとおトイレへ。
川に突き出すように立った厠、紙を捨てようとしたら・・・ティッシュ舞い上がった!!
きゃぁぁ!自分の捨てた紙に襲われてる!

そんなわたしの悲鳴に相方からのアドバイス。
「渾身の力で捨てないとダメだよ。崖トイレの鉄則だってば。」
いつの間にそんな技を身につけたんだ!?

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村のはずれの方


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うちに帰ろう。


ACCESS
直行便・途中下車など毎日数本バスがある。レーからはそれほど遠くない。

HOTEL
そこそこな宿が数件。食事を取れそうな場所もある。一泊してのんびりしたい町。

| 2004インド・ラダック | 18:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ダー~アルチ①

2007/07/18
1泊2日旅行の2日目、早々にダーを出発し、一路アルチに向かう。

■ダーの朝

宿の人がチャイを出してくれたので、庭でのんびりしていたら、花の民が宿にやってきた。
今朝も見事な生花ですね。

チェックアウトし、村をあとに、杏を採って朝ご飯とする。杏取って潰してみたり、家を覗いたりしてなかなか前に進まず。
そしてなぜか筋肉痛発見。そういえば、この間レーの裏山に登ったっけ
・・・3日後ですか!?

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■ダーからアルチへ

ダーを出発し、途中村のきれいな娘さんとあいのりしつつ、再びムーンランドを東へ進む。

■ヒッチハイクは常識。

移動手段の少ないラダックでは、走っている車を気軽にヒッチしながらお互い助け合って暮らしている。
ヒッチハイクは、言ってみればあたり前。村ではお父さんが娘のために車を止めているし、小屋も日陰もなんにもないところでぼーっと車を待っている人たちもいた。

観光客を乗せている場合はもちろん客に判断がゆだねられるが、TOYOTAに乗った金持ち欧米人紳士淑女団体なんかも皆快く地元の人たちを乗せてあげていた。
民族衣装を着たラダッキーと一緒に旅できるなんて、ちょっとした思い出になる。
ちなみに私たちは女だったので、運転手は大抵気を使って、女性や坊さんの時だけ車を止めていた。男だらけの時は、私たちを指差し、「こういうわけだから」と申し訳なさそうにしていたのでちょっと心苦しかった。


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お昼は途中写真のような素敵なドライブインで、マイナスイオンを浴びながら昼食を。坊さんが杏で物々交換しているようだ。ちなみに杏は町で1キロ1ドルで売られている。

このレストランのように、水場の近く、ほんのわずかな地域だけ緑があふれ、そこに人々の生活があるのだが、一歩向こうはもう裸の岩山。ラダックでは、どの村もまるで砂漠の中のオアシスみたいな存在。

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雪解け水かしら。


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レストランの反対側。この川の周りは、まるで山岳地帯のオアシス。

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ハヌー方面と分かれるチェックポイント。ローカルバスなどが待機していた。

| 2004インド・ラダック | 13:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ダーの村散策

荷物を降ろして小さな小さなダーの村を歩く。

ダーは、幹線道路の脇にある未舗装の細い道を中心にしたとても小さな村。その道も、中心部(といっても、本当に小さな集落だけど)まで行くと、丘の斜面のような場所であるためか、どこをどう通っていいかわからなくなるようなごちゃごちゃした作りになっている。
家々はみな古く、ところどころがれきがころがっている。こう言ってはなんだが、ちょっとだけ不気味だった。
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小さな子供が手招きしてきたので、着いていったら彼の家はゲストハウスだった。中をのぞかせてもらったが、しばらく誰も泊まっていなような雰囲気。それに、家畜かなんかのにおいがかなりきつい。
子供の母親は、なんだかとても熱心に私を泊めたがる。うまく断れなくなって「今日はもう別のゲストハウスにいるから、明日また来る」と告げると、母親は強引に私の手をとり、「絶対ね、ユー、約束。」などとまたまたすごい勢いで迫ってきた。
なんか、目が笑ってない・・・

あまりの気迫に怖くなって、一目散で逃げ帰った。
外見は雰囲気があったんだけど、人間以外の何かが住み着いているような気配が・・・ブルブルブルブル


■花の民
村の中心に引かれた小さな小川で、杏の種を洗っているおばぁさんがいた。
ラダッキーとは異なる民族衣装を着たおばぁさん。細かくみつあみを施した頭の上には、数種類の生花を飾った帽子が。
ああ、これが花の民たる所以なのね!

生花のほかに、コインやほおずきなどもとりつけて、何やらとってもにぎやかだった。
これらの生花は、畑の隅で栽培されている。頭に飾る花を庭で育てるなんて、ちょっと素敵。
よく観察していると、夕方には枯れた生花の残骸が道端にペシャっと捨てられていたりした。

言ってみれば、生きた世界遺産。
ダーの人はラダッキーほどフレンドリーではないけれど、おばぁちゃん方は愛想が良かった。写真をお願いしたら、心ばかりのお礼を忘れずに。

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ピャンのお祭りの露店で見つけた絵。

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レーのバザールにいたおじいさん。どちらもほおずきを飾っている。
おじいさんの帽子は、ほおずきのほかに針を刺したりするのだそう。針の数=お友達の数なんだって。

しかしこういった伝統を日常的に維持しているのは老人のみで、若者は帽子も生花も民族衣装も何も身に着けていなかった。
日本の女の子が現代に至っても浴衣を好んで着ているように、ダーの若い子たちにとっても、伝統をいつまでも素敵なものと捉えていてくれたらいいのにな、と思った。


■あんず・杏・アプリコット・そして杏仁
杏にまつわる発見。
生あんずを生まれて初めて食べた。これがアプリコットジャムの原型かー。ももとびわとうめがまざったような食感。甘すぎず、わずかに渋みが残り、野性的な味。
そして皆さん、ご存知でした?杏仁豆腐のもとは杏だったのですよ!!実際割ってなめて確信しました。杏仁ー!!
干した杏の種は、杏仁の粉にしたら相当いい現金収入になるはず。そりゃぁ柵のひとつやふたつ作りたくなるって。

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本当に何にもない村だが、こうしてただ歩きながら、食べたくなったら横の木に手を伸ばしあんずを採ったり、ちょっとつぶして中身を調べてみたり、しぶいだの虫が入ってるだのきゃっきゃ騒いでいること自体が素敵。
まるで園児に戻ったかのように。
相方も、あんずを採って食べたこと自体が素敵な経験だと言っていた。


■静かな静かなダーの夜

結局私たちのあと、欧米からの中年パッカーが3組ほどばらばらにやって来たらしい。
ゲストハウスが用意してくれたシンプルな夕食を皆で囲む。
繊維がひとつだけ浮いていたチキンスープと、アメイジングマサラテイストなチャーハン。

スティーブンスピルバーグみたいなおじさんが、サバイバルナイフとペットボトルでさくさくっと凝った形のろうそく立てを作ってくれた。かっこええ。
ひとつしかないバスルームを順番に使う。といっても水しか出ないのでシャワーはお預け。おまけに電気もないので、懐中電灯で照らしながら。それでも顔洗えるだけ幸せ。

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ダーの畑。


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崖の脇に作られた村。

| 2004インド・ラダック | 17:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ダー

DAH 2007/7/17

ラマユルから一度カルシまで戻り、再び西へ向かうこと数時間、ドクパが住むというダーへ向かう。
ダーやハヌーは、ドクパの住むドクユルと呼ばれており、独特の風習を持つことで有名。地域的にももうラダック地区でなく、カルギル地区なのだそう。
今回わざわざこんな辺境までやってきたのは、「花の民」と呼ばれるトクパの人々に会ってみたかったから!一体何で花の民なんて呼ばれているのでしょう??

■下ラダック
レーから下ラダックに至る道は、一度カルシでダー方面とラマユル方面の二手に分かれる。この道は西のカルギル付近で再び合流し、DRASなどを経て、ラダックへのもうひとつの拠点であるスリーナガルへ至る。残念ながら、カルギルやDRASあたりは状況によりかなり危険な地域となりうるのだそう。ダー方面の道では、ツーリストが通れるのはダーまで。チャックポストもいくつかある。【2004年の情報】

■カルシからベマ
インダス川沿いをひたすら進む。標高はどんどん下がっているらしいが、風景はあいかわらず岩山・岩山・岩山。
このあたりも、ほかの地域と同じく何キロかおきに村が現れるものの、ほとんどの場所は緑のない高地だった。
スクラプチャンあたりがラダックエリアとカルギル地区との境目らしいが、ポプラとあんずと麦畑の村は、どこも同じに見えた。もちろんどこもみみな素敵な村だったが、これといって目立ったものはない。
ダーとともに、観光客に有名なハヌーも見た目普通だったので、パス。

途中ヒッチをしていた坊さんとお供の者を乗せてあげたのだが、袈裟を着たお坊さんの顔は彫りの深いカシミーリーだった。気が付くと、チャリに乗ってるお兄さん(?)も、すれ違う少女もずいぶんと顔立ちがはっきりしていて、眉毛が濃い。このままパキスタンまで行っちゃいそう!

■ダー
夕暮れ前、ダーの村に到着。観光地だと聞いていたのだが、実際車を降りた場所には小さな小道があるだけで、運転手によると、ここからは徒歩なのだとか。徒歩といっても、家も人も何にも見えないけど。。。
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ダーの入り口あたり。そこの川はインダス川。



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あんずの木。


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杏だらけ・・・でも手の届くところはどこも食べられちゃってるし、杏の木には棘のついた枯れ枝で柵を作って、他人が勝手に取れないようになっていた。
そういえば小さい頃は、近所の畑からよく落ちているスイカを拾ってきたけど、都会に出てきて畑に柵があったのに驚いたっけ。盗む人がいるからか、はたまた誰にも盗まれまいという持ち主の意思からなのか。。。どちらにしろ、多少のことは大雑把に許しあっている田舎人から見ると、窮屈な社会だった。トゲトゲの柵を見たとき、まさにあの時感じたのと同じ気分になった。冬の長いこの地方じゃ、あんずはとって貴重な財産だから仕方ないけれどね。


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岩の上に干して干し杏を作る


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車は入れないので、細い道をバックパックをかついでテクテク歩く。


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あんずとともに、もうひとつ目についたのは、写真のように、岩にくっつけるように作られた住処のようなもの。人の気配はなく、廃墟のようでとても寂しい。
覗いてみるとどうやら今は家畜小屋となっているらしい。ひっそりとした村に、家畜の鳴き声がちょっと不気味だった。
と、そこへ背後からすたすたと私たちを追い抜いていった村人。
まぁ、本当に顔つきがずいぶん違うこと!まゆげつながりかけてるわ。・・・

あれ?この人、ハヌーの近くで自転車に乗っていた人だ。
隣の村からこの山道をかれこれ十数キロこいで来たんだね。
「あなた自転車乗ってました」とジャスチャーしたら、ちょっとてれていた。おお、美しい・・・

■ダーのお宿
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この宿はダーの村の一番手前にあると聞いていたが、ここにたどり着くまで15分ぐらい歩いた。


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電気は通ってないが、部屋はまぁまぁだし、水洗トイレもあったのでこの宿に決める。
屋上ではテントを張って(泊まることもできるし、雑魚寝できる部屋もある。
私たちの部屋は、扉を開けると下に続く階段になっていたので、うっかり足を踏み出そうものなら階下に落っこちてしまう。廊下へは忍者のように壁にへばり付き、階段の穴をまたがなければならない。


ACCESS
ラマユル経由でジープ一台100ドル前後。
スクラプチャン・ダー行き私営バスも各一本出ているらしい。時間があったら今度は絶対地元の人々とローカルバスで移動したい。
旅行人によるとダー行きのバスはベマで止まってしまうこともあるらしいが、それはそれで大変だろうけどおもしろいかもしれない。
同じ宿に泊まった中年3人組は、途中からヒッチしてきたのだとか。超疲れるし、めちゃくちゃ時間もかかると言っていたが、ジープでやってきてしまった私たちよりも何倍も心に残る旅になったと思う。



本日のお宿

SKYABAPA GEST HOUSE T:200(バス・トイレ共同)詳しくは本文。
*もっと先に行くと、集落に何軒か宿があるが、いくつか比べた旅人のほとんどがここに泊まっていた。
旅行者は集まるが、奥の宿は民宿っぽくて、ホームスティ間隔で泊まれそう


豆情報。
村には食堂はおろか、売店もないので、飲食物はすべて宿でまかなうか、持参すべし。おかしもない(涙)チャイはある。

標高はレーより下がるが、十分な寝具はないので寝袋も必要。シャワールームの電気もなかったので、ろうそくORどこかにぶらさげられる懐中電灯も必需。

| 2004インド・ラダック | 00:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ラマユル

LAMAYURU 2007/7/17

一泊二日でラマユル・ダー・アルチを巡る小旅行に出かける。夏のシーズンにもかかわらず、ツアーメンバーを募るのは難しく、散々値切ったから、ジープが超ボロボロで、背もたれも低くて凹みました。

■レーからラマユル
8:30出発。こんなに早く起きたのは久しぶり。
空港や、昨日行ったスピトクゴンパの脇を抜け、一路西へ。
レー地方が上ラダックなら、目指す地域は下ラダックと呼ばれていて、ダーなどは標高もかなり低くなるらしい。走り出して数時間で、村々に実をつけたあんずの木が現れ出した。標高は3000M程度で、レーと比べると温暖なのだとか。
途中ポプラと麦畑の緑がきれいな小さな村と、果てしなく続く荒野を交互に通過しながら、ジープはひたすら進む。


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絶景ポイント。たくさんのランクルが行列になって撮影タイム

道中最初で最後の宿場町・カルシで昼食休憩。この町を越えると、町らしき町はなくなり、食堂や商店の並ぶ村もなくなる。
コショーの効いたシンプルなモモを一皿相方と分け合う。
そういえば、ドライブイン・カルシにはなぜかトイレがなかった。

■カルシからラマユル
カルシから先は、ザンスカール山脈。あたりに平地がなくなり、山の斜面を切り取った狭い道をひた走る。もちろん下は崖!!
なのに反対方向から何度も何度も軍のトラックの隊列がやってくる。
この先は停戦ラインにつながっているので、とても重要な補給路なのだろう。ひたすら20台も30台トラックばかり!
しかも同じ方向を走る隊列に追いついてしまうと、追い越すのはもう命がけ!追い抜く時にちょっとでもはみ出したら木っ端微塵!(ちなみにほんとにこのあたりはよく車が落ちるので有名なのだとか。)

トラックさえいなければ、このあたりはグランドキャニオンかどっかにいるかのような風景。切り立つ黄色の岩山・すぐそばを流れる渓流。
緑が一切ない、なんとも不思議な光景が広がる。
ラマユルの手前までくると、若干あたりが開けてくるが、それがまたすごく奇妙な世界。相方は、まさにこのあたりがムーンランドだと言って興奮していたっけ。
(旅行人によると、このあたりは何万年も前に湖からできた地層なのだとか。確かに他とはあきらかに異質!)


■ラマユル
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岩山を超えると、ラマユルは突然現れた。
冬のラマユルを写した写真ばかりみていたので、緑あふれるのどかな風景に思わず見入ってしまった。
そして丘に重なり合うようにそびえたついくつものゴンパ。前景を収められなかったのが残念だが、ヨーロッパのお城にも勝る壮大さ。一目ぼれだよ、ラマユル。

巨大マニ車の下に、写真で見たような皺々のラダッキーの婆様が座りマニ車をくるくる回している。
ああ、思えば遠くに来たもんだ・・・


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丘の上のゴンパから、さらに上にそびえるゴンパ群。

豪華なランクルでやってきた欧米人中年観光客で、ラマユルは思いのほかにぎやか。ゴンパの裏にとっても立派なホテルまであった。トイレを借りたが、とても清潔で、しかも水洗だった・・・

■ラマユルゴンパ
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下ラダック地区における重要なゴンパ。建物をうろうろしていたら、小僧さんが部屋のかぎを開けてくれた。
小僧さんと思いきや、ペラペラと英語をしゃべり出して、おねえさんたちちょっとピンチ。おぬし賢いのお。

10歳のゴンチョはこうして親元を離れ、一人で旅行者の案内をしながら修行をしているのだろう。
旅行人を貸してあげたら、自分の住んでいるラマユルゴンパやレーの写真をしばらく眺めていた。
英語も読めるらしく、地図のページを開いて、生まれた村の名前も教えてくれた。10歳とは思えないほど聡明。
そのうち欧米人のマダムが里親にでもなってしまうかもしれない・・・と思ってた矢先、欧米人のマダムが彼に傷バンや消毒セット一式をプレゼントしていた。やるなゴンチョ。

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ゴンパ裏手の奇妙な家。ミステリアス。。。

丘の上まで登ったら、さぞかし素敵な眺めだろう。
おばぁちゃんにジュレーと挨拶し、車に戻る。
帰る途中、下校途中の小学生の団体に出会った。閉ざされた小さな村なのに、こんなにたくさん子供がいたのか。手を振ろうとしたらいきなり車に向かっておなもみ投げつけられた。
ティクセの坊主といい、ここの悪ガキといい、ラダックのチビッコたちは過激派だった。


ACCESS
ダーやアルチをめぐる一泊二日小旅行で、ジープ一台100ドル前後。
カルギル行きのバスで途中下車するという方法もある。帰りにバスがなくなっても宿があるので安心。

この地方を走るバスは日に数本しかないが、カルシやラマユルなどの宿を利用すれば、3、4日で下ラダックを個人旅行できるのでは。非効率的だけど、どの町も急いで通りすぎるにはもったいない。

| 2004インド・ラダック | 20:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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SPITOK スピトクでインダス川

レー3日目 2004/07/16
そろそろ郊外へ出てみます。今日は一番近くにあるスピトクゴンパへ。
目指せ一日一村。

そうと決まれば今朝もジェスモでちんたらブランチ。
トマトスープはおいしいのだけど、マカロニの代わりにチョウメン入れるのはやめて。
すっかり顔なじみになった従業員ビーノに「今日こそは行くよ」と宣言した。昨日も言ったけど。


スピトクゴンパ
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空港。ゴンパからまるみえなのです。


スピトクはレーから約8キロ。空港とインダス川の間あたりにそびえるスピトクゴンパを中心に広がる村。
レーのバスターミナルから小さなローカルバスに乗る。
レーのバスもまた、アジアらしくぎゅうぎゅう詰めで、行き先を告げる車掌の声がけたたましく響く。
途中レーの空港の脇を通るのだが、空港ったら丸見え。ちょっとした柵があるだけで、警備もなにもない。

スピトクゴンパへは、幹線道路との分かれ道で下車。ここから坂道を登ってゴンパへ。
午後の休憩どきなのか、中はひっそりとして誰もいない。
部屋の扉は閉まっていたが、建物自体は開放さてていた。丘の上に建っているため、地下にもぐったり上に上ったりでちょっとした迷路のようで面白い。

小さな木の窓から見下ろすスピトクの町は、緑とポプラがとてもきれい。その向こうに流れるのはインダス川なのです!


山肌に沿って見える細長い建物みたいなものは、川か何かに山肌がえぐられてできたもの
らしい。マナーリーロードの途中からずっと続いている。とっても奇妙。

ゴンパの屋上付近にある部屋をお坊さんに案内してもらったあとは、さらに上にそびえるゴンカンというお堂を見にゆく。
ここには若いお坊さんがいて、ランタン片手に中を案内してもらった。中の壁画はたいへん貴重なものらしいが、なんだかおっかないものがたくさんあった・・・

しかし、なぜここのゴンパの写真が無いの??

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とても親切なお坊さんにお礼を言い、お約束の登りました記念写真を。先端に行かなくちゃ、この臨場感は伝わらないでしょう!すんごい登ったの、分かりますか??下界の5倍疲れました。


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インダス川とツーショット(ちょっと及び腰)


ゴンパからの帰り道、道端にぽつりと取り残され、ヒッチでもしてみようかと盛り上がっていた矢先バスが来てしまった・・・んもー。(内心ドキドキしてたけど。)

町に戻ったらチーズケーキでおやつタイム。レーにはケーキ屋さんやベーカリーがたくさんあって、誘惑されてしまいますが、味は荒っぽい。あまあまで砂糖がじゃりっていうぐらい!!


夕食はジェスモでピザを注文してみた。これがまたチーズたっぷりな上、タンドリー仕様なのでとっても美味!ピザーラなんかよりおいしくてたったの100Rp。だからジェスモじゃ皆ピザを注文していた。

食後もハルバルティなどを飲みながらだらだらしていたら、今朝の従業員ビーノがやってきて、ヘイガイズ今日は忙しくてかまってやれなくてごめんよみたいなことを言われた。
相方曰く、どうやら勝手に「待っている人」にされていたらしい。
実はもう帰りたかったんだけど、ここで帰るとますます勘違いされそう??
仕方ないから「私たち、あなたのこと待ってませんからあなたが忙しくても私たちはここにいます」オーラ全開でその場に居座ってやった。
なんかすんごい無駄なことしてるんすけど・・・


ACCSESS
レーのバスターミナルから頻発。帰りはレー方面に行くバスに乗る。

| 2004インド・ラダック | 15:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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レー王宮に登る。

レー3日目 2004/07/15

いきなり昼なのに朝ごはんではじまった3日目。
そろそろなんかしなよ、とジェスモの従業員もあきれ顔。世の中1週間しか休みとれないでレーまで来る人だっているのにね。

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ということで、レーのシンボル・王宮とナムギャル・ツェモ(王宮の右奥に見えるとこ)へ行ってみることに。


スピトクゴンパ
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王宮の麓はオールド・レーと呼ばれる地域。昔ながらの土壁の家が迷路のように連なっている。染物屋さんや放牧帰りの羊の群れなどとすれ違いながら王宮へ。近くでみると今にも崩れそうだが、かの有名なチベットのポタラ宮のモデルになったとも伝えられる、由緒ある宮殿なのだとか。
ずっと憧れていた王宮を目の前に、胸がいっぱいで苦しいです!酸素足りてません!!

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旧市街を上から見る。


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目指すはレーを見下ろす丘のてっぺん!ここから風にたなびくタルチョを見たい!
誰も彼もがみのむしみたいにのろのろのろのっそりと歩いているのがおかしかった。
でもみんな必死なんです!空気足りてないんです。こんなことなら普段からもっと体鍛えておくんだった・・・


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がんばりましたよ、標高3500mの登山!
めちゃくちゃ苦しいけれども、登り終えた時の達成感は保障しますを超えて「やったね★」って感じでした。


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無理やりくっつけてみましたてっぺんから見たレーのパノラマ写真。クリックしてみてください。フル画面にするとでっかくなります。


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レーに舞う人。
どこかの国からやってきたチャレンジャー二人組。岩の先端で仁王立ちして一体なんだろうと思っていたら、風を読んでいたらしい。
もちろん滑走路などあるわけもなく、突然崖を駆け下り、ふわりと舞った。
こんな旅も素敵だね。


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私たちの目的地はまだ少し上。目指すは右端の細長い塔。さぁがんばるぞ!


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あと少し!


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登頂成功~


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相方もどうにか到着。
覆い重なるタルチョの下は、なんだか妙に居心地がいい。


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ぱさー


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ふわー


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丘の裏に広がるチャンスパ地区。この眺めが気にいったので、帰りは裏の登山道から降りることにする。登り口は民家の庭だったが、チャンスパ地区は静かでのどかでとてもよい場所。あとで一周してみようかな。

| 2004インド・ラダック | 14:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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レーの安宿

レーで泊まった宿は3つ。レーの宿は、数は多くとも、値段が高かったり満室だったり場所が悪かったりで宿探しはちょっと大変でした。

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フォートロードをかなり下ったところの右手にあった宿。名前を忘れてしまったのが残念!感動的なまでにきれいな宿で、一泊350Rp(ツイン)まだ新しく、シャワールームもぴっかぴか。この旅はじまって以来、初めて寝袋なしでも眠れるほどきれいな寝具でした。ちょっと奥まっていて、広い庭があり、すぐ目の前に韓国料理をおくレストランがありました。


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おばちゃんの笑顔に一目ぼれしてずっと泊まりたかった宿。でもずっと満室で、最後の2日だけ滞在したビムラ。インダスゲストハウスなどに行く小道の脇にあり、家族経営で安心なお宿。
ツイン・バス付で350Rp。もちろん庭もあります。少し古いけど、最後に家族の住む部屋に案内してもらったりもしました。


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ビムラのある小道は場所がいいのでどこの宿も人気。奥にある宿は高かった。
ビムラの一個手前の宿もなかなか良かった。

レーの宿はどこも庭があり、花が咲いていてとっても和める。でも一人だとかなり割高に。最初に泊まったツォ・カルは、一泊250Rpと格安だったけど、かなりしつこくツアーを勧められて困った。

| 2004インド・ラダック | 14:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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レーの日常。

レー2日目 2004/7/14
2日目の今日もまだまだ活動する兆しがなし。デジカメの中にはルーフトップの写真が2枚のみ・・・

ではここで私たちの拠点をご紹介します。
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フォートロードは裏メイン通り。この通りに面し、ホテルや旅行会社・レストラン・土産屋が軒を連ねている。初めてここに降り立ったとき、あまりの観光客の多さに驚いた。


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どこかの交差点。よく店の軒下に座って休憩してた場所。


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毎日通ったレストラン・ジェスモ。安くておいしいくて、のんびりできる。


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ジェスモのすぐそばのジャーマンベーカリー。インド的にはじゃるまんべーかりー。こちらもお気に入りだけど、オープンテラスなので夜は寒い。朝日の中食べた焼きたてパンがおいしかった。
ジェスモもじゃるまんべーかりーも、従業員の男の子たちはみんなネパールからの出稼ぎ労働者で、冬はゴアに出稼いだりしているそう。


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庭に小屋建てていすとテーブル並べただけなんだけど、じゃるまんべーかりー。

ジェスモとじゃるまんべーかりーの間の小道をインダスGH方面に行ったところにあるケーキ屋さんには、宮迫にそっくりのおにいさんがいた。


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今日も昨日と同じルーフトップレストランへ。今日もキレイな夕暮れです。

お茶をしていたら、キーロンで同じ宿にいたサイケでヒッピーなもじゃもじゃインド人がいた。
インド人にもバックパッカーみたいに旅する若人がいるんだー。
でもきっとボンボンの道楽息子かなんかなんだろうな。

夜の食事はじゃるまんべーかりーからフォート通りを少し下ったところにある庶民的なチベタン食堂へ。
庶民的なのがいいのだが、イスラエリーの溜まり場になっていて肩身の狭い思いをした。
あとで知ったんだけど、イスラエリーって、実はそんなにお金持ちなわけじゃなく、みんな安い国だけ選んで旅行しているらしい。だからこの安食堂だったのかな?しかし人の残りもの食べていたのにはびっくりした。。。。

安い食堂といえば、ここで例のマナーリーであったタイ人みたいな日本人に遭遇。
かれこれ1年旅していると言っていた。
次に長旅出たときは、絶対清潔を保つとかたく誓う。

| 2004インド・ラダック | 10:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ラダック・レーのお土産

レーはとにかく観光の町。お土産屋さんもたくさんあります。
町を歩いていてうるさいくらい客引きしてくるのはカシミーリーのお店。ショールや絨毯などちょっと値の張るお土産を売っています。その分値切り交渉もやりがいがあります。

同じくらい多いチベタンの店は、客引くこともなくひっそりとしている所が多い気がします。誇り高きチベット民族の皆さんは、あまり値下げしてくれません。商売上手な人が多い?
私がのぞいた店のおばちゃんによると、夏の間はレー、冬の間はゴアで商売をしているため、シムラの自宅に戻るのは年に数回だけなのだとか。
チベット難民に金持ちが多いのはこの土産物のおかげだと聞いたことがありますが、まさにおばさんはインドを駆け巡り生計を立てているのですね。

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かわいい刺繍のベッドカバー。今なら買っちゃうかも!?


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サリーの切れ端で作ったと思われる、手作りベットカバー。値段は100ドル!?


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町の至るところにあるチベット土産屋テント。


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立派なマニ車があります。
余談ですが、私、これを持ってあるくおじいちゃんおばあちゃんを見ると、でんでん太鼓を持って孫背負ってる姿を想像してしまうんです・・・


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石のシルバーアクセもたくさん。ついつい目はいってしまいます。


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宿に飾ってあった刺繍。バングラのノクシカタみたいでかわいい。


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相方が買った薬・・・漢方薬みたいなもの??殺人的な大きさ。


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ラダックで見つけたお土産には、ネパール製のものがとても多い。チベットものはネパールやインド各地で手に入るし、デリーの物産店で手に入るものもたくさんある。渋谷に売っていたのもある。一体何が本当のラダック土産なんだか。。。



| 2004インド・ラダック | 10:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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レー1日目。

レー1日目 2007/7/13
マナーリー・レーロードでぐったりおつかれ、頭もじゃもじゃの2人は、その日12時間も寝ちゃいました。
・・・昨日と同じ靴下も履いちゃっていいですかね?

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散歩マニアにとって、レーの大きさはまさにベストサイズ!!
メインバザールへの角を曲がった途端、現れたのがレー王宮!!散々写真で眺めたレーのシンボルです。
ああ、ありがたや~!!写真嫌いの相方も、この光景はしっかり写真に収めていた。


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影になってしまったけど、道端には籠をかついだおばちゃんたちが野菜を売っています。その種類がとっても多くてびっくり。

それにしても、メインバザールは想像以上にカラフル!通りを飾る色とりどりのお土産屋さんやホテル、王宮の真下には、真っ白なかわいいモスクとポプラの木。
そして目の前に広がる真っ青な高地の空!
レーって、ほんとにうに色鮮やか。
多分、私のイメージするくぐもった土色のレーは、真冬のレーの姿なのだろう。
なんでも、この辺りで商売している人は他の地方からやって来たよそ者で、冬にはレーを去ってしまうため、ほとんどの店がクローズしてしまうのだとか。
街は「つまんない」ほど閑散としてしまうらしいが、でも、それが本当のレーの姿なら、ぜひともそんなレーの姿も見てみたい。


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カラフルな八百屋。


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あんず売りのおばちゃん。


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メインバザールにある郵便局。とっても古めかしい。後に相方が前世の夫と再会する聖地。


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商店街。


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メインストリートは立派なおうちが並んでいる。


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メインバザールの突き当たりにあるモスク。レーにはカシミーリーが多いので、ムスリムも多い。ここを左に曲がったところに銀行があります。



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あらどこのヨーロッパかしら?


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ジョカン前の交差点は、王宮がよく見渡せるポイント。店の軒下でのんびりウォッチングしていたら、どいつもこいつもうろうろうろうろ行ったり来たり。みんなほんとにすることがないんだね。私たちが言えたセリフではないけれど。


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昨日マナーリーロードでママチャリこいでたひとだ!!無事着いたのねぇ。


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バスターミナルから町の中心に向かう道。マニ車のあるロータリーの先は、地元の人のバザール。


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バスターミナルから南に続く道。まっすぐ行くと空港やストックゴンパ。
バスターミナルから町へはだらだらと階段が続いていて、高地ではけっこうきつい。両脇に連なるお店をひやかしながら、のんびり行く。


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裏通りの商店にて。


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なぜか日本の着物女性のカレンダーが飾ってあった。


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デジカメを撮って見せたら、パパや近所のおじさんたちの方がめちゃくちゃもりあがっていた。子供はきょとーん。


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病院はあちらですよ。


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散々休憩しておいて、さらに懲りずにルーフトップレストランでお茶タイム。
インドと言えば、ルーフトップ。ルーフトップでチャイが大好きなのです。
レー1日目は、半径300M程度のお散歩だけで終わってしまった。

夜になって、ぐっと気温が下がった。春夏秋冬を一日で味わっているよう。
昨日の夜と同じレストランジェスモに行き、おいしいスープをいただく。
チャイを飲みつつ従業員とお話ししつつ数時間。
こんなにのんびり旅行できるなんて、なんて幸せ。

| 2004インド・ラダック | 00:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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LEH レー

LEH 2004/0712

マナーリー発の「ツーリストバス」の場合、一泊二日もかかるレーロード。でもキーロン発の私たちは、明るいうちにレーに到着することができた。すぐ高山病になる私にはナイスチョイスだった。
バス停で恐怖運転ドライバーと別れを告げ、いざレーの街へ。

レーの第一印象は「都会」。
ダラムサラより賑やかで、マナーリーより外国人観光客が多い。
土産物屋は露店も含めこれでもかという程乱立し、白人のじいさまばあさま観光客が高そうな絨毯を品定めしている。
はぁ、これが秘境か~・・・。。。

一大観光地、レーの繁華街の宿はどこも高くてちょっと困った。
客引に導かれ好立地にチェックインしたものの、客引きのマイケル富岡は恩着せがましく執拗に「部屋ディスカウントしたんだからうちのツアーデスクを使うのが常識だろう!」と、ひつじさんのアップリケのついたトレーナー姿で迫ってきてちょっと怖かった。


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一番通ったレストラン・ジェスモ。
そろそろ冷えてくるころです。セーターをお忘れなく。


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秘境(イメージ)

ACCESS
ジープ 1000RP キーロン発もマナーリー発も同じ。朝3時か4時発。レー着はその日の6時。
ローカルバスも同じ時間発。その日のうちにレーに着ける。

GUEST HOUSE
チベタンレストランの目の前のホテル。部屋は陰気臭いがレストランは高級らしい。ホットシャワーは時間が限られているが、断水はない。電気は停電が多いものの、必要な時はちゃんと供給されている。

そういえばレーではコンニチハ!といわれることより、アニョハセヨ!と言われることが多かったな。
アンニョンハセヨ!って言われて、「ジャパニだよ!アニョハセヨ!」って言ったら、混乱してた。

| 2004インド・ラダック | 22:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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マナーリー・レーロードを行く

LEH ROAD 2004/7/12

レー行きのジープが来るのは、夜中の3時。
食あたり&断食でやや衰弱気味の私たちは、荷造りもせずいつの間にか寝入ってしまったらしい。
気付いたら時間直前!慌てて荷造りしたのが悪かった。5000メートルの峠を何度も越えるために必要な十分な装備を揃えられずに、ちょっとそこまで行く格好で部屋を飛び出してしまった。

レーに向けて出発!!
まだ暗い中、宿の前にやってきたドライバーに、昨日宿の前にいたおっさんだった。
私は全く気付かなかったけど、相方はおやじを見てすぐに危機センサーが反応したらしい。というのも、私たちが頼んだ車はマナーリーから来る車で、マナーリー発と同じ料金を前払いしていたのだ。
むむむ~キーロンの旅行代理店のハンサムガイめ!だましたな!

料金騙されただけならまだいいけど、本当にレーまで行くのかさえ疑わしくなってきた。
外は真っ暗、どうにかされたらたまったもんじゃない。
とそこへ、例の有吉現る!
呼んでもいないのに有吉はまた勝手に会話に参加してきて、「お前らジープが嫌ならバスで行けよブース!!」と、言っていたとかいないとか。お前がいると話がややこしくなるんじゃい!!(〃*`Д´)

相方は、なんとかして「お前キーロン人だろう!マナーリーから来たわけじゃないんだから料金安くしろ!」と言いたかったらしいが、当時は2人で力を合わせても、「オマエココイタキノウココイタ」以上の主張はできず・・・無念。

そこへ他のバックパッカーが一人連れられてきたので、多分この車はレーまで行くだろうとひとまず納得する私たち。
ちなみに彼は例の新しすぎる宿から現れた。きっと有吉にだまされ(?)たのだろう。
人を疑うことがあまりなさそうなアイルランド人の彼に事の次第を説明するも、文句はないらしい。
そうこうしているうちにジープは出発し、高級ホテルから現れた3人の裕福そうなインド人トリオを乗せる。皆1000Rp払っているが文句はないらしい。
そして強制的に出発。

それにしても寒かった。あの時の車内の寒さ、今も思い出す。。。
しかも、ドアの隙間から冷たい風と砂埃が入ってくるんです。
そして、おっさん飛ばしすぎなんです。
外は真っ暗なのに・・・・!
多分右側は崖なのに・・・・・!!!!
頼むからこっちに寄りかからないで!!
ドアが開いたらあたい死んぢゃう!!!!
た~す~け~てぇぇぇぇ!!!!!

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噂のおやじとがんばったTATA SUMO
首に変てこな銀のチョーカーをしていたので、二人ともよく覚えていたのだ。


キーロンから最初のチェックポイント・ダルチャまでは、緑の多い渓谷を川に沿って進む。
当然片側は崖で、真っ暗な中どんどんトラックを追い越し、いつ死んでもおかしくないような状況!
しかも太陽が現れるまでの魔の数時間は寒いのなんの!!フリース一枚じゃ到底耐えられない!が、アイルランド人はTシャツ一枚でも十分らしい。

ダルチャには食堂もあり、後ろをぴったりくっついて来たローカルバス(どれだけ恐怖運転してるだか)ともども、元気な人々は朝食タイム。
確かトイレは無く、青空トイレをきめる。

ダルチャを過ぎると、いよいよ一つ目の峠、バララチャ・ラへ。

峠を越える頃、東の空がだんだんと明るくなり、やがて朝日が山々を幻想的なまでに照らし出す。あまりの神々しさに、寒さも忘れて見入ってしまった。

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写真集で見たような景色が、目の前に広がった瞬間

朝日でほんのり右の肩があたたまり出した頃、バラートプルに到着。宿と食堂を兼ねたテントがいくつか並ぶ夏だけの集落。
チベタンらしき顔つきの女性が気だるそうに現れチャイをすすめるが、この寒さでお茶を飲んだらすぐトイレに行きたくなるのでお断りする。

トイレといえば、もちろんトイレはないくせに、隠れる場所もない。なんとかショールで隠して、かなりの平地で用を足す。私至上、ここまで大胆な行動ははじめてだわ(*ノ-ノ)キャッ

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バラートのテントダバ

バラートプル~セルチュ~ナキー・ラ~ラチュルン・ラ~パン

セルチュはマナーリー発のツーリストバス用のテントホテルが集まる地域。供給過剰な雰囲気が漂う。
若干標高が低いため、緑があるのと小川が流れていることから、ミーアキャットみたいな小動物も見られる。以外とでかくてかわいくない。
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小さいのは、トイレテント


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その後カッパドキアを思わせる奇岩の谷と二つの峠へ。
ガイドブックには一切ふれられていないのがなんとももったいない。こんな珍しい光景もムーンランドのめまぐるしく変わる景色にかき消されていまうのだろうか。


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ちょりことさっきゲロった子。


ところどころにある橋の側には必ず砦や見張り小屋があり、軍人が銃をかまえていた。軍の駐屯地もそこら中にあり、レーロードを舗装するインド人(ビハールの人々だという。)のキャンプもいたるところで見られる。

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彼らは私たち観光客のためだけに道を舗装しているのではない。この道は、軍用道路でもあるのだ。
いかにこの土地がインドにとって重要なのかが垣間見られる。

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峠を二つ越えると、すぐにパンのテント集落へ。この先しばらくはテント集落もない。最後のパスポートチェックを済ませ、いよいよ幹線道路世界第二の峠、タグラン・ラへ!


パン~タグラン・ラ

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パンを出発すると、ドライバー的絶景ポイント(写真)から、平原へ。
同じヒマラヤ山脈といえど、ネパール~チベットへの道と比べるとこちらの道は随分と山がちで雰囲気は全く異なる。唯一この辺りだけがチベットを思わせる低くゆるやかに連なる山と平原が望める場所。



平原を抜けると再び山の斜面を削り取った細い細い道へ。雹が降る道の向こうに広がるのは猿の惑星もしくはスターウォーズの世界そのもの。ムーンランドとは、うまいこと言ったもんだ。

そして5317mのタグラン・ラへ。
頭痛と動悸息切れで完全にダウン。この日のために仕入れた「食べる酸素」も全く意味ないデス・・・
インド人トリオだけが元気いっぱい記念撮影している。それを車中より苦しげに写真におさめるのが精一杯の私たち。ああ、一刻も早く、1センチでいいから標高を下げてくれ・・・・

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幹線道路の峠としては世界第2位の高さなのだとか。


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この旅最大の難関を越えると、憧れのラダック文化圏へ!!
道を舗装するためにやってきた女性たちに水を分けたり、身一つで何もない山肌で羊を放牧させる人とすれ違いながら、九十九の道を一気に降りていく。
と、そこへ、ママチャリに乗ったジャージ姿のインド人が。 いや、その場所は峠に続く坂道の途中で、人が容易にやってくるようなところでは到底ないのだ。
そんなところでおやじがママチャリ!?
おやじの荷物はかごに入ったビニール袋だけ。はぁぁぁ??まさかのママチャリダー???

翌日、重装備の欧米人チャリダーとともに無事レーに到着した(!?)らしい彼に再び遭遇した。彼のママチャリのかごには○×トラベルのプレート、おやじはどうやらチャリダーのガイドらしい。
いくらその道に慣れたガイドといえど、ちょっと3丁目の風呂屋に行くような格好で走られた日にゃ、この日のためにわざわざ重装備してきた欧米人はやりきりないだろうに。


峠の向こうに広がるラダック

どんどんと標高が下がり、緑が増えて行くと、やがて現れる美しすぎるラダックの村!!濃い緑の麦畑と、ところどころに広がる黄色い花畑、小さなポプラの木と透き通った小川、チベット式の四角い家とマニ車、どうやらやっとラダックにたどり着いたらしい。
この後いくつもの村を見たが、この辺りの村ほど美しい村はなかった。

道が舗装され、勢いづいたドライバーの無謀運転で、スピンして崖の数センチ手前で停止&カーブで正面衝突直前危機一髪体験があったものの、一行は無事ジャンクションの町、ウプシへ。
ここまで来ればレーはもうすぐそこ!
そこで相方、標識を見て一言。
「マナーリーまで300キロだって、またこの道を帰るんだよ・・・」


ラダック

ウプシ以降レーまでは、ラダックの主要道路。
道もいいので、さっき死にそうになったばかりのドライバーがまた調子に乗った。
正気か?死ぬから。

交通の要所だけあり、軍事施設が恐ろしく多い。
有名なゴンパもこの道沿いに沢山ある。
思った以上に緑で潤った街もあり、ポプラ並木と低い石垣の小道でドライバーまたしても暴走。モナコグランプリな気分でした。

ACCESS
ジープ 1000RP キーロン発もマナーリー発も同じ。朝3時か4時発。レー着はその日の6時。
ローカルバスも同じ時間発。その日のうちにレーに着ける。

GUEST HOUSE
宿(テント)はレーロード前半に集中。

| 2004インド・ラダック | 20:51 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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