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大震災

皆様ご無事でしょうか。

この大震災を忘れないために、自分に起こったことを書きとめておきます。
そしてこれからずっと続けて行こうと思っていることも。


最近多発していた地震。
すっかり慣れっこになって「また?」と思った矢先、これは冗談じゃない!というすさまじい揺れに襲われました。

最初の弱い揺れの中で、遠くに見える高層ビルが見え、そこいる人々のことを考えました。
この揺れはちょっと怖いだろうな・・・

いつもならそれで終わる。
でも今日は様子がおかしい、どんどん大きくなる揺れ、社内の本棚が皆倒れそうになるくらいの強い揺れがやってきて、やっとこれはただ事ではない!と思い、あわてて机の下に隠れました。
本当に地震で机の下に隠れる日が来るなんて!もちろん生まれて初めての経験でした。でも、習っておいてよかった!

そしてそんな中でも必死に入れたばかりの紅茶を心配して、手だけだして紅茶を床に置きました。

後ろのホワイトボードが倒れ、隣の机の本立てが飛んできて、テレビが倒れ、床においたカップもこぼれ、ついにきたか、これで終わりかと、大混乱の中で思ったのを覚えています。
棚のものが落ちるような地震すら初めてなのに、テレビが吹っ飛びPCが倒れ、いよいよ本棚が倒れ天井が抜けるんじゃないかと思ったころ、やっと地震がおさまったのでした。

何がなんだか分からないけれど、みんなが逃げたほうがいい!と言っていたので、あわててジャケットとバックを持って7階から1階へ。もちろんエレベータなんて乗れないから、階段を走って降りました。
その長かったこと長かったこと・・・

下に降りたらビル中の人だけでなく、よそのビルの人もみんな下に降りてきていました。
多分ここにいたほとんどの人がたった今自分が直面したことを把握できていなかったでしょう。
足ががくがく震えて、いつあの続きがあるのかみんな不安そうな顔をしていました。

私の職場は外に出てもビルにつぶされそうで、安全な場所が見つからないので余計混乱しました。
みんな頑丈だといわれている入り口のところに待機、
すると次の余震があって、近くにある秋葉のビルが今にも折れるんじゃないかと思うぐらいぐらんぐらん揺れていました。いや、正確には、ビルに映る空を見ていたんです。ビルに映る空って、風が吹くと揺れたっけ・・・
そんな感じ。夢の中の思考のようなことを考えていました。

一度7階に戻り、コンセントなどを抜きにいったのですが、こぼれたお茶のことなんか全く気にしませんでした。
とにかく一刻も早くここから逃げなくては!という一心で。

うちのビル、ぼろいから揺れも相当大きかったようで、後で都内の人に聞くも、ここまでひどい揺れは感じなかった模様。
普段から地震が来たら床が抜けると言われていただけに、本当に怖かったです。
あとで見たらひびが入っていたし・・・

第一波の地震からすぐ、管理人室でもう津波が来ていることを知りました。
私の同僚や教えている子は千葉の浜にいるので、だめもとで「つなみ!」というメールを送信しました。

会社はそのまま解散になってみんな普通に帰っていったようです。その時はまさか都内の交通網が麻痺するだけの大震災だとは誰も考えていなかったのだと思います。
自転車だった私は秋葉原の大通りへ。
ビル中から人々があふれていて、中には建物そのものに近づかないように警告線が張られているビルもありました。

上野公園で小一時間待機して、浅草に戻ると都内は帰宅難民であふれていました。
人力車で帰る人もいました。隣のお姉さんは浜松町から歩いて北千住まで行くと行っていましたが、あの時自転車を貸すというアイディアが沸かなかったことはいまでも後悔。
でも彼女はまだ近い方だったらしいです。
国道一号線は人であふれていたというのだから・・・

浅草に戻っても、怖くてずっとワンセグ見ながらミスドで待機しました。

4階の家もテレビが落ちていました。
その日の夜、すぐにでも逃げられるように暖かい格好をして、旅行用の貴重品袋をぶら下げて寝ました。


東北の皆様の苦しみを思うと本当に心が痛いです。
どれだけ想像力をめぐらせてみても、その苦しさを理解することはできない。
みんなきっと分かっているんだと思います。
だけどなんとか、なんとか支援がしたい。
その一心で、今、世界中の人々が東北に向け支援の輪を広げています。

やっと復興に向け動き出した日本。
世界の人だって心を痛めて動いてくれている。
私ごときが言うまでもないことですが、本当に皆で助け合わなくてはいけない。

義援金は痛いと思う額を寄付しなくちゃいけない、それだけ大変な震災だと言っている人がいました。
私たちにできることは、物質的な面でサポートすることしかできないけれど、それはとても大切なこと。
たまたま学校においておいた傘だけが自分の所持品になってしまった中学生がいるんだから。

もちろん皆さんすでにされていることだと思いますが、この先数年に渡り継続した支援ができればと思っています。

そして被害の無かったところの皆さんはしっかり働いて消費して経済をまわしましょう!

一刻も早く東北の人々に平安が訪れますように。

以上、この日をずっと忘れないために、勢いのまま書きました。
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| 徒然日記 | 20:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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