世界一周トラベリングソング。

2015年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年07月

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韓国の牛スープ ヘジャングク

2時間韓国トランジット旅行で食べたのはこちら、ヘジャングクなるもの。

17年ぶりに韓国で食べる韓国料理。
日本以外の国の料理など一切食べたことが無かった当時の私。まだパクチーも香辛料の一切も知らなかったころ、韓国料理の奥の深さなど当然わかるはずもなく、ただおいしいとだけ思って食べていた。いろんな国で韓国料理店にも行った。
あれから17年。
色んなことが分かるようになって改めて食べる韓国料理は、まるで大人になって京都に行くようなものですよ。
辛さの中にある奥深い旨み、栄養素、素材のコンビネーション、何もかもやっぱりすごいわ!韓国料理。

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そんなわけで2時間のトランジット中に選んだのはこちらのオモニのお店。



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ちょっと懐かしい感じの店内。言葉すっかり忘れたよー。
言葉もメニューもさっぱり分からなからず、あせって『チゲジュセヨ!』(笑)



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おかずいっぱい出てきたよー。
キムチはさすが!!!!のおいしさ。も、全然違うね。
塩辛系のダシの味がとっても濃厚。自然のうまみがたっぷり出ていて感動ものでした。
韓国の人にとって日本のキムチとは、インド人にとってのボンカレーのようなものだろうなぁ。
玉ねぎと唐辛子はお醤油漬けでした。
ご飯が赤米入りなのも素敵。これだけでも十分なほど。



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オモニがとても親切で、おかげで日本には無さそうなおいしいスープを頂くことができました。
骨付きの牛肉がごろんごろん入っているスープ。あまり辛くはなくて、ラーメンのスープになりそうな濃厚さ。
ナッツやゴマのようなものをすりつぶしたものをたっぷり入れているのがポイント。香ばしい。
ほかに葱やキムチがたくさん入っていました。
運ばれてきたときは、アツアツすぎて吹きこぼていました。
そしてたっぷりの牛肉、飽きたころにありがたいのが右の白っぽいタレ。
味は洋ワサビのよう。ローストビーフにつける洋わさび感覚。オモニの神業ですね!!



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右上のペヘジャングックってやつ?調べてみたらヘジャングクっていう腸によい食べ物はあるそう。頭についている”ペ”はなんだ?読み方間違えてる?
最後にオモニに、韓国っぽいナッツが香るコーヒーを頂き、大満足で金浦へUターン。そこからさらに仁川空港に向かう列車に乗り換えて走ること30分程度で無事仁川到着。
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| 韓国料理 | 15:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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韓国ソウル 2時間トランジット観光

久々の韓国、仁川〰金浦空港のトランジット移動で数時間だけ時間があったので、金浦空港の近くを散策してみました。


ウズベキスタン旅行から帰ってまいりました。いやーーーーー楽しかった!こんないい国に今まで行ってなかったなんて、人生半分損してたわ!

6月16日 羽田9時発のアシアナ航空で金浦空港へ。
なぜだか、成田からウズベキスタンまでと、韓国からウズベキスタンまでは同じ値段でした。

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韓国は実に17年ぶり!機内食でコチュジャン配られた、さすが韓国。

タシケント行きのアシアナは仁川から16時台に出発なので、ほんの数時間でトランジットと観光ができました。マーズに沸く韓国で。

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三千円分だけ下ろして、空港のインフォメーションで地下鉄路線図をゲット。
地図を見ながら、金浦から地下鉄5号線で最初の乗り換えがあるカチサンという駅に行ってみました。
日本に帰って韓国料理店で働いている留学生に聞いたら、空港方面にはショッピングやグルメを安く楽しめるエリアがあるそう。
名前失念。
券売機は日本語表示も標準装備、これは確か昔はなかったな。
韓国のおばちゃんの服が大阪のおばはん並みに派手派手で、それは昔に比べてパワーアップしている気がした。



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駅から出ると行商のおじさんおばさんがニンニクを売っていた。新大久保ではない!



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ちょうどすぐにローカルの市場が。大阪の韓国街のような、アーケードのある市場でした。



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色んな種類のキムチだらけ。飛行機でたったの2時間だけでこうも食文化が違うとは、改めて驚きです。新大久保で満足してちゃだめだな。パジョンでしたっけ、ナスのてんぷらを店頭で焼いているオモニもいました。異文化。



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スイーツも和菓子ならぬ韓菓子がたくさんあるんだね。餅っぽいのが多かった。



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ハングルだらけの街並みも久しぶりすぎて、軽く初めての国に来たような感覚でした。
市場内に大きいスーパーもありました。



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韓国の市場では、野菜も袋詰めして売っていました。スーパーと市場の中間と言った感じ。
この円安時勢、野菜は日本よりちょっと安いくらいかな?という感じでした。



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なんだろう?瓜?



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裏路地に入るとごくごく普通の韓国住宅街。赤煉瓦の家、懐かしい。
ちょっとふらふらして、これからやってくる乾燥地獄に備えてパックを購入、最後に普通の韓国料理が食べられそうなお店を探してうろうろ。昼からがっつり焼肉焼いてる若者、さすが韓国。



| 韓国ソウルトランジット | 22:31 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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ウズベキスタン2015ブログ

ウズベキスタンにやってきました。
昨日は韓国にて2時間ほどトランジット時間があったので、少しだけ金浦空港の近くの町を歩いてきました。韓国は初め行った外国ですが、17年ぶり?ひえー。色々懐かしく思い出しました。思い出したくないことまで笑。たまたま見かけた食堂のオモニがめちゃくちゃ親切でした。初韓国以降私の中の韓国は新大久保でしたが、やっぱり違うね。
で飛んでタシシケント。ウズベキスタン人、でかい!闇レートがあった!三千円が札束になって帰ってきてびっくらしました。今日から札束パッカーです。久々のドミトリーで、長旅の人にも会いました。中国のセルタに行ったなんて話を懐かしく思いながら聞きました。楽しそう。うらやましい。が、そんな私も今の仕事しながらの弾丸パッカー生活には満たされています。色々とあるけど今は今で祝福されているらしい。なんて、外に出ないとなかなか気付かないことに気付いた旅行1日目でした。朝4時半、そろそろウルゲンチ行きの飛行機に乗る準備をします。

| ウズベキスタン | 08:25 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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ウズベキスタン旅行のルート

今回のウズベキスタン旅行の日程とルート

2015年
6月16日 羽田(9時ごろ発アシアナ航空利用)→金浦→仁川→タシケント(20時着)
6月17日 タシケント(7時頃発飛行機移動)→ウルゲンチ(9時頃着タクシー移動)→ヒバ(11時ごろ着)
6月18日 ヒバ(17時ごろ発乗り合いタクシー移動)→ウルゲンチ着(18時ごろ)→ウルゲンチ発(20時ごろ発夜行列車移動)
6月19日 サマルカンド(10時半ごろ着)
6月20日 サマルカンド(12時ごろ発列車移動)→ブハラ(15時ごろ着)
6月21日 ブハラ
6月22日 ブハラ(20時ごろ発夜行列車移動)
6月23日 タシケント(7時ごろ着)  タシケント発(22時発アシアナ航空)
6月24日 ソウル(10時ごろ発)→成田(12頃着)
 
ウズベキスタン旅行の日数
日数についてはちょっと悩みました。21日のブハラは無くてもいいのですが、暑さなどで疲れが出るころなので、結果的に1日追加しておいてよかったかなと思いました。
ブハラやサマルカンド、ヒバ近郊の工芸村を訪れる場合もこの日数が良かったみたい。

ウズベキスタンの見どころは3つ
①ヒバ
②ブハラ
③サマルカンド

どれも初心者は絶対行くべき場所だと思いました。どれ一つ外せない。
これに加えて陶器などが好きなら東のフェルナガエリアが観光地。
東はバスも鉄道もなく、タクシーが主な交通手段になるとのことで、今回はちょっとパス。

一度黄金ルートを巡ると、次は地方に行きたいなーと思います( *´艸`)
もし今度行くなら、各観光地近郊の工芸村に行ってみたいし、フェルナガ方面も見てみたい。
あと今回田舎らしい場所が全然なかったので、山のほうとか、すっごい田舎にも行ってみたい!と思いました。

ルート
上記を首都のタシケントとつないで、3角形の形になります。
ウズベキスタン旅行のルートは、この3つを時計回りで回るか、反時計回りに回るか。
私は色々考えて、一番不便なところにあるヒバを最初に回る、反時計回りにしました。
ブハラとサマルカンドはタシケントから近いので、万が一何か会ったときのことを考えて一番遠いところを最初に回ってしまおうという魂胆。

旅行者を悩ますのはヒバとブハラを結ぶルート。
まだまだ鉄道もバスも発達しているとはいいがたい西のエリア。
今はこのルートをタクシーで7時間かけて移動するのがメジャー。
でも昼間に7時間も移動で無駄にするのはもったいないので、今回はヒバからサマルカンドまで夜行列車で移動しました。
サマルカンドからブハラまでは、ちょっと戻るような形で移動。
最後にブハラからタシケントで夜行バスで移動し、また夜行列車で移動して時間と宿代を節約。

ヒバ・ブハラ間の移動が短縮される!?
現在ブハラからヒバの道を整備しているとのこと。
なんでもこの道、ボッコボコらしい(笑)このボコボコがきれいになることで、7時間かかる道のりが半分ぐらいになるとかならないとか・・・
ついでに、無くなってしまったヒバ・ブハラ間の鉄道も復活すればいいね。

| ウズベキスタン | 19:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ウズベキスタンビザ準備。大使館へ!

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急いで仕上げた5月の香港マカオ元朗日記に続きまして、あさってからいよいよゴールデンウィーク開始!ウズベキスタン旅行ですよー\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
憧れのウズベキスタン、でんぐり返りして転がっていきたいほどエキサイティング( *´艸`)

ちなみに!2015年7月までカザフスタンビザが無料になっているらしいですよ!
ウズベキスタン滞在中に旅行するなら、エントリー回数にご注意あれ!


ところで。先週から低糖質ダイエットなるものを行っています。
低糖質開始翌日、飲み会会場がお好み焼きだったいう無慈悲なダイエットの神様orz
しめに焼きそば、デザート食べちゃう!?的な流れ、鬼だ。翌日懸命に走ったさ。

色々と勉強してますが、とりあえず中華圏のお食事を見返して中華圏は低糖質ダイエット中の人間が行ってはいけないことは分かった。今行くべきはおそらく肉食の国アルゼンチンであろう。

そして向かうはナンの国、荒行は続く!
とりあえずラマダーンだし、一日ぐらいラマダーン体験してみようかしら??
それとも3食羊のケバブで低糖質ダイエットを貫くか!?(無いな)
あのね、お姉さん。ごはん一口で角砂糖1個分の糖質なんだって。
あーー。

今回のウズベキスタン旅行ではUSドルを準備。いまだにATMからお金が引き出せないなんて。
300ドル買ったら、4万円ちかくかかって泣きました。
いつぞやの円高の際1000ドル買ってこれまでちまちま使っているのですが、ついに底をついて円安レートに手をつけてしまいました。
しかも箪笥の肥やしにしている間に100ドルのデザインが変わってたー!
ウズベクでは旧札は歓迎されないらしく、どうか心配だー。

| ウズベキスタン | 00:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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バングラデシュ一人旅情報色々。バングラデシュ旅行記ブログ

バングラデシュ旅行のメモ2001年 メモメモ

■ツーリストがいない。NGO関連っぽい中華系の人と五つ星ホテルにいた欧米人ビジネスマンを除くと、個人旅行のツーリストとは三週間の間で3人ぐらいしか会っていない。会うというより、見た。
そんなわけだからガイジンはとても珍しいらしい。ちょっと立ってるだけで軽く50人ぐらいに囲まれる。生まれて初めてパンダの気持ちを知ってしまった。アイドル気分を味わってみたい方にはもってこい。

■ツーリストが少ない=ツーリスト相手に営業する宿も少ない、ということで、ほとんどの安宿は商人宿など地元の人向け。そのため部屋も相当つらかった。インドと同じ料金設定にすると泣く羽目に。→ほんとに泣いた(・_・、)コレに懲りて、ダッカの次からはテレビ付きまでランクを上げました。ここまで来るととても快適。

■宿探しに一番苦労したのがダッカ。ガイドブックに載っている安宿は大抵ひどいので、適当に宿を探すと断られることもしばしば。保守的な宿が多い多い・・・。
女だからという理由以外に、「外国人を泊めたことがないから無理」「ダメなものはダメなの!」などなど、悲しい思いを沢山しました(・_・、)
地方では「前泊まった白人が部屋を破壊していったからもうガイジンはこりごり」など大迷惑な話も。

■コックスバザールは地元の人にとっても観光地なだけあって、宿はとても多い。インドレベルの安宿+100円ぐらいでかなり満足行く宿だった。チッタゴンなど地方都市では 午後には宿が埋まってしまう。
ランガマティやラジシャヒには政府系のホテル有り。(高いらしいがぼろい)
ダッカの5つ星ホテルは、星5つに見えない。レストランにケーキなどが置いてあって、ビーサンじゃなかったらは入りたかった・・・。
ちなみにMTVはインディア。インド映画のプロモビデオ見まくり 

■観光の足はバスが一般的。バンラデシュの人もよく移動するので、都市間を結ぶバスは会社も多く便利。荷物の受け渡しには番号の照合をしているので安心だった。短距離バスはボロボロだけどそれもご愛嬌。南部をのぞき、道は悪くはないので移動はしやすかった。

バングラは川が多いので、時々バスを乗り換え船に乗ることもありますが、それもこれも全部楽しい思い出。船の旅も有名です。
ロケットスチーマーはいつまで動くのかな・・・

■場所によっては入域の際パーミッションが必要になる場合があった(そして追い返された。
それも情勢などによって必要であったりなかったり。。。。

■ガイドブックが無くても旅できるぐらい、とても旅しやすかった・・・・好奇心旺盛なベンガリーに囲まれ続けたことを除けば。

■インドやミャンマーではヘロへロにやつれてくる日もくる日も断食生活を送りましたが、バングラデシュでは一度も食べ物にはあたらなかった。
ぱっと見、食堂の衛生観念はインドよりも随分しっかりしているので、何も高級店を選ばなくても安心して食事ができた。加えてバングラデシュもインド同様カレーがメイン。
肉も野菜もしっかり煮込まれているので危険度も低い。
生野菜を食べる習慣はほとんどないみたい。

■ダッカやチッタゴン、ラジシャヒなど大都市には必ず大規模な大衆食堂があった。
インドやネパールの大衆食堂に比べるととても大きく立派でぴかぴかで、従業員は制服も着用。
混んでいる店に行けばそこは多分人気の食堂で回転も早いので、変なものにあたる確立もぐっと下がるはず。
ペットボトル入りの水も置いてあるので安心。

■テクナフやコックスバザールのような小さな町でも食堂は立派。
キッチンを覗かせてもらったが、不潔というほどではなかった。(清潔ともいえない)ローカルな食堂なら、メニューが分からないふりしていれば厨房に入れてくれるので、覗いてみるのもいいかも(多分、食欲なくすだろうけど)

■村に行くと、ハエがぶんぶん、思わずきったな~いと叫びたくなるような食堂や、半青空食堂にしばしば遭遇。
スプーンもおいていないような超ローカル食堂でも、そこで誘惑に負けて大好きなエビカレーを食してしまったとしても、意外と大丈夫。味は常にGOOD

■屋台があるのは都会だけだった。ダッカの街角排気ガスにまみれた焼肉屋台(生肉をその場で焼いて味付けしてくれたり、ハンバーグ状になっていたりする)なども味見。ふつうにおいしゅうございました。一応ここでも回転の早そうな人気屋台に通う。
また暑いバングラでは街角のパパイヤやザボンなどのカットフルーツもありがたいが、乾燥を防ぐためバケツの中の正体不明の水をかけてみたり、使ったお皿もバケツの中の水でささっと洗う程度で使いまわし。
田舎ではさとうきびやさんぐらいしか見なかった。

■街角のチャー屋も適当に営業。火が通っているので大丈夫

■生野菜を食べた記憶はほとんどなし。付け合せのたまねぎぐらい??

■バングラではほとんどがバスの移動だけれど、国土が狭いので、1回の移動はさほど長くはならない。
ついでにしつこいぐらい休憩もあるので安心。
稀にバスがどろんこにはまったり転倒したりで遅れたりもするけど・・・。
ダッカに向かう途中大渋滞でトイレ休憩もできなかったことがありました。
やっぱり移動前は断食かしら・・・


聞くところによると、最近はカオサンのカットフルーツでもあたってしまう日本人の若者も多いとか。除菌しすぎなのね。
とりあえず日本にいるときから、 賞味期限を守らない、川の水を飲む など少し胃腸を鍛えたら??今日私は②を実践したら久しぶりにお腹を壊して大変でした。

■ランガマティなどがマラリアの発生地域みたい。
朝方もぶんぶん飛んでいた。蚊帳必要。
日本の製品かどうかは分からないのですが、下着や靴下などを干す洗濯干しのようなものに蚊帳を取り付けた『どこでも蚊帳』を持ち歩いている人がいたな・・・

■肝炎の予防注射だけは受けいってよかった。

■物価はインドとほとんど変わらない。

■ダッカにはシティバンクがあり、旅行に必要な分をまとめて引き出した。地方の町では銀行で米ドルから両替可能。取り扱っているところが少ないので探すの大変。

■入国直後、タカを全く持っていないにもかかわらずのこのこバンガリに乗り込む私たち。イミグレのあるチラハティで両替所を探したら日本人の泊まっている宿に連れていかれた。幸い彼らは出国予定だったため10ドルだけ換金してもらえたが、危うく国境からのバンガリ代金を踏み倒すとこだった。
そんなわけで国境から一時間の道のりを二人も乗せてがんばってくれたバンガリワラーのおっちゃんに料金を払うと、おっちゃんもやっと安堵の笑顔。あんなに頑張ったのに、私たちが無一文だと知って内心ハラハラしてたのでは。

腹ごしらえをし、相場がわからずピーピー文句言って(あとで考えると、正統な料金だったかも。今度は本気で昼飯代を踏み倒したらしい。どうりでバスが発車してもああだこうだと怒鳴っていたわけね。申し訳ありません。。。)とりあえずそのお金でいけるところまで移動し、たらふくご飯を食べる私たち。もはや宿泊費は残っていないにもかかわらず、またしてものこのこと安宿にチェックイン。翌日あわてて銀行に走り、素知らぬ顔でお金を払う。先払いじゃなくてよかった(´ 3`)=3 

インド側の国境の街でルピー買いをしているおっちゃんから小額だけでも換金しておいたらよかった。
バングラデシュ側では闇の人たちがいなかったので、到着が夜だったり、イスラム休日の金曜日だと換金できないかも。

■女性旅行者がいなかった。地元の人も。

■女ゆえ泊めてもらえなかったことがあった。フロントにメッカのポスターがでかでかと貼ってあるような宿はディスイズイスラミックホテルで強制退去。
イスラム教の国のお約束、従業員は皆男、うっかり商人宿にでも入ろうものなら客も皆おっさん。

■女は家にこもり他人の目に触れさせてはいけないものだという風習がとても強く残っている。だから今だに女一人では行動するのは稀で、必ず家族などと一緒に行動するものらしい。ましてや一人旅なんてありえないのです・・・
そんなこんなでただでさえ珍しいガイジンなのに、未婚の娘が一人でブラブラしている日には、人に言えぬ秘密を背負っているのか、さもなくば自殺直前かぐらいに思われているらしい。そんなこんなで50人ぐらいに囲まれます。

■肌露出に関する考察をしました。女性の服装はインド文化圏と同じ。髪や腕を隠す必要はナシ。
体のラインや足が出るものをさければ半そででもOK。こういう国ではやっぱりパンジャビードレスが一番。
スカーフで顔を隠すとちょっとだけ人目を撒ける。真っ黒のチャドルはたまにしか見なかったけど、もしまたバングラに行くことがあったら、チャドルでガイジンであることを隠したい。

■コックスバザールにビーチボーイ(?)生息確認。新婚さんのメッカで一人旅している女に気を遣っているのかなんだか知らないが、地位や名声(ウソの)や食べ物や家族やお宅訪問やモノやくさなどをエサに、相当しつこく付きまとわれた。ガイジン女性単独旅行者が少ないだけに、執着心が強いらしい。
夜は夜で宿のスタッフが部屋をノックしてきたりで相当あせった。

■女旅行者として一番苦痛なのは人の視線を浴びまくること。それ以外には他の国であるトラブルと何ら変わりはない感じ。
一方女だから親切にされるとかそういうことも全然なし。下心丸見えの人というのもいなくて、イスラム教の国の中ではある意味旅行しやすかった。東南アジアに一番近いから??

| 2002バングラデシュ | 00:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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バングラデシュのお食事

バングラデシュのご飯、おいしいのです。意外!

■バングラデシュでカレーライフ

ベンガル料理と言えば、一番はやはりカレー。インドよりもスパイスがやさしいので日本人にもやさしい。野菜はもちろん、イスラム教の国らしく羊や牛肉のカレーも。
バングラデシュは海や川の恵が豊富なので、魚介類、特にエビカレーは絶品!!うまいを連発していればおかわりはサービス♪あっさりめの淡水魚はこってりとしたルーにもぴったり。海の近くほどおいしかった印象です。

■ビリヤニ

カレー以外ならビリヤニと呼ばれるピラフも人気。インドでも炒飯をビリヤニと呼んでいるけど、本場はコチラ。大量のご飯の中に蒸鶏や羊肉をトッピングして頂く。大抵店頭にでっかい鍋を置いているので分かるはず。  
ビリヤニも色々なところで食べたけれど、バングラデシュのビリヤニが一番やさしい味で、お肉の乗せ方などが繊細な感じがした。

■軽食色々

ニューマーケットの名物は、パリパリのミニプーリーの中に豆をつぶしたものなどを突っ込んでいろんなものをふりかけちょっとすっぱいソースをかけていただく物体。当たり外れはあるけどクセになるおいしさ。
このスナック、最近日本でもインド料理屋さんやフェスで食べられるようになった。先日見たインド映画”queen"で、イギリスに渡ったインド人の女の子クィーンが屋台料理に選んだのもこの食べ物だった。
あれ以来もう14年食べていないけれど、タマリンド?っぽ酸味とパクチーの香り、今も味の記憶が残っている。

スタジアム付近のマーケットには、ファーストフードやパンを売る店もあり重宝。ダルスープのような豆の汁っぽい物体は、ラジシャヒやコックスバザールの水際の屋台の主流。軽食屋台は数も種類も少なくちょっとつまらないの。

■ミスティ!!

私とつれを虜にしたのはミスティと呼ばれるバングラ式ミニミニスイーツ。食事のあとは必ずミスティ屋さんに行って、あまあまのミスティを一つとチャイ一杯というのがお決まりでした。バングラのミスティはインドとは比べ物にならないほど美味で見た目も美しく、市民権も得ています。ミスティ屋さんは必ずどこにでもあり、しかも結構豪華でショーウィンドがある店も珍しくなく、子供からおやじまで皆様に愛されているのです。

 ちなみにほとんどは牛乳の皮を固めたような物体をシロップ漬けにした超激甘です。チッタゴン名物ロシュマロイは、その固まった物体が練乳を薄めたような白い液の中にぷかぷか浮いているミスティ。ガイドブックにフューチャーされている意味はよくわからない。

■ジレビ?

生地を直接油に絞り出し、色づいたところで油からあげ、激甘シロップに浸したもの。出来たてはサクサクで、シロップが口の中で広がって大変おいしゅうございました。これはインドやネパールでも見られますが、オレンジ色に着色され生地がねっちょりかたく酸味もあり全然うまくなかったです。バングラのは着色しないし、生地を太めに絞るので、外はサクサク中はとろりの素敵な食感が実現されてるのです
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■チャー(チャイ)

ミルクティータイプはもちろんですが、ミルクを入れないチャー屋台もある。ジンジャーやレモンティーは風邪や喉の腫れにうれし。都会のファーストフードのお店ではマグ入りのホットがありました。


しっかしまぁ、色んなとこで食べた。
バンブー小屋とか、排気ガスムンムンのダッカの町カドでハンバーグとか。
でも不思議とお腹を壊さなかった。
思うにイスラム教の国は比較的食堂がキレイな気がする。職員もちゃんとそろいの服を着ているし。
断食する分、食事へのありがたみをかんじているのかもしれない。

| 南アジアのご飯 | 00:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ベンガルスタイル・ベンガルライフ バングラデシュ人の生活

2週間ほど旅したバングラデシュ。そのほとんどが一人だったため、どっぷりと浸かったバングラデシュでした。
私がちらっと垣間見たバングラデシュ人の生活をまとめてみました。

■南と東南の間

バングラデシュはインドとミャンマーの間の文化!!!感がすごかったです。(そのままですが)
ミャンマーを境に、東南アジアと南アジアの文化が切り替わります。
今でこそ国境があり、自由に行き来することはできなくなっていますが、陸続きは陸続き。
文化はしっかりこの場所で交差していると感じました。

バングラデシュを歩いていると、実に色んなところでインドとミャンマーの両方の国を思い出しました。
ルンギを好んだり、油ギトギトだけどスパイスはマイルドなカレーを好むのはミャンマーによく似ています。
女性の着物はインドと全く同じで、顔もインド人と見分けがつきません。そこにイスラム教の習慣が加わり、バングラデシュ的なものが形成されているのでしょうか。
ガイジンの私には「ベンガルらしさ」というのは明確には分かりませんが、東南アジアと南アジアの境目の文化・習慣を見る上ではとても興味深いものがありました。

■装い

 男性はルンギとよばれる筒状のスカートが好まれています。これはミャンマーのロンジーと全く同じ物ですが、着方がヨレヨレなのがベンガル風。カルカッタなどベンガル人労働者が多い所でもよく見られる。ミャンマーでは今だに男性の服としてごく普通に使われていますが、バングラデシュではルンギは部屋着や労働者の作業着的要素が強いようで、町中へや若者の間ではズボンが定着している。

女性はサリーとパンジャビードレスで、洋服はインドほど定着していない。また既婚女性でパンジャビーを着ている人もほとんど見なかった。

■パン
ベンガル人はパンと呼ばれる噛みタバコが大好き。ベンガル人のパン好きはハンパなく、子供からおばぁちゃんまでパンで歯が真っ赤。旅行には携帯パンセットが欠かせません。噛みすぎると癌になるらしい。ちなみに味は想像以上に理解不能 

パンを噛む人は赤い唾を吐くのですが(初めて見て吐血だと間違えた)この痕跡を見ると、南の人が「近くにいるな??」と推測されます。以前地元の駅でパンの痕跡を発見したのですが、案の定、母が出稼ぎ中のベンガル人に遭遇していました。(しかも話かけてきたらしい。人と人との関係が希薄な日本においていきなりガイジンに話し掛ける田舎のおばさんにベンガル人もびっくり)

ちなみにこれ、インド人も好きだけどミャンマー人もかなり好き。
このころは知りませんでしたが、西はイエメン、東はフィリピンまで、本当に至るところで赤い跡とパンをかみすぎて歯が真っ赤になった人に会いました。

■宗教は大切です。
バングラデシュはイスラム教の国です。
ベンガル人はそもそもヒンドゥ教徒であったそうですが、カーストが低く抑圧されていたため、集団でイスラム教に改宗したのだとか。

といっても旅行者にとってみたら豚と酒がないぐらいで、見た目のイスラムらしさはあまりない。仕事する手を止めてお祈りする人も見ない。髭をはやす必要も髪を隠す必要もない。


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写真はStマーティンの子供たち。モスク帰り??
こんなにめかしこんだ子はめったに見なかったので記念に一枚。

■これ、乗るんですか?

バングラデシュと言えばリキシャが有名ですが、私にとって非常にバングラらしくて思い出の乗り物はなんといってもバンガリ。
チャリンコの後ろに荷車をつけたもの。クッションも何もないただの板の車だけど、リキシャーよりものんびりとした気分になれる田舎の必須アイテム。 気分はまるでドナドナ。


■リキシャー
バングラと言えば、リキシャーハンドル部分や後部にそれはそれは見事な装飾をほどこしている。そしてなぜかCDを取り付けるのがはやっているらしい。お花のイミテーションもブーム。(運転してるのはおっちゃんだけど) 

リキシャーワラーは皆痩せて真っ黒で、きっとかなり貧しい人々だと思われます。
がしかしベンガル人の金持ちは容赦ない。一つのリキシャに2人も3人も乗ることは珍しくなく、初めは一人で交渉して、成立すると隠れていた仲間が姿を現すこともあるのだとか。それでも大抵のリキシャーワラーは文句も言わずに淡々と仕事をする。
色んなものを背負ってるであろう汗まみれの背中に向かって、ちょっとだけお金上乗せさせていただきますと誓うのです。←降りた途端倍額請求されるのがオチ。


■船
川が多いバングラデシュだが、あまりにも大河であったり、川の流れが毎年変わってしまったりするため、橋は少ない。今でも長距離を行く船が活躍しているので、バングラ旅行のハイライトにする旅行者も多いとか。ダッカのショドルガットの港は圧巻。バス移動でもボートに乗り換え川を下ることがありちょっと楽し。

うささのロケットスチーマーですが、モティジールのオフィスで確認したところ、2001年時2つのスティーマーが週に2、3便で現役運行中でした。

■幹線道路にて
なぜそんなに急ぐのか。多分私は死ぬのではないだろうか。メーターぶっ壊れてるから何キロ出てるかわかんないよ。またトラックひっくり返ってる!!いちいちクラクション鳴らさないで。クラクションに音階付けすぎ。ああ、喉痛い。うるさい。窓閉まんない。何度も振り返ってこっち見んなよ。またトラック田んぼに突っ込んでるよ。屋根の上に人乗せすぎだ!!!(心のつぶやきより)
南アジア圏のバスはそんじょそこらの瞑想とかよりよっぽど精神修業なのである。

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チッタゴンからダッカ行きのバスに乗ってたら、私たちのバスが前のバスにちょっと当たったか何かして、前のバスの運転手が竿みたいなもんをいきなり突きつけてきたっていう事件が起こったっけ。ベンガル人起こったら怖いぜ。

| 徒然日記 | 00:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ダッカからコルカタへ ジョソール、ベナポール バングラデシュ一人旅旅行記ブログ

目指せインド!ジョソールまでの道のり。 ※2002年の日記です。

移動
ダッカ(カブトリ)からジョソール :バス約130tk(大型バス)6時間
ジョソールからベナポール:ローカルバス 約22tk
ベナポール→国境:バンガリ

ジョソールの安宿
MIDNIGHT HOTEL シングル85tk
名前が。市街地の真ん中あたりで便利。とてもダーティーよ★

ダッカ・グリスタンからカブトリバスターミナルへは赤い ダブルデッカーバスで。
数時間後、バスを降りて一旦フェリーに 乗り換え、小一時間川を下って対岸に渡る。
どこの国もフェリーには物売りが沢山乗り込んでいて楽しい。
私も地元の人に倣ってさとうきび をばりばり食べ散らかす。
日が暮れる前には出入国の拠点の町、ジョソールに着く。
ここで最後の一泊。ジョソールから国境の町ベナポール~インドカルカッタまではさらに約一日の距離。

バングラ最後の夜!

最後の夜も汚い宿・・・部屋のど真ん中に蚊帳がかけっぱなしのベットが一つ。
いっぱい虫が乗ってる・・・
そんなこと、 もうすでに気にならないよ。
トイレにもゴッキーがいっぱいだ。そんなことももう慣れっこさ・・・

ススだらけのボロ宿ですが、この宿にはお祈りの時間になるとアザーンを唱える少年がいて、吹き抜けの 階段に気持ちよく反響していてちょっと素敵 。(あんな美しい光景はあとにも先にもここでだけ。ビデオも写真も無かったけれど、よく覚えている。)

ジョソール

バングラデシュ初の夜を 過ごしたソイヨドプールと同じく、この町も小さな地方都市。
バスターミナルからメインストリートまではリキシャー圏内ですが、 バスターミナル周辺にも安宿はある。

ベナポール

ジョソールからベナポールまではローカルバスで 確か1時間から2時間ほどだったと思う。
バスが来るや否や、窓という窓から男たちが侵入し、女子供のために席を確保。汚いぞ!
ベナポール自体は閑散とした感じ。インドからこの町に入ったら、バングラに来てしまったことを ちょっぴり後悔してしまうかも・・・でもエビカレーうまかった。

バスターミナルから国境まではバンガリで数分。荷台にゆられながら、 バングラ入国1日目にしたようにすれ違うベンガリーに手を振ったりして最後のベンガルを焼き付けた。
人々の視線も、 バンガリワラーの良く分からない英語も、慣れてしまえばどんとこいかっかてこいってなもんだ。
バンガリの荷台にて、疲れ果てた 心はまるで風を切るようにルル ルル気分。
調子に乗ってビューティフルサンデーを 披露していたように記憶している。昨日までの全ての仕打ちはこの瞬間に帳消しにした。



国境からバンガオン駅
:乗合オートリキシャー 18RPかTK

インド側:バンガオンからシアルダー(カルカッタ):ローカル列車 16Rp

☆国境の両替は不明

お宿
インドから入国するのなら、お宿を取るのはちょっと先のジョソールのほうが何かと賑やかで 便利。

本日二人目のガイジンです。

カルカッタから数時間だけあって、コチラの国境はさぞかし出入りが賑やかなのだろうと思いきや、 やっぱり本日二人目のガイジン。
でもまだ通っているツ ーリストがいるだけましだ。
バングラデシュ観光帰りのインド人やら、インド出稼ぎのベンガル人など 現地の人たちの出入りはかなり多かった。

インドに帰る。

インドに入るとさっそくターバンを巻いた腹黒そうなじぃちゃん(目の下にクマ)が待ち構えている。
国境からバンガオンの駅までは、乗合でオートリキシャーを使う。
駅があるバンガオンの街はバングラ側の街とは比べ物にならないくらいごちゃごちゃしていて、 インドに帰ってきたな~って感じ。




リキシャーを乗り合わせたベンガル人青年が、日本人一人とベンガル人のじぃさまの引率をしてくれた。
が、じぃさまに付き合ってのろのろしていたら列車がいってしまった。
次の列車は数時間後。見ず知らずのじぃさまの ために一本列車を見送るなんぞ、そうそうできるものではない←付き合わされたNOとはいえない日本人。
ひょっとしたら青年は ベンガルそして全インドを代表する「いい人」なのではないだろうか。
身なりも体格もそれなりにいい。ということで、 カルカッタの駅からタクシーをシェアしないかと うお誘いを受けることにした。

そうきたか、此処は印度。

インドはちょうどこの日プジャーという11月のお祭りの真っ最中。
街は電灯で飾られ、夜だというのにどこもかしこも 人の群れ。
アンバサダーから見るカルカッタの街はなかなか趣があっていいものだ。
ちょっとしたお金持ち気分に浸ってたら、 なぜかレストランにつれていかれた。
人気のロールの店だということでとりあえず食べた。
ここはオゴリだということ。
と思うや否や、青年「もっと話したいんだ。」

あー・・・

所詮女一人旅なんて、そんなもんなのか。警戒してばかりだと友達はできないし、時には 親切心を無碍にしてしまう。
かといって信用してみようと思えばすぐ気があるものだと勘違いされてこの有様。
老人に対してもあんなにやさしかったのに、なぜ国の女に接するのと同じように外国人にも接してくれないの?
ベンガルレディに対し同じようにホテルに誘ったら、アンタひっぱたかれるでしょう??
そもそも国の女はこんな風に気安くその日会ったばかりの男になんてついてかないんじゃないの?
女旅行者は男の人全てに警戒してなくちゃいけないの???

それでもなんでもサダルストリートまでは行くと言ってきかないので、「彼が私のためにもう部屋を取っている」 とウソをつく。
めんどくさいね、女子旅は。

というところでバングラ旅行記は 終わりに近づいて来ました。
最後の最後に思いっきりこれでもかというほど失望させられましたが、 別に彼は悪くないのでベンガル人一般を悪く言うには及びません。
黄金のベンガルはそれだけで一見の価値はありました。
好奇心丸出しで、時にはやさしく時にはおせっかいなくらい親切にして下さった沢山のベンガル人にも 感謝してます。でも今度行く時はバックパックの上からチャドルを被って完全武装するからね。
でもでもしばらくはもういいかな。 でもでもでもきっとダッカでストップオーバーできるようにしちゃうんだろうな。

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コックスバザール、テクナフ、セントマーティン (バングラデシュ一人旅旅行記ブログ)

世界一長いビーチを目指し、ベンガル湾とご対面。

チッタゴンからコックスバザール :バス約80tk(中型バス)半日

コックスバザールのお宿
バスを降りたあたりにちょっとだけ高めのホテルが並んでいる。すごい安い宿もあったが、とても汚かった。
ビーチへ行く道とコックスからの道の交差点にあった緑色の宿で120TK(ディスカウントプライス)

チッタゴンからコックスバザール間の移動は快適そのもの。
バスはそこそこの大型バスで、道の脇には木立が生い茂り、 途中地元の中学生を乗せたりしながらの楽しい数時間。
コックスバザールはというと、地元の人のハネムーンのメッカということで、 宿事情はかなりよく、(ハネムーン用なのでいささかお高め。)こざっぱりとした小さな町。ちなみに海はきれいではない。

ビーチは危険が潜んでいる。

安宿街から夕焼けスポットとなるビーチまでは歩いて30分ほど。
なんでもここのビーチはよからぬ人々がいるとかで、地元の人に注意された。
確かにヒト気はなく、どうやらわずかにいる漁師とそのファミリーが 怪しいらしい。
なお、99.8%のヒトはリキシャーを使っています。(そのうち90%はラブラブカップルです。)

われわれがビーチで行うべきことの全て

海水浴?水着??美 しい女性のあなたなら、きっと250人ぐらいに見物されるでしょう。
ここで人々がすることとは、
①豆のスープを食べる
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豆のスープ屋台(ばかり)

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②万国共通 貝の装飾品を物色

③万国共通でも決して買わない

④ちょっとだけ馬に乗ってみる

⑤ちょっとだけ服を着たまま水遊びをして観客の 視線を浴びる

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⑥夕日を眺める

⑦安宿街に戻るリキシャーにふっかけられる

そんな感じです。



テクナフ
コックスバザールからテクナフ :バス約80tk(ローカルバス)半日

テクナフのお宿
安宿はどこもかしこも汚かったが、偶然バスの中から見つけたこの宿は比較的きれい。 お金を出せば、窓のあるいい部屋やトリプルルームもある。Stマーティン行きのコーディネイトをしてくれた。

テクナフはバングラデシュの東側の一番南のはしっこにあります。
テクナフの横を流れるナフ川の対岸は ミャンマー。
『アジアハイウェー』によると、なんでもミャンマー人が密貿易に来ているとかなんとか・・・ほんとかな。 じゃぁ行ってみよう、ミャンマー好きだし、ミャンマーは陸路で通過できないから、国境まで行って 大陸横断に一歩近づいてみるのもよし。
とにもかくにもミャンマーだ♪
つ いでにバングラムービーのロケ地として 有名なStマーティン島にも行ってみよう。

コックスバザールからテクナフまでは、ローカルバスで半日ぐらい。
このあたりまで南下すると随分山がちになるため、 道は悪い。左手に川が現れ、ちょっとばかり開けてきたらテクナフに到着。
セントマーティン島までは さらにボートで数時間南下する。

テクナフ見物

テクナフは小さな街で、 一時間もあれば十分見て周れる。
マーケットにはミャンマー製品が流れていたものの、ミャンマー人らしき 人はいなかった。
マーケットの裏をずっと進むと垣根の民家地帯などがあって、ちょっとしたお散歩地帯。 舗装されている道が少なかった。

p_ban_teku.jpg
素敵なテクナフの景色。

テクナフのレストラン
メイン通りから船着場に向かう道の交差店付近に人気の食堂がある。
確か店頭で軽食を 作っていて、ミスティのショーケースもあった店。
エビカレーが絶品。女用の隔たりスペースに通して下さり、 専属の少年給仕さんが付き、台所を見物させてもらった。
いたれりつくせり。
その上カレーは 随分おまけしてもらった。サイドディッシュもうまかった
チャイ屋や軽食屋さんも充実。朝のチャイ+おかしがおいしかった。



セントマーティン島への行き方

船は諸説あったが、 私はお宿が一緒だったベンガル人ファミリーとシェアしてガイド付きの船をチャーター。
日帰りで行きました。
ローカルの乗合の船は テクナフ発・セントマーティン発とも午前中の一便のみだという噂も。
そうなると必ず一泊する必要がある。
Stマーティンの 宿は10部屋ぐらいあったような気がする。
ベンガル人の若者が数組泊まっていた。

p_ban_st.jpg
写真:便乗させてもらったご家族。既婚女性のパンジャビー・若い女の子の洋服は珍しい。
チッタゴンから学校を休んでやってきたのだとか。ジャストトラベル。バングラデシュではかなりの お金持ちの部類だと思うが、娘さんはとてもかわいらしい性格だった。

セントマーティン島

ナフ川を下ること数十分、ベンガル湾に出るとゆれるゆれる・・・
台風の日に 乗った大韓航空の次に死ぬかと思った。
2、3時間の小船の旅となります。
もちろん日をよけるところもない。 結構体力いる。
島といってもそれなりに広いが、特にすることはない。
何もないのとすることがないことが 好きな人にはよいかも。
ちなみに、バングラデシュ最南端はさらに南にある無人島で、そこが 映画のロケ地なのだそう。何もなかったけど。

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p_ban_stfish.jpg
どこの国にもあわててピース出して手だけぼけちゃう少年がいる。
ここで見たもので一番感動したのは、母ヤギを見つけた双子のこやぎがうれしさのあまり スキップしている様子を目撃したこと!
何がすごいって、ジャンプのタイミングがぴったり合ってたこと!!
この時以来、うれしさをジャンプで現す素敵な生き物「ヤギ」の大ファンになる。

コックスバザールのレストラン
島には数軒の食堂があった。水も買えたけれど、何が分からないボート移動のためにも水は沢山準備しないと・・・

普通に帰してもらえないのがバングラデシュの鉄則!

サンセットを待ってから出発。何個かの明かりだけを頼りベンガル湾を北上する。
真っ暗な海は激コワ!! 暗闇と船の揺れ両方からの恐怖を紛らわすため、ずっと空を見あげていた。
船の上から星を眺めるなんて。
天の川も見えるぐらい満天の夜空だった。
ああ、マサイ族だったらもっとキレイだっただろうに・・・

周囲に家の灯りが現れ、ナフ川に入ったことを知る。
良かった、ベンガル湾に沈まずに済んだ。
テクナフまでもうすぐだ・・・と 思ったら、船が止まった!
ガス欠!?一難去ってまた一難とはこのことか。
数時間川にぽつりと取り残された挙句、 結局ボートは他の船に牽引されていた。
ガスの量ぐらい知っとけよ!!
余談ですがこんなところで携帯していた懐中電灯が役にたった。

遠くのほうでミャンマー籍の船が夜釣りをしていた。ああ、ミャンマー人がいた・・・。

テクナフからチッタゴンへバス移動

帰りのバスも、大変だ。
テクナフを出てすぐ、バスが泥にはまってどうにもこうにもならなくなった。
その間 多分一時間以上、暑いバスの中に閉じ込められ、結局反対側に来たバスに乗り換えるはめに。
道は狭く、後ろは大渋滞。泥まみれになって乗り換え用のバスに 辿り付いたら、村の子供だちがわんさかやってきて、ペットボトルに池の水を汲んできて 足にかけて洗ってくれた。
うわ~、めっちゃ見られてる・・・なんかクイズ番組のリポーター みたい、テレビで見た光景だ・・・

さらに一難。
バスの窓に肘をついて扇子をパタパタさせていたら、いきなり外から少年がジャンプ して扇子をひったくろうとした。
超公衆の面前で。 こんな堂々と泥棒行為をできるような環境って有りなんだろうか。
そこに いる人たち全員がすごく悪い人に思えた。
そして、自分じゃ大したものじゃないと思ってても、 こういう国ではどれだけ魅力的に写ってしまうのかということを実感した一件でもありました。
持ち物には 気をつけないとね。

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チッタゴンとカプタイ湖 (女一人バングラデシュ旅行記ブログ)

人口密度120%。工業都市だよチッタゴン ※2002年の日記です。

移動
ダッカからチッタゴン:バス約150tk(大型バス)半日
チッタゴンに着いてからの宿探しを考えると、早めに移動するのがよいかと思います。

チッタゴンからランガマティ:ローカルバス33tk 約5時間

ランガマティは入域制限!※2002年

バングラデシュ第二の都市チッタゴンは賑やかな街。バザールはとても大きく賑やか。
どこもかしこもひと・ひと・ひと!!!
バザールには、外国のおかしやキッコーマンを売る雑貨屋、あらゆる類の洋服屋さん、近郊の船舶解体所から拾ってきたと見られる 工具類などなど、多種多様の店がひしめいている。
そして人だらけで疲れる。
おまけにこの街だけで2回も尾行された。
ひとりのおっさんなど、勝手についてきて、おなじミスティ屋さんに入っていかにも私の連れを装い同じものを注文していた。
意味がわからないのでとりあえず思い切り一人分のお金を置いてさっさと逃げてきたが、いささかへこんだため、 軽く引き篭もりを起こしてMTV三昧。
なぜなら今日は中級ホテル♪♪♪シャッルッカーン、カッコイイなぁ
チッタゴンのホテルは CONFORT HOTEL 250TK バストイレTV/AC付き!とっても快適。場所も便利。
長距離バスを降りると何件か中級ホテルが並んでいました。
チッタゴンは人の移動も激しいので、夕方になるとどこもフル状態。おまけに安宿も 少ない。

チッタゴン見物
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フィシュカリガット 漁港。魚市を兼ねている。
船は木造が多く、日本の漁船を思わせる色とりどりの登り旗がたなびく。
魚市は昼前には早々に撤収されていて、時間を間違えた私が 魚に変わって人々の見せ物になっていた。

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20人ぐらいの漁師の子供たちが笑うわけでも怒る訳でもなく無表情で後を付いて来る。
この子たちの服装とダッカのラールキラーの子供たちの服装を比べてみてください。
きっとここにいる子たちはバングラデシュでも かなり貧しい子供だちだと思います。
最貧国と言われるバングラデシュの中にも、大きな貧富の差があるようです。

丘の上にはマーケットがありました。ここは若者の洋服がメインで、古着市みたいな感じで賑わっていた。



ランガマティに行く ※2002年の旅行です。

ランガマティはチッタゴン丘陵にあるカプタイ湖のほとりの町。チッタゴン丘陵といえば、民族紛争が起こっている地区で、 今だ完全に安全なわけではない。そんなところになぜ行ってみる気になったかというと、ここに住むチャクマと呼ばれる 人々に会いたかったからです。

チャクマという人々は、南アジア系の顔つきではなく、私たちに非常に近い顔立ちをしていて、 インド圏にありながら、東南アジア風の習慣を持ち込み丘陵地帯で暮す人々。
そのためしばしばベンガル人と衝突が起こっているそうで、このあたりの情勢はまだまだ完全に解決されているとは言い難いそうです。(『アジアハイウェー』などで、仏教系の少数民族とベンガル人との確執について 触れられているのを読んだ。)

チャクマ族の人々。東から着々と西に進出している私としては、出発前からどうしても 会ってみたい人々でした。
それにカプタイ湖はなかなか美しいらしいし。楽しみ・・・だったんだけど。

チッタゴンをお昼頃出発。
山方面へのバスは超ローカルバスで乗車率150%。
走り出すとすぐにチッタゴン丘陵に入り、ここからはかなりの山道となる。
途中何度も検問があり、外国人を乗せている場合、運転手が申告し、 一人パスポートチェックを受ける。
さらに進むといよいよチャクマの森へ!

チャクマの人々はハデハデな色の民族衣装を着ている。
女性は巻きスカート、バックはミャンマー式の シャンバック。素敵。
家や村の様子もベンガル人のそれとはことなり、おまけに山の中なので、 まるで他の国にいるような気分。
単一民族の日本人にとって、こういう多民族的要素を 見る瞬間はなかなか興味深いものなのです。
やがて本日の目的地、カプタイ湖がチラチラっと目の前の山の間に 現れてきた!
期待はどんどん膨らんでいきます。と、そこで事件が!

ランガマティ入域地点のチェックポイントにて、危機一髪。

最後のチェックポイントでバスを下ろされた。
まだ湖まではちょっとあるではないか。外はもう 暗くなってきている。チェックポイントにいるのは私と数人の役人、そして別便で来た白人のツーリスト。
どうやらガイジンは許可なしでは来ていけなかったらしい。
そんなこと、知らん。聞いてナイ。 ダメなら手前のチェックポイントで止めてよ!!
白人は聞き分けがよくさっさと帰ってしまった。

えー!!5時間もかけてきたのに!!しかも日が暮れてからの移動は危険なんじゃないの!?
とにかく役人には普通の3倍粘って 泣き落とす攻撃しかないわけで、がんばっていた。
とそこへ助け船が。パジェロに乗った うさんくさいサングラスの刈り上げ中国人!!

「仕事の帰りなんだ、もしよかったら一緒にチッタゴンに戻らないかい?」
(ただでさえ危険な夜道に刈り上げの車にのこのこ乗れるか!)
ベンガリー「あいつらは危険だ、やめておけ、今夜は国営ホテル(推定35ドル)に泊まれ。」
(お金ないよ。)
チャイナ「何言ってるんだ、ここにいたって危険だろ、さぁマダム、僕達と一緒にチッタゴンに戻ろう、 金なら全部出してあげる(!!)さ。」
ベンガル「あいつらはウソをついている」
チャイナ「うそつきはお前たちだろう」
(やめて!私のためにケンカしないで!!)
チャイナ「そうかい、それなら勝手にするんだな」
(えええ、行っちゃうん!?)

外は真っ暗、ここにいるのはベンガル人男性二人。
これはやばい。帰るバスももうない、35ドルの国営ホテルに泊まるしかないのか、 それはやばい、本気で手持ちのお金がない。
ということはやはり、あれをするしかないのか・・・
 「ディスカウントぷりーず」

私のいっぱいいっぱいっぷりが伝わったのか、役人が 民間の宿を当たってみてくれた。
調子に乗って5ドル以下にしてくれと言ってみたが 軽くスルーされる。

なんでも外国人を泊める宿は許可した宿だけだとかで、またトラブルを恐れてか、引き受ける宿がなかなか見つからない。
やっと受け入れ先が決まってほっと一息、やってきたオートリキシャーに 乗り込もうとしたら、なぜか役人が一緒に乗ってきた。
なんで乗るのよ!!

宿についたら今度はオーナーがここにきて渋りだした。
なんでも前に泊まった白人が部屋を破壊していったからガイジンはいやなのだとか。
失礼な、そんな怪力はないっちゅーの!!
なんだかなぁ。。。奔走してくれる 役人にはほんとに申し訳ないが、へたりこんでしまった、もうどうにでもなれ。

ランガマティの切ない夜

宿から出るな、明日になったらとっとと帰れ、そういい残して役人は帰っていった。
申し訳ない。
私は一体なんのために ここに来たのか、5時間もかけてボロバスにのり、宿のトイレットペーパーには 今世紀最大のゴキブリがペトッとくっついていて、おっと今世紀はついこの間からだった。
とにかく 何も見ず、どこにも行かず、また5時間かけて山を戻るのか。
オーナーが食事を運んできてくれたが、安全のためか塔の入り口には鍵がかけられてしまった。軟禁!?
停電の中、まだ見ぬカプタイ湖の淡水魚カレーを 蝋燭の下でもくもくと食べつづけた。
美味。魚美味。魚もっとください、魚獲りたい・・・カプタイ湖見たかった・・・
せめてもの救いといえば、宿のスィートルームをエコノミー料金にディスカウントしてもらったことぐらいか。
推定20畳、大きすぎる。

この日の私の疲労感、伝わっておりますでしょうか、なんでもなかった体調が、この日 なんといきなり40度も発熱してしまったぐらいなのですから。
この地域が微妙な状態にあることを知っていたら、せめて観光局で確認をとるぐらいしてればよかったわけで (本にはパーミットがいることは触れられていなかった)移動すると分かっていたなら午前中早々に 出発していればよかった。
そういう普通のことを怠けたから起こってしまったことなのです。 自業自得です。
ということで、まとめると、「カプタイ湖に行く時は 誰も信じるな、自分を信じて政府観光局へ行け」事件でした。

(2002年)

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ダッカ2002年 (バングラデシュ女一人旅旅行記ブログ)

2002年、女子大生パッカーが一人で行ったバングラデシュの旅行記

ダッカへの道のり
ラジシャヒ→ダッカ :バス100tk
6時間の予定が12時間。文中あるように、すんごい遅れる。特にダッカは宿探しが大変なので、早めに出るべきだった。

いざ首都ダッカへ。誕生日にバス移動でした。
ラジシャヒからダッカへは、ジョムナ川という巨大な川にかかる橋を渡る。
ビーマンのポスターにもなっている巨大な橋。でっかい。
氾濫して 川の流れが多少変わって大丈夫なくらいでっかい。
さすがはバングラデシュの顔。この橋を作ったらしい(?)大林組すごい。
関係ないけどなぜかバングラには福山通運の緑のトラックがすんごい多い。

さて、バスはいよいよダッカ近郊へ・・・と思ったら3時間ぐらい大渋滞に巻き込まれていた。 お誕生日なのに・・・

こうしてどうにかこうにか3ヶ月ぶりのダッカについたのは、夜の8時、グリスタン近くのバス停に降ろされる。
近くのホテルを何件か巡るも、どこも値段の割りに超汚い!なんだこりゃ!?
シーツはシミだらけ、壁はパンの痕跡だらけ、Gがひしめき、かび臭い!!!
おまけにどこもぜんぜんまけてくれない。
もう夜なのに・・・お誕生日なのに・・・

一体何軒見てまわったのだろう、何件目のイスラミックな宿で女はダメだと言われて感情爆発。
人道的に 間違っている!!こんな夜更けにふらふらになってやってきたその日誕生日の女を追い出すの!?
アッラーはもっと心がひろいどー!!!!!

そんなわけで、泣き落としが成功して泊まることが決まったら、なんだか皆す ごく親切にしてくれてお水などを買ってきてくれた。
ありがとう。やっぱりアッラーは偉大だわ。
旅人にやさしくするのがイスラムの流儀、後世まで大事にしてほしい。

至上最悪の儀式

よりにもよってお誕生日に大渋滞に巻き込まれた挙句、この旅屈指の汚いを通り越して不潔なお部屋に荷物を置いたのは夜10時。
お誕生日なのに!!!!
停電用のろうそくに火をつけて、ひとりぼっち歌ってしまったよ
はぴばすでぇ トゥミー!!!

なお、あんなにトホホな思いをしたのに2年後のお誕生日にもちゃっかりミャンマーにて移動していた。
学習しない。

神は私を見捨てなかった。

そんなトホホな私のお誕生日ですが、ちょっとだけいいこともありました。
翌日 オールドダッカのとある立派なお菓子屋さんに入り、パンと飲み物を注文したところ、オーナーが親日家でバナナとクッキーとチャイをご馳走してくれた。
その上パンと飲み物のお代も取らず、お店のクッキーをごっそり と持たせてくれた。
きっと彼が日本に来た時親切にしてくれた日本人がいたんだろうな。
バングラにはこの店みたいに色んな形の手作りクッキーを瓶につめ並べているお店が結構あり、袋詰のクッキーより おいしい!
インドみたいにクッキーにカレー粉入れたりしないよ。
たまに出来たてのクッキーをあれこれ味見させてくれたりもする。
以来常にクッキーを携帯。 でもここのクッキーほどおいしかったのは他になかった。
サクサク度が違ったの。また行きたいな~。
ボロカトラ・ チョットカトラの近くの下町っぽいところにありました。

この他にもリキシャー代を払ってくれたりチャイをご馳走してくれたりと、沢山親切さんに出会った。
「きみはこの国のお客さんなんだから気にするな」というおじさんのかっこいい言葉が忘れられない。
私も日本に来た ガイジンさんには親切にしなくちゃいかんです。



ダッカの印象

人とリキシャがいっぱいで、空気が悪かった。街灯が少ない。
街自体はとっても広く、 カトマンドゥやヤンゴン、ホーチミンなどと比べるとはるかに大きく近代的。
車もそこそこ走っているし、モノも多く活気がある。
ダッカの中心だけ見てると、とてもここが最貧国だとは思えない。
ツーリストが普通に歩くようなところには、スラムのような地区も全然見あたらなかった。
色々な写真集でダッカのスラムやゴミ集めをする少年の写真を見るが、少なくとも以下の地区では そんな光景は見なかった。
お金はシティバンクのATMで下せた。
ニューマーケットの向かいの建物の中にネット屋があって、日本語のセッティングをした。当時はよくそういう風にしていた。。。

炎のおさんぽ

ダッカは大きい。 いくつもの地区に分かれていて、それぞれの地区は歩いて周れないくらい。
排気ガスにまみれながら、連日 暑さにも負けず徘徊してきました。

★モティジール★
ビルが立ち並び道も広く近代的。日本でいうと丸の内? だけど走るのは車よりリキシャーが多い。

★グリスタン交差点付近★
国立競技場やGPO、マーケットなどがあって 何かと便利。バスの便も多い。バングラの上野??

★メインバザール付近★
とても賑やかで、ニューマーケットの外にも別のマーケットや ショッピングセンターが建ち並ぶバングラの渋谷???

★国会議事堂付近★
移転したばかりのイミグレーションオフィスなどがあるが、 閑散とした地区。さいたま新都心~蕨みたいな感じ。

★ミルプロード沿い★
アーロンのでっかいお店やシティバンク・ ナウでヤングなファーストフードショップなどいちいち立ち止まっては見物してきました。

★オールドダッカ地区★
どこの国でもオールド・下町と付くところを歩くのは楽しい。道が狭く、 小さな商店が並び、時々すごい古い建物があったり・・・歩いて周るにはいささか大きすぎるが、1日かけてゆっくり散歩 したい地区。

治安

散歩と買い食い好きの私は例によってダッカのいたるところを歩いてまわりましたが、治安はさほど悪くない感じで した。
何しろどこにでも人がいるので、それが逆に歩きやすくしてくれました。
散歩といえど、ひとけのない路地と人情溢れる路地を見分けながら、気を抜かずに歩く。
夜は夜で相変らず人は多いが、 リキシャーに乗るのは考えもの。
バスも満員ですが、夜になると女性の姿がぱたっと消える。
女の人は日没後は出歩かないらしい。

お宿事情

ダッカは見るものや食物が思ったより豊富でついつい長居をしてしまいました。
長くいる 宿だから、できることなら快適に過ごしたかったのですが、低予算ではそれも厳しい。
250TKぐらいでやっと泊ってもいいかな程度のレベルでした。 やはり都会なので宿に関しては相当物価が高い。

グリスタンの交差点にはいくつか安宿がありましたが、どれも ひどいものでした。
この地区は割と外国人慣れしている印象です。
GTOのあたりまで行くと、 200TKを超えますが商人宿のようなものがあり、意外ときれいでした。
名前は思い出せないのですが、 グリスタンより北、モティジールより西 にある中級ホテル街は、何軒か外国人お断りといわれました。

個人的には、特に女性には多少お金を出してでもバックパッカー以外の外国人が泊まるような外国人慣れした安全でキレイな宿に泊まるべきだと感じた。 ただでさえいつもの旅のように他のツーリストとおしゃべりする時間が少ないのに、帰って来た宿が 狭い臭い汚いだと精神衛生上すごく苦しい。

移動手段

お目当ての地区までリキシャーやバスを使い、着いたらひたすら歩き回るといった感じで見物しました。

☆リキシャー・・・ダッカはリキシャーの町。どこにでもいるので 便利なのですが、いかんせん広いダッカ。
あんまり長距離だとなんだか申し訳ないし、時間もかかるのでバスが便利。

☆バス・・・ダッカ市内では小さな市バスが頻繁に走っており、車掌(かと思いきやただの客のこともある) がけたたましく行き先を連呼し、客寄せしています。
行き先が有名な地名であれば簡単に乗るバスを見つけられるはず。
無理やり乗って車掌が来たらお金を払うのですが、女性はムハンマドの教え?に従い何が何でも座らせるらしく、 また、前方にまとめられることが多いので何かと安心です。
おばちゃんが必ずバングラ○△□~、ベンガル語しゃ べれるんかいな??と尋ねてくる。
行き先を告げておけば降りる時にはみんながここだここだと教えてくれるので、 まったく市バスは快適でした。

暗くなってからでもバスは常に満席状態で、 小道をすり抜けていくリキシャーよりは私は好きでした。
ただし日没後バスには あまり女性が乗っていませんでした。
また、土地の女性もリキシャーやバスに乗ると きは男性パートナーなり友人同士など、単独行動は避けているようでした。



炎のお散歩・観光編

なんだかんだで 一週間近くいて、ほぼ毎日元気に歩きまわりました。意外と見るとこ多くて忙しかったです。

オールドダッカ
グリスタンから延々歩いて ヨドルガットまでいきました。アルメニアンチャーチやスターマスジット付近はリキシャーがおすすめですが、 ボロカトラ・チョットカトラのあたりは歩いて正解。終点はラールキラーで夕涼み♪

★ショドルガット★
ダッカの港で沢山の船が停泊しています。 川の国、バングラならではの光景は圧巻。渡し舟が頻繁に出ていたので、船の見物ついでにちょっと渡ってきました。
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★スターマスジット★
かわいらしいモスクです。日本の浮世絵を模したタイルが ありました。
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★アルメニアンチャーチ★
静かな教会。静すぎて怖かった。

★ボロカトラ・チョットカトラ★
門のようなレンガ造りの古い建物。 ただのぼろい館なのですが、オールドダッカでも一段と下町らしさを増した街の雰囲気に マッチしてていいかんじでした。中からイスラム装束を来た男の子が笑いかけてくれて、これがまた 絵になる光景で。一瞬中世にタイムスリップしたかのようでした。

★ラールキラーパーク★
よく整備された公園で、市民の憩いの場。入場料を取るため 来ている人の身なりがよかった。ちょっとした博物館もある。
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ラールキラーと少年ら。なんてこざっぱりとしているのでしょう。


その他の観光スポット
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博物館の前でみつけた手作りピアス屋。壁にはペイントが。

☆国立博物館☆
うら若き乙女の柔肌でしか織ることができなかったと言われる伝説の織物、 ダッカモスリンで有名ですが、それより何より印象的なのは象牙で作った着物姿の日本女性の置物。 細い一重まぶたの瞳に自分をみた。中はとても広く、古いノクシカタなどバングラデシュを知るための展示物がそろっています。 (無料)近くには美術学校のようなものがあり、個展なども開催されています。 バングラデシュの若者による現代アートに触れてみてはいかが?

☆国会議事堂☆
ロードパーミッションを取りに入った建物から眺めることがで きました。有名な建築家が設計したとか。

☆ニューマーケット☆ ダッカの中心部に位置するマーケット。 特別珍しいものが置いてあるわけではありませんが、賑やかで雰囲気を楽しむだけでも面白い。中は整備も行き届き、軽食屋もあり ます。(バングラのトレンドおやつの発信地!)マーケットの外にもサリー屋さん通り、本・文房具通り、金行通りなどすごい 数のお店が。おばちゃんがすごい勢いで買い物してた。

ちょっと乙なお散歩コース

☆☆☆☆☆高級ホテル巡り
NGO関連の手工芸品屋さんが入っているので、 ショナルガオンやヒルトンに入ってきました。ビーサンで・・・タイとかでも絶対ありえない事態。5つ☆なのですが そういう雰囲気をみじんも感じさせないフレンドリーな作りでした。外観はぼろかったけど、中は ぴかぴか。・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜ 地方で最も貧しい人々を見て、都会で最もリッチな人々を見る。観光地以外にも、確かめなくては ならないことは沢山あります。

☆アリアンス・フランセーズ(みたいな名前)☆
ミルプロード沿いにあるフランス関係のアトリエで、フランスのアーティストの個展の他、私が行った時には 硫酸犯罪(*1)による被害者の写真展をやっていました。サロンではピアノ教室が開かれていて、 最もお金持ちの部類の子がキレイなメープルシロップ色のピアノを弾いていました。
ダッカではこの他、芸術的な催しがよく開催されているようで、その情報もここで集めることができます。

バングラデシュの お土産

なんといってもノクシカタ。女性たちが作る美しい刺 繍で、その方法や絵柄は作り手によって全く異なります 。
クッションカバーやバックがお手ごろですが、数百ドルする絵のように美しい刺繍は必見(>_<)
特にエスニック柄好きにはおすすめ!フェアトレードというやつなので結構高いです。
しかたなしにどこかのNGO団体が制作したパンフレットで我慢しましたが、それでもついつい見とれてしまいます。

☆アーローン☆
NGO団体BLACKの販売部門。 規模も大きく、ビル一つまるごと手工芸品。ダッカ市内に数件あります。
客はバングラデシュの裕福な層の人々と、なぜか中国人。
明るい店内と沢山の商品、この中だけバン グラデシュではないかのようですが、売っているものはバングラデシュらしさ満載。
小さな刺繍の小物から見事な刺繍の施されたパンジャビードレスまでなんでもあり。
なんと包装までしてくれます。
ほとんどが女性の従業員だったことも印象的。商品から従業員さんまで、 しっかりと管理されているようでした。

☆ホテル内☆
上記高級ホテル店内には、刺繍もの以外にもバングラデシュの画家の絵などお土産屋が沢山入ってます。
お店の人にバングラデシュのNGO や女性の事情などについて色々尋ねてみました。
ホテルに勤めている女性は英語も堪能なので、 私生活や宗教と仕事の関係など、とても気さくに話してくれました。
とても進歩的な考えの女性で、「アッラーは女が働くことを禁止してはいないのよ、私もっと働きたいわ、でも旦那の 世話もしなくちゃならないから大変よ~」などとぼやいていました。

しかし中には完全商用なのもあり、 「女性たちには売上の何割が渡るの?」という質問はうやむやにされたりもしました。
このホテルの周辺には何件かNGO関連のお店があり、ボランティアなどで訪れる日本人の 間でも有名なようです。


※硫酸犯罪

男女間のトラブルが元で、 女性に硫酸をかける事件が多発しているそうです。(これは2015年の今も問題)
硫酸は車屋さんで簡単に手に入り、 多くの場合女性の寝込みを襲います。女性は一人で寝ている訳ではないので、しばしば家族も被害に遭うのだそうです。
彼女たちの治療は外国の団体が支援しているそうですが、硫酸は目や鼻・指や耳までも溶かしてしまい、 決して元のような美しい顔立ちには戻りません。もちろん目にかかれば失明します。

口説いたら拒否されたとか、 なんとも幼稚な理由に拠るところが大きいそうですが、恐ろしすぎます。
硫酸被害者の女性が ぼろぼろになった肌を見せて物乞いしてきたこともありました。
こんなものを最初に見てしまったものだから、 しばらくベンガル人男性に対して不信感を抱いてしまいました・・・

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ラジシャヒからダッカへ (バングラデシュ女一人旅旅行記ブログ)

2002年、女子大生パッカーのバングラデシュの旅行記です。

ハオルを超えてラジシャヒへ!

ひどい目にあったソイヨドプールを早々においとまして、二日目は北西部第一の都市ラジシャヒへ向かう。
まだまだ雨季の明けきれぬ10月のベンガル、道中ずっと噂に聞くハオルが広がっている。
道の両側が湖のようになっているので、まるで水上を走っているみたい。
涼しい風を浴びながら、旅人気分を盛り上げる。

巨大なハオルと緑美しいベンガルの木々はとっても素敵なのですが、地元の人にはちょっと迷惑な存在らしく、この日も幹線道路を迂回していたらしい。
個人的には何時間見つづけても飽きないぐらい美しい景色に大満足。
昼頃ソイヨドプールを出ると、 夕暮れ前にはラジシャヒに到着。

ラジシャヒ見物

大きな町です。メインストリートからすぐの場所に宿を取る。夕涼みをするポッタ川や博物館などはメインストリートを西に進んだ 所にある。

博物館には特に変わっているものはないが、無料なので一応入っておく。
仏教・ヒンドゥ教・イスラム教の美術品有り。ここの博物館のことは妙に覚えている。

ラジシャヒを流れるポッタ川は、市民の憩いの場所。派手さはないけど、夕暮れ時にはちょこっとだけ屋台も出る。
静かに夕涼みをしたかったのに、振り返れば35人ぐらいが私たちを見物していたので早々退散。
なんて落ち着かない国なんだ・・・

ラジシャヒの国営ホテルにはビーマンのオフィスがあった。
ものすごく湿った感じで、レストランでは中国ばりに没有の嵐。国営なのに・・・・ちょっぴり泣けてきた。

ムクタインターナショナルからすぐのところに大きなマーケットがあった。
ムクタインターナショナルの通りとメインストリートが交差するT字路に色々なお店がひしめいていた。街一番のビリヤニ屋さんや 変わったフレーバーのアイスが売りのファーストフードショップ、コーヒーショップ、サモサ屋、輸入品やアルコールを扱っている雑貨屋など。
お誕生日記念にプリングルス購入。このあたりの風景は今も覚えている。インドの一角のような賑やかな光景だった。
あと、ここの路上で飲んだショウガ入りのチャイの味は忘れられない。
ショウガは切ると言うより砕いて入れていた。ミルクは入っていなくて、なんだかとってもおいしかったな

小さな遺跡の村、プティアへ日帰り旅

池を囲みこの地方独特の小さな遺跡が点在する。
すべて徒歩で見て回れる。小さな村なので人も少なく、 散々都会で人の目にさらされてきた人はほっと一息つけるのでは??
p_ban_puti.jpg

帰りのバスはエラいことになっていた。都会行きのバスが混んでいるのはお約束。けれどラジシャヒ行きのバスは。。。
後ろはおろか、窓さえも見えないほどすし詰め状態。
やっと勝ち取った席運転手の真横、エンジンの真上、フロントガラスの一歩手前。私のカラダは運転手より前に出てるんですけど・・・急ブレーキかけられたら死ぬな。同行者は地元のおばちゃんたちにもみくちゃにされていた。

移動

ソイヨドプール→ラジシャヒ:バス約140tk 半日
ソイヨドプールは地方の小さな町なので、バスはローカルバス。

ラジシャヒ→プティア:バス20tk 1時間
プティアにバス停はない。道端で乗り降り。遺跡からは多少距離があるのでリキシャを使うと○

お宿
ラジシャヒ ムクタインターナショナル
部屋もフロントもピカピカで清潔なバストイレ付き。あまりの素敵さにねばってT200tk。お得!
場所も便利で従業員も誠実、色んなものを放置して出掛けても、部屋の 掃除係は何一つ持っていかなかった。

(2002年情報)

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ダージリンからバングラデシュに入国

通過地点
インド側:シリグリ、ジャルパイグリ、ハルディバリ
バングラデシュ側:チラハティ、ソイヨドプール

移動

ダージリン→シリグリ(バスターミナル) :ジープ約45Rp
シリグリ→ジャルパイグリ :バス10Rp
ジャルパイグリ(バス停は道)→ハルディバリ:バス10Rp

ちなみにローカル×ローカルのため、おトイレになかなか行かれず、とうとう同行者が「水!水!」と叫びながら民家に駆け込んだ。何かと思ったら、知ってる単語でなんとかがんばってみたらしい。

インド側移動

バングラデシュに入る前、ダージリンにいたので、バングラデシュの北の国境から入国しました。
まずはインド側でのあれこれ。

ダージリンを昼頃出ると、シリグリでジープを乗り換え、日が暮れる頃にインド側の国境の町ハルディバリに到着。
出国や入国は色々と時間がかかるのでここで一泊。多分そんなにすんなりは移動できないと思います。いつも通り、ああでもないこうでもない、あっちだこっちだ、と。
色んなバスに乗せられて大変だった。

早速黄金のベンガル

インド側ジャルパイグリを過ぎるともう景色は黄金のベンガル!美しい並木と田園が広がります。
国境の町ハルデイバリは小さな町で何もないけど人は沢山いた。小額のタカの用意をお忘れなく。

出国までの大仕事

まずはハルディバリの町のイミグレでスタンプを押してもらい、税関チェック。イミグレでは写真が一枚必要なので、高校生の頃の写真を置いてくる。
リキシャーで畦道を進むこと数十分、ドゥルガーを奉るチェックポイントでチャイをご馳走になる。
さらに進むとやっと有刺鉄線、国境です。
小さな小屋にいるのは2、3人のおやじだけ。なんでも本日2組目の通過者らしい。
荷物チェックを受け(中味も)、乗ってきたリキシャーワラーが料金を上乗せして来たので、そそくさとバングラデシュへ逃げ込む。
ふぉふぉふぉ。網を越えたら何も言えまい。
それにしても、田んぼである。
振り返ると係員は冷たい視線でTHIS WAYと一言。
ディスウェイって、道沈んでるんすけど・・・

p_ban_kokkyou.jpg
ディスウェイ。



バングラデシュ入国

移動
国境→チラハティ :バンガリ約50tk1hour
チラハティ→ソイヨドプール :バス30tk

入国早々田んぼに突っ込み対岸に渡ると、いよいよバングラ国民と接触、待ち構えていたのは一台のバンガリ。
足元を見られたのか、早速ふっかけられる。がしかし、このルートに通過者が少ないことは確認済みよ、うちらを逃したら次は一体いつ来るのかしら。たまにはこっちが足元見させてもらうわ。強気にいきなり4分の1で商談成立。ちなみにタカ払いだったが、このとき私たちはタカを持ってない。これって軽く無賃乗車ね。

バンガリに揺られて

バンガリに乗って、いざイミグレの町、チラハティへ。町までは約1時間で、国境越えの田んぼでびしょびしょに濡れたジーンズも乾ききってしまった。
チラハティへの道はとても美しく、小さな村を過ぎる度に手を振ったりして旅気分に浸る。

指名手配疑惑

カスタムとイミグレはチラハティの駅前。イミグレにて日本赤軍の指名手配写真と照合される。重信房子さんはオールレディアレステッドよとアドバイス。それにしてもこんな辺鄙なところまで日本の警察の手が伸びていたとは・・・

両替する場所がない。

タカを一銭も持ってなかったので、あせったバンガリワラー氏に連れてかれたのは日本人が泊まっていた宿。
出国する日本人にルピーを買ってもらい、なんとかタカをゲットしたものの、翌日までタカを追加することができずカツカツで過ごす。

とりあえず腹ごしらえをし、相場が分からず店番とちょっぴりもめた。バスの中まで追ってきて、バスが発車してもぶーぶー言われた。←あとで考えると、正統な料金だったかも。今度は本気で昼飯代を踏み倒してしまったらしい。ほんとにごめんなさいm(__)m
チラハティストップする旅行者は多そうなので、ソイヨドプールほど好奇の視線に合わずにすむ。

ソイヨドプールに行く

とりあえず時間もあるので行ける所まで進んでみることに。夕暮れのベンガルは、まるで影絵のよう。気分良く見とれていたら、座席と背もたれの間から後ろの男の足の指がにょきにょきっと出てきてちょっぴり切れた。
日が暮れソイヨドプールに着くと早速50人ぐらいに囲まれ、沢山のベンガリーに惜しまれつついざ町へ。すれ違う人すれ違う人皆私たちを見ている・・・

もはや宿泊費は残っていないにもかかわらず、またしても、のこのこと安宿にチェックイン。
翌日あわてて銀行に走り、素知らぬ顔でお金を払う。先払いじゃなくてよかった(´ 3`)=3 

入国1日目にしてバングラ恐怖症

ソイヨドプールはガイドブックにも載っていない小さな町。きっとガイジンなんて来たことないのだろう、ミスティの値段を聞いているわずかな時間に50人ぐらいの人が様子を見ていた。
バスの中でも食堂でもひっきりなしに話かけられ、もうぐったり。先が思いやられる旅のはじまりです・・・

両替

2002年当時、チラハティでは両替ができなかった。ソイヨドプールでは外貨を扱っている銀行有り。金曜日はお休みなので注意。

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元祖バングラデシュ女一人旅 旅行記ブログ。

私がバングラデシュを一人で旅行したのは2002年。今から13年も前です。
当時、旅行人から”ウルトラガイド バングラデシュ”が刊行され、それがバングラデシュ行の後押しとなりました。
今、女一人でバングラデシュを旅行してみたい、とか、バングラデシュを一人旅してみたい、と思っている人がいたら、ぜひ行ってみたらいいと思います。
13年も前だって、とても素敵な旅ができたのだから。



バングラデシュ縦断旅行ルート  (北から入り、南端まで行き、西から出る陸路ルート)

2001/10/6    シリグリ→ジャルパイグリ→ハルデイバリ シリグリはダージリンへの拠点でもある
2001/10/7    ハルディバリ→国境→チラハティ→ソイヨドプール 国境越えは時間がかかる。
2001/10/8    ソイヨドプール→ラジシャヒ 黄金のベンガルを駆け抜けろ
2001/10/9    ラジシャヒ→プティア→ラジシャヒ 日帰りで
2001/10/10    ラジシャヒ観光
2001/10/11    ラジシャヒ→ダッカ お誕生日記念大渋滞
2001/10/11-15  ダッカ 興味深い
2001/10/15    ダッカ→チッタゴン
2001/10/16    チッタゴン→コックスバザール 途中でバスがスクールバスに変わった
2001/10/17    コックス→テクナフ 段々山がちに
2001/10/18    テクナフ→Stマーティン→テクナフ ベンガル一家に便乗日帰りツアー
2001/10/19    テクナフ→チッタゴン バスがぬかるみにつっこみ、乗り換え
2001/10/20    チッタゴン→ランガマティ 午後発夜着翌朝送還の刑
2001/10/21    ランガマティ→チッタゴン→ダッカ 発熱
2001/10/21-24  ダッカ 病み上がり元気に観光
2001/10/24    ダッカ→ジョソール 途中で船に乗り換える
2001/10/25    ジョソール→ベナポール→ジャンガオン→シアルダー




いきなり番外編☆トランジットで入る

バングラデシュに初めて降り立ったのは、バンコクからカトマンズへのビーマンのフライトでのトランジット。
(当時はLCCなんてなくて、激安航空会社だったビーマンバングラデシュ航空最盛期のころ。(日本にも乗り入れていたっけ)
バンコクからのツーリストはダッカで一旦降り立ち、それぞれカルカッタやカトマンズ、ロンドンなどへと散らばっていく。
その際、大抵次のフライトまで時間があるので、ツーリストはフライトの時間まで入国スタンプを押すことなく一旦市内のホテルへ移される。そのころのロシアなどでは通常ホテルに監禁状態になり、100ドルの秘密の市内ツアーが有名らしいけど、バングラデシュではそんなこそこそしたことはなく、その辺をブラブラぐらいなら全然オッケー。
なんでも一昔前はホテルが繁華街に近かったため、ツーリストは気軽に市内観光に繰り出せたのだそう。
残念ながら2001年時は郊外の辺鄙な場所にあるホテルに移されることが多いらしいけど、それでもダッカの様子を 眺めるのには十分な距離があってとてもおもしろい。そんなこんなで初めて見るリキシャーに感激し、 その数ヵ月後、意気揚揚とバングラに向かうことになってしまったのです・・・


ところでダッカでツーリストは飛行機を乗り換えるため、うっかり荷物を預けると とんでもないところにバックパックだけ飛んでいってしまうことがよくあると聞いた。
機内持込するか、ダッカで 一旦受取にするなどするといいかも。アバウトな国なので、なくなった荷物が速やかに戻ってくる確率は少ない。ドンムアンで荷物を預け、カトマンズ受け渡しにしていた人は、荷物がロンドンにいってしまったらしく、ネパールでしばらく途方に暮れていた。寝袋などもなくなりやすいとか・・・


ビーマンバングラデシュの総本山、ダッカ
遅延で有名ビーマンバングラデシュの本拠地、ダッカ。
9時半出発予定の飛行機はドンムアンで 数時間のディレイ。この間レストランでの夜食と高級ホテルへ一時移動される乗客。
そして深夜3時にたたき起こされ、早朝やっと出発して機内食。
無事ダッカに着き、郊外のホテルに移動して仮眠を取ると、ブランチのサービス。早くも三度目の食事。
再びダッカ空港に戻ると 予想通りのディレイで、空港のレストランで昼食サービス。
ようやっと飛行機に乗り込んで出発したら、 なんといきなりUターン!
モニターの「ご搭乗ありがとうございました」の文字に、ベンガリー大受け。
口々に 「サンキューだってよ~サンキュ~」とかなり盛り上がっていた・・・

そんなこんなでバンコクから実に20時間近くもかけて、やっとの思いでカトマンズに到着・・・
ダイレクトならほんの数時間のフライトなのに。
でも二つのホテルで久々のホットシャワーとふかふかベットを堪能し、計5回も食事を頂きました。
ビーマン太っ腹!

ちなみに別便でカトマンズにやってきた2人組の日本人の時も、ビーマンはダッカにUターンしたらしい。
二人はそれに 気付かず、舞い戻ったダッカをカトマンズと勘違いして感激していたのだそう。ほのぼのした方々です。


2015年追記)
この時、初めて上空から見たダッカの景色は今でも鮮明に覚えている。
湿気っぽい、雨季のダッカ。大きな建物はないけれど、コンクリートや茶色いレンガの建物が並ぶ街並み。
ところどころに見える椰子の木。
南アジアの景色自体初めてだったので、飛行機の窓から食い入るように街を眺めていた。




ガイドブックのなかった国

旅行人のガイドブックが出たのは、確か旅の直前で、歩き方にもバングラデシュ編はなく、日本語でのガイドブックがない!ってことで、主に 旅行記や滞在記録など、本を読んで大体のルートを決めました。ガイドブックにはないバングラデシュを 見つけてみてはいかが??

ASIA HIGHWAY2
NHK ASIA HIGHWAY PROJECT著 NHK出版
この本を読んで、ミャンマーを見にテクナフまで行ってしまいました。

女一人のアジア大陸シルクロードの歩き方
オーシルカズミ
背が高く短髪のオーシロさん。女一人楽しい旅をされていますが、これを読んでも安心できません。(続編も出ています。)

ASIA MONSOON
市原基 朝日新聞社
モンスーンアジアの写真集。力強いベンガルに惹きつけられました。 私の旅行人生を決定づけたのはこの写真集。

ダッカの55日
大嶽洋子 大嶽秀夫 中央公論社
ご年配のご夫婦のダッカ滞在記。かなり「守られた」滞在ですが、それでも刺激的。

バングラデシュ旅の真実! 旅行人1999 11月号
ロケットスチーマーや蔵前氏のジャングル体験記など。 これも相当参考になったし、当時これを見て旅している人が結構いたと思う。

VISA

こちらは2001年9月~10月の情報です。

バンコクで。
(日本大使館近く) 長期の旅行だと入国日とVISAの有効期限に注意。

デリーで。
ハイコミッション。メインバザールからは結構遠いが、帰りはコンノートプレイスまで市バスで行ける。(たまに昔の場所に連れて行かれてしまう)無料で翌日受け取りでした。

カルカッタで。
無料。2001年10月は総選挙がからんでいたので、少々状況が変わっていたのかもしれませんが、カルカッタよりもデリーのほうが悶着なく取得できたようです。

確か、インドもバンコクも同じアプリケーションフォームを使っていたと思うのですが、結構面倒くさかった。適当に分かったふり して書いてみたら、問題なく取れた。

有効期限は3ヶ月以内に入国だったと思う。友人はこの期限に一日遅れをとったため、ペンで日付を修正していました。スゲー。
たまたま 入国地点が日に数人しかツーリストの来ないど田舎だったため、ノーチェックで無事通過。さすがバングラ、イミグレも超アバウト。

★上記、2002年のできごと。

バングラデシュへの行き方2002年版

バンコクからはミャンマーを挟むので空路で。インドからは陸路で入国できる地点がいくつかあった。特に カルカッタからは数時間でバングラデシュに入国できる。しかし情勢の変化で国境は開いたり閉まったりしているらしいので、 運が悪いとにっちもさっちもいかなくなるかも。。。今はどうなってるのかな?

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2001年カンボジアの旅ブログ 旅行記まとめ

初めてのカンボジア。

でこぼこ道に体中鞭打ち状態になりながらも、外の景色に目をやれば、本当に穏やかな光景が広がっており、 真っ青な南国の空と広大な緑の大地は、他のアジアの国では見られなかった 「南国アジア」なイメージそのものの世界だった。

時々現れる集落から姿を見せる子供たちは皆きらきら明るく、 水牛に乗りながらのんびりあぜ道をゆく少年の姿がいかにもアジア。

何より素晴らしく胸打たれたのは、車椅子で畑仕事に精を出すおじさんの姿 と、とある遺跡の片隅で演奏する障害を抱えた人だけで構成された楽団だった。
きっと戦争で傷付いた身なのだろう。彼の車椅子は本当に粗末なものだったが、それでも彼は きっとああして毎日畑に出て、力強く畑を耕しているのだろう。

片手がなくても力強く太鼓を叩くおじさん、片足がなくとも陽気な笛を奏でるおじさん。 素敵な音楽に足を止めれば、陽気なおやじからウインク一つ。陰気臭さの一つもない。同情を引くことを 目的にしている訳でもない。それはもう プロフェッショナルな演奏そのもの。一瞬にして、演奏している人々の足の数など忘れて、 ただひたすらその音楽に引き込まれてしまった。


この国では、本当に沢山の人々が傷つけられていて、戦争の傷跡をなまなまと見せ付けられたが、不自由な体を抱えつつ、それでも彼らは、 ごくあたり前に仕事をし、自転車に乗り、畑を耕しているのだった。

なんてたくましい国なんだ。
人々は、まるでこの国の太陽のように明るく力強い笑顔できらきらしていた。

私がカンボジアから受け取った一番強い印象は、ブルーシートをかぶった アンコールワットでも、ボコボコの道でもはない。
暗い闇の時代から抜け出し、今力強く生きようとする人々の姿そのものだった。


c_boy.jpg
この子、今25歳ぐらいかな?今も変わらぬ笑顔で迎えてくれたらいいな。

| 2001カンボジア | 23:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カンボジアのお食事 カンボジア旅行記ブログ

21世紀になったばかりの2001年のシェムリアップで、モノを食べた記憶がほとんどない。
唯一覚えてるのは 食中毒になった「すっぱいカレー」と、その名も「THE BIRD」・・・ 他に見たのは「スネーク串焼き」。
屋台も少しあったが、ぶっかけ飯系が多く、色からして食欲をそそらない。
おやつ屋台もないので、 美食家にはかなりきつい。

近年はだいぶだいぶ開発が進み、レストランやおしゃれカフェも増えたとか。
私の財布の中身も増えたことだし、かなり楽しみなのである。


c_bird.jpg
『バード』である。



c_dinner.jpg
おばちゃん一人でがんばっていた。
ぶっかけ飯屋に群がるのは日本人男子ばかりだった。



c_sweet.jpg
マーケットの甘味屋さん。ココナツ系の甘さ。
手前にかぼちゃぷりんがあります。
当時、カンボジアには、このカボチャプリン程度しか惹かれるものがなく、さらにアジア飯に免疫が無かった私はビクビクしながらそれを何人かで分け合って食べたような記憶がある。ココナツもよく存じ上げなかったので、お世辞にもうまいと思った記憶はない。

あれから○年。
自分で言うのもなんだが、世界の色々な食べ物を食べてきた。
猛烈に腹を下したすっぱいだけだったカレーの中に、豊かな食文化を見出せるぐらいにはなった。
2015年、カンボジア飯は一体どう挑んでくるのだろうか。乞う期待!

| 東南アジアのご飯 | 23:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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21世紀になったばかりのアンコールワット

憧れのアンコールワットへ!
バイタクに乗っていざ出陣。
日本人の男の子がバイタクの運転手の腰に「むぎゅ」っと手をまわしていたのを見た。初めて乗ったんだね( *´艸`)

アンコールワットをはじめとする遺跡群は、大きな公園のようになっていて、高速のインターのような 立派なエントランスがあり、ここで3日券を購入する。これで喰ってるだけあって、高い。
相方は、ここで働いている広末似のかわいい女の子とツーショット写真を撮って大変ご満悦だった。

そしていよいよアンコールワットへ・・・どんな鬱蒼としたジャングルの中から現れるんだか・・・バスで行けるとは 言うけれども、でも私は私の想像の世界をずっと信じていたのだ。

それなのに、それなのに。
嗚呼・・・アンコールワットの横ってば、ぐるりと超整備された舗装路なのですね・・・
巨大駐車場に大型バスがいっぱいだわ・・・・
と、とにかく気を取り直してアンコールワットへ向かおう!!
ちょ「・・・・(゚Д゚)!!」
修復中なんですか(*゚Д゚)(*゚Д゚)
・・・ブルーシートが眩しいわ

ここで、トップページのアンコールワットの写真を思い出していただきたい。 あんな写真載せるから、あたしゃすっかりアンコールワットはジャングルだと思ってしまってたのよ!返せ私の アドベンチャー!!教科書には真実をヾ(`Д´*)

c_me.jpg
21世になったばかりのわたし。今より10キロぐらい痩せてた。
チェックのシャツはベトナムでオーダーメイドしたもので、今もまだ持っている。二の腕がイタくない。


アンコールワット内部はとても広く、江戸時代の人の落書きなど見所も豊富だが、アンコールワットの一番のおすすめは、急な斜面を登った所からのサンセット。夕方前から 沢山の観光客が集まり、強い西日を浴びながら、本を読んだりしながらのんびり太陽が沈むのを待っていた。時間に追われることのない自由旅行の醍醐味です。




c_tree.jpg
広い公園の中に現れるアンコールトムやバイヨン寺院もなかなか素敵。
遺跡にはびこる巨木で有名なタ・プロームは、何度も写真で見てはいたが、予想以上の自然の迫力に 圧倒されてしまった。ホンモノを見てしまった今、ディズニーランドのジャングルクルーズの洞窟でワクワクしなくなった。

子供たちのパワーもすごい。小さな子供が日本語や英語をマスターし、きちんと相手によって使い分けてどこでも 商売をはじめてしまう。
「コレ1ドルヤスイヤスイ・ノータカーイ」どこで覚えたんだか、まだ7歳ぐらいの女の子なのに、 とってもおとなっぽく見えてしまう。あまりの小悪魔さに、欧米人のお兄さん方もたじたじでした。
かしこい子供といえば、タ・プロームの少年。 他の大人のガイドが言っている英語をそのまま丸暗記して、勝手にガイドをはじめてしまうのだ。 「これは○○の木だ、スペルは△△△△」なんて、言い回しまでまったく同じ。

c_girl.jpgc_friend.jpg

やっと小悪魔たちを振り切ったかと思えば、今度は本気で遊んでほしぃよーって女の子が 現れて、きゃっきゃ遊んだあとで(もちろん遺跡の中で!)「うちに来て!」って言われ、付いて行ったら ジュース屋だったなんてことも。ちゃっかりしてるんだから。
それにしても、学校に行っていない子どもがなんと多いことか・・・この子たちに 教育を受けされるためなら、アンコールワットのジャングルが舗装道路になってしまっても、 神様は文句言えないんだろうな。。。



バンティアイスレイ

郊外のバンティアイスレイは、アンコールワットからはかなり離れているが、とにかく彫刻が素晴らしいということで、 ガタガタ道を3ケツでがんばって行ってみた。
バンティアイスレイは、こじんまりとした上、なんだか妙にじめじめしていて「お墓」っぽい イメージだったが、レリーフの細かさ・美しさといったら想像以上で、艶かしいアプサラにしばしうっとり 見とれてしまった。

c_ap.jpg



ジライヲフンダラサヨウナラ

バンティアイスレイへの道中には、他にもいくつか遺跡があり、人が少ない上、眺めもなかなかよかった。 カンボジアの田舎道を走るのも楽しい。

アンコールワットの周りもついこの間まで 地雷が埋まっていたとかいないとか・・・「トイレに行くときは、田んぼまでいっちゃだめだよ」 そんなことを本気で忠告していた。

こんな平和そうな南国の田んぼ道が戦場だったなんて。インドネシアの美しすぎる海に面した 日本軍の塹壕を見たときも、同じことを感じた。南国の空も海も、人と人が戦うにはちょっとばかりキレイすぎる。 こんな美しい空を前にして、それでも戦いを選ぶなんて、人間はなんておろかな生き物なのだろう。

c_danger.jpg
当時はデンジャーマインドをいっぱい見た。今はどうなっているのかな?



プノンバケン

一日の締めくくりは、アンコールワットを見下ろす丘、プノンバケンでのサンセット。 登るのが厄介なら、像さんタクシーもあります。
観光のメッカなので、上は相当騒々しい。雰囲気で言えば、アンコールワットで迎える夕暮れの方が 素敵。ちなみに、アンコールワットは丘の東側なので、アンコールワットと太陽のセットは日の出の 時に見ることができる。ドーンパープルに染まるワットは、それはそれは神秘的だそうです。  

| 2001カンボジア | 23:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カンボジア旅行記ブログ トレンサップ湖

カンボジア最終日は、巨大湖、トレンサップに出かける。
これまたすごい田舎道をバイタクに乗って向かう。カンボジアの雰囲気は、発展しているタイなどとは異なり、どちらかというとミャンマーに近く、 のどかでノスタルジックな感じ。あぜ道と青空がなんとも心地よい。

さて、カンボジアでは、この巨大湖も重要な交通手段だけあって、湖畔は一種の巨大ターミナル。ごちゃごちゃと込み合っていて、 人もモノも食べ物も動物も沢山!さらに、この湖はベトナム難民が住むという「水上集落」で有名なので、 観光業も盛んなのだ。

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私たちの船頭さんは少年AくんBくんコンビ。ボートを操る横顔はなんとも大人っぽい。
さっそくボートが動き出すと・・・豚小屋が動いてる!!
水上でぷかぷか浮いてる家から子供がいっぱい飛び出して来て・・・水上小学校!?
しかも家がボートに引っ張られてるし!!水上引越!!?

そう、この集落は、ほんとのほんとの「水上集落」
高床式の家なわけではなく、家はぷかぷかと浮いていて、景色に飽きたときなど自由に 引越しができるのだ!!・・・水上所有権とかはあるのかな。

運河地帯はまさに今が引越しのピーク!!隣近所のいざこざに巻き込まれたお宅や、 姑の家から距離を置きたい嫁一家などが家ごとボートで引っ張られていく。 (想像)

さらに、広大なトレンサップ湖へとボートを進めると・・・
おお!水上に村があるではないか!!あっちには雑貨屋さん!?こっちには修理屋さん!?まさかの 水上動物園まで!?どうやら湖上であらゆる用が済んでしまうらしいが、足腰が弱ってはしまわないのだろうか・・・

A少年が疲れたらしく、湖のどまんなかで船を止め、しばしの休憩。 ねっころがると、空以外は何も見えない。
陸を降りて水の上に住むのは一見自由な感じだが、 地に足がついていないのはなんだか不安で落ち着かない。

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| 2001カンボジア | 23:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カンボジアアンコールワット旅行記 シェムリアップ

2001年。21世になったばかりのシェムリアップ( *´艸`) おばはんいくつやー。
若者たちよ。2001年のシェムリアップには電気が無かったぞよ。

シェムリアップ到着
ミャンマー並に電気がない
というのが第一印象。 国道からそう離れていない宿の周りさえ、まったく街頭がない。 唯一屋台街のあたりは明るかったが、売ってるものがへびや何やら、あまり明るくしないでほしい。
ありがたかったのはコンビニの存在。なんでも手に入るし、 両替もできる。
基本的にカンボジアはドルでことが足りるのだが、時々小銭が必要になったら おつりをルピアで貰うのだ。ルピアのルを巻き舌にするのがポイント。アルルルルルピア。



シェムリアップのマーケット
シェムリアプのマーケットはなかなか活気があってたのし。陶製の雑貨やスカーフ・ お土産屋さんから、気になるスウィーツのお店まで。お土産はドル払いなので安くはないが、 おねぇさんたちの笑顔がまぶしい・・・相方、アジアンビューリーに完全ノックアウト。
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素敵な笑顔のおねえさまたち。



お土産あれこれ
★スカーフ。クメール人がみんな持ってる必須アイテム。残念ながら日本ではまったく使えなかったが、観光にはいい。
★アンコールビア。ラベルがとってもかわいい。
★ルピア札。こちらもアンコールワットの絵柄付き。かなりかわいい。
★笛。京都でも売っている。
★地雷T。今やお土産の定番。どういうつもりで着ているんだかわからないが。

| 2001カンボジア | 23:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カンボジアアンコールワット旅行記 スマイルと食中毒に尽きるの巻

14年ぶりにカンボジアに行くことになりました。

記憶ねぇ。

これを機に、古い旅行記をググって探し当てた。自分のなのに行方不明。
大学生の時のです〰今いくつやー。




はじめに

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比較的新しい時代になり、その神殿はある日突然現れたのだという。 長い長い間、鬱蒼と茂るジャングルの中でひっそりと息を潜めていたのだ。

中学の地図帳が紹介したアンコールワットは、私にとって長いこと、 人に発見されることがない密林にたたずむ神秘と冒険の象徴なのだった。

深い深い熱帯雨林の奥、こだまする不死鳥の雄叫び、ぬかる足元、迫り来るベンガルタイガー (どこの国だ)
神秘の宮殿アンコールワットは、そう簡単に私たちを招きいれてはくれぬであろう。ああ、 憧れのアンコールワット・・・!!その姿を一目見ることができるのなら、私は神の呪いをも恐れない!! 二度とこの国に戻れなくとも、私は、私は・・・!!!

やがて、パックパッカー1年目の私は知る。どうやらバスで行けるらしい。
JTBからガイドブックが出ていた。

「ちょっとアンコールワット行ってくる。」
おかんにそう言い残し、タイのついでに行ってみることにした。
ベンガルタイガーに食われることより、彼氏と一緒なのがバレないかどうかのほうが心配だ。



バンコクから国境へ
時間がないのでビザは東京でゲット。
バンコクからアンコールワットのあるシェムリアプまでは、 お任せツアーや列車乗り継ぎ・国境であるアランヤプラテートで一泊・この際飛行機でひとっ飛びなど、行き方様々。

アメリカ一人旅でゲイのターゲットにされて以来、 白人恐怖症になってしまった貧乏で時間のない相方のため、欧米人ばかりのツアーを避け、 自力でカンボジアまで向かうことにした。

バンコクからシェムリまでは一日あれば余裕でたどり着く距離だが、 夜間の移動は多少危険を伴うらしいので、日没までにはたどり着かなくてはならない。
そんなわけで、昨日タイに着いたばかりの相方は、わずか数時間後、生まれてはじめての アジアのバスに乗せられていた。



アランヤプラテート タイの東の果て

初めてのタイ東部方面の旅。特に印象もなくバスは無事国境の町アランヤプラテートへ。
バスターミナルから国境まではバイタクかトゥクトゥクで移動。
アランヤのトゥクトゥクはなぜかリムジン仕様で豪華だ。椅子の角度が45度ぐらいある。なぜだ。
我々は迷わずもっと安いバイタクと交渉、がしかし相手は一台だけだ。
タイのバイクは3人乗り4人乗りは当たり前なので、かまうものかと乗り込んだものの、 相方のバックパックはバイクからはみ出し、一人腹筋の痛みに悶絶していたらしい。
「息吐いたら落ちる」
「・・・バックパックあるから平気じゃん?」




OVER THE BORDER ←昔からこの言葉が好きだ。

国境のすぐ横は大きなマーケットになっていて、買い物客や東へ西へ流れる人々でごった返していた。
ところで私にとってはまともに足で超えるはじめの国境。そしてこの国境は、初めてにしてはちょっと強烈すぎるくらい エネルギッシュで活気に溢れた場所なのだった。

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賄賂を要求されたらどうしよう・・・ドキドキする私の横で、 親父たちは賄賂をばら撒きどんどん横入りしてくる。

その間にもどんどんと国境を越える人々の群れ。 地元の人々は気軽に行ったり来たりしているのだろうか。大きな荷物を抱えた一団が何度も通りすぎていく。
やっとの思いでスタンプを押された自分のパスポートを手にすると、いざ国境越えへ!
バスでも飛行機でも列車でもなく、 自分の足で超えられる国境!しかもこの国境ときたら、中間地帯というものがなく、いきなりタイ!いきなりカンボジア!! なのだ。

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とんでもなく積みすぎ。


「ハローあたしのかさに入ってよ!!」って、あなたカンボジアの子でしょ! ここタイですから!!

ちびっこ商売人に苦戦していると、なにやら聞こえるうめくような声が。
「ハローマダム、ハロー、1ダラー、ハロー」
目をやると、そこにはたくさんの老人や手や足を失った人々・・・

今でこそ陸路で簡単に行くことができるアンコールワットだが、ついこの間まで、 この国は悲惨な内戦が続いていて、今では、「アンコールワットの国」というよりも、 「地雷の国」のイメージがすっかり定着してしまっている。

今となっては手の指が6本あったぐらいじゃなんとも思わないが、 あの頃、戦争の爪跡も飢えも難病も知らなかった私は、その光景には目をそらさずにはいられなかった。いきなり相当打ちのめされた。

アンコールワット以前に、これからずっとこんな光景をみなければならないのかと思うと、 とても気が重い・・・



カンボジア 国道2号線

国境の町ポイペトに入ると、たくさんの客引きに囲まれる。この中からシェムリ行きの車を選ばなければならない。 言い値は皆聞いていたものより高い。すっかり困り果てていたら、東洋人らしき3人組が現れ、その中の一人、どケチな華僑マレーシア人のおかげで そこそこ安い車をゲット。

国道2号線は未舗装な超でこぼこ道で、砂埃に悩まされることで有名だが、私たちが乗るのは中型のバスだったので、 泥もスコールも心配なし。なぜか欧米人のじい様ばぁ様だらけで、一体なんのバスなんだ・・・ でも安いからいいか。

それにしても欧米人というのはすごいな。杖ついてるじいさんまでいる。 まさかお金がないわけではあるまいし、彼らはきっと、このデコボコ道を通過することさえ 旅行のアトラクションだと思ってるんだろう。ピックアップの荷台で死にそうになって アンコールワットに行った旅人などは、アンコールワットそのものの話よりも、ピックアップの恐怖ばかり 語り継いでいる。飛行機や観光バスで「道中」を跳ばしてしまうなんて、彼らにしてみたらそんな もったいない話はないんじゃないかな。もちろん私も同感。お金があっても、ローカル手段を使う 醍醐味はここにある。

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このバスは思い出深い。14年たっても忘れないよ。
途中道が寸断されて迂回したっけ。スタックした時にみんなで押してみたり。


そういえば、3人組は前日アランヤで一泊していたらしい。結局早朝バンコクからやってきた私たちと 同じ時間になっていた。国境でのバス探しには、なんだかんだで1、2時間もめていたから、ちょっとだけ時間オーバーだ。

なにはともあれ無事出発。出発してしばらくは、道もそこそこいいが、路肩には 国境にいた体の不自由な物乞いの人がそこらじゅうに座っていた。そういえば、 彼らにお金を払わないと先に進んでくれないピックアップがあると聞いていたが、このバスはお構いなしに ものすごい速さで2号線を突き進む。

やがて街が尽き、ひたすら広がる広大な田園地帯に入ると、いよいよ道がガタガタに。 相当ひどいとは聞いていたが、前回旅したミャンマーの道とどっこいどっこいな感じ。思ったよりは まともだが、時には「なんで!?」と思うようなありえないくらいどでかい穴が開いててびびった。
途中道がぬかるんで通れなければ、バスは颯爽と畑に突っ込み堂々と迂回する始末。 それでも足がとられ、乗客全員が降りなくてはいけないこともあった。 でもまだ砂埃やスコールに見舞われないだけましだ。でも最後尾に座ったのは失敗だった。 隣の相方は、時々びょーんと跳ね上がり、思い切り天井に頭をぶつけていた。こんなことが 6~7時間、次から次へと視界に入ってくる落とし穴を見る度、もううんざり・・・



シェムリアップ到着
日が暮れる頃、道はやっと舗装路に変わり、いよいよアンコールワットの街・シェムリアプに到着する。

案の定老人会はシェムリアプ一豪華なホテルへと消えていき、残された私たちは有無も言わさず某ゲストハウスへ強制連行。

サンシャインとかなんとか言うそのゲストハウスは、ホットシャワーが出るくせにツインで3ドルという ありえない安さ。一同なんとなく納得し、おとなしくチェックイン。付け加えると、 宿代より、宿がアレンジするバイタクのほうが数倍高い。

うわさの日本人宿とやらにも興味はあったが、ここのフルーツシェークはとてつもなくうまかったので、なんとなく宿を変えることなく居座ってしまった。 そのうまさといったら、宿にいた白人のおねぇ様方が一気に3回おかわりするぐらい。そういえば、 岐路草原の真ん中で腹を下して女の子がいたけど、あの子かも。飲みすぎに注意。

| 2001カンボジア | 23:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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香港元朗⑱ 元朗から香港空港へバスの旅。

香港空港からもほど近い元朗。バスで空港に行く行き方をウィンちゃんに教えてもらいました。IMG_6071.jpg
再び元朗のウィンちゃんの部屋に戻って、みんなで最後のディナーを食べて、元朗からバスで空港へ。
元朗駅は香港の空港にも近く、実はバスでびゅーんと行くのが安くて便利なんだって。
バス乗り場は元朗駅の反対側。
一日にかなりの本数が走っているとのことで、夜9時ごろでも時間を調べずにバス停へ。
こんな時間に空港に行く人がいるのか不思議だったけど、ウインちゃんが言うように結構な数の人が乗っていました。

バス停でウィンちゃんに別れをつげる。
思えばもう出会って8年!数年に一度しか会えないけど、いつも空白の時間を感じさせないものがある。
もうお互い両親とも挨拶した仲だし( *´艸`)、ずっとどこかで繋がっていられれば、それこそ旅の宝物というものです。

ウィンちゃんは近々大阪や名古屋・岐阜(しぶい!)を旅行予定らしく、友人と再会の約束をしていた。
それにしてもよく日本に来るなー。
今は円安なので、香港人にとって日本はとってもリーズナブルに行ける旅行先で大人気なんだそう。
確かに私のドラゴンエアも、友人のLCCも、香港に行く日本人より、香港に帰る香港人のほうが圧倒的に多かった。

ほんっとに時代は変わったね。
香港と日本が同じ国のように気軽に行き来できる日も近い、というかむしろ日本人、円安すぎて外国に行けず!の時代が来るのか!?こうやって通貨価値が上がる国々を目の当たりにすればするほど、本気でちょっと心配になる。がんばれ日本の経済〰!


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LCC専用のターミナルは、国際線の向かい側にあって、イミグレを通ると国際線ターミナルとは中でつながっていました。
本当に便利だね。

友人はピーチで関空に飛ぶため、出国エリアで別れるという不思議な旅の終わりでした^^ 大体同じ時間だったのでよかった。

それにしても、社会人の2泊3日旅行は本当に盛りだくさんに楽しめる!
クッタクタになるけど、これはこれでいい時間の使い方なのかもしれない。
今回もご一緒してくれた友人&ウィンちゃんに大感謝です。


では再見\(^o^)/

| 香港・元朗 | 00:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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香港元朗⑰ グルメの街の茶餐廳

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最後の晩餐は、元朗の茶餐廳。
ウィンちゃんセレクト。チャーハンが2種類ある( *´艸`)どっちがどうだか忘れちゃった。どっちもおいしかった。とても。

あと菜芯とフクロダケの炒めたの、青唐辛子と豚肉の回鍋肉的な味のもの。青唐辛子のフレッシュな青臭い味が好きなので、とてもおいしく、そして熱く頂きました。こういう青唐辛子にフューチャーした炒め物ってもしかして初めてかも。家に青唐辛子があるので早速やってみようと思います!

最後にイカリング!衣にカレー粉がまぶしてあって、フライドガーリックと塩で頂きます。
これは一番おいしかった!!!ビールによく合う!

ビールといえば、スコット君と私がビールをガブガブ飲んで、30分以内に3本目をオーダーしたら、お店の人が超驚いてました。
スコット君によると、香港では茶餐廳で飲みながら食べる習慣は無いのだそう。なんと!
お酒を飲む場所はバーなど、決められているみたい。

台湾で、私と今回同行の友人が小籠包を食べながらビール2本目をオーダーした時、相席の親子に笑われたことを思い出した。
台湾もそうだったのか・・・でも飲むけどね。中華にビールがないなんて、寿司にネタが乗っていないようなもんだ。

それにしても!みんなで食べる中華はほんとにおいしい。
楽しい夜をありがとう\(^o^)/

| 中華圏のご飯 | 00:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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香港元朗⑯ 元朗天水園の観光は歴史地区屏山文物徑へ。

元朗の歴史地区・屏山文物径散歩に行くならぜひチェックしておきたいのはこちら。とてもかつ詳しく書かれていました。
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香港の中でも歴史があり有名な元朗には、屏山文物徑という歴史散歩ができるエリアがあります。
民家の脇やらトラックの駐車場を抜けたりして、決して整っているとはいい難いのですが、香港という近代を象徴する街に突如現れる”歴史”的側面が逆に面白いと思いました。
ちなみにウィン先生によると、海側は新しく発展したエリアなので歴史が浅く、歴史が残るのは中国大陸に近いこのエリアなのだそうです。なるほど!



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まずは聚星樓。香港に残る唯一の古塔みたい。ここら一帯に居住している鄭氏のご先祖様が建立したそう。
ウィンちゃんのお父さんが、もう少し遠いところから見た100年ぐらい前の写真を持っていて見せてくれた。
も、何もないの!これが一番高い建物!あれからたった1世紀で香港はこうも変わってしまうとは驚きでした!



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続いて上璋園。鄭氏一族の村で、約200年の歴史があるそう。このあたりでは唯一現存する古代村だそうです。



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あら、どこのヨーロッパ?



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このあたりだけ、昔の壁が残っている。



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中に入ってもいいみたい。外国人のおじさんが住んでいるのはさすが香港。



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可動式の丸太でガッシリ門を閉める仕組み。



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民家の脇を通り、楊侯古廟へ。数百年前のものらしい。



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今も人々がお祈りに来る場所。



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ちょっと休憩。暑いからね。



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ほんの一瞬、タイの田園地帯を思い出すような道が。



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ほんとに一瞬です。

写真忘れたけどこの先に200年以上前からあるという井戸があります。

ここから次の坑頭村に向かうためにはトラックの駐車場をつきっていきます(笑)”トレイル”とか名前が付いているけど、ぜんぜん小道らしきものがない!!!(笑)

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続いて、坑頭村。このあたりも鄭一族が治めていた土地。



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最後は鄭氏の祖先をお祀りする鄭氏宗祠・愈喬二公祠
このあたり一帯は今も鄭さんたちが暮らしていて、ここも鄭さんたちにより、伝統文化が継承されているんだそう。




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こちらは700年ぐらいの歴史があるそう。



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一つ、二つ、三つの扉を潜っていく建築様式。一番奥にご先祖様が祀られていて、昔は一族の男性しか入れなかったそう。



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愈喬二公祠は16世紀ごろの建立。学問所的な場所。



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一族の写真らしきものが残っていた。



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新界天水園付近の昔の様子。



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パーティセット発見。
一族皆集まるだけあって、超大量。



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この角曲がると絶対なにかあるー!!



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こんな家並に興味があるなら、平遥がおすすめ。
平遥旅行記。北京から1泊で行ける中国の古い古い街並み。




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絵描きさん。



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こんな伝統的な路地が香港に残っているのですよみなさん\(^o^)/
すごい特別なものを見せてもらって感激でした。

再びトラックの駐車場を横切り、すぐ目の前に電車の駅がある。



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歴史散歩の終点は、坑尾村という駅。



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さて、元朗に帰ります。



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元朗地区の路面電車の路線図。



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チケットはこういうので買う。
買ったチケットが制限時間内なら、再購入しなくていい仕組みみたい。



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こんな表示も世界中で見られるようになってきたね。

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レトロな車体でした。
隣で友人とウィンちゃんが談笑していた。
中国の砂漠で出会った香港人と、私の友人が友人になった。
旅と現実が重なったようで若干眼をパチパチしてしまいますが、ともかくこんな光景は喜ばしきことです^^

| 香港・元朗 | 00:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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香港元朗⑮ 元朗から天水園へ路線電車の旅

香港3日目の午後は、ウィンちゃんの実家である天水園地区へ。
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元朗の路面電車に乗ります。
モダンだね。



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途中線路が90度ぐらいに曲がるヘアピンカーブがあって、反対側からの電車とすれ違いざま、珍しい光景が見られました。



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15分ほどで天水園到着。



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ウィンちゃんの実家があるマンション群。す、すごい!!!!想像以上に高層!!



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公営住宅群です。
途中買い物帰りのウィンちゃんパパママに初対面!
さすがは香港のパパママ、難なく英語で会話でした。
ウィンちゃんが日本の我が家に遊びに来たことなどもご存知で、皆で記念撮影。



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よく見る税がほにゃららの広告、どうやら税金のお助け屋さんみたい。
ウインちゃんによると、香港は日本のように給料から税金が控除される仕組みではなく、自分であれこれ計算しなければならず、こういうビジネスの需要が高いのだそう。控除なんて当たり前!と思っていましたが・・・外国に行くと本当に色々な日本が見えてきますね。ちなみに厚生年金的なものもないとかなんとか。



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線路を渡るよ。こんなモダンな駅なのに普通に渡れる。線路の真ん中からプラットフォームをのぞむという、きわめて貴重な光景です。

続いて 天水園の歴史地区へ。

| 香港・元朗 | 00:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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香港元朗⑭ 香港式大鍋の店 萬里縁盆菜

元朗にある大鍋料理の店、香港を代表するパーティ料理として有名なんだそう。

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元朗ツアーでウィンちゃんが紹介してくれた香港カルチャーは、大鍋の文化。
祝い事で好まれる料理なんだそう。



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こういう大きな鍋に、お鍋セットを敷き詰めて、あとは自宅でお鍋をするだけの状態に仕上げてくれるんだそう。
日本のものよりももっと具だくさんで、山盛りに盛り付けるみたい。
このお店はお届け用専門のお店。



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有名。



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こんな感じで祝い事で皆で頂くそう。
みんなで食べてこその大鍋。香港の家族観を象徴するような料理だね。



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ウィンちゃんが、『これであの大鍋を食べるんだよ』と教えてくれた。

| 中華圏のご飯 | 00:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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香港元朗⑬ 色々な香港食

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なんと、私の好きな鴛鴦茶がペットボトルになっているではないか。時代だね〰
これは陰陽模様のごとく、コーヒーと紅茶を合わせて作る香港オリジナルのお茶。
今までは茶餐廳でしか飲めない特別な飲み物と思っていたのに、今は粉タイプのも出ていた。



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これはウィンちゃんの大好物だという小麦粉を揚げて、蜜を絡めたかりんとうのようなおやつ。



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ウィンちゃんが本気買いをするということで、私たちもあれこれ味見させてもらった。
シナモンやら生姜やら、甘いやらしょうゆやら、それらのミックスやら、とにかく複雑な味が多いおかし。
確かになれると病みつきになりそう。
あまりにも印象的な味で、一度食べたらしばらくは味の記憶が残ると思う。


市場近くにこういう伝統菓子を売る一角があって、他にバナナの味のやわらかい餅菓子とか、ピーナッツなどを蜜で固めた甘いお菓子などが人気だそう。ウィンちゃんのお父さんもこういうところの伝統菓子が好きらしく、実家に帰るときはお土産に持っていくそう。



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街角で見かけたリラックマと、エルモのケーキ。

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香港元朗⑫ 食べ歩きの街一番の人気店、恒香老餅店

食通の街元朗には、海外に移った香港人からも絶大な人気をほこる名店があります。恒香老餅店!

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ここー。路面電車の大棠道(ダイドンドウ)」駅前にある恒香老餅店。
ウィンちゃんはなんでも知っている!
日本で調べてみると、教えてもらった店はどれも日本人の香港通に有名な店ばかりではないか。




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横浜中華街にあるような素敵な店舗。
ここは元朗に来る香港人にとっても有名なお店なんだって!
ウィンちゃんによると、海外から香港に帰省する香港人は、皆からお店のお菓子をお土産にしてほしいと頼まれるんだそう。
遠い異国の地でも食べたい味とはいかに!?



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こんな素朴な焼き菓子が有名。
海外に買って帰ってきてと頼まれるのは点心だったな。あまり甘くなくて、確か、餅みたいなのが入っていたような。
特に印象に残らなかったが、海外に行った香港人には大変思い出深い味なんでしょうね。ごめん分からなくて。



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私はこっちがかーなーり、おいしかった。
一口サイズのミートパイです。



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サクサクサクサクのパイの中に入っているチャーシュー味の餡、甘すぎることもなく最高の組み合わせでした。
元朗で食べたものの中でダントツで一番おいしかった。


ちなみに★
このお店の回りには激安のお菓子を売るお店がたくさんあります☆
平日は中国人のおばちゃんたちが大きいバックを持って大挙してやってきて歩けないほどだそう。
海外のチョコとか、日本で買うより半額ぐらい安かったので、普段買えないドイツ製のチョコを大量買いしたわたし。しかも香港の土産がそれだけっていう・・・どこに言ってたんだ自分。

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香港元朗⑪ 食通の街、元朗でミシュラン掲載のお店・好到底

グルメの街元朗には、有名店が何件も軒を連ねています。好到底麺家は、ミシュランガイドに掲載された名店だとか。

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そんな人気店の代表がこちら。好到底とは、心底好きになる、みたいな意味みたい。



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お昼すぎでも超満員。
並ばずに入れるのは珍しいのだとか。



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2015年のミシュランなのかしら。★をとったわけではないみたいだけど、掲載されているのはすごいね。



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これが有名な蝦子撈麺というエビの卵の振りかけがかかった麺。
乾麺なのかな、固めの麺で、実はスープをかけながら食べるようです。
実は地下鉄などでたくさんこの料理の写真を見て、気になっていたのです。
で、お味は、ビミョー。
ゴムっぽい食感のたんぱくな麺に、パサっとしたエビふりかけ。
この水分のない感じの麺には日本人はちょいと不慣れ。
おそらく見たままの味。特に気の利いたアミノ酸的テイストが加えられているわけでもなく、とにかくそのままの素朴な味。それ以上でも以下でもない。
どうやらエビの卵よりも麺自体がおいしいそう。お土産にもなってたみたい。
あれだけ宣伝して、これだけ人が入るってことは、香港の人にはツボみたい。



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私は奥に見えるナポリタン味の麺がとても好きだったな。
かなり甘い味つけで、豚肉がごろっと入っていて、子供受けしそう。
こちらも麺は同じ。
他にワンタンメンなどもあって、こちらもおいしいと言っているブロガーがいました。

あとはウィンちゃんおすすめの大根と牛肉の煮込み。日本のおでんみたいな味。

それにしても香港の人は胃が小さいのか!?というほど一杯は少ない。



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ウィンちゃんがおもしろいことを教えてくれた。
なんでもこのお店はとっても古いそう。
それは、お店の右側の昔のタイルに書かれた電話番号のケタ数でわかるんだって!
勉強になった!

他にも食通の街元朗にはたくさんの有名店があります。
続いてはスイーツを。

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香港元朗⑩ 亀ゼリーの海天堂

ウィンちゃんも1か月に一回は食べるという亀ゼリー。初めていただきました。

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ウィンちゃんも、ウィンちゃんの弟も、回数券で通うという海天堂。
亀ゼリーというのは、亀の肉が入っているものとばかり思って避けていたが、実は亀の甲羅を煮出した液が入っているんだそう。
滋養強壮効果が高いらしく、疲れを感じたときにお勧めなんだって。



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1つは1000円近くするのだよ。たかーい。でも体にいいならぜひ!!
良薬や財布に苦し。
味はいつも食べてる薬草ゼリー。亀ゼリーもベースは薬草ゼリーなんだって。
シロップを付けるとむしろおいしい。

香港旅行で疲れたら、マッサージに合わせて亀ゼリーを食べるのがいいね。

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