世界一周トラベリングソング。

2015年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年05月

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綾瀬でブラジル料理 スーパーフーズブラジル

綾瀬のブラジル食材店・ブラジル料理レストラン スーパーフーズブラジル

世界のお食事、久々に中南米編です。
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綾瀬のいずみ会館というコミュニティセンターの向いで発見したブラジルフーズ専門店。
手前がブラジル食材、奥がブラジル料理レストランになっています。
小さいけどブラジル食材がしっかり手に入るのでもう10回ぐらい通ってるかも。

お客さんのほとんどはブラジルの方々。
日本ではブラジル料理って認知度も低いし、ブラジル料理は私が訪ねた国の中でもかなり難易度が高く、自分の家で作ってみよう!ってまでには至らないんだよね。そもそも食材自体なぞなものが多いし。

難易度が高い料理(=何が入ってるのかさっぱり分からない)の代表はタイ料理ですが、こちらはインスタントが発達しているので家庭でも簡単に再現できる。
他にトルコ料理、ロシア料理、和食なんかが挙げられるのではないでしょうか。
ともに宮廷とともに栄えて、文化的価値が伴っている料理です。
ブラジル料理って、別にそういうわけではないと思うし歴史も浅いはずだけど、なんでああも個性的なのだろうか???


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レジ横には肉まんのかわりにブラジルのコロッケ・コシーニャ。
この日はチーズを選びました。もちもちしていて激うまー。

運が良ければ最近日本でもおなじみになってきたチパ(ブラジルではポンデケジョ)に出会うことも。
チパというとパラグアイのバスの中の売り子さんから買って、すっかりはまってしまった思い出の味。
オリジナルはパラグアイで、イースト菌を使わないことから暑い国でも保存が聞くパンとして、ブラジルなど周辺各国に広まったんだそう。スーパーブラジルのチパはとてもおいしいよ。

お肉類、野菜類、スイーツ類は冷蔵冷凍庫に。
オリーブやビートやキドニービーンズなどの缶詰類はカルディなどよりよっぽど安価でよく買います。
椰子の新芽の「パルミット」がすごくたくさんあったのでおじさんに聞いてみたところ、サラダなどにして食べるそう。

あとこのあたりは米軍基地関係のフィリピン人も多いので、お店の一角にフィリピン食材も置いてます。
近所の比人がみんな帰国してしまって以来、フィリピン食材売り場は縮小ぎみ。

店頭にはグルグルチキンのオーブンがあります。一説には日曜のAMにグルグルしているらしいですが私は見たことがありません。

奥の食堂スペースがめっちゃ気になっているんですが、ポルトガル語が飛び交っていて、ブラジルのお父さんたちに占拠されていて入りにくい!
が、雰囲気がブラジルそのものですごくいい感じなので、ぜひ今度試してみようと思います。
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| 中南米のご飯 | 11:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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春のムームーたん日記

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手がにゅーーーんとなってしもた。



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おばあちゃんが宅急便で桜の枝を届けてくれたので、台湾で買ったカップに入れてみた。

| ムームーたん日記 | 21:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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日本で食べるフィリピン料理

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全然知られていないが、日本でもフィリピン料理が食べられる店は結構多い。
日曜日、フィリピン人が集まる教会などのそばでは、フィリピンでおなじみのスナックを売る屋台が出ています。

黄色いのはプト。米粉の蒸しパン。しっとりしていて甘さも控えめでおいしい。
レチェフランやケーキ類は激甘なのですが、伝統菓子はそれほど甘くないものが多い印象。

紫のはビコ。もち米とココナツミルクのお菓子。タイなどで似たのを食べたことがある人も多いはず。
ミャンマーでは油がぎとぎとになって出されるし、九州なら粽と呼ばれてきなこと砂糖をかけて食べます。
もち米はアジアンスイーツの代表。

最後にオレンジ色のクチンタ。日本ではこれがフィリピン伝統菓子の中で一番よく見るような気がします。
日本のういろうをもっとモチモチにした感じで、これも甘さはかなり控えめ。
ココナッツのほのかな甘みとよく合う。

これらのお菓子はどれもフィリピン人にとっては懐かしい味だそうで、老若男女問わずよく買っています。
日本人がフィリピンに行って、おはぎやういろう、ようかんをそんなに頻繁に買うかと言ったらそうでもない。
そう思うとフィリピンでは伝統菓子がまだまだ人々の生活のとても近いところにあるのだと思います。

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バレンタイだったので女性限定でデザートのプレゼント。
寒天で作ったゼリー。寒天ゼリーはゼラチンと違ってモチモチ度が無く、かわりに歯ごたえがある食感が好き。
これも甘さひかえめ。


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日本にあるフィリピン料理のお店は食べ放題が多く、こんな感じでモリモリいただきます。
お肉料理が多いのが特徴。内臓系も必ず一つは含まれています。
あとはパンシットという焼きそばも定番。
このお店は、エンプティートというフィリピン風ミートローフがとてもおいしかった。
野菜や卵も入っていて手の込んだ一品でした。

| 東南アジアのご飯 | 17:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ネパール大地震

2015年4月25日ネパールで大地震発生。
昨年末のトルコギリシア旅行を決める際、一番迷った行先がネパールでした。
大好きな広場がめちゃくちゃになってしまった映像が流れていました。本当に本当に残念です。
ネパールは世界中の旅行者に愛されています。
世界からの支援を受け、一日でも早い復興を願わずにはいられません。


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地震と聞いてすぐに思い出したのはこのレンガ造りの町並み。
東南アジアしか行ったことがなかった私が、ネパールに降り立って一番最初に感動したのがこの景色でした。
これがあだとなり、被害が拡大しているはずです・・・

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もろいレンガを積み上げただけの家。カトマンズのホテルなどはこんな造りにもかかわらず5階建て以上は当たり前。
日本でなら家屋倒壊による死者なんてほとんど出ないのに、途上国で地震が起きるときはいつも、神様は不公平だと感じる。


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バクタプルの素晴らしい街並みもレンガと木造。


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静かなキルティプルの町はどうなってしまったのか。。。

何もできないけど、復興したら必ずまたネパールに行こう。
眠っていた2001年の日記を引っ越しさせてきました。
とても素敵な国なので、少しでも興味を持ってもらえたらうれしいです。

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時々支援させていただいています。
国境なき医師団


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ユニセフ

| 2001ネパール | 12:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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思い出旅行記 ネパール⑨ さよならネパール、また今度!

ポカラの朝
朝焼けの中を、サフラン色の衣をまとった一人のサドゥが笛を吹きながら向こうからやってきた。
まだ牛さえも寝そべっている静かな朝、赤いサリーの女性が牛の頭をそっとなでると、そのまま右手で自分の額に触れた。
そして彼女はすれ違う男性に「ナマステ」と手を合わせる。

朝もやのかかる紺碧の湖には一人の老婆。まだ冷たいぺワ湖の水に浸り、神へ祈りを捧げている。
彼女の若い孫は、身に付けているものを脱ぎ去り、朝の沐浴を楽しんでいる。
その向こうには、雲の切れ間にかすかに見える青空と、うっすら雪を被る山脈。
なんて完璧な朝。

ネパールは、人の行動一つ一つがまるで一枚の絵のように美しく見える国。
ネパールは、色とりどりのものがとてもナチュラルに絡み合う鮮やかな国。
神様にものすごく近いんじゃないかと、本気で感じてしまうような国だった。

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大学生ぐらいの自分が感じたこと。こんなにいい国だったのかー。またいつか、かならず行きたい!
ネパールの復興を願って、2001年ネパール旅行の旅行記でした。

| 2001ネパール | 11:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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思い出旅行記 ネパール⑧ ネパールあれこれ

ネパールの復興を願い、2001年の旅行記を引っ張り出しています。

ネパールの乗り物

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ネパールの足は、おんぼろバスと乗合テンプー。鉄の塊のようなバスが今も現役で活躍中。

カトマンズやポカラでは、市バスもありますが、近場をいくなら乗合テンプーがお手軽。(写真左にちょこんと見える3輪の車です。)一応路線があるらしく、行き先を告げて乗ります。
ほかにも軽タクシーやベビーリキシャーもあり。でもカトマンズって、ついつい散歩がてら歩いてしまう町なんです。

タメル地区やインドラチョークでは、リキシャーも活躍中。自転車式のものですが、狭い路地を通るとなんだかとんでもなく大きな乗り物に乗っているような気分になります。それもまたおつなので、ダルバール広場からの帰り道はあえてリキシャーに乗るのがお気に入りでした。

またネパール国内の長距離移動は、ローカルバスに毛が生えたようなバスが主流。山がちで谷づたいに道を築くネパールでは、あまり大きいバスも考え物ですが・・・それにしても。唯一の楽しみは、その景観。山だらけなだけあり、森林浴しているような気分でひたすら山を眺めていると、飽きることはありません。

夜の移動では、不思議なくらいたくさんのホタルにお目にかかりました。もし明るかったら恐怖で気絶してしまいそうになるくらい細い細い道らしいですが・・・目がさめて、崩れたての崖を見たときには気絶したくなりました。。。

GUEST HOUSE

カトマンズの安宿街タメルストリートはアジアを代表する巨大安宿街。その安宿街のシーズンオフと言ったら、選び放題言いたい放題ディスカウントしまくり!誰かとシェアすれば中級ホテルも安宿プライスで泊まることができます。

私が一番長く滞在したのはカトマンズホリデイ。
部屋はまぁまぁなのですが、カトマンズを一望できる屋上があるのと、素敵な従業員がとてもナイスな宿でした。

ネパリー帽をかぶった男の子は、いつも玄関に座って私を迎えてくれたネパールの弟です。
いちばん左の自称「おじさん」は実はネパリー。
おじさんは日本で働いていたので、日本語ぺらぺら!タバコは耳にはさみます(笑)日本人と結婚したネパリーパパに連れられて里帰りにきたハーフネパリーの兄弟もかわいかったな。
おかっぱみたいな頭で日本食屋「もも太郎」のメニューを持っていて、それを見たパパが「これ、もも太郎1号2号ね」と笑っていたのがおかしかった。
ここで色々な旅行者にも会えたし、チベットに出張に行ったあとも待っていてくれたのがとてもうれしかった。
フロントには、ツーリストがプレゼントした写真が沢山!これだけでも、このゲストハウスが愛されていることが伝わってきます。

ゲストハウスの従業員は出入りが激しいからもう会えないかもしれないけど、このときのカトマンズホリディは最も思い出に残る宿の1つです。
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ネパールの食堂

うまかった・・・が、そういえば庶民の食堂はほとんど行っていない。
それもそのはず、観光大国ネパールでは、ツーリスト用のレストランがこれでもかというほど乱立しているのです。日本を出て早3ヶ月の私にとって、何よりありがたかったのは数々の日本食レストラン。タメルのふるさとは入り浸って従業員のラムさんの日本語の宿題をお手伝いするほど通いつめました。最後の晩餐に食べたカツカレー、おいしかった・・・米もルーも日本のものなのですヨ。冷たい麦茶のサービスもあります。天国!
桃太郎も値段が安いのでよく行きました。味はいまいちだけど、懐かしい定食がたくさん。名前は忘れたけど、タメルの中心あたりにある日本食やは、座敷に座っておかゆを食べながらはいからさんが通るを読んだっけ。何やってるんだ自分。味のシルクロードは経営者が変わったとかで陰気だったけど、ここで出会った日本人と部屋をシェアすることになったり、その人を介して出会いがあったりでラッキー。ポカラの味シルはそこそこおいしかったし情報ノートもばかばかしくて楽しかった。

NEPAL FOOD

ネパールで何より気にいったのは、揚げモモ!ぱりぱりの皮の中身にしっかり味がついていて、そのままでもいけるけど、ソースが千差万別で楽しめる。
カレー味のソースのほか、トマトベースのソースもある。こちらは厨房に潜入し、作り方を教わったけど、いろんなものを石ですりつぶして意外と複雑な組み合わせでした。少し胃腸が疲れたら、野菜の蒸しモモがおすすめ。そうそう、ネパールでは水牛(バフ)を食べるので、肉モモはバフのことが多く、私はもっぱらベジモモ派。正直ネパールなら3食モモでもいい。
チベタンフードはほかにもトゥクパやチベタンブレットがいただける。ある日のレストランで頼んだペペロンチーノの麺がトゥクパだった時にはちょっと困ったけど。

ネパール版ターリー・ダルバートはインドのものほど癖はなくあっさりしている。必ずダル(豆)と呼ばれるスープがついてくるので体にもありがたい。
ツーリスト天国のタメルにはベーカリーやケーキ屋さんもたくさん。早起きしたら、その場で具をつめてもらったサンドイッチを持ってルーフトップへ。夕方遅くには、半額セールを目指して再びベーカリーへ。電子レンジサービスもあったり、もう至れりつくせり!ベーカリーはおしゃれなものもあれば、クッキー中心の町のお菓子屋もあり、おやつにはことかかない。

こんなにおいしいものばかり食べてすっかり舌が肥えてしまったあとの北インドのつらいことつらいこと・・・

ネパールの治安

2001年は王族暗殺事件。
2003年には、これまでは安全だったカトマンズでも不穏な動きが出てきていた。
観光が重要な資源な国ですからボロボロになる前になんとかしてくれると信じています。


ロイヤルハナガーデンで露天風呂

タメルの北をずっと行ったところにある。日本人向けなのか、脱衣所もきれいで、タオルやサロンの貸し出しもあるので手ぶらOK。ネパールであることを忘れてしまいました。

日本大使館でパスポートの増補

多少安いのでは。でも2度通わなければいけないのがたまに傷。
でもでもそういうところで出会いがあったりするのも楽しい。

(増補の果てに。
世界一周中にも増補した私のパスポート。
そのあと某国のビザを取る際、増補されているパスポートはパスポートとして認められない!とビザ発給拒否されました。とほほ。
その頭のお堅い某イッヒリーベリッヒなお国には、増補という概念がないらしい。
まだ何年か残存期間があったのに。パスポート写真気に入ってたのに。
あわててその辺の写真やで撮った写真で10年過ごす羽目に・・・)

インド大使館でインドビザ申請
外国でまた別の国の大使館に行くのは結構疲れる。査証の申請は日本語でも複雑なのに、全て英語なんだもん。
その上インド大使館はいつも混んでるし。
穏やかな国民性のネパールにおいて、唯一イライラさせられたのは宿敵インド人だった(笑)

チベットツアー探し
これは大金が絡むため、大変に大変でした。
全部英語だし!本気で英語の夢にうなされました・・・
大きさや有名さにだまされず、納得いくプランを探すのが先決。
つたない英語でもねばってねばってねばりまくれば、ツアーが見つけ終わったあとには間違いなく英語力が上がっているはず!


2015年追記)
なんだか英語にだいぶ苦しんでいる内容だ(笑) 当時は大学の英語授業で超落ちこぼれクラスに所属していたのでね。
旅行を通じ、だまされないために身を守る程度の英語は身につけられた。旅行って、本当にすごい。まさにサバイバル英語!
今もネイティブとの会話は死ぬほど苦手ですが、この時インド人やネパール人に鍛えられているので、今でもこのあたりの人と話すのは好きです。

| 2001ネパール | 11:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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思い出旅行記 ネパール⑦ チベットへ向け出発

ネパールから陸路でチベットに入るため、国境(ニャラム・ダム)まで向いました。
ヒマラヤ山脈に突入するだけあり、景色はひたすら山・山・山!谷あいの小さな村や、そこにすむ人々は、まるでずっと昔の日本のように素朴そのものです。

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段々畑に囲まれた見晴らしのいいレストランで食べた朝食も忘れられません。
こちらも乾季なら、目の前に雄大なヒマラヤ山脈が望めるそうです。でも乾季(冬)チベットには行けないのであきらめます。
国境に近づき、標高が上がると、ヤクにもお目にかかれます国境付近は崖崩れも多く、軽くトレッキングまでしてしまいました。

途中何度も薪を背負う子供に会いました。
カトマンズのような都心部で、かわいい制服を着た子供たちばかり見ていたので、ネパールの農村が抱える問題をすっかり忘れていました。こんなに近くに学校にも行けず家族の為に働いている子供たちが実際に存在するのです。

このあとチベットからネパールに戻り、インドを目指します。

| 2001ネパール | 11:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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思い出旅行記 ネパール⑥ ヒマラヤを見に行こう!ナガルコット

NAGARKOT

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ナガルコットはカトマンズの東、バクタプルからさらに山に入ったヒマラヤの膝元に広がるのどかな村です。
乾季なら目の前に広がる美しいヒマラヤの景観が何より人気なのですが、あいにくヒマラヤのヒの字も見えなんだ。
せっかく目の前に何もない宿の角部屋をゲットしたのに!
しかし幸い雨は降らなかったので、やぎや牛が放牧されている牧歌的な段々畑を眺めながら、ヒマラヤの音楽を聞いてあたたかいチャイを飲みました・・・
ああ、幸せ。
あの笛の音が一番似合うのは、レーでもない、チベットでもない、ここナガルコットです。
そうそう、ノリタケに似たおやじの茶屋にも行きました。
おお、ほんとにノリタケだ!
あいにく「チビノリダー」(息子)は留守だったようですが、しっかりノリダーの写真がありました。気さくな方です。
カトマンズからは数時間なので、日帰りも可能ですが、季節がよければぜひとも早起きして展望台に登って美しい山々をご覧あれ。
次は絶対見るぞ!

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今度はオンシーズンにヒマラヤを見にいくぞ!

| 2001ネパール | 11:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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思い出旅行記 ネパール⑤ キルティプルとバクタプル

ネパール復興を祈って、2001年にネパールを旅行した際の記録を引っ張り出してきています。

BHAKTAPUR
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バクタプルはカトマンズからローカルバスで1時間ほどの場所にあるとても古い町。町そのものが観光名称となっているだけあり、レンガ作りの古い家並を歩くだけでもとても楽しい。地図を持たずに小さい路地をあっちに行ったりこっちに行ったり・・・遠い昔の知らない国に迷い込んだかのように。

あいにく雨季だったので、写真のような美しい山を見ることはできなかったけれど、雨模様のバクタプルもまた静かでおつなものです。
とても静かな町ですが、人々は今もこの古都で生活していて、ゲストハウスに宿泊することもできます。
またいつかこの町を訪れることができたら、今度はここに宿泊し、朝もやのバクタプルを散歩して、甘くて暖かいチャイを飲みたいな。それだけでも素敵!
有名なズズダヒ(ヨーグルト)は茶色の陶器に入っていて、まるでチーズケーキのような濃厚さ!
ぜひお試しあれ。

旅を終えたらバスターミナルで暖かいレモンティーを飲み、その先のナガルコットへ向かうもよし、家路へと戻る子供たちと一緒にカトマンズへ戻るもよし。バクタプルへの道のりはとても穏やかな風景が続き、どれだけ見ても見飽きないほど楽しい旅でした。

KIRTIPUR
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キルティプルは、ネワール族の古い都。丘の上にあるため、冬ならヒマラヤの景観がすばらしいのだとか。
あいにくの天候で眺めはいまいちだったが、写真下のような緑の段々畑を見ることができる。
キルティプルまではカトマンズからローカルバスで1時間ほど。
バクタプル方面とは異なり、こちらは南西方面に広がるカトマンズの住宅地帯を通るため、賑やかな市民生活を垣間見ることができる。



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あたりがのどかな畑に変わってきたら、キルティプルの町に到着。
丘の上に連なる家並はまるで城壁のよう。
町自体はそれほど大きくなく、目抜き通りだけならすぐに歩き終えてしまう。
バクタプルとは異なり、観光地らしくはないので、普通のネパールの町を訪ねた気分で散策してみると楽しい。
階段や坂に沿い、小さな店をひとつひとつ覗いてみるのもいい。
疲れたら、目抜き通りのチャイ屋で休息を。ぼーっと外を見ていれば、必ず誰かが話しかけてきてくれるはず。

| 2001ネパール | 11:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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思い出旅行記 ネパール④ パシュパティナート寺院と女性のお祭りティージ

PASHUPATHINATH

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パシュパティナートはネパール最大のヒンドゥ寺院。
異教徒は寺院に入ることを許されていないが、寺院は広く、対岸に渡れば火葬場の様子やサドゥの集まる不思議な家を覗き見ることができる。

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写真上、奥に見えるのは火葬場。
こちらは一般の人々用のもので、私が訪れたそのときも次から次へとサフラン色の布に包まれた遺体が荼毘にふされていった。
一方寺のたもとは、王族など身分の高い人々専用の火葬場(女性の祭りの項目に写真有り)
ついこの間、殺された王の一族が荼毘にふされた場所だと教えてもらった。
火葬のないこの日は、子供たちの飛び込み台と化している。

火葬場の横では沐浴をする人々。
まるで小さなバラナシのような光景。

写真上の手前には、サドゥの屋敷が。
彼らは灰を体に塗りたくっているので、顔は灰色で目だけうつろに観光客を眺める。皆ガンジャで正常な意識ではない。
同じ人間なのだけど、とてもそうとは思えない。
正直不気味で怖かった。
とはいえサドゥに興味深々の私に、ネパール人が「あれは本物の修行者じゃない、ツーリストサドゥだ」と教えてくれた。
観光客の多いこの場所で、写真を撮らせて小銭を稼いでいるのだとか。
南アジアって不思議!!

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カトマンドゥ滞在中、幸運にもパシュパティナートの女性の祭り・ティージを見ることができました。
ただお参りするだけみたいですが、皆赤いサリーを身にまといとても華やか!ファッションショーを見ている気分です。とてもラッキーでした。
(ちなみに子どもが遊んでいるところが王族専用の火葬場)

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インド圏の女性の座り方は男前なのです。



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ネパール美人に写真を撮らせてもらいました^^



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髪飾りも素敵

| 2001ネパール | 11:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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思い出旅行記 ネパール③ カトマンドゥのシンボル・ボダナート

BOUDHANATH
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ボダナートはネパール最大のストゥーパ。
チベットからの亡命者が多いネパールは、チベット文化が強力に引き継がれている場所のひとつ。
このボダナートはその中心で、沢山のチベタンが巡礼に訪れていました。
皆ストゥーパの周りを歩きながら、マニ車をまわしたり、五体投地しています。
赤い袈裟のチベット僧は、地べたに座りわずかに体をゆらしながら熱心にお経を唱えていました。
ストゥーパの上から巡礼する人々を眺めれば、いかにこの地が人々の信仰を集めているか、一目瞭然でした。


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ボダナート周辺には、細い路地があり、散歩をしていたら写真のような踊り子に出会いました。
獅子舞に通じるような激しい踊りに、子供たちもくぎ付け。
最後はストゥーパの周りにまで現れ、観光客目当ての物乞いの子供たちまで巻き込んで大騒ぎ!
私も子供に戻った気分でお祭りを追いかけてしまいました・・・


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裾が泥まみれになってもなお踊り続ける若者(予想)

| 2001ネパール | 10:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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思い出旅行記 ネパール②インドラチョークとダルバール広場

今回の地震で壊滅的な状況が伝えられたのがこのダルバール広場。
ロマンあふれる素晴らしい広場だっただけに、本当にショックでした。
いつかまたあの場所に帰りたいとずっと思っていた場所です。

INDRA CHOWK & DARBAR SQUARE

タメルを南へと進み、軒先にかかる絨毯の数が増えてくればそこはもうインドラチョウク。
にぎやかに吊り下げられたサリーやショールが目にも鮮やか!
ツーリスト相手の土産屋と一緒に、スパイス屋さんや金物やさん・野菜売りなどなどが軒を連ね、土地の人々の生活も垣間見ることがでる。

通路は狭く雨季は常にぬかるんでいるけれど、レンガの建物に古いてんびん、レトラなリキシャが揃えばもう言うことなし!
大昔のバザールに迷い込んでしまったかのよう!

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ビーズのアクセサリーはネパリー女性のおしゃれの必需品。


さらに先に行けば、より庶民的なアサンチョウク。
市場や人々を眺めながら散歩すれば、あっという間に郵便局まで歩いてしまいます。

インドラチョウクの少し先には、旧王宮前広場であるダルバールスクエア。
とても古い建物が多く、脇では骨董品が並んでいます。夕暮れ時、カトマンズが最も魅力的になる時間には、オレンジに染まる広場を眺めながら、ボーッと軒先に座っているのがなんとも心地良いい。あたりを見舞わせば、どのツーリストも皆黙りこんで遠くを眺めている。
その一瞬、この広場だけ時間が止まっているかのようだった。

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女子学生の制服がかわいかった。

| 2001ネパール | 10:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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思い出旅行記 ネパール①

2001年に旅行した際の旅行記が眠っていたので引っ張り出してきました。
このころはまだフィルム写真だった。時代を感じるなぁ・・・

ネパール到着
東南アジアを飛び出して最初に訪れたのは、ネパール。
人の顔も服装も言葉も乗り物も家並みも、何もかも見たことがない南アジアの色。有無も言わさず虜になってしまいました。
この旅行記は、2001年7月(まさに王族の連続殺人が起きた直後!)の一人旅で訪れた各地をまとめたものです。


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バングラデシュを飛び立ったビーマンは、やがてカトマンズ盆地へ。
徐々に高度を下げる飛行機から眺めた雨季のネパールは、深い森の緑と鮮やかな田園の黄緑が美しいの一言。
段々畑や森の緑の間に少しずつ見えてきたのは茶色いレンガの小さな家々。
緑の大地の中、赤茶けたレンガ色は信じられないぐらい溶け込んでいて自然体!
こんな美しい国があったなんて。
もうこの一瞬で、ネパールの虜になってしまった。

まるで分校のようなレンガ造りの空港を降り立ち、乗客の一人の荷物がロンドンに誤送されたのを見て、彼には悪いがいよいよ南アジアに突入したことを実感する。

乗合テンプーをシェアし、いざ安宿街・タメルへ!
町にはあのかわいい茶色の家が並び、サリーを着た人々や真っ赤なリボンの小学生、野牛がごろごろ!明日からの散策が楽しみでならない!

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タメル地区のゲストハウスの屋上から。冬なら雲の向こうに白い山が見えるのかしら・・・

THAMEL STREET

カトマンズで一番好きな場所は、タメルストリートと呼ばれる安宿街。世界中からツーリストが集まってくるため、宿はもちろん、レストランに旅行会社・トレッキング用品を取り扱う店や、欧米の食品を輸入販売している商店、CITI BANKのATM・土産屋・・・なんでもあり!忙しい旅人のはずの私も思わず長期滞在してしまいました。

タメルの居心地のよさは、なんと言っても人々の良さ。
例えば全然買うつもりがなくても、お茶を出してくれたり、商品の説明をしてくれたり。
手ぶらで出ようとも「また来てよ」ぐらいのノリ。しっかり曼荼羅の上手な選び方を教えてもらいました。
日本食屋も和む場所。行きつけができれば、半日ぐらい入り浸り。
町を歩けばいろいろな人が声を掛けてくるけれど、不思議とあまり不快ではないのがタメルの魅力。
もちろんお土産探しも楽しい場所。ショールに絨毯・シルバーアクセサリー・ハンディクラフト、これでもかというほど買い込みました。
NGO関連のお店はフェアトレードで少々高いけれども、世のためネパリーのため、少しでも民に還元されることを祈る。
2002ネパール


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タメルの南はインドラチョークへとつながり、店の軒先はますます賑やかに。北に行くと庶民の生活が垣間見れるのもいい。東に続く道の壁には、色とりどりのベットシーツが並び、それだけでも十分絵になる光景。
こんなに素敵街・タメルで過ごして以来、ネパールを感じさせる町(ダージリンやダラムサラ!)の虜になってしまいました。
また絶対行きたいです^^

MEMO:
■季節:7月 雨季。スコールというよりしとしと雨が続くので、雨具は必需。気温も下がるので羽織るものがあるといい。
山の景観はまったく望めないため、シーズンオフとなりホテルは軒並みディスカウントプライスに。ポカラで約3分ほどフィッシュテールが見えた程度。美しいヒマラヤを見るなら、絶対冬のシーズン。
■アクセス:バンコクよりビーマンバングラデシュ航空(ダッカ乗り換え・ストップオーバーは希望すれば可。乗り継ぎの関係で待ち時間にダッカの町中のホテルに移動できた。入国したことにはなっていないが宿の人はゆるいので少しぐらいなら散歩できる)
■ビザ:空港にて。
■出国:ツアーにてチベット/ポカラよりスノウリ国境を経てインドへ

| 2001ネパール | 10:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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徒然思い出し日記。アマンダについて、ちょっと。

全国の20人ぐらいの愛読者の皆さま、こにゃにゃちわ。
今更ですが世界一周の写真整理にいそしんでおります。
そんな中で見つけて我ながらぷぷっと笑ったネタがあったので、ここで復活『アマンダについて、ちょっと』

ゾルゲから九寨溝へのタクシーをシェアした人の中の一人に、アマンダとういう上海の女の子がいました。
なんでも10年前にここを訪れたボーイフレンドが、湖の石に彼女の名前を刻んだらしく、それを探しにきたのだとか。
「もしも見つかったらきっと結婚を決める後押しになると思う。」
28歳お年頃の彼女はうれしそうにそう話してくれました。

彼女はUS BANKに勤めているということで、英語はぺらぺら、一人旅をするぐらいだから中国の女性の中でもかなりウェスタナイズされているものだと思ってました。

しかし、彼女と2日間部屋をシェアして私はかなり衝撃を受けてしまいました・・・。
彼女はごみをゴミ箱に捨てません。使った場所に置いておきます。
バスルームはいつも水浸し、何に使ったんだかわからないけど毎回トイレットペーパーのかけらがバスルームの床に散らばっています。

そしてさらに衝撃が!!なんとあの英語ぺらぺらのかわいいアマンダがトイレで「ガーーーーー!!ベッッ!!!!」とやってるではありませんか!!
いやぁ、彼女もやっぱり中国人だったのかぁ・・・ああでもなんかちょっとうれしいかな?

その後彼女は私の真横でボーイフレンドと電話でけんかをはじめ、泣きながらものすごい勢いで受話器を置くと、これまたものすごい勢いでドアを閉め、ものすごい勢いでフロントに電話して「あなたたちはお湯も用意できないのか!?」とあからさまに八つ当たりしてました。

ああ、まるで嵐のよう・・・

中国は一人っ子政策で有名だけど、どうかみんながみんな彼女のようではないことを祈りたいです・・・
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ゾルゲから九寨溝行でタクシーをシェアした人々。ゾルゲで会ったサワサーは宿できゅうりを食べていた。右のおじさんとは九寨溝の屋台で白酒を酌み交わした。恐るべし白酒、ゲーゲー吐いて夜明け前までに全部出た。おかげで翌朝は朝から仲良くアマンダと観光をしたのです。

| 徒然日記 | 19:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トルコのお食事 いろいろ編。

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オールドバザールの脇のとっても小さなスープ屋さん。
スープとパンだけで勝負!
寒い日だったので温まる。



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シミット(トルコのゴマパン)サライというフォーストフードチェーンのパイ。
おいしかった。



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これおいしかったなー。ナスのドルマ。中にごはんが入ってます。
トマト風味のスープをからめて食べるとなお美味。
こういう煮込み料理って手が込んでる分感謝の気持ちが増しますわ。



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ドーハで食べたトルコ料理。
トルコ料理にひき肉を揚げたものがあると聞いて、帰りのドーハで滑り込み試食。
パッサパサの味なしひき肉。まずかったぜ!
焼きナスのサラダはどこで食べても外れなしだね。

| 西アジアのご飯 | 12:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ドーハトランジット(帰)

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ドーハ到着。



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24時間営業のフードコートで中東料理を。



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1月2日深夜日本に向けて出発。
こうしてあっという間の1週間の旅が終わりましたが、生まれて初めて時差ボケで旅の余韻に浸りました・・・

| カタール ドーハ | 12:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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イスタンブール最終日

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最終日、雨のイスタンブールスルタンアフメッド



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2008年年末を過ごした場所。
次はいつ来られるかな。



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この日入ったランプ屋は2件とも安心価格だった。
アッラー!の兄貴のランプ屋さんもよかったし、
オールドバザールの外側にランプやさんのお兄さんは良心の塊のようなお方だった。再訪したいがきっと次に行ったらいないんだろうな。旅は一期一会。
オールドバザールでは今年一番の客だとかなんとかもてはやされ、お土産をつけてもらったっけ。
今年一番の客が払ったお金は使わずに店内に飾るのだそう。
本当かどうか分からないが、値切れる限界は十分調査して、自分が納得する価格で買い物できたし、リップサービスかどうかは気にならない。

返って来た1万円で家族や友人にお土産を。大切に使わせていただいた。


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お土産がぎっしり入ったスーツケースを引きづるようにして空港へ。
お金を落としたばかりなのでエアポートシャトルに乗らずに節約した。



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イスタンブールの空港。



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メッカ巡礼者が多い!カフェは巡礼のおじいちゃんたちに占拠されていた。

| トルコ イスタンブール | 12:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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イスタンブールの安宿 

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名前忘れたけどコーラゲストハウスの隣の安宿。
『部屋がない〰』と助けを求めたら、隣に引っ越しを勧められた(笑)
共有のバストイレはヨーロッパ風のとてもおしゃれなスタイルでした。


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こんな部屋で年越しだー。
今日一日のどたばた劇ですっかり疲れ切って、コンタクトもけしょうも洋服までもそのままで寝てしまったさ。。。
気がついたら年越し終了。電気つけっぱなしだし。



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部屋のキリムがめっちゃかわいかった。

| トルコ イスタンブール | 12:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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イスタンブールで財布を落としたら。

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イスタンブールのモール。値段が日本並・・・



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普段財布を落とすな!と人々に注意喚起する仕事をしているわたし。不覚にもモールで買い物中に財布を落としてしまったのです!がーん。財布を落としたことなんて無かったのに!!
幸い財布の中にはカード類は一切入れていなかったのですが、さっきおろしたばかりの1万円相当のトルコリラが・・・
日本で財布を落とした人のお手伝いをしていると、90%の確率で戻ってくるのですが、ここは海外、絶望的な気分で、それでも警備さんやスタッフに助けを求める。
一応監視カメラなどで確認してくれ、名前とホテルを伝えておいたが、明日トルコを出るのでもう見つかることはないだろう・・・
そう思っていたら、スタッフからインフォメーションセンターに行くように言われ、そこである人物から『財布を預かっている、返してほしければ○○ホテルまで来い』というメッセージを受け取る。怪しすぎる!!!
電話番号も伝えられていたので電話してみる。
『財布はあるが、訳あってもうこのモールにはいない。中にはお金が入っているが、これがすべてなのか、無くなっているかは私には分からない。とにかく夜に○○ホテルに来てくれれば返せる』
という怪しすぎる会話・・・
なんでモールにとどまったりツアーデスクに預けたりせず、持って帰ってしまったんだ!?

たった1万円という思いもあったが、ほんのわずかな期待と、財布が誰か悪い人にとられた、自分の財布が悪党と関わったという事実を払拭したい気持ちもあり、おそるおそる指定のホテルに行ってみる。
ホテルは思ったよりゴージャスな高級ホテルで、フロントの人にメッセージを残した人物の名前を言ってみるも、そんな人物の宿泊はないとのこと・・・
絶望的な気分でぐったりしていると、突然『コンニチハー!』と声を掛けられた。
そこに立っていたのは人の良さそうなおじさん。
おじさんの手には、まぎれもなく私の財布ではないか。
言葉を失いつつ、中を見てみると、一円も無くなることなくすべてのお金が入っていた。
一体これはどういうことですか?

訳を聞いてみると、これがまた、幸運に幸運を重ねたような話!
おじさんは日本人客を相手にしているツアーガイドで、モールをガイド中偶然この財布を見つけてくれたんだそう。
ガイド中のためそれ以上モールにとどまれなかったおじさん、仕方がないのでモールのインフォメーションにメッセージを残しておいてくれ、かつ、財布の中に残っていたホテルのレシートを見て、そこにも電話してくれたんだそう。
あいにくそのホテルはチェックアウトしていたが、ホテルの人が私が隣に移ったことと、そのホテルの番号を教えてくれたそうで、おじさんは私が今泊まっているホテルにも電話してメッセージを残してくれていた。

これでやっと、おじさんが財布を持って出てしまった理由が分かった。
忙しいツアーの中でそこまであれこれ手を尽くしてくれたなんて!
もう感謝してもしきれない。
『信じられないです。トルコで財布が見つかるなんて!』
と伝えると、おじさんは、『トルコ人をなめるなよ』と言わんとばかりに
『全部とは言わないけど、トルコ人のほとんどはきっと拾った財布を持ち主に返そうとしてくれると思うよ』と説明してくれた。
もちろんこの町にはアラブ各国から来た出稼ぎ労働者も多く、そういった人に拾われていたらどうなっていたかは分からないけどね、とも付け加えていた。

加えておじさんは日本にも来たことある親日家。
つくづくいい人に拾われてよかった。

おじさんの親切に心から敬意を表し、『ハッピーターン』の法則をお伝えした。
『私は日々人々の落とした財布を取り戻す仕事をしています。だから今回神様が私の財布を私のもとに戻してくれたのだと思います。次はきっとあなたが神様からこの幸運を受ける番です』

拙い英語だったが、おじさんは分かってくれたらしい。
言葉や文化は違えど、ハッピーターンの法則は世界共通。

『こんなことがあったけど、トルコを嫌いになるなよ、じゃ、ツアー客が待ってるから!』

おじさんを見送って、しばらく力が抜けてそこに座り込んでいた。

とんだ大みそか(あ、この日は大みそか)だったが、まさに終わりよければすべてよしな年末だったよ。
でも待ってくれおじさん。
こんなことがあったけど、って、結局トルコは誰も悪くなかったよ。
多少つっけんどんな人もいたけれど、トルコは国をあげて(?)日本人の財布を捜索してくれたではないか。

今回イスタンブールという観光都市を選んでしまったばかりにちょっと不親切な人にもたくさん会って、もうトルコはいいかなぁなんて思っていたけど、やっぱりトルコ人て親切だ。遠い昔、カッパドキアで出会ったたくさんの親切な人たち、あれこそがトルコの実力。ツーリズムのど真ん中にいる人々が不愛想になるのは、そこに来る無礼な観光客に責任があるわけで。
トルコの人は基本皆親切なんです、きっと。やっぱりまたトルコに来たいし、その時はぜひトルコの片田舎に行きたい。
普通のトルコの人とふれあってみたい。

この数時間で起こったことを消化しきれず、ぼんやりホテルに戻ると、フロントの人から『財布落としただろう!拾った人から電話があったよ』と声を掛けられた。信頼だけで成り立つ『伝言』というものがしっかり機能しているなんて・・・・世界は捨てたもんじゃないね。
おかげ様で戻ってきたよ。サンキュートルコ人。

翌日偶然入ったランプ屋さんには、ツーリズムのど真ん中にいそうな不愛想店員がいた。
ま、仕方ないね、責任は我々にある、などと思いながら通り一遍等の質問に答えて、こちらもあれこれランプの値段を質問する。
ちょっと買ってもいいかな、という感じだったので、商談に突入。
商談に入るとお土産屋さんでは必ずチャイを勧められる。
このチャイが登場すると、自然とその場の戦闘モードが解除されるらしい。
商談は世間話へ。
『実は昨日こんなことがあってね』
私は昨日あったことを話し出す。
店員はところどこで『アッラー!』と感嘆な声をあげながら、話を聞き入っていた。
そして彼も一言『トルコ人のほとんどがきっと財布を返すはずだよ。』

チャイを飲みながらお互いの文化や経済のことなどをあれこれ話す。店員が『アッラー!アッラー!』と驚くのが妙に気に入った。この不愛想だったお兄さんも、もともとはこういう感じで人々と話ことが好きだったんだろうな。
入ってきては、何も買わずに出ていく観光客や、上から目線の観光客なんかと接するうちに、いつの間にか不愛想な雰囲気になってしまったんだろう。
買う側もしかり。不愛想な店員に身構えてしまったが、もちろん地元の店員さんとの会話を楽しみにしているはず。

昔は何も考えなくてもだいじょうぶだったんだけどなー
そんな風にできる心意気はいつまでも忘れたくないね。

そんなこんなで帰国や年末の余韻に浸ることもなく、あわただしく2014年と旅が終わったのでした。

| トルコ イスタンブール | 12:12 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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